白月の君といつまでも2

-- Summer, about 17 years old
236:名札が導いた名前


◇




 翌日の午後。
 帝丹小学校の放課後に合わせて、ヒロと花梨は米花町を歩いていた。

 歩幅の小さな花梨に合わせるようにゆっくりと歩きながら、ヒロがふと腕時計に目をやって尋ねる。


「小学校が終わる時間って、何時だったかな?」

「ん~、三時には終わってるんじゃないかなぁ……」


 小さな人差し指を顎に当てて、確信ありげに答える花梨。その妙にピンポイントな詳しさに、ヒロはクスリと口元を緩めた。


「よく知ってるね」

「前に、学校休んだときにね、近所の子たちがその時間、公園で遊んでいるのを見たの」

「なるほど。花梨ちゃんの部屋から公園見えるしね。よく覚えてたね」

「だって……」


 少しだけもじもじしながら、花梨が上目遣いでヒロを見上げる。


「ん?」

「三時はおやつの時間だもん。ちょうど、陣平さんからもらったお菓子食べてたの!」


 真剣極まりないその表情と、あまりにも微笑ましい理由。
 堪えきれなくなったヒロの口から、笑いが漏れ出した。


「…………プッ、はははっ!」

「あっ、ヒロお兄ちゃん、笑わないでよ~!」


 花梨はぷくっと頬を膨らませて抗議するが、ヒロの破顔した笑顔はもう止まらない。


「あははは……ごめんごめん。可愛いなって思って」

「か、可愛いって……そんな……」


 不意に真っ直ぐな言葉で褒められ、花梨の頬がぽっと赤く染まる。
 照れ隠しにそっぽを向く彼女に、ヒロはさらに優しく畳みかけた。


「可愛い、可愛い」

「も、もぅ~~! 顔、熱くなってきちゃったよー……」


 ギプスをはめていないほうの小さな手でパタパタと顔を仰ぐ花梨。
 そんな穏やかで愛おしいやり取りを交わしながら、二人は江戸川コナンの手掛かりを求めて、毛利探偵事務所の近くまでやってきていた。

 ビルの階段が近づき、さてどう切り出そうかと息を整えた――その時だった。

 階段から駆け下りてくる軽快な足音。ほどなくして、見覚えのある小さな影が飛び出してくる。
 大きな眼鏡に、ブルーグレーの瞳。白のTシャツに青いシャツ、カーキ色の短パン。そしてトレードマークの蝶ネクタイ……は、今日の服装には合わないようで、外しているようだ。


「――コナンくん?」


 花梨が声をかける暇もないほどの猛スピードで、少年はスケートボードも持たず、何かを必死に探すような切迫した様子で走り去っていく。
 その向かう先は、見覚えのある米花公園の方向だった。


「ヒロお兄ちゃん、コナンくんを見つけた!」

「……うん、行こう。何かあったのかもしれない」


 コナンは花梨たちに気づくことなく、そのまま米花公園の中へ駆け込んでいく。

 ヒロは花梨の手を優しく引き、コナンの後を追うように、足早に米花公園へと向かった。

 米花公園にたどり着くと、緑豊かな敷地の中、花梨たちの視線の先にはコナンの姿があった。
 しかし、そこにいたのは彼一人ではない。同じ帝丹小学校の歩美、光彦、元太――少年探偵団の面々も一緒だった。

 彼らは何やら必死な様子で、地面やベンチの周りに視線を落としている。どうやら、何か重要な探し物をしているらしい。
 コナンが鋭い口調でパッと的確な指示を出すと、三人は「おう!」「了解です!」と一斉に散り散りになって走り出した。
 植え込みの奥を覗き込んだり、ゴミ箱の裏を注意深く検分したりと、その動きは真剣そのものだ。


