シズイザ
5月5日。うっかり日付を跨いだ臨也は柄にもなく落ちた気持ちを溜め息にして吐き出した。
祝福のない誕生日は慣れていた。幼い頃から両親は海外だし、妹たちは閉鎖的なふたりだけの世界で生きているし。というかまず、自分の生き方そのものが他人に歓迎されるようなものじゃないだろう。言い聞かせるように言葉を並べては虚しさが積もって笑ってしまう。存外、自分もただの人間なのだ。
欠片として期待していた部分があるとすれば、何の因果か現在恋人関係にある平和島静雄だろうか。もちろん期待と言っても欠片だ、欠片。愛する人間たちへ寄せる歪んだ想いに比べれば蹴飛ばせる程度の期待だ。
あの化物が俺にプレゼントを選ぶなら何にするんだろうとか、今もなお殺し合う仲の自分にどんな言葉をかけるんだろうとか。
その度に、俺はどんな反応をすればいいんだろうとか。
嫌に冷たい静寂を切り裂いたのは己のスマホの着信音だった。
5月5日、夜12時16分。
四木さんあたりならまだまだ連絡してくる時間だ。情報屋に休まる時間はない。だからといって深夜の呼び出しを許しているわけではないのだが、のそりと持ち上げた端末には宿敵兼恋人の名前が浮かんでいた。
「えぇー……」
まさか俺の誕生日1日間違えたとか、ないよねえ。
この前の泊まりで静雄の食事に致死量の睡眠薬を盛ったとき、奴の胸ポケットに日付をメモした紙を入れたはずだった。
まさかそのまま洗濯でもした?
いや、それこそ“まさか”だ。間抜けにも薬を盛られて眠った後で“俺に何もされてない”なんて思うわけ無いだろう。
机に放おったままの端末の側面を指先でカツカツ叩いていれば着信は切れた。
シズちゃん、携帯割ったかな?
いつまで経っても応答しない臨也に痺れを切らして手の中の携帯を粉砕する静雄が容易く想像できた。同時に、目の前で己のスマホを握り潰されたときのことを思い出して脱力した。
「……寝るかなあ」
凝り固まった肩を回して解す。
寝て起きたら日常だ。なんてことはない素晴らしい毎日だ。
しかし悲しいかな、立ち上がった臨也を引き止めるように再度端末が鳴り出した。
相手の名前を見る間もなく応答の文字をタップする。
「携帯壊さなかったんだ」
『あ? 何の話だよ』
「いやこっちの話。で、なに? きみが夜型だとか朝型だとかどうでもいいけど俺はもう眠りたいんだよね」
『誕生日だったろ』
この男はどうにも脈絡なく話を進める。
「だからなに? 俺達も年取ったな〜って? 同窓会か何かかよ、笑える」
L字のデスクに浅く座って窓の外を見上げた。星はなく、深い闇が広がっている。
『手前はなんでそう可愛げがねえかな』
「気持ち悪いこと言うなよ……ねえ俺本当に眠いんだよね。切っていい?」
曇天の空から視線を落とせば人工的な輝きがそこにはあった。輝きの先にはきっとひとりひとりの満たされない人生が燻っている。何かが足りないと嘆く人間たちの声が聞こえてくる。なのにどうしてつまらなかった。
『……チッ。誕生日おめでとう。今日、つーか昨日か。どうだった』
「切りまーす」
『一日俺のこと考えてただろ』
「……はあ?」
呆然と過ぎた数秒の間に切るタイミングを失った。
「何を……いや、いい。寝惚けてるならいい加減にしてよ。かなり迷惑だ」
『新羅に聞いたんだよ。臨也なら何を欲しがるかって』
「……安直だな……」
『馬鹿言え。新羅は最終手段だ。それくらいちゃんと考えても分からねえ手前の性格が悪い』
