Chapter.43[ウィンヒル]
~第43章 part.1~
ボルドは慌てて与えられていた自室に戻った。
部屋に飛び込むなり、ボルドの姿を見て立ち上がった眼鏡の男に怒鳴りつける。
「これはどういうことだ!!」
「だ、大統領…。レウァール大統領と会見中だったのでは…?」
あくまでも冷静に言葉を紡ぐ眼鏡の男に、ボルドは苛立ちを覚えた。
会見どころではない。
自分の身に起きた出来事から、その被害が他の周囲の人物にも及ぶことは想定の範囲内だ。
だからこそ、各官僚たちには戒厳令を敷き、外出しないように念を押していたはずだった。
それを破り、外の世界に身を晒した結果、命を落とす羽目になったのだ。
「…バカなことを…」
起こってしまった出来事を、今更どうすることもできない。
ボルドには、彼らの愚かな行為を届かぬ言葉で戒めるしかなかった。
眼鏡の男が魔女を捕らえたことについて発表すべきかどうか聞いてきた。
つい先程ラグナと話した時に、発表はまだ待つようにと言われたことを思い出した。
「いや、待て。確認は取れているのか?」
「確認するまでもないでしょう。発見したと報告してきた部隊は全滅したとの報告が入っていますし、バラムから援護に向かったフリーマン大佐より、収容所へ送還する旨の報告が入っています。」
「…そうか。…その後連絡はあるのか?」
「収監が済めば、また連絡が入ることになっております」
「ではそれまで待とう。官邸に、再度外出を控えるように念を押しておけ」
「了解いたしました」
すぐに眼鏡の男は、部屋の通信機からどこかへ連絡を取っているようだ。
ボルドはそこでやっとソファーに身を沈めた。
額に浮かんだ脂汗を手の甲でぐいと拭い、天井を見上げて長い溜息を吐き出した。
「…なんてことだ…。おい、レイスは、魔女派の連中に襲われたと思うか?」
通信を終えたらしい眼鏡の男が、ボルドの元に戻ってきた。
「未だ犯人の特定はできておりません。今の段階では魔女派と決め付けることはできないかと思われますが、白いコートを着た大男で、突然空から襲ってきた、としか…」
「その後の犯行声明らしきものは?」
「ありません。目下、ガルバディアの公安が全力で捜査中との事です」
先日、自分が狙撃された時、数時間と経たないうちにすぐに魔女派と名乗る反政府組織からの犯行声明と宣戦布告が出された。
世界の人間は、そこで初めて魔女を支持し、ガルバディア政府に敵対するものの存在を知った。
この度の暗殺は、同じ魔女派と名乗る組織の犯行なのだろうか?
それとも、ただ便乗しただけの奴か、どちらにしろ、政府関係者にとって警戒すべき事態であることには間違いなかった。
魔女という存在が明らかになった時点で、市民、いや世界中の人々はガルバディア政府の動向に注目している。
新しい法案も、予算がどうのと言っている場合ではない。議題に上るのは全て魔女に関してのことばかり。
大統領の責任は重い。
そんな中で銃撃を受け、逃げるようにこの小さな村へやってきた。
議会は採決ができないまま、官僚たちは困惑し、そこへこの暗殺事件だ。
取り乱すなと言うほうが難しい。
そして、無駄に加熱する過剰報道に広まる人々の噂が噂を呼び、市民のガルバディア政府に対する支持は下がる一方だ。
人々の間に広がる不安は、やがて政府への不満へと変わり、反政府組織が掲げる魔女派への意識が大きくなっていたのも事実である。
また、大統領銃撃及び官僚の暗殺と立て続けに起こった事件に、町の公安が全て借り出されている現在、町の治安を守るものはおらず、町も人々も荒れていくばかり。
各地で多発するデモや暴動を、もはや止めることなどできない状態だった。
通信が入ってきた音が鳴り響き、眼鏡の男が慌てた様子もなくそれを受け取った。
「大統領!」
少々荒げた声は、この男にしては珍しいことだ。
呼ばれたボルドが、顔を上げると、そこには青い顔をしている眼鏡の男の姿。
「どうした?」
「…教育部部長、マーク・アクリヴ氏が、殺害されました…」
「!!!」
その言葉に返すこともできないまま、ボルドは勢いよくソファーから腰を上げた。
「先方からの催促を断りきれなかったようで、警護の者と官邸から出たところで…。…目撃者の話では、白いコートを着ていた、と」
「同一犯の仕業か…。ええい、護衛は何をしていたんだ!」
…また、やられた。 …まだ、やられるのだろうか…?
