Chapter.42[D地区収容所]後編
~第42章 part.1~
素晴らしい青空が広がっている。
ゆっくりと流れていく小さな雲は、形を様々に変化させながらその身を風に任せている。
目の前にはどこまでも続く大海原。
柔らかな風に揺れる小さな波が体を心地よく揺する。
船縁に掛けた小さな手を、どれだけ伸ばしても届くわけはないのに、それでもどうにかして掴み取ろうとしてみる。
「あっ、またこんなとこにいた!早く来いよ。隠れるぞ!今日はマットが鬼だからな!」
後ろから掛けられた声に、姿勢を戻して振り返る。
あどけない顔で笑う幼い少年は、記憶の中に残る一番の親友だった奴。
その少年に手を引かれ、狭い部屋の中に身を隠す。
ゆっくりと小さく揺れる床。
特有の潮の香り。
ロープや床板が軋む音。
懐かしさが込み上げてくる。
自分が育った、自分と仲間達の家。それは海に浮かぶ小さな船。
その小さな船の中だけが、自分たちにとっての聖域だった。
ある日、船がとある港に停泊した。
いつもなら絶対に船の外に出ることを許されないのに、この日は違った。
全員、荷物を手渡され、有無を言わさず船を降ろされた。
記憶に残る始めての上陸。揺れない大地が、逆にゆらゆらと足場を不安定にさせているようで怖かった。
振り返った先には見たことも無い景色が広がっていた。
遠くまで連なる山々に広がる緑。
たくさんの人、車、溢れかえったたくさんの物、大きな建物、見たことも無い食べ物。
どれも全て幼い目には驚きと感動を与えてくれる。
何より、仲間が一緒だった。
この先に待つ不安よりも、今のこの状況が嬉しくて楽しくて溢れそうだった。
しかしそれも束の間でしかなかった。
やがて大きな車が自分たちの元へやってきた。
自分たちを育ててくれた白い服を着た大人たちは、寂しそうな笑顔で自分たち一人一人に別れを告げた。
どういうことなのか、理解できなかった。
ずっと一緒だと思っていた存在が自分たちの前からいなくなってしまう。置いていかれる。
子供ながらに、恐ろしい不安感を覚えた。
自分はどこかで納得していたのかもしれなかった。
泣きながら縋る仲間達の姿を、その場から動くこともせずに他人事のように眺めていた。
悲しくないわけがない。辛くないわけがない。
でも、心のどこかでやっぱりな…と感じていた。
未だに泣き止まない仲間を慰めながら、乗せられた大きな車で連れて行かれた大きな建物。
それは本当に大きくて綺麗で、そして怖かった。
ここに足を踏み入れたら、もう2度と外には出られないような気がした。
広いエントランスの片隅に集められた仲間たちを誘導してきた黒い服を着た大人たち。
顔もまともに見えないような大きな帽子からは、濁った目だけが自分たちを見下ろしていた。
これから何をされるのだろうか。自分たちは一体どうなってしまうのだろうか。
言い知れぬ不安感だけが小さな体を包み込んでいた。
仲間同士で体を寄せ合い、言葉を発することもできないまま、互いの存在を感じとり、不安を和らげようとしていたのかもしれない。
「こんにちは、みなさん」
不意に掛けられた声にビクリと体を震わせる。
そこにいたのは、人の良さそうな笑顔を浮かべた初老の男性。
丸い眼鏡の奥には、優しい瞳が細められていた。
「あ、あとはこちらで引き受けますよ。ありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げた相手は、自分たちの頭上を通り越した先にいた黒い服の大人達。
その人たちも軽く頭を下げたあと、そこからいなくなってしまった。
そして代わりに来たのは優しそうなお兄さんとお姉さんたち。
「さて、はじめまして、みなさん。私の名前は、シドと言います。そしてここはみなさんがこれから生活するガーデンです」
「…ガーデン…?」
それが一体何なのかさっぱりわからない。
仲間たちも、未だ拭えない不安な表情のまま、それでも今目の前で話をする男に興味があるようだ。
「ここでは、これから大きくなって、社会に出て、一人で生きていく為のお勉強をします。
仲間同士で助け合う大切さを学びます。そして、何者にも負けない強い心を育てます」
