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Chapter.49[セントラ]

~第49章 part.2~


昼食を終え食堂を出た2人は、エレベーターでそれぞれの受け持ちのクラスへと向かった。
オルティの受け持ちは年少クラスである。
先日の船で共にここへやってきた子供たちと、先にガーデンに入っていた子供たちは、歳が近いせいもあるのかあっという間に打ち解けて仲良く遊んでいる。
ガーデンはまだ正式にオープンしたわけではないので、授業というものはまだない。
オルティの仕事は、子供たちに生活する上での基本的な行動と一般教養、そして仲間の大切さを教えることだ。
幼少の頃にこれがしっかり身に付かなければ、成長した後でその影響が大きく出る。
とは言っても、教育マニュアルも指導方針も何もない今の状態では、はっきり言って何もできない。
オルティが受け持つのは年少クラスである為、しばらくは子守りの範囲でも構わないだろうが、他の年上のクラスとなると教官たちはどうしているものかとオルティは考えてしまう。

「はい、みんな、自分の席に戻ってね。午後のお勉強を始めます」

子供たちの個性はそこでも垣間見ることができる。
我先に席につこうとする者、しっかり片付けを始める者、マイペースに遊び続ける者、本当に様々だ。
子供たちに自由に絵を描かせている間、オルティは遊び道具を片付けていた。
そして、その中の1冊の本に目を奪われた。
一体どれだけの間使われてきたのか、年期の入った絵本。
タイトルは『魔女の騎士』。
黒い服に黒い長髪の美しい魔女が後光を背にして両手を上げ、その前では立派な鎧を身に纏った騎士が剣を振り上げている絵が描かれている。
このお話がいつ誕生したのかなんて正確なところはわからない。
だが、映画にもなったし、こうして絵本になって子供たちにも読まれている。
魔女と騎士ゼファーの物語は、全世界の人々が知る有名なストーリーなのだ。
オルティは思い出す。
あの船の中に貼られた写真と、その当事者である彼のことを。
10年前、まだあの船の中で生活していたあの頃、初めてあの写真を目にして、その存在に憧れた。
まだ年端もいかない少女の心に芽生えた微かな恋心。
だがそれはずっとずっと遠い存在と思っていた。
今の自分には別の世界の出来事なのだと。
そこに映っていた魔女が、幼い頃に出会ったママ先生だと知らなかったら、きっとこの想いは今も続いてなどいなかっただろう。
あれから10年が過ぎて、突然目の前に本人が現れたら、誰でも驚くに違いない。
子供たちのように素直になれない大人になってしまった己の心を呪いながらも、それでも驚きと喜びを抑えきれないぎこちない態度を取ることしかできない。
オルティが幼い頃に過ごした船の上、今いるこの新しいガーデンの中にも、彼の様な野性的な男はいない。
ずっと写真や噂でしか知らなかった人物の本性を知って、幻滅したメンバーは多い。
だがオルティは逆だった。
今までに出会ったことのない、ギラギラした力強い男。ましてやずっと憧れ続けてきた存在。
オルティの心はグラリと大きく揺れた後、ふわふわと浮いていた。

授業と呼べるようなものはこなしていないが、終業の時間になってオルティは子供たちを部屋に送ったあと、教官室へ戻ってきた。
すかさずクランが歩み寄ってくる。
「オルティ!」
「クラン、あなたも終わったの?」
「ええ、…ね、ちょっと付き合わない?」


