白月の君といつまでも2

-- Summer, about 17 years old
252:瞳に焼き付いた悪夢


『――皆様、ご歓談中のところ、失礼いたします。ここで、警察の方からお知らせがございます』


 司会の案内が終わり、屈強な男はマイクをスッと口元へ持ってくる。


『えーー警視庁の茶木です! もう耳にされた方もおられると思いますが、あの忌ま忌ましい悪党がどうやら本船に侵入した様です!!』


 スピーカーから聞こえてくる、警察官の声。花梨は知らないが、彼の名は茶木神太郎――警視庁捜査二課の警視だ。
 茶木警視はキッドを逮捕するべく、この船に乗り込んでいた。

 険しい表情で語る様子に、会場内が一際ざわめく。


『御存じの通り、奴は変装の達人! なりすます相手の事をあらかじめ調べあげ、顔はおろか声や性格まで完全に模写してしまう……常識では計れない悪才の持ち主です! ……もしかしたら、すでに奴はあなた方の中に混ざっているかもしれません!』


 花梨とヒロから離れた場所で、話を聞いていた園子と蘭が顔を見合わせ、目を丸くした。


『本来なら一人一人入念に調べあげるところですが……今回はそんな無粋なマネは避けましょう……』


 茶木警視の話は続き、花梨は隣のヒロを見上げる。


「……ヒロさん」

「ん?」

「忌ま忌ましい悪党って……ひょっとして……」


 花梨が続きを言う前に、ヒロは人差し指を自分の口元に添えて、「しぃ」と穏やかに微笑んだ。


(……そういえばこの船……警察の人がたくさん乗ってた……)


 今回、この船に乗ったのは、ヒロから「美味しい料理を食べに行こう」と誘われたからだった。
 けれど、昨日病院で見たワイドショーで、この船の映像が流れていたような気がする……と、花梨は目をぱちくりさせた。


『合い言葉です! そばにいる方とペアを組んで、二人だけの合い言葉を決めてください! ――さあ皆さん、近くにいる方と合い言葉を!!』


 ペアで合い言葉を決める――。

 そのアナウンスに、一斉に乗客たちが近くの人間と向き合った。
 ヒソヒソと囁き合う声が、会場内を埋め尽くしていく。


「リン、合い言葉だってさ。なんにする?」

「ん~……」

「俺が決めていいかな?」

「うん、もちろん!」


 ヒロが花梨の耳元にそっと顔を寄せ、優しく語りかける。


「じゃあ、俺が『ブラックキャット』って言ったら、リンは『ホワイトキャット』ね?」

「黒猫と白猫?」

「そ。仔猫みたいなリンにぴったりだろう?」

「……仔猫……?」


 仔猫と呼ばれた花梨はきょとんと目を瞬かせた。
 松田やジンになぜか「白猫」と呼ばれたことはあるが、「仔猫」と表現されたのは初めてだ。


「……よくわかんないけど、わかった!」

「フフッ。じゃあ決まりだね」


 花梨とヒロの合い言葉が決まった、そのときだった。
 ふっと、会場の照明が一斉に落ちる。


「っ!?(な、なに……!?)」


 花梨がびくりと肩を震わせるのと同時に、ヒロの腕がしっかりと彼女を庇うように回された。
 ヒロが守ってくれているから不安はないが、急な暗闇に、何が起こったのかすぐには理解できない。

 だが、花梨はサングラスを外して会場を見回した。
 すると、どこからともなく「フハハハハハ……」という男の嗤い声が会場に響き渡り、すぐに『プシュゥウウ』とガスが漏れるような音が聞こえてくる。


(――あの、隅っこ……!)


 サングラスを外した花梨は、視力の良さも手伝ってすぐに目が慣れ、会場の隅――天井付近から煙が噴き出しているのを見つけた。

 その瞬間、その煙へと鮮やかなスポットライトが当てられる。


(えっ!?)


 花梨は驚いて息を呑んだ。
 晴れゆく煙とともに、バサバサと白い鳩たちが優雅に舞い、その奥に立っていたのは――。


「か、怪盗キッド!?」


 聞き覚えのある中森警部の大きな声が、静まり返った会場内に響き渡る。
 白いシルクハット、純白のスーツとマント、そして右目のモノクル。突如として現れた怪盗キッドは、会場を見下ろすように不敵に笑ってみせた。


「フフフ……合い言葉なんて無駄ですよ……」

「なに!?」


 中森警部がどこにいるのかは花梨の位置からはわからないが、会場内はキッド以外誰も声を出していない。中森警部の怒りを孕んだ声だけがハッキリと聞こえていた。


(……キ、キッドさん……! っ……どうして……? 私、やっぱりこの人のこと知ってる……?)


