白月の君といつまでも2

-- Early Summer, about 17 years old
229:書き換えられた世界


 翌朝。
 快斗はまだ少しだけ影を背負いながらも、久しぶりに学校へ向かうことにしたのだが……。

 玄関を開けようとしたところで、インターホンが鳴り、ドアノブから手を放した。


「……チッ、また来やがった……なんなんだよもう」


 ドアスコープを覗くと制服警官が二人立っている。


「……しゃーねえな……こっそり行くか」


 快斗は靴をそっと手にして、二階へと上がる。こっそり玄関から見えない裏側から出て、学校へ。
 幸い、警官たちが追ってくることはなく、無事に学校にたどり着いた。

 不思議なことに、警官たちが学校まで入って来たことはなく、快斗は“やっぱ偽物か……”と、相変わらず正体を掴めないまま――。


「快斗! やっと来たー!! ちょっと、出席日数大丈夫なの!?」

「なんとかな」


 教室に入ると青子が明るく声をかけてくれたが、快斗の笑顔はわずかだった。


「……花梨ちゃんロス病、治った?」

「バーロ、んなすぐ治っかよ」

「だよね~。あれだけ落ち込んでたんだもん、そうだよね~」


(快斗、やっぱまだ落ち込んでるなぁ……)


 ぶっきらぼうに返す快斗に、青子は笑顔を保ちつつ、同情しながら何度も頷く。


「花梨から、なんか連絡あったか?」

「ううん。でも、きっと向こうでも頑張ってるよ。花梨ちゃん真面目だし、可愛いし☆」

「はは……オレと一緒にサボって、水族館行ったりしたけどな」


 青子が持ってきた雑誌で見つけた、デートスポット。快斗の苦手な場所――水族館。花梨はクラゲとドクターフィッシュに興味津々だった。
 「行きたい」とは言い出さない彼女を、察した快斗が翌日、二人で学校をエスケープし、連れて行ったのだ。

 その翌日、青子に注意を受けたっけ……と、もうずいぶん前のことのように思えた。


「あー、それそれ! も~、快斗は花梨ちゃんを悪の道に誘って、悪い奴なんだから」

「悪の道ねえ……」


(間違ってないのが、痛いところだな……)


 快斗は仄暗い笑みを浮かべて花梨の席を見つめる。


「……ねえ、快斗。花梨ちゃん、今ごろぐっすり眠ってる時間だね」

「……本当にイギリスにいるならな」


 花梨が「留学」なんて話を、快斗は信じていない。
 彼女は何かの事件に巻き込まれているのだから。

 けれど、青子の一言で快斗は頭が混乱することになる。


「ん? なに言ってるの、本当に決まってるじゃない。先生も言ってたよ?」

「……は?」

「花梨ちゃん、白馬君みたいにたまに戻って来るから、席はそのままにしておくーって、黒瀬先生が」

「……嘘だろ……」

「嘘なわけないじゃない。なんで青子が快斗に嘘なんかつくのよ」


 確かに青子が嘘をつくメリットがない。
 そんな嘘で騙すような幼なじみじゃないことは、快斗が一番よくわかっていた。


「……それ……マジなのか?」

「マジだよ?」

「…………」


(どういうことだよ……なんで? とっさについた嘘なんだろ……? なあ、花梨……)


 花梨の残したスーツケースには、旅行の準備がしっかりされていた。
 一泊分だけ、自分と回る予定のガイドブックに付箋まで貼って。

 だが、現実に“留学”が成立してしまっている……。

 言葉を失った快斗を、青子が不思議そうに覗き込む。


「快斗?」

「……悪ぃ、青子。オレ、早退するわ」

「え? ちょ、ちょっと快斗……!? 今来たばっかり――」


 快斗は教室から走り出した。


(花梨の留学は、あいつの「嘘」じゃねーか。なんで本当になっちまってんだよ……!)


