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Chapter.22[ガルバディア]

第22章part1


眼鏡の男が官邸内を走り回っている。
「大統領はどちらに?」
「あ、お部屋には…?」
「いないから聞いている」
誰に聞いてもその所在が分からない。
この忙しいときにどこに行ったというのか…?
ふと廊下の窓から階下の庭に目を向ける。
…いた!

庭の西壁に面した高い木が立ち並ぶ一角で、その木々を見上げている。
何をしているのだ?
「大統領!…こちらでしたか」
走って乱れてしまったスーツの襟元を息とともに整える。
「エスタから連絡が入りました」
「…どうしたのだ?」
「私も直接話したわけではなく、オペレータからの知らせだけなので何とも言えませんが、明日の魔女護送の件につきまして」
「何かあったのか」
「はい、…あ、いえ、レウァール大統領が、その件はキャンセルなさる、と…」
「何だとっ!? どういうことだ?」
「申し訳ありません、私も詳しくは…」
「もういい。私が直接話そう」


「大統領はもうお休みになられました」
「早すぎるだろっ!今何時だと思っているんだ?」
思わず向けた窓の外は、間もなく太陽が赤く染まりだす頃のようだ。
「大統領、あの…時差がありますので、早すぎるということは…」
「そ、そうだったな。で、今回の護送の件だが…」
エスタ官邸へのプライベート回線が引かれているのは、ここガルバディアの官邸内でも大統領の執務室内だけだ。
ボルドには理解できないが、信号を1度宇宙まで飛ばしているのだとか…
そんなことをしてはかえって繋がるものも繋がらないと思っているボルドは、この直通の回線で話をするのには少々抵抗があった。
キロスと名乗った補佐官は、色黒で細身のほうの男だっただろうか?などと思い出しながら、彼の説明を聞いていた。
魔女を搬送するための施設の準備はすでに完了しており、いつでも、それこそ今すぐにでも受け入れることは可能だと言う。
こちらは予定通りに翌朝出発することができそうだ。
だが、現地で合流するはずのラグナは急な予定変更で顔を出すことはできないということだった。

国の大統領が、世界を震撼する可能性を持つ魔女に関する公務をそうも簡単に取りやめることなど、通常では考えられない。
そんなことでよくエスタ国民から非難されないものだと驚いてしまう。
“変わり者”というのは国民全体に浸透している証拠なのか、大統領に絶対の信頼があるのか、それとも無関心なのか…
自国では国を挙げての一大プロジェクトとでも言えるような今回の出来事であるというのに、それをキャンセルしてまで就かなければならないほど大切な予定とは一体何なのだろう?

「如何でした?」
「カーウェイに連絡を取ってくれ」
「…では、予定通りに…?」
「…移送に関しては、な」
ボルドの口から出された提案で、カーウェイは自宅には戻らず今だティンバーの駐屯所に身を置いていた。
自宅から、官邸から電話があった旨連絡を受けたのはそろそろ帰宅しようと思っていた矢先だった。
どうも自分は引き止められる運命にあるらしい。
そのまま駐屯所の事務所から通信を入れる。
大方、明日の護送の件だろうとつけた目星が当たったことに安堵する。
大統領と話をするときは大抵背中に冷たいものが走ることが多いのだが、そうではなかったことにほっとしてしまったのだ。

カーウェイと明日の確認を終え、椅子の背もたれに深くその身を預けた。
薄く開いた視線の先には、デスクの端に忘れたように置かれたフォトスタンド。
若い自分と美しい妻、そして幼い息子が満面の笑みでこちらを見つめている。
いつから、彼のこんな笑顔を見ていないだろう…
「大統領」
その声で我に返る。
「記者クラブが大統領の意見をお聞きしたいと申し出ていますが、如何なさいますか?」
「…面倒だ。今はそんな気分じゃない。長官にでも任せろ」
「かしこまりました。…それと」
「まだあるのか」
「ドール公国の技術開発部長とのお約束の時間です」
「…! あぁ、そうだったな。すぐに行く」
かつてはガルバディアによる侵略攻撃を受けたドール公国。
巨大な電波塔が建立されていた為、電波障害が発生した時期にガルバディアによって強制的に占拠されたのだ。
小さな国ではあるが、観光産業が幅を利かせている為、国は豊かで安定している。
ボルド自身も、この国に自らの別荘を持っていた。
山脈と海とに挟まれた形の小さな国は、海上への人工島の建設が今の一大事業だ。
技術や労働力はガルバディアからも多く援助している。