言い知れぬ恐怖がボルドを包む。
額に浮かんでいた汗は、頬を伝ってきていた。
再び通信機が音を立てる。
すぐ側に立っていた眼鏡の男がビクリと反応し、一瞬受話器を持ち上げようとした手に躊躇いを見せたが、恐る恐る受け取った。
相手の声を聞き、相手に悟られないように思わず溜息を飲み込んだ。
「大統領、学園長からです。お出になられますか?」
「……出よう」
眼鏡の男の掛けた声に、暫しの間を置いてからボルドはそこに向かった。
『いい知らせだよ、父さん』
ガルムの第一声は明るかった。
嫌な知らせが立て続きに入り、気の滅入ったボルドにその声はかえって苛立ちを募らせるものでしかなかった。
「たった今、マーク・アクリヴが殺害されたという知らせを聞いたところだ。…それ以上にいい知らせなのだろうな」
『…アクリヴ…?教育部長の!? …そんな…知らなかったよ。 それより、ウチのものがデリングシティの反政府グループのアジトを発見した。かなりの人数がいるらしい』
「…そうか」
『……? そうか、ってそれだけ? 何か手を打たないのか? そもそも父さん、今どこにいるんだよ? 病院に連絡したら退院したって言うし、
官邸にもいないし自宅は封鎖されてるし。秘書のおばさんに補佐官の連絡先聞いてやっと話せたってのに…』
「…私のことはいい…」
『いいわけないだろ!? 今、この町がどんな状況になってるかわかってないはずないだろ!』
「それをここで考えている」
『おかしいだろ!?一番の責任者が、一番重大な局面のときに不在だなんて! …まぁ、療養の必要があるって事は官僚のおじさんたちも知ってるみたいだから何も言わないけどさ。
それより、捕らえたレジスタンスの1人が面白いことを言ってたよ。』
「??」
『もう1人の“ナイト”が現われた』
「(…“ナイト”…?どこかで聞いたな…)それがどうした?」
『誰かに思い当たらない? 白いコート着た大柄の男』
「!!!」
それはまさしく、今やガルバディア中で血眼になって探している官僚暗殺の容疑者と一致するものだ。
“反政府組織” “レジスタンス”
この2つの組織は繋がっているのか?
デリングシティの魔女派と呼ばれる反政府組織と、ティンバーのレジスタンス。
先日のレジスタンス掃討作戦で行き場を失った生き残りの者達が、デリングシティで反政府組織に加わったと考えるのが妥当であろうか…?
ということは、この度の暗殺の犯人は魔女派のメンバーとも考えられる。
…やはり、魔女、なのか。
しかも、ナイトなどと呼ばれていることで決定的だ。
犯人は、“魔女の騎士”!