シドと名乗った大人が、よくわからない説明をしている。
つまり、今から自分たちはここに住むのだ、ということだけ理解した。
「みなさんのお世話をしてくれるお兄さん、お姉さんたちをご紹介しましょう。みなさん、このお兄さんとお姉さんたちの言うことをよく聞いて楽しい学園生活にして下さい。
ようこそ、バラムガーデンへ!」
最初は不安で怖がっていた仲間たちも、ここが恐ろしい場所ではないと理解し始めたようで、幼い子供だからということもあってか、すぐに打ち解けていったようだった。
自分も楽しいと感じるようになっていた。
船の上では体験したことの無いような真新しい事が次々と起こる。
ガーデンと呼ばれるこの大きな建物の中では、たくさんの人間達がいて何かをしている。
勉強をしたり、運動をしたり、それ以上にどこまででも走っていける広い場所が嬉しかった。
そしてやがて少しずつここがどういうところなのかを教えられた。
ガーデン。SeeDを育てるところ。
SeeDというものが何であるのか、この時はまだよくわからなかったが…
そして、あの日がやってきた。
忘れたくても忘れられない、恐ろしい出来事。
いつもと違う空気を、なんとなく察していた。
自分たちの担当教官ですら、落ち着き無くそわそわとしている。
自分たちは教室から出してもらえず、どこか遠くのほうで何かが起こっているのか、低い唸り声のような耳障りな音だけが響いていた。
不安感がまた押し寄せてきた。
担当教官の服をぎゅっと握り締めたまま、これから起こる何かを待っているようだった。
突然、教室が大きく傾く。
地震というものを知らなかった自分たちにとって、揺れないはずの地面が揺れていることは恐怖でしかない。
たちまちパニックに陥る。
一体何が起こっているのか考えることすらできない。
ただじっとこの恐怖に耐えるしかなかった。
窓の外の景色がゆっくりと流れていくのが見えた。
まだ教室は揺れているが、最初の衝撃ほどではない。
家だった船が高波にあった時のことを思えば、この程度の揺れは慣れている。
教官の服から手を離し、窓辺に駆け寄る。
「あっ、ダメよ!戻って!危ないわ!」
制止する教官の声を無視して、窓に額を擦りつけた。
そこから見えた景色は、きっと一生忘れない。
ガーデンが宙を飛んでいた。
ガーデンが大きな衝撃と共に停止してから、また自分たちは教室から出して貰えなくなった。
たくさんの見たことも無い大人たちがガーデンに出入りしていたのを窓から見つめていた。
海の上に浮かぶ、何かの建物。
それが何なのかわからない。
そして、スコールという名前を覚えた。
頻繁に校内放送で繰り返されるその名前は、その人物が誰なのか、何をしてどんな人なのかなどどうでもよく、ただその名前だけが記憶に残った。
ガーデンが再び動き出しても、教室から出られない自分たちには、窓からの景色を楽しむことしかできなかったが、最初に動いた時よりは余裕があって仲間達も楽しそうだ。
島が近付き、ガーデンが元の位置に戻るまでもう間もなく、という時だったと思う。
校内放送が突然緊急事態を告げていた。
大きな衝撃は、何かにぶつかったときのようだ。
すぐに担当教官が自分たちを呼び集める。
窓に群がっていた仲間たちは、衝突の勢いで床に尻を付いている。
けたたましい音と共に何かが起こった。
窓の外から聞こえる物凄い音量の怖い音。
突然、頭上の窓ガラスが割れ、短い悲鳴と共に頭を抱え込んで蹲る。
窓から侵入してきた何かを確認する余裕などない。
仲間の悲鳴が耳を劈く。
教室が揺れた時に散らばった掃除用具が、自分の足元にまで飛んできていた。
何も考えられなかった。勝手に体が動いた。
箒を手にして、悲鳴を上げる仲間の前に立ち塞がった。
“スコール”
その名はすでに記憶の中に刻まれた偉大な名。
その名に相応しいほどの圧倒的な強さ。
風と共にやってきて、自分たちを解放した優しき魔獣。
すぐに理解した。この人物が、“スコール”なのだ、と。
雪崩れ込んでくる恐ろしい奴らを、あっという間に薙ぎ払ってこちらを振り向いた。
そして手を差し出す。
「…大丈夫か?」
「早くこっちへ!ランス!!」