 足が職員室の黒瀬の席へと向かう。
 事実かどうか確認しないと気が済まなかった。


「おー黒羽、おはよう。どうした? もうすぐチャイム鳴るぞー」

「黒ちゃん! 花梨が留学ってマジなのか!?」


 職員室に着くと、これから教室(2-B)に向かおうと、日誌を手にした担任・黒瀬が席を立つところだった。
 黒瀬は歩きながら、駆け寄ってきた快斗の話に耳を傾ける。


「あー、お前しばらく休んでたもんなぁ……。そうだよ、二年に上がる前に決まってたんだよ。葵は優秀だからなぁ。まあ、たまに帰ってくるって話だ」

「そんな……おかしいだろ……。あいつ、直前まで何も言わなかったんだぜ?」


 “留学”だなんて、大事な話――。
 花梨の性格からして、恋人に黙っているなんてことは、ありえない。

 快斗は何度も首を横に振った。
 認められない。そんな嘘は。

 そんな快斗に、黒瀬はいつもの飄々とした態度ではなく、スッと瞳を冷たく細めて告げた。


「黒羽――お前、振られたんだろ。だから言っただろう? 葵は『お前とは住む世界が違う人間』だって」


 黒瀬の声がいつもより、低い。
 普段とはまるで、別人のように冷たい声――。


「っ……!」

「『泣かないようにな』って忠告、聞かなかったお前が悪いんだぞ? 失恋は大人への第一歩だ。新しい恋でも探せ。女は葵だけじゃないぞ」


 言い終えると、黒瀬の手が快斗の肩をぽんぽんと叩く。
 慰めているつもりなのだろう。最後にはにっこりと笑った。


「るせーよ……大きなお世話だ!」

「あっ、おい、黒羽! お前、これから授業――」


 踵を返し、駆け出す快斗。
 黒瀬が声をかけたが、彼の耳には届かなかった。


「なんでだよ……! おかしいだろ……なんで、あいつが思いつきで言ったことが現実になってんだよ……!!」


 学校を飛び出し、快斗は弾かれたように駅へと向かって走る。
 誰も彼もが花梨のついた「嘘」に騙されている。

 だが、現実は、その「嘘」が「真(まこと)」として扱われ、自分が知っている「真実」が、まるで「哀れな失恋男子の妄想(うそ)」のようにすり替えられていく。

 自分だけが取り残された、奇妙な世界。

 まるで世界全体が結託して、自分から花梨の存在を消し去ろうとしているかのような、底冷えするような孤独に襲われる。

 本当に、自分が現実を認めたくなくて、そう思い込もうとしているだけなのか?


 ――いや、違う。絶対に違う。


 あの金曜の夜、彼女は確かに男に連れ去られたのだ。あの、関西弁のなまりがある男に。

 車のナンバーは見ていない。まさか花梨があの車に乗せられていたなんて、その時は夢にも思っていなかったからだ。
 手がかりは、あの男の声と気配だけ。誘拐されたのは確実なはずなのに。

 ……ところが世間の現実は、“留学”ときた。


(もしかしたら、本当に“留学”なのか……? オレが全部見間違えていて、今ごろ花梨は、オレへの謝罪の手紙を書き終え、ロンドンのベッドでぐーすか眠って……)


「いや、違うっ……!! っ……クソッ、オレの現実まで書き換えようとすんじゃねーよ! 黒羽快斗、花梨は拐われたんだぞ、しっかりしろ……!」


 一瞬でも信じてしまいそうになった自分に激しい嫌悪感を抱き、快斗は自分の頭を乱暴に掻きむしった。
 あの黒瀬の冷え切った目。世界そのものが、花梨を自分の世界から力ずくで遠ざけようと、巨大な意志を持って動いているような、得体の知れない恐怖が背筋を冷たく走る。


(江古田の奴らが全員、あいつの『嘘』に書き換えられてるなら……別の……あの子! 花梨と仲のいい彼女なら、否定してくれるはずだ。帝丹高校の、毛利蘭……!)


 花梨がいつも嬉しそうに話していた、幼なじみの女の子。学校も違えば、住む世界も違う彼女なら、江古田の人間が知らない『別の真実』を花梨から直接聞いているかもしれない。
 面識はない。怪盗キッドとしてのリスクを考えたら、一般人の女子高生に黒羽快斗として接触するなんて、絶対にやっちゃいけない大悪手だ。


(だけど……背に腹は代えられねぇ……! あの子なら、きっと……!)


 リスクなんてクソ食らえ。
 手がかりを掴める可能性があるなら、オレはなんだってやる。

 そんな想いで、荒い呼吸のまま、蘭のいる米花町へ向かう電車に乗ろうと、気づけば駅前の大きな交差点までやって来ていた。



36/70ページ
スキ