「…そいつは今どこに…?」
『それが、姿を消したそうだよ。ウチの者達にも探させてるけど、反政府組織のメンバーも知ってる奴は少ないみたいだ』
「…魔女派の一員、か…?」
『正確なところはわからないけど、雇われた、とかなんとか。傭兵ってことかもね…。何か知ってるの?』
「官僚たちを殺害した犯人の目撃情報と一致している」
『えっ、じゃあそいつが犯人でほぼ間違いないんじゃないのか?』
「白いコートだけでは、何の手掛かりにもならんがな…」
『…まぁね。 …引き続きウチの連中に探らせるよ。見つけたアジトはこっちで勝手に処理していいだろう?』
「あぁ、任せる。何か分かったらまた連絡してくれ」
受話器を戻したボルドの額には深い皴が寄せられていた。
タイミングよく、ドアをノックする音が聞こえてきた。
返事をすると、静かにドアが開けられる。
たった今、話終わった息子が不意にそこに現われたような感覚に囚われる。
紅茶の香りがボルドの鼻を擽ったのだ。
よく見ればそれは息子などではなく、華やかな笑顔のエルオーネだった。
「お茶をお持ちしました」
「あぁ、エルオーネさん、わざわざありがとう」
彼女という存在と、この柔らかな香りで、ボルドの心中は少し落ち着きを取り戻したようだ。
陶器の擦れる微かな音が耳にも心地よい。
「花の手入れはもういいんですか?」
目の前に差し出されたカップをソーサーから受け取りながら、ボルドはエルオーネに尋ねた。
静かに窓の外を指差したエルオーネの細い指の先に目を向けると、いつの間にか外は薄っすらと暗く、細かな雨が落ちてきていた。
「この天気ですから、今日はもう皆、家に戻ることになりました」
「そうでしたか…」
そのまま、窓の外を見つめる視線を外すことなく、ボルドはゆっくりとカップを口元に近づけた。
「…いい香りだ」
「ありがとうございます。 …この分では、デリングシティも雨でしょうか?」
「…弔い雨になったようです」
「・・・・・」
官僚が殺害された旨を、彼女も聞き及んでいたのか、ボルドの小さな呟きにエルオーネは言葉を返すことが出来なかった。
「ラグナおじさまが言ってました。『ボルドは欲張りで、何でもかんでも自分の思い通りにしたくて、だから何でもかんでも自分独りで背負ってしまうんだ』と…」
「…そんなことを…?」
「もう少し、肩の力を抜かれてはいかがですか? せっかく、ここには静養にいらっしゃったのでしょう?」
「…そう、ですね」
エルオーネの優しい笑顔に、ボルドもつられて小さく笑みを零した。
そこへ、再度通信が入る。
「では私はこれで失礼します」
「あぁ、美味しい紅茶をありがとう」
エルオーネが退室するのを待ってから、眼鏡の男がボルドを呼びつける。
「収容所に魔女を移送した将校からです。収容所の所長、研究室の室長と合流した後魔女を確認。研究室に収監したとのことです。
それから、魔女と一緒に捕らえた男ですが、エスタの研究所爆破事件と関わりがあるようでして、身元の確認を取っております」
「エスタの研究所から魔女を連れ出した犯人が、その男というわけか…」
「収容所に送られれば、もう魔女を奪われることはないでしょう。大統領、如何なさいますか?発表されますか…?」
「…いや、先程も言った通り、少し発表は待ってくれ」
→part.2
ボルドは慌てて与えられていた自室に戻った。
部屋に飛び込むなり、ボルドの姿を見て立ち上がった眼鏡の男に怒鳴りつける。
「これはどういうことだ!!」
「だ、大統領…。レウァール大統領と会見中だったのでは…?」
あくまでも冷静に言葉を紡ぐ眼鏡の男に、ボルドは苛立ちを覚えた。
会見どころではない。
自分の身に起きた出来事から、その被害が他の周囲の人物にも及ぶことは想定の範囲内だ。
だからこそ、各官僚たちには戒厳令を敷き、外出しないように念を押していたはずだった。
それを破り、外の世界に身を晒した結果、命を落とす羽目になったのだ。
「…バカなことを…」
起こってしまった出来事を、今更どうすることもできない。
ボルドには、彼らの愚かな行為を届かぬ言葉で戒めるしかなかった。
眼鏡の男が魔女を捕らえたことについて発表すべきかどうか聞いてきた。
つい先程ラグナと話した時に、発表はまだ待つようにと言われたことを思い出した。
「いや、待て。確認は取れているのか?」
「確認するまでもないでしょう。発見したと報告してきた部隊は全滅したとの報告が入っていますし、バラムから援護に向かったフリーマン大佐より、収容所へ送還する旨の報告が入っています。」
「…そうか。…その後連絡はあるのか?」
「収監が済めば、また連絡が入ることになっております」
「ではそれまで待とう。官邸に、再度外出を控えるように念を押しておけ」
「了解いたしました」
すぐに眼鏡の男は、部屋の通信機からどこかへ連絡を取っているようだ。
ボルドはそこでやっとソファーに身を沈めた。
額に浮かんだ脂汗を手の甲でぐいと拭い、天井を見上げて長い溜息を吐き出した。
「…なんてことだ…。おい、レイスは、魔女派の連中に襲われたと思うか?」
通信を終えたらしい眼鏡の男が、ボルドの元に戻ってきた。
「未だ犯人の特定はできておりません。今の段階では魔女派と決め付けることはできないかと思われますが、白いコートを着た大男で、突然空から襲ってきた、としか…」
「その後の犯行声明らしきものは?」
「ありません。目下、ガルバディアの公安が全力で捜査中との事です」
先日、自分が狙撃された時、数時間と経たないうちにすぐに魔女派と名乗る反政府組織からの犯行声明と宣戦布告が出された。
世界の人間は、そこで初めて魔女を支持し、ガルバディア政府に敵対するものの存在を知った。
この度の暗殺は、同じ魔女派と名乗る組織の犯行なのだろうか?