あの見た目で筋だ何だと真面目な静雄のことだ。臨也相手にも関わらず冗談抜きで真剣に誕生日プレゼントを検討したんだろう。
「はいはい、で? 答えは出た?」
『やっただろ』
堂々とした言い草に応えるのも面倒になって溜め息をこぼせば相手がふっ、と笑ったように感じた。
静雄は誇らしげに、馬鹿にしたように鼻を鳴らして言う。
『どうだった?』
そのくせ、甘さを含んでいるんだからたちが悪い。
『寂しかったか?』
「……きみ、マジで最悪だな」
寂しいと愛しいは何だか似ているね、といつか誰かに話した。相手は自殺志願者だったかもしれないし、浮気調査で対峙したヒステリック女だったかもしれないし、俺の独り言だったかもしれない。
ただ確かに言えるのは最悪だってことだけだ。
『ははっ、拗ねんなよ。手前じゃねえけど、揶揄うのって面白えな』
「あぁそうかい。そりゃよかった。もう寝るよ。きみも眠ったほうがいいよ。寝坊なんかしたら安月給がますます加速するんじゃない?」
『おーおー言うじゃねえか』
珍しく素の声で笑うものだから返答に困った。俺は今、自分が思っているよりも乱されているのかもしれない。
「俺としては単細胞のきみが俺の誕生日の日程を覚えていられたことのほうが不思議だけどね」
『メモ入れたのお前だろうが』
「捨てたかと思った」
『薄情な言い方するな』
「温情のある関係でもないだろ」
『手前結構拗ねてンな……』
「拗ねてない。苛ついてるんだよ」
ああ胸が痛い。頭が熱い。悲しいんだか情けないんだかわからない。
静雄ごときにまんまと嵌められたことも、まんまと寂しかったことも、うっかり欠片ばかりの愛おしさが込み上げてきたことも、全部が嫌だった。
来年もこの調子だったらどうしてくれる。その責任を取る器もないくせに!
「大っっ嫌いだ、きみのこと」
耳から離す前に何やら聞こえたが聞き取る前に通話を切った。持て余した感情を人間らしさと言うならやはり、臨也には不要のものだった。
祝福のない誕生日は慣れていた。幼い頃から両親は海外だし、妹たちは閉鎖的なふたりだけの世界で生きているし。というかまず、自分の生き方そのものが他人に歓迎されるようなものじゃないだろう。言い聞かせるように言葉を並べては虚しさが積もって笑ってしまう。存外、自分もただの人間なのだ。
欠片として期待していた部分があるとすれば、何の因果か現在恋人関係にある平和島静雄だろうか。もちろん期待と言っても欠片だ、欠片。愛する人間たちへ寄せる歪んだ想いに比べれば蹴飛ばせる程度の期待だ。
あの化物が俺にプレゼントを選ぶなら何にするんだろうとか、今もなお殺し合う仲の自分にどんな言葉をかけるんだろうとか。
その度に、俺はどんな反応をすればいいんだろうとか。
嫌に冷たい静寂を切り裂いたのは己のスマホの着信音だった。
5月5日、夜12時16分。
四木さんあたりならまだまだ連絡してくる時間だ。情報屋に休まる時間はない。だからといって深夜の呼び出しを許しているわけではないのだが、のそりと持ち上げた端末には宿敵兼恋人の名前が浮かんでいた。
「えぇー……」
まさか俺の誕生日1日間違えたとか、ないよねえ。
この前の泊まりで静雄の食事に致死量の睡眠薬を盛ったとき、奴の胸ポケットに日付をメモした紙を入れたはずだった。
まさかそのまま洗濯でもした?
いや、それこそ“まさか”だ。間抜けにも薬を盛られて眠った後で“俺に何もされてない”なんて思うわけ無いだろう。
机に放おったままの端末の側面を指先でカツカツ叩いていれば着信は切れた。
シズちゃん、携帯割ったかな?