「探し物……かな?」

「みたい……。ね、ヒロお兄ちゃん」


 小さな肩をすくめて少年たちの様子を眺めていた花梨が、ふと思いついたようにヒロの袖を引いた。


「うん?」

「私、一人で行ってくるから、ヒロお兄ちゃんはちょっと外してて?」

「え?」


 予想外の提案に、ヒロはきょとんと目を丸くする。
 花梨はギプスをしていないほうの手で、ヒロの大きな身体をそっと押し返すようにしながら理由を並べ立てた。


「だって、ヒロお兄ちゃん、大きいんだもん。急に背の高い大人が現れたら、子どもたちはびっくりするよ!?」

「……そ、そうかな?」

「そうだよ! 背の高い男の人って、それだけで怖いんだから! たとえお兄ちゃんがイケメンでも、威圧感はすごいっていうか……」


 鍛え上げられた180センチ以上の体躯は、確かに小さな小学生から見れば見上げるような壁だ。
 潜入捜査官時代にはその鋭い眼光を武器にすることもあったヒロだが、花梨に真っ直ぐ指摘されると、にわかにショックを受けたように眉根を下げた。


「そ、そっか。こ、怖いのか俺……。花梨ちゃんも、俺のこと怖い……?」


 傷つきやすい大型犬のような目をして、恐る恐る尋ねるヒロ。
 すると花梨は、その不安を吹き飛ばすようにきゅるんと愛らしい笑顔を咲かせ、ヒロを見上げた。


「あ、私は怖くないよ? ヒロお兄ちゃん、だ~いすきっ♡」


 首をちょこんと傾げ、満面の笑みで放たれた無邪気な親愛の言葉。
 その瞬間、ヒロの胸のド真ん中に“トスッ”と目に見えないハートの矢が深く突き刺さった。あまりの破壊力に、元公安警察官のポーカーフェイスが完全に瓦解する。


「っ……カワイイ……。っ、わかった。じゃあ、俺はあっちのベンチに座ってるから……」


 胸元を押さえ、耳まで真っ赤にしながら、かろうじてそれだけを絞り出すヒロ。花梨はその様子に満足げに頷いた。


「うん♡ ありがとう! 行ってくるね~!」


 小さな手を一生懸命に振りながら、花梨は少年探偵団が探索を続ける公園の奥へと、軽やかな足取りで駆けていった。

 各々バラバラの方向を向き、血眼になって地面を這い回る少年探偵団の面々。その中で、一際鋭い目つきで植え込みの奥を必死に探るコナンの背後へ、花梨は足音を忍ばせてそっと近づいた。


「なに探してるの?」

「事件を解く鍵だよ。楽譜の切れ端なんだ――って、この声……」


 振り返らないまま、極めて自然に、かつ、いつもの“探偵のトーン”で手を動かしながら答えていたコナンだったが、突如としてその動きがピタリと止まった。
 幻聴でも聞いたかのように、彼はロボットのようなぎこちなさで、ゆっくりと振り返る。


「やっほ~、新ちゃん! 元気にしてた?」

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 振り返ったコナンの眼前に立っていたのは、見間違うはずもない純白の髪、そして片腕に痛々しいギプスをはめた、小さな小さな女の子の弾けるような笑顔だった。


「えっ……」


 コナンの全身が雷に打たれたように硬直する。
 神秘的な金色の瞳と、雪のような白い髪――こんな特徴を持つ人間は、後にも先にも、彼の知る幼なじみの彼女しかいない。


「…………。お……おま……っっ!?」


 数秒間の完全なフリーズののち、コナンはバッと花梨を指差し、「花梨!」とその名を叫ぼうとしたが、あまりの衝撃に喉が引き攣って声にならない。
 大混乱の脳が、やっとの思いで喉の奥から絞り出した音は、ひどく間抜けたものだった。


「……ど、れ」

「ど、れ? ……み? あ、楽譜探してるんだもんね! 私も探すよー」


 花梨はコナンの隣にスッと移動すると、楽しそうに植え込みの中を覗き込む。
 ところが次の瞬間、横からコナンの容赦のない手刀が、彼女の頭頂部へスパーンとクリーンヒットした。


「いたっ! いや~ん、新ちゃんのチョップ、久しぶり~♡」


 小気味いい音を立てた頭を小さな手でさすりながら、花梨は怒るでもなく、ふわふわとのんびり笑う。
 そのいつもと変わらないマイペースな様子に、コナンの顔が一気に修羅のような形相になった。