担当教官の悲痛な声が耳に届いた。
→part.2
素晴らしい青空が広がっている。
ゆっくりと流れていく小さな雲は、形を様々に変化させながらその身を風に任せている。
目の前にはどこまでも続く大海原。
柔らかな風に揺れる小さな波が体を心地よく揺する。
船縁に掛けた小さな手を、どれだけ伸ばしても届くわけはないのに、それでもどうにかして掴み取ろうとしてみる。
「あっ、またこんなとこにいた!早く来いよ。隠れるぞ!今日はマットが鬼だからな!」
後ろから掛けられた声に、姿勢を戻して振り返る。
あどけない顔で笑う幼い少年は、記憶の中に残る一番の親友だった奴。
その少年に手を引かれ、狭い部屋の中に身を隠す。
ゆっくりと小さく揺れる床。
特有の潮の香り。
ロープや床板が軋む音。
懐かしさが込み上げてくる。
自分が育った、自分と仲間達の家。それは海に浮かぶ小さな船。
その小さな船の中だけが、自分たちにとっての聖域だった。
ある日、船がとある港に停泊した。
いつもなら絶対に船の外に出ることを許されないのに、この日は違った。
全員、荷物を手渡され、有無を言わさず船を降ろされた。
記憶に残る始めての上陸。揺れない大地が、逆にゆらゆらと足場を不安定にさせているようで怖かった。
振り返った先には見たことも無い景色が広がっていた。
遠くまで連なる山々に広がる緑。
たくさんの人、車、溢れかえったたくさんの物、大きな建物、見たことも無い食べ物。
どれも全て幼い目には驚きと感動を与えてくれる。
何より、仲間が一緒だった。
この先に待つ不安よりも、今のこの状況が嬉しくて楽しくて溢れそうだった。
しかしそれも束の間でしかなかった。
やがて大きな車が自分たちの元へやってきた。
自分たちを育ててくれた白い服を着た大人たちは、寂しそうな笑顔で自分たち一人一人に別れを告げた。
どういうことなのか、理解できなかった。
ずっと一緒だと思っていた存在が自分たちの前からいなくなってしまう。置いていかれる。
子供ながらに、恐ろしい不安感を覚えた。
自分はどこかで納得していたのかもしれなかった。
泣きながら縋る仲間達の姿を、その場から動くこともせずに他人事のように眺めていた。
悲しくないわけがない。辛くないわけがない。
でも、心のどこかでやっぱりな…と感じていた。
未だに泣き止まない仲間を慰めながら、乗せられた大きな車で連れて行かれた大きな建物。
それは本当に大きくて綺麗で、そして怖かった。
ここに足を踏み入れたら、もう2度と外には出られないような気がした。
広いエントランスの片隅に集められた仲間たちを誘導してきた黒い服を着た大人たち。
顔もまともに見えないような大きな帽子からは、濁った目だけが自分たちを見下ろしていた。
これから何をされるのだろうか。自分たちは一体どうなってしまうのだろうか。
言い知れぬ不安感だけが小さな体を包み込んでいた。
仲間同士で体を寄せ合い、言葉を発することもできないまま、互いの存在を感じとり、不安を和らげようとしていたのかもしれない。
「こんにちは、みなさん」
不意に掛けられた声にビクリと体を震わせる。
そこにいたのは、人の良さそうな笑顔を浮かべた初老の男性。
丸い眼鏡の奥には、優しい瞳が細められていた。
「あ、あとはこちらで引き受けますよ。ありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げた相手は、自分たちの頭上を通り越した先にいた黒い服の大人達。
その人たちも軽く頭を下げたあと、そこからいなくなってしまった。
そして代わりに来たのは優しそうなお兄さんとお姉さんたち。
「さて、はじめまして、みなさん。私の名前は、シドと言います。そしてここはみなさんがこれから生活するガーデンです」
「…ガーデン…?」
それが一体何なのかさっぱりわからない。
仲間たちも、未だ拭えない不安な表情のまま、それでも今目の前で話をする男に興味があるようだ。
「ここでは、これから大きくなって、社会に出て、一人で生きていく為のお勉強をします。
仲間同士で助け合う大切さを学びます。そして、何者にも負けない強い心を育てます」
シドと名乗った大人が、よくわからない説明をしている。
