白月の君といつまでも2

-- Summer, about 17 years old
243:おかえりを待つ家


◇




「うーむ……」


 花梨の自宅マンションの最寄り駅――江古田駅に降り立ち、花梨……今は“あおい”と名乗っている彼女は、切符を自動改札機に入れるのに苦戦していた。
 平日昼間の空いている時間だからか、改札はそれほど混雑していないが、小さな子供が改札でまごまごしているのは、少々邪魔になる。


「はい、どうぞ」

「わっ!? ありがとう!」


 見かねたヒロがひょいっと花梨を抱え上げ、改札に切符を入れるのを手助けしてくれた。


「くっ……!(なんか悔しい……)」


 花梨はヒロに抱えられたまま、無事自動改札を通り、駅の外へ。この小さな身体で生活する難しさをまた一つ学び、幼児化の先輩――新一の苦労を知ることができてよかったと思った。


「やっぱり、あおいちゃんの身長だと、ちょっと高いかな?」

「だね……」


 ヒロに抱えられた花梨は、まるで子猫のようだ。
 先ほど電車に乗るときにも苦戦した自動改札だが、子供の姿では実に厳しい。
 改札を通るときは、駅員に頼むのがベストだなと、花梨は窓口にいた駅員をじっと見つめる。
 すると、目が合ってしまい、花梨はにこっと微笑んでおいた。

 花梨の笑顔に思わず微笑み返した駅員に見送ってもらい、骨折した左腕を庇いながら小さく手を振り、駅を後にした。その姿を、ヒロは隣で目を細めて愛おしそうに見つめている。

 そうして、昼食を花梨おすすめの中華料理店で済ませ、マンション前までやって来たそのときだった。


「あれ……? ちょっと待って、ヒロお兄ちゃん」

「ん?」

「……招待状って、届いてるのかな……?」

「どういうことだい?」

「んと、私ね、パソコンに遺書的なものを残してて……お部屋の片づけとか、陽翔おじさまにお任せしようと思って、新ちゃんにお願いを書いておいたんだ」

「遺書って……」


 ヒロから、呆れた声が返ってくる。


「だ、だって、こんな風になるなんて思ってなかったから」

「神子様は、自分の未来は見えないんだ?」

「そうなの。自分の未来は見えないの」


 神子は、他人の未来を視ることはできるが、自分の未来を視ることはできない。
 そして、神子の親子間で未来を視ることは禁じられていた。
 もしそれを破ると、天から相応の罰を受けることになる――と、花梨は多紀から聞いている。

 母は、花梨の未来を視てしまい、翌日亡くなってしまった。
 なぜ、母が自分の未来を視たのか……理由は恐らく、白神子のせいだろうとは思うが、はっきりとはわからない。覚悟の上で禁忌を破った――ということなのだろう。


「不便だね」

「あはは……。ねっ」


 話しながら花梨がエントランスの自動ドアに近づくと、扉が開く。
 どうやらエントランス部分の鍵はまだ生きているらしい。


「じゃあ、ポストを見てみよう」


 花梨はヒロに抱き上げられ、自分のポストを覗いた。だが、何も入っていない。
 ダイレクトメールすらもなかった。


「届いてないね……」

「部屋まで届けてくれた……とか、かな?」


 このマンションは高級マンションだ。
 コンシェルジュが部屋まで手紙を送り届けることもある。

 ヒロはコンシェルジュに目を向けた。
 新人なのだろうか。花梨は初めて見る顔だった。目が合うとコンシェルジュの女性が会釈した。


「部屋に行ってみようよ。もし部屋が他の人のものになっているなら、鍵が合わないかもしれないし。そうしたら戻ってくればいい」


(あの時の多紀さんの様子だと……たぶん、そのままにしてくれてると思うんだけど……)


 多紀が自分に触れて、花梨のことを未来視で知っていたとするなら、今も花梨が生きていることを把握しているはずだ。
 ならば、可愛い孫の家の荷物を処分してしまうなんてこと、するわけがない。