 突然現れたキッドの姿に、花梨は身体が雷にでも打たれたかのように硬直してしまった。


「すでに『漆黒の星(ブラックスター)』は私の手の中だ……」


 そう言ったキッドは、何も持っていなかったはずの左手を一度強く握り、開いて見せる。すると、その手のひらには美しい黒真珠が妖しく光っていた。


「バ、バカな!?」

「わーーっ♡」


 驚愕の声を上げる中森警部の近くで、園子の喜ぶ声が聞こえる。
 二人の声は大きく、花梨の耳にもハッキリと届いていたが、キッドの姿を見た途端、花梨の思考は完全に停止していた。


「……リン。彼だよ」


 ふと、キッドの登場に驚いていたヒロが花梨を見下ろしたが、花梨の目はまっすぐにキッドを捉えたまま微動だにしない。


「……サングラス、戻しておくね」


 ぼうっとしたまま動かない彼女の手から、そっとサングラスを抜き取り、ヒロは丁寧に花梨の耳にかけてやった。


(これだけ動揺を見せているということは、彼女の記憶を刺激する何かのきっかけになっているはず――だよな?)


 もし、自分と同じように記憶の糸口を探しているのならと、こうして連れてきた船上パーティー。
 この様子なら、連れてきた甲斐があった――とヒロが手応えを感じていたときだった。


「おやおや困った泥棒さんだこと……ああいう『怪盗(イタズラ)キッド(ボウズ)』には……お仕置きをしてあげなくちゃ……」


 朋子の声が暗がりの中から聞こえ、小さな火花が散った刹那――“パァン!!”
 会場の空気を切り裂くような、大きな破裂音が鳴り響いた。

 間を開けずに、“パン! パン! パン!”。

 乾いた銃声が会場の静寂を引き裂き、次の瞬間、キッドの胸・腕・腹から鮮血が激しく噴き出した。

 彼の身体が……、天井付近から……、前へと崩れ――ドシャアン!
 足下のテーブル上へと落下したのか、激しい衝撃音が響いた。

 そのとき、フッと会場の照明が一斉に点いた。
 途端に、キッドの落下付近でけたたましい悲鳴が上がる。


「!?!?」


 一部始終を目撃した花梨は、サングラスの奥で瞳を限界まで大きく見開いていた。

 キッドがいた位置と、花梨たちがいる場所はかなり離れていて、彼が今どうなっているのかまでは見えない。
 けれど花梨は、キッドが銃撃される瞬間を、はっきりと見てしまった。

 鼓膜を破りそうな銃声――。
 初めは腕に当たり、次に胸を二か所、そして最後に腹部。
 撃たれた瞬間、そこから血が溢れ出す生々しい光景。

 ……キッドが突然撃たれ、ぐらりと下に落ちていった。

 今起きたばかりの出来事が、花梨の脳内で残酷に繰り返される。


「ぁ……っ……」


 花梨の白い手が小刻みに震えだす。
 胸の前でギュッと拳を握りしめ、はくはくと浅い呼吸を繰り返し、喉を激しく上下させた。懸命に呼吸をしようと試みるが――どうしても空気がうまく入ってこない。

 そんな彼女の異変にいち早く気づいたのは、咄嗟に花梨を庇うように強く抱き寄せたヒロだった。


「……リン? 震えてる……?」

「っ……ひ……っく……」


(息が……! ヒロお兄ちゃん……たすけて……)


 懸命に酸素を吸い込もうとするものの、キッドが血を流して倒れた姿が鮮明に焼き付いて、花梨は震える手でヒロの袖を力なく掴んだ。


(っ、過呼吸か……!?)


 花梨が遺体や、死を連想させるような光景を目の当たりにすると、過呼吸を起こすことを、ヒロは知らない。
 だが、花梨の口元に添えた手で浅く荒い呼吸を感じ取り、彼女がうまく息をしていないことだけはすぐに理解できた。



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