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Chapter.58[ティンバー]

  ~第58章~


穏やかな朝だった。
雲ひとつ無い青空はどこまでも澄み切っていて、優しい風が森の香りを運んでくる。
多くの人々がそこにいた。
数日前に起こった騒動が残した闘いの名残も今はもう落ち着きを取り戻したかのようにひっそりとしている。
何の前触れもなく、それは突然やってきた。


先日の脱走騒ぎでまだ混乱の渦中にあるD地区収容所に新たに配属になった若者は、音もなく頭上を飛んでいく幾つもの白い筋を目にした。
ガルバディア軍か、もしくはエスタ軍の飛行機械のどれかとも思ったが、集団でそれぞれが出した白い尾が絡み合っているように見える。
そんな飛行物体など、聞いたことも無い。
厳しい先輩に伺いを立ててみようかとも考えたが、今やらねばならない仕事以外のことを口にしたらどれだけ酷い罰を科せられるのかという恐怖のほうが勝った。
若者は、気にするのをやめた。

静かな朝に、1人のんびり釣り糸を垂れるのが趣味の男が、今朝も波一つ無い静かな水面を見つめていた。
森の中にあり、人々だけでなく、そこに生きる動植物にとってもかけがえの無い命を育んでくれる神秘の湖、オーベール湖である。
くあ、と退屈そうに欠伸をしながら、男は水面に映った美しいもう一つの空に、異質なものが映りこんだことに気が付いた。
んん?と首を上空に向ける。そこには湖に映った美しい青空が広がり、その青空の端を掠めるように、一筋の線が引かれていく。
それが一体何なのかなど分かりもしない。男はすぐにまた視線を落とし、退屈そうに欠伸をかみ殺した。
それから間もなく、南の空にもっと異質な雲が湧き上がったのを見た。

町の外れで畑仕事をしていた老夫婦が、町のほうに飛んでいく飛行物体を見て不思議に思った。
いくつもの小さな細い枝のようなものが尾を引いて町の中に消えていく。
妻に、アレは何だろうな?と、問いかけるつもりだった。
妻もまた、夫に何でしょうね?と応えるつもりだった。
街の中に吸い込まれるように消えた不思議な飛行物体が、その視界から見えなくなったその時、老夫婦は共に光に包まれた。

その日、仲間と通信を交わしていたレジスタンスも、その町からの中継の為に走り回っていたカメラクルーも、この町から発信されるラジオ番組も、一瞬のノイズだけを相手に届けた直後、全く音信不通となった。
大陸を横断する鉄道は振動を感知し、緊急停止した。
運転士も乗客も、振動の直後に不快な重い地鳴りのような音を耳にした。
町の周りに生息していた動物達もモンスター達までも、怯えるように一斉に逃げ出した。

その光と立ち上る黒い雲は、宇宙に浮かぶエスタの観測基地からでも確認できるほどであったと言う。
















その日、ティンバーという町は、 ……消えた。









これを何と表現すればいいのだろう。
この凄惨な地獄絵を…

これがあのティンバーであると、誰が理解できるだろうか?
そこには、複数のクレーターが白い大地の内部を見せているだけで、町の痕跡などどこにもない。
一体何が起こったというのだ。
ここに、町があった…?
ここに、多くの建造物があった…?
ここに、多くの人間達がいた…!?

クレーターができた位置から距離を置き、クレーターをぐるりと取り囲む場所まで来ると、漸く残骸らしきものが目に付くようになる。
クレーターに近いほどそれは細かく、逆に遠ざかるほど大きなものになる。
熱で溶けて蒸発しきらなかった鉄やガラスの欠片が不気味な形を作ってそこに残されていた。
どれだけの熱量を持っていたのかなど計り知れない。
更に距離を取ると、ここが町であったことがなんとかわかる。
大きな建物、大きな道、その名残が所々に残っていた。

広い、何も無くなった、ただの抜け殻のような、町。

そこにいた人間達に、ここで起こった出来事が理解できただろうか?
自分の身に一体何が起きたのか?
理解する必要など、無いのかも知れない。
そこにいた人々には、何かが起こったことなど、知る由もなく、何時も通りの平和な穏やかな朝を迎えたのだから。
あっという間と表現するには、長すぎる。
…刹那。
瞬きをする、ほんの一瞬の出来事。

作り上げ、積み上げ、築き上げ、維持していく。
それは途方も無い長い長い年月が掛かるもの。
破壊は、一瞬だというのに。

町も建物も動物も植物も、そして人間ですら、それは同じである。
そうやって、大切に守ってきたものを、人間の手で作り上げたものを、人間が破壊する。
これは、赦されることなのか…


生き残った人間は、僅かだった。
それは、砂粒を両手で救い上げた時ほどの数だったかもしれない。
それは、両の手の指で足りるほどの数だったかもしれない。
これだけははっきりしている。
今日、この瞬間、自分でも気付かぬうちに天に召された命は、数えることなど、できない。

残された人々は、途方に暮れた。
そして悲しみ、怒り、憤り、恐れた。
愛するものを失った悲しみ、大切なものを奪われた怒り、理由も分からず何も告げることもなく破壊された憤り、そしてその牙が更なる恐怖を運んでくるかもしれない、恐れ。
何をどうしていいのか分からない。
誰を恨めばいいのか分からない。
誰に助けを求めたら……
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