「バーロッ!! どれだけ捜したと思ってんだよっ!! っていうか、オメー……! その姿……!」

「あれれ~? ばれちゃった~?」


 あざとく、ぴっと顎に人差し指を当てて首をかしげる花梨。
 コナンはここでようやく、自分と同じ目線まで“小さくなった”彼女の姿を改めて認識し、眼鏡の奥の目をこれ以上ないほど大きく見開いた。


「なっ、なんでオメーまでちっさくなってんだよ!?」

「えへへ、ちっちゃくなっちゃった!」

「えへへ、じゃねえっ!!」


 コナンが思わず声を荒らげたその時、少し離れた場所で生垣を探っていた歩美が、二人の賑やかな声に気づいてタタタッと駆け寄ってきた。


「コナン君、どうしたの? あ……わぁ♡ 可愛い♡ 妖精さんみたい。だあれ?」


 花梨の姿を視界に捉えた瞬間、歩美の頬がぽっと薔薇色に染まる。
 まるでおとぎ話の絵本からそのまま飛び出してきたかのような、儚げで愛くるしい花梨の姿に、歩美は一瞬で瞳をキラキラと輝かせた。


「あ、こんにちは~! 私は、コナンくんのお友達だよ~」

「そうなんだ!? 私は吉田歩美! あなたのお名前は?」

「え? 私? 私は、あおい……」


 無防備に本名を口にしそうになり、花梨はハッと気まずそうにコナンへ視線を移す。


「お、おい……」


 コナンは顔を青くしてブンブンと首を左右に振った。


(おいおい、そのまま本名を名乗るんじゃねーぞ! 今、急いでいい偽名を考えてやっから……くそ、うーん……どうしたもんか……!)


 いくら天才探偵とはいえ、この極限のパニック状態で、女の子の偽名などパッとは思いつかない。


「えっと……うーん……」


 コナンが腕を組んで唸り、何かをひねり出そうとしてくれているものの、歩美は今か今かと期待に満ちた瞳で花梨を見つめている。
 苗字の「あおい」までは口に出てしまっているし……と、板挟みになって困った花梨は、何か偽名のヒントになるようなものはないかと、肩に掛けたポシェットのマグネットホックを慌てて開いた。


「あっ」


 その瞬間、不運にもギプスをはめているせいで手元のバランスが狂い、ポシェットの中身が地面にバラバラと派手にぶちまけてしまう。


「わ、大変!」


 歩美が親切にしゃがみ込み、散らばった花梨の持ち物を手際よく拾い上げていく。
 手帳型ケースに入ったスマートフォン、可愛らしいハンカチ、ティッシュ、小さなコンパクトミラー、レモンの飴玉――そして、見覚えのある、帝丹中学の制服の“第二ボタン”。


(……オレの、第二ボタンじゃん……! 花梨、やっぱ大事に持っててくれたのかよ……)


 歩美から花梨へと手渡されるその思い出の品を横目で見て、コナンは気恥ずかしさにほんのり頬を赤く染めた。


「あ、これ名札だよね? なんて読むの?」


 歩美が最後に拾い上げたのは、少し離れた芝生の上までコロコロと転がっていた、黒羽快斗の中学校時代の名札だった。
 そこに刻まれた漢字を覗き込みながら、歩美が不思議そうに尋ねる。


「ん?」

「くろ……はね?」

「あ、えっと、“くろば”だよ」


 花梨としては、ただ純粋に、歩美に漢字の正しい読み方を教えただけだった。
 ……本当に、ただそれだけのはずだった。

 しかし――。


「くろば……『黒羽あおい』さんっていうのね! よろしくね、黒羽さん!」


 歩美はパッと満面の笑みを浮かべると、納得したように花梨の手を取り、快斗の名札をその小さな手のひらにきゅっと握らせた。


「え」

「え?」


 花梨とコナンは同時に固まり、お互いに顔を見合わせる。二人の目が完全に点になった。


「「ええええええええっ!?」」


 まさかの勘違いによって誕生してしまった衝撃の偽名に、二人の息の合った絶叫が、のどかな午後の公園に響き渡った。



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