「大統領、お会いできて光栄です」
「久しぶりだな、デライス君。奥様は息災かね?」
「ありがとうございます。お陰様で」
何気ない会話をしながらも、借り切ったホテルのレストランの自慢料理を堪能した。
「時に、例の移送は明日だとお聞きしましたが…?大統領も一緒に行かれるのですか?」
「…うむ、それがあちら側の大統領が急に別件でキャンセルされてな。移送は予定通り行うことになるが、私は様子を見ることにしようと思ってな」
「それは初耳でした。…まぁ、件の大統領は風変わりと評判ですからね」
「まったくだな」
「我が国でも、ヘンデル大統領を支持する声が多く、終身となられる日も近いですね」



そのまま官邸へは戻らず、ボルドは久しぶりに自宅へと戻ることにした。
脱いだジャケットを適当にかけておく。
後で使用人たちがきちんと手入れをしてくれることを知っているのだ。
普段はきっちりと閉められているカーテンが、この日に限って片側だけ開けられたままだ。
特に気にすることもなく、カーテンの端に手をかけた瞬間耳障りな音が短く聞こえた。
と同時に肩を強く押されるような感覚を覚え、バランスを失って後方によろめく。
そしてそこから発せられる炎のような熱さ。

一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
軍に在籍していた経験なのか、咄嗟に窓の横に身を隠す。
「(狙撃だ!!)」
次々に窓に増えていく穴。
それと同時に破壊されていく部屋の中。
ここは2階だ。
撃ち込まれた弾丸は天井のほうに向かって飛んでくる。
銃撃者は下だ。
身を低く保てばこれ以上の被害はないと判断する。
細かく砕かれた窓ガラスが、体勢を低くしたボルドの頭上にも飛び散ってくる。

撃たれたのは左肩のようだ。
左腕は動かすことができないが、右腕で傷口をしっかりと押さえる。
指に伝う生暖かい液体の色も正体も、見なくても理解できる。己の血だ。
何も考えられなかった。
動くことができなかった。
ただひたすら、この銃撃が終わるのを待っていた。

…ふいに静かになる。
硬く閉じていた瞼をゆっくり持ち上げる。
突然、部屋の扉が大きな音とともに開かれる。
手に武器を持った警備の男達が何人か雪崩れ込んできて、窓という窓の両脇に張り付いた。
1人がボルドに手を貸すようにして立ち上がらせる。
「大丈夫ですか、大統領?」
「…あ、あぁ、肩をやられただけだ…」
「すぐに救護班を!至急病院を手配するんだ!」
「…南側を、街の南側から行け。…病院車両を呼ぶんじゃない!私の車を使うんだ!」
「…? すぐに用意します」
ボルドには懸念が湧いていた。
自宅から病院までの直通ルートは町の中心に立つ凱旋門を潜らなくてはならない。
しかし、そこは狙撃手にとっては絶好のポイントでもある。
これ以上狙われては堪らない。
可能性は無いとは言えないのだ。
少々時間がかかったとしても、安全な手段を取るにこしたことはない。

どこから情報が漏れたのか、この事実はあっという間にマスコミ各社に知られ、その業界をざわつかせた。
無事に到着した病院では、待ちかねていた医師らによってすぐに緊急手術が執り行われた。
すぐに公安部にも連絡が入り、帰宅したものも非番のものも役職についている者全てが呼び出された。
官邸内でも、各官僚や長官を始め、多くの役人が招集されすぐに会議が始められた。
どこも混乱しており、錯綜する情報はどれが真実なのかわからない。
TVで緊急速報としてすぐに全国に知れ渡ることになる。
このことは、当然息子であるガルムの元にも一報が入れられた。
始めは冗談だとでも思っていたのか、その対応は粗野だった。
しかし、緊迫した様子で混乱交じりに伝えようとしている声に、次第に事の重大さが理解できたのか慌ててガーデンを飛び出した。
とは言っても、ここガルバディアガーデンは広大な大陸の中央北部に位置する。
大陸の東海岸にあるドールとは対称の、西側の海に程近いデリングシティ。
どんなに急いでも数時間は掛かる。
ガーデン保有の軍用飛行機体を使えばもっと短時間で到着できるのだろうが、生憎今は全てティンバーに移動してある。
明日の魔女移送の際に使用するということで、軍事教官のカーウェイの要請を許可した。
「(1台くらいは残しておくべきだった…)」
などと、今更悔いても遅い。
その許可を出したのは他でもない自分なのだ。

今まで静かだった病院前には、一体どこから集まったのか山のような報道関係者と機材や車両。
街の中をけたたましい音と光で照らしながら走りぬける公安車両。
たった1発の銃弾から始まった震撼と騒乱はしばらく収まることはなさそうだ。



→part2
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