 ヒロは花梨の頭を優しく撫でて、「行こう」と促した。


「なるほど! さすがはヒロお兄ちゃん!」


 花梨はヒロとともにエントランスを抜け、エレベーターで七階へ。花梨の部屋へ向かった。


「鍵、合うかな~」


 鍵はポシェットの中に入っている。ハンズフリーキーだから、玄関の扉についているタッチボタンを押せば解錠されるはずだが、開くだろうか。
 ヒロが見守る中、花梨は恐る恐る小さな指をタッチボタンに伸ばした。


 “ピッ……シュルッ”


 花梨の指がタッチボタンに触れると、内部の電子キーがくるりと回転し、解錠された。


「あ! 大丈夫だった!」

「…………よかったね」


(やっぱりね。多紀さんも、陽翔さんも……花梨ちゃんの味方なんだな)


 驚いて目をぱちぱちさせる花梨を見下ろし、ヒロは確信を持って目を細め、ドアハンドルに手を掛けた。
 今の彼女に、玄関の扉は重いだろう。
 ガチャリと扉を引くと、しばらく人の気配がなかった部屋の、しんとした空気が二人を出迎えた。


「あれ……? なんだか……私がいたときのまま……?」


 玄関ポーチで何気なく靴箱の戸を開く。
 すると、中には花梨が段ボールにしまったはずの靴が綺麗に並べられていた。


「……? 私、確か……段ボールに詰めたはずなんだけど……(なんで、全部新品になってるの……?)」


 五月の終わり、自分の最期を覚悟していた花梨が、まとめて捨ててもらえるようにと、段ボールに詰めた靴たち。
 数は五足しかないが、すべて新品の靴に入れ替えられ、等間隔に綺麗に並べられている。花梨は、その光景に黙り込んだ。


「……花梨ちゃん?」

「……もしかして」


 花梨は、一度靴箱の靴を手に取って確認すると、元の場所に戻した。今履いている靴を脱ぎ、すぐにリビングへと向かう。
 ヒロもあとに続く。


「どうして……」

「……どうかしたかい?」

「あ……えと、私ね、部屋の片づけの手間を少しでも減らせないかなと思って、家を出るとき、段ボールに荷物をまとめておいたの。でも、段ボールがなくなってて。片づけておいた荷物が全部……」


 部屋を見回すと、花梨が片づけておいた荷物はすべて元の位置に戻されていた。


「全部、元通りかな? 前に来たときと変わらない感じだね」

「……うん、そうなの」

「つまりここは、花梨ちゃんの家のままってことだね」

「あ……そう、いう、こと……だよね?」


 花梨は戸惑うように、いつも座るソファに腰掛け、背を預けると「ふぅ」と小さく息をついた。
 何気なく柔らかいクッションに小さな手で触れ、すっと目を閉じる。

 ――その瞬間、脳裏に流れ込んできたのは、数日前、この部屋で起きた光景だった。


(あ……お婆さま……)


 遠い過去ではなく、つい最近この場所にいた多紀の切なそうな微笑みが浮かび上がる。

 彼女は、『あの子が戻ってきたとき、不自由なく過ごせるように元に戻しときな』と、連れてきた使用人たちに指示を出していた。

 いつも厳しかった祖母が、あんな表情を見せるなんて……。

 当主のお役目のかたわら、多紀が様子を見に来てくれたのだ。


『……帰りたくはないだろうけどね。たまには、長野に顔を出すんだよ?』


 まるで自分が視るのをわかっているかのように、片づけが終わった無人の部屋に向かって、去り際多紀がそう言い残し、リビングのドアが閉じた。

 ふと垣間見た過去の出来事に、花梨の頬を透明な雫が伝う。


「……私、思ったより愛されてたみたい」

「…………ふふ。やっと気づいたかな?」

「うん……。気づくの、遅くなっちゃったけど……」

「花梨ちゃん……。人の想いに気づくのって、難しいものだよね。よく、気づけたね……」


 ヒロは隣に腰を下ろし、花梨の頭をぽんぽんと撫で、微笑む。

 白河家の中で、現在何が起こっているのかヒロは知らないが、一条稀華と花梨の後継争いは、いつか再燃することになるのだろう。
 そのとき、小さな花梨が傷つかないように、自分がどうにか守ってあげたいとヒロは思うのだった。



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