それとも、ただ便乗しただけの奴か、どちらにしろ、政府関係者にとって警戒すべき事態であることには間違いなかった。
魔女という存在が明らかになった時点で、市民、いや世界中の人々はガルバディア政府の動向に注目している。
新しい法案も、予算がどうのと言っている場合ではない。議題に上るのは全て魔女に関してのことばかり。
大統領の責任は重い。
そんな中で銃撃を受け、逃げるようにこの小さな村へやってきた。
議会は採決ができないまま、官僚たちは困惑し、そこへこの暗殺事件だ。
取り乱すなと言うほうが難しい。
そして、無駄に加熱する過剰報道に広まる人々の噂が噂を呼び、市民のガルバディア政府に対する支持は下がる一方だ。
人々の間に広がる不安は、やがて政府への不満へと変わり、反政府組織が掲げる魔女派への意識が大きくなっていたのも事実である。
また、大統領銃撃及び官僚の暗殺と立て続けに起こった事件に、町の公安が全て借り出されている現在、町の治安を守るものはおらず、町も人々も荒れていくばかり。
各地で多発するデモや暴動を、もはや止めることなどできない状態だった。
通信が入ってきた音が鳴り響き、眼鏡の男が慌てた様子もなくそれを受け取った。
「大統領!」
少々荒げた声は、この男にしては珍しいことだ。
呼ばれたボルドが、顔を上げると、そこには青い顔をしている眼鏡の男の姿。
「どうした?」
「…教育部部長、マーク・アクリヴ氏が、殺害されました…」
「!!!」
その言葉に返すこともできないまま、ボルドは勢いよくソファーから腰を上げた。
「先方からの催促を断りきれなかったようで、警護の者と官邸から出たところで…。…目撃者の話では、白いコートを着ていた、と」
「同一犯の仕業か…。ええい、護衛は何をしていたんだ!」
…また、やられた。 …まだ、やられるのだろうか…?
言い知れぬ恐怖がボルドを包む。
額に浮かんでいた汗は、頬を伝ってきていた。
再び通信機が音を立てる。
すぐ側に立っていた眼鏡の男がビクリと反応し、一瞬受話器を持ち上げようとした手に躊躇いを見せたが、恐る恐る受け取った。
相手の声を聞き、相手に悟られないように思わず溜息を飲み込んだ。
「大統領、学園長からです。お出になられますか?」
「……出よう」
眼鏡の男の掛けた声に、暫しの間を置いてからボルドはそこに向かった。
『いい知らせだよ、父さん』
ガルムの第一声は明るかった。
嫌な知らせが立て続きに入り、気の滅入ったボルドにその声はかえって苛立ちを募らせるものでしかなかった。
「たった今、マーク・アクリヴが殺害されたという知らせを聞いたところだ。…それ以上にいい知らせなのだろうな」
『…アクリヴ…?教育部長の!? …そんな…知らなかったよ。 それより、ウチのものがデリングシティの反政府グループのアジトを発見した。かなりの人数がいるらしい』
「…そうか」
『……? そうか、ってそれだけ? 何か手を打たないのか? そもそも父さん、今どこにいるんだよ? 病院に連絡したら退院したって言うし、
官邸にもいないし自宅は封鎖されてるし。秘書のおばさんに補佐官の連絡先聞いてやっと話せたってのに…』
「…私のことはいい…」
『いいわけないだろ!? 今、この町がどんな状況になってるかわかってないはずないだろ!』
「それをここで考えている」
『おかしいだろ!?一番の責任者が、一番重大な局面のときに不在だなんて! …まぁ、療養の必要があるって事は官僚のおじさんたちも知ってるみたいだから何も言わないけどさ。
それより、捕らえたレジスタンスの1人が面白いことを言ってたよ。』
「??」
『もう1人の“ナイト”が現われた』
「(…“ナイト”…?どこかで聞いたな…)それがどうした?」
『誰かに思い当たらない? 白いコート着た大柄の男』
「!!!」
それはまさしく、今やガルバディア中で血眼になって探している官僚暗殺の容疑者と一致するものだ。
“反政府組織” “レジスタンス”
この2つの組織は繋がっているのか?