「ねえクラン、どこ行くの? 私、ちょっと用事が…」
「用事!? どうせ図書室に行って本の整理だとかいって分厚い本読み耽るだけでしょ?」
クランの指摘にオルティは言葉を失った。図星だったからだ。
「たまには気分転換しない?」
話ながらも足を止めることのなかった2人はいつの間にか玄関前までやってきた。
「ほら、あそこ」
クランが指差した方向に目を向けた。
そこにはたくさんの子供達が集まっている。
子供だけではない。制服をきた教官達まで何人か姿が見えた。
子供達のいかにも楽し気な歓声や笑い声が校庭の隅に響いていた。
「何をやってるの?」
「……聞いてなかったの?」
「…何を?」
クランは驚いたように大きく目を真ん丸にしたあと、深い溜め息を溢した。
「今日の放課後、子供達に手伝わせるから校庭に集まるように、って子供達には伝えたんでしょ? 実際、年少クラスの子もいるみたいだし」
「…あ、そう言えばそんな連絡事項あったような…」
「もう!しっかりしてよ! とにかく、行きましょ」
やはりオルティの様子は普通ではない。
呆れて見せたものの、彼女の身に何かあったのではないかと、クランは心配さえ感じてしまった。
子供達の側まで行くと、その声が一層高くなる。
数人ずつのグループに別れて、それぞれが纏まって作業をしているようだ。
何をしているのかと、1つのグループの輪の中を覗き込んだ。
それに気付いた子供達が一斉に顔を上げた。
何かの箱のような形をしたものに、思い思いに絵を描いているようだ。
1人に一本ずつ渡されたのだろう、小さな手に小さな刷毛を握りしめ、一生懸命に色を重ねていく。
すでに刷毛では物足りないのか、己自身の掌でペンキを塗りたくっている子もいる。
キャーキャーと悲鳴のような声を上げながら、それでもどの子も笑顔で実に楽しそうだ。
「オルティ!」
服の裾を引きながら、子供に名を呼ばれ、オルティはその場にしゃがみこんだ。
いつの間にか連られて笑顔になった顔で、その子に返事を返そうとした。
「何かな? 何か見せて…!!」
ピチャリと微かな音と共に、不快な冷たい感覚を頬に覚えた。
「!?」
驚いて頬に手を当て、立ち上がった。
子供達は一層おかしそうに笑っている。
「あははははは!オルティ、やられたね!」
「え、え…、…ええっ!」
頬に触れた手を離して確認する。
そこには鮮やかなピンク色。
オルティを指差して笑っていたクランにも、他の子からのペンキ爆弾が炸裂した。
今度はクランが笑われる番だった。

寮のシャワー室で必死にペンキと格闘する羽目になるとは思ってもみなかった。
あの後、一頻りはしゃぎ回った子供たちは、それぞれの作品を校庭の隅に並べてきちんと道具を片付けた。
どの子も皆様々な色であちこち染まっている。
すぐに年少クラスの子供達はオルティとクランによって寮に連れて行かれ、そのままバスルームに直行だ。
寮長であるマリーに事の次第を説明し、後のことを頼むと2人の姿を見てマリーは堪え切れなくなったのかとうとう吹き出してしまった。
「あなたたちも早くシャワーを浴びたほうがいいわ」
そして今に至るのだ。
窓の外はいつの間にか夕日が沈む頃になっていた。
1日が過ぎるのはなんて早いのだろうと、オルティは思う。
クランはそれを年寄りくさいと笑ったが、ただ時間が過ぎるのを待つのは辛いが、何かに集中している時ほど時の流れの速さに驚くことはない。
それはきっと、楽しい時間を過ごしている誰もが思うことなのだろう。
「ね、オルティ」
自分の頭髪や体はすでに洗い終えたのか、隣のボックスからクランが声を掛ける。
それぞれのボックスの仕切り板は肩口の辺りまでの高さしかないので、丁度両腕をそこに掛けることができる。
まだ長い髪と格闘している様子のオルティは、背中の泡を流し切れていないまま掛けられた声のほうを振り返った。
「何?」
「…付き合って貰ったのに、こんなことになって、ごめん」
「そんなことないよ! すごく楽しかった。子供達もみんな楽しそうだったし」
「…そっか」
「…クラン?」
泡を流し終えて、オルティが今度はしっかりと隣のボックスの方を見つめた。
クランは既にそこから腕を下ろして姿勢を戻していた。
「…あのね、オルティ」
「うん、何?」
「…えっと、なんか、困ったこととか、辛いこととかあったら、いつでも相談に乗るから」
「!! …うん、ありがと」
「最近、オルティ、いつもと違うっていうか、なんかちょっと変だったから、何かあったかなって変に勘ぐっちゃってさ」
「…うん、心配かけてごめん。 …あれよ!急に環境が変わったから…。新しいガーデンもまだ慣れなくて…」
「あははは、いいよ、無理しないで」
オルティは胸が熱くなった。と同時に、酷い苦悩にも支配されそうになった。
彼女の様な存在は、本当に心から助かるし嬉しい。だが、その優しさに溺れてしまいたくなかったのだ。
「私もう出るよ、オルティ」
「あ、うん」
「あー、お腹空いた!早くシルバーの美味しい夕食食べたい!」
「あはは、私も! きっと雷神さんあたり、もう食堂の前で涎垂らしてるかも」
「あはははは!言えてる! ………はっ!しまった!」
「どうしたの?」

「…昼に、あんたを呼びに行ったでしょ? その時、実は雷神さん達と一緒にサンドウィッチ食べる約束してたの忘れてた…」
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