つまり、今から自分たちはここに住むのだ、ということだけ理解した。
「みなさんのお世話をしてくれるお兄さん、お姉さんたちをご紹介しましょう。みなさん、このお兄さんとお姉さんたちの言うことをよく聞いて楽しい学園生活にして下さい。
ようこそ、バラムガーデンへ!」
最初は不安で怖がっていた仲間たちも、ここが恐ろしい場所ではないと理解し始めたようで、幼い子供だからということもあってか、すぐに打ち解けていったようだった。
自分も楽しいと感じるようになっていた。
船の上では体験したことの無いような真新しい事が次々と起こる。
ガーデンと呼ばれるこの大きな建物の中では、たくさんの人間達がいて何かをしている。
勉強をしたり、運動をしたり、それ以上にどこまででも走っていける広い場所が嬉しかった。
そしてやがて少しずつここがどういうところなのかを教えられた。
ガーデン。SeeDを育てるところ。
SeeDというものが何であるのか、この時はまだよくわからなかったが…
そして、あの日がやってきた。
忘れたくても忘れられない、恐ろしい出来事。
いつもと違う空気を、なんとなく察していた。
自分たちの担当教官ですら、落ち着き無くそわそわとしている。
自分たちは教室から出してもらえず、どこか遠くのほうで何かが起こっているのか、低い唸り声のような耳障りな音だけが響いていた。
不安感がまた押し寄せてきた。
担当教官の服をぎゅっと握り締めたまま、これから起こる何かを待っているようだった。
突然、教室が大きく傾く。
地震というものを知らなかった自分たちにとって、揺れないはずの地面が揺れていることは恐怖でしかない。
たちまちパニックに陥る。
一体何が起こっているのか考えることすらできない。
ただじっとこの恐怖に耐えるしかなかった。
窓の外の景色がゆっくりと流れていくのが見えた。
まだ教室は揺れているが、最初の衝撃ほどではない。
家だった船が高波にあった時のことを思えば、この程度の揺れは慣れている。
教官の服から手を離し、窓辺に駆け寄る。
「あっ、ダメよ!戻って!危ないわ!」
制止する教官の声を無視して、窓に額を擦りつけた。
そこから見えた景色は、きっと一生忘れない。
ガーデンが宙を飛んでいた。
ガーデンが大きな衝撃と共に停止してから、また自分たちは教室から出して貰えなくなった。
たくさんの見たことも無い大人たちがガーデンに出入りしていたのを窓から見つめていた。
海の上に浮かぶ、何かの建物。
それが何なのかわからない。
そして、スコールという名前を覚えた。
頻繁に校内放送で繰り返されるその名前は、その人物が誰なのか、何をしてどんな人なのかなどどうでもよく、ただその名前だけが記憶に残った。
ガーデンが再び動き出しても、教室から出られない自分たちには、窓からの景色を楽しむことしかできなかったが、最初に動いた時よりは余裕があって仲間達も楽しそうだ。
島が近付き、ガーデンが元の位置に戻るまでもう間もなく、という時だったと思う。
校内放送が突然緊急事態を告げていた。
大きな衝撃は、何かにぶつかったときのようだ。
すぐに担当教官が自分たちを呼び集める。
窓に群がっていた仲間たちは、衝突の勢いで床に尻を付いている。
けたたましい音と共に何かが起こった。
窓の外から聞こえる物凄い音量の怖い音。
突然、頭上の窓ガラスが割れ、短い悲鳴と共に頭を抱え込んで蹲る。
窓から侵入してきた何かを確認する余裕などない。
仲間の悲鳴が耳を劈く。
教室が揺れた時に散らばった掃除用具が、自分の足元にまで飛んできていた。
何も考えられなかった。勝手に体が動いた。
箒を手にして、悲鳴を上げる仲間の前に立ち塞がった。
“スコール”
その名はすでに記憶の中に刻まれた偉大な名。
その名に相応しいほどの圧倒的な強さ。
風と共にやってきて、自分たちを解放した優しき魔獣。
すぐに理解した。この人物が、“スコール”なのだ、と。
雪崩れ込んでくる恐ろしい奴らを、あっという間に薙ぎ払ってこちらを振り向いた。
そして手を差し出す。
「…大丈夫か?」
「早くこっちへ!ランス!!」
担当教官の悲痛な声が耳に届いた。
→part.2