デリングシティの魔女派と呼ばれる反政府組織と、ティンバーのレジスタンス。
先日のレジスタンス掃討作戦で行き場を失った生き残りの者達が、デリングシティで反政府組織に加わったと考えるのが妥当であろうか…?
ということは、この度の暗殺の犯人は魔女派のメンバーとも考えられる。
…やはり、魔女、なのか。
しかも、ナイトなどと呼ばれていることで決定的だ。
犯人は、“魔女の騎士”!
「…そいつは今どこに…?」
『それが、姿を消したそうだよ。ウチの者達にも探させてるけど、反政府組織のメンバーも知ってる奴は少ないみたいだ』
「…魔女派の一員、か…?」
『正確なところはわからないけど、雇われた、とかなんとか。傭兵ってことかもね…。何か知ってるの?』
「官僚たちを殺害した犯人の目撃情報と一致している」
『えっ、じゃあそいつが犯人でほぼ間違いないんじゃないのか?』
「白いコートだけでは、何の手掛かりにもならんがな…」
『…まぁね。 …引き続きウチの連中に探らせるよ。見つけたアジトはこっちで勝手に処理していいだろう?』
「あぁ、任せる。何か分かったらまた連絡してくれ」
受話器を戻したボルドの額には深い皴が寄せられていた。
タイミングよく、ドアをノックする音が聞こえてきた。
返事をすると、静かにドアが開けられる。
たった今、話終わった息子が不意にそこに現われたような感覚に囚われる。
紅茶の香りがボルドの鼻を擽ったのだ。
よく見ればそれは息子などではなく、華やかな笑顔のエルオーネだった。
「お茶をお持ちしました」
「あぁ、エルオーネさん、わざわざありがとう」
彼女という存在と、この柔らかな香りで、ボルドの心中は少し落ち着きを取り戻したようだ。
陶器の擦れる微かな音が耳にも心地よい。
「花の手入れはもういいんですか?」
目の前に差し出されたカップをソーサーから受け取りながら、ボルドはエルオーネに尋ねた。
静かに窓の外を指差したエルオーネの細い指の先に目を向けると、いつの間にか外は薄っすらと暗く、細かな雨が落ちてきていた。
「この天気ですから、今日はもう皆、家に戻ることになりました」
「そうでしたか…」
そのまま、窓の外を見つめる視線を外すことなく、ボルドはゆっくりとカップを口元に近づけた。
「…いい香りだ」
「ありがとうございます。 …この分では、デリングシティも雨でしょうか?」
「…弔い雨になったようです」
「・・・・・」
官僚が殺害された旨を、彼女も聞き及んでいたのか、ボルドの小さな呟きにエルオーネは言葉を返すことが出来なかった。
「ラグナおじさまが言ってました。『ボルドは欲張りで、何でもかんでも自分の思い通りにしたくて、だから何でもかんでも自分独りで背負ってしまうんだ』と…」
「…そんなことを…?」
「もう少し、肩の力を抜かれてはいかがですか? せっかく、ここには静養にいらっしゃったのでしょう?」
「…そう、ですね」
エルオーネの優しい笑顔に、ボルドもつられて小さく笑みを零した。
そこへ、再度通信が入る。
「では私はこれで失礼します」
「あぁ、美味しい紅茶をありがとう」
エルオーネが退室するのを待ってから、眼鏡の男がボルドを呼びつける。
「収容所に魔女を移送した将校からです。収容所の所長、研究室の室長と合流した後魔女を確認。研究室に収監したとのことです。
それから、魔女と一緒に捕らえた男ですが、エスタの研究所爆破事件と関わりがあるようでして、身元の確認を取っております」
「エスタの研究所から魔女を連れ出した犯人が、その男というわけか…」
「収容所に送られれば、もう魔女を奪われることはないでしょう。大統領、如何なさいますか?発表されますか…?」
「…いや、先程も言った通り、少し発表は待ってくれ」
→part.2