いつまで経っても応答しない臨也に痺れを切らして手の中の携帯を粉砕する静雄が容易く想像できた。同時に、目の前で己のスマホを握り潰されたときのことを思い出して脱力した。
「……寝るかなあ」
凝り固まった肩を回して解す。
寝て起きたら日常だ。なんてことはない素晴らしい毎日だ。
しかし悲しいかな、立ち上がった臨也を引き止めるように再度端末が鳴り出した。
相手の名前を見る間もなく応答の文字をタップする。
「携帯壊さなかったんだ」
『あ? 何の話だよ』
「いやこっちの話。で、なに? きみが夜型だとか朝型だとかどうでもいいけど俺はもう眠りたいんだよね」
『誕生日だったろ』
この男はどうにも脈絡なく話を進める。
「だからなに? 俺達も年取ったな〜って? 同窓会か何かかよ、笑える」
L字のデスクに浅く座って窓の外を見上げた。星はなく、深い闇が広がっている。
『手前はなんでそう可愛げがねえかな』
「気持ち悪いこと言うなよ……ねえ俺本当に眠いんだよね。切っていい?」
曇天の空から視線を落とせば人工的な輝きがそこにはあった。輝きの先にはきっとひとりひとりの満たされない人生が燻っている。何かが足りないと嘆く人間たちの声が聞こえてくる。なのにどうしてつまらなかった。
『……チッ。誕生日おめでとう。今日、つーか昨日か。どうだった』
「切りまーす」
『一日俺のこと考えてただろ』
「……はあ?」
呆然と過ぎた数秒の間に切るタイミングを失った。
「何を……いや、いい。寝惚けてるならいい加減にしてよ。かなり迷惑だ」
『新羅に聞いたんだよ。臨也なら何を欲しがるかって』
「……安直だな……」
『馬鹿言え。新羅は最終手段だ。それくらいちゃんと考えても分からねえ手前の性格が悪い』
あの見た目で筋だ何だと真面目な静雄のことだ。臨也相手にも関わらず冗談抜きで真剣に誕生日プレゼントを検討したんだろう。
「はいはい、で? 答えは出た?」
『やっただろ』
堂々とした言い草に応えるのも面倒になって溜め息をこぼせば相手がふっ、と笑ったように感じた。
静雄は誇らしげに、馬鹿にしたように鼻を鳴らして言う。
『どうだった?』
そのくせ、甘さを含んでいるんだからたちが悪い。
『寂しかったか?』
「……きみ、マジで最悪だな」
寂しいと愛しいは何だか似ているね、といつか誰かに話した。相手は自殺志願者だったかもしれないし、浮気調査で対峙したヒステリック女だったかもしれないし、俺の独り言だったかもしれない。
ただ確かに言えるのは最悪だってことだけだ。
『ははっ、拗ねんなよ。手前じゃねえけど、揶揄うのって面白えな』
「あぁそうかい。そりゃよかった。もう寝るよ。きみも眠ったほうがいいよ。寝坊なんかしたら安月給がますます加速するんじゃない?」
『おーおー言うじゃねえか』
珍しく素の声で笑うものだから返答に困った。俺は今、自分が思っているよりも乱されているのかもしれない。
「俺としては単細胞のきみが俺の誕生日の日程を覚えていられたことのほうが不思議だけどね」
『メモ入れたのお前だろうが』
「捨てたかと思った」
『薄情な言い方するな』
「温情のある関係でもないだろ」
『手前結構拗ねてンな……』
「拗ねてない。苛ついてるんだよ」
ああ胸が痛い。頭が熱い。悲しいんだか情けないんだかわからない。
静雄ごときにまんまと嵌められたことも、まんまと寂しかったことも、うっかり欠片ばかりの愛おしさが込み上げてきたことも、全部が嫌だった。
来年もこの調子だったらどうしてくれる。その責任を取る器もないくせに!
「大っっ嫌いだ、きみのこと」
耳から離す前に何やら聞こえたが聞き取る前に通話を切った。持て余した感情を人間らしさと言うならやはり、臨也には不要のものだった。
1/1ページ