追憶の誕生日【完結】

-- Autumn, about 16 years old
⑥その手をどけて


 小さく手を振る花梨を背に、新一はトイレへと駆け込む。

 冷たい水で顔を洗い、新一は鏡の中の自分を睨みつけた。
 耳まで赤い。これでは事件の容疑者の方がよっぽど冷静だ。


「……落ち着け。あいつはただの、世間知らずな妹分だ……」


 自分に言い聞かせ、大きく深呼吸をしてホールに戻った新一だったが、その足は即座に止まった。

 ……自分たちのテーブルの前に、見知らぬ男が立っている。

 仕立ての良いスーツを着た、いかにも「遊び慣れています」といった風貌の男が、花梨に向かって熱心に話しかけていた。


「……ですから、もしよろしければ、この後少しだけでも。お連れ様は、どうやら体調が優れないようですし……」


 男の視線は、結い上げられた花梨の白銀の髪や、ドレスから覗く白い肩を、品定めするように舐め回している。
 対する花梨は、困ったように眉を下げ、おろおろと新一の席を振り返っていた。


「あの、でも、新ちゃんが……っ」

「新ちゃん? ああ、あのご友人のことですか。彼はあなたのような美しい女性をエスコートするには、少し幼すぎる。もっとあなたに相応しい場所を、私が……」


 男が花梨の手首に指をかけようとした、その瞬間。


「――悪いが、その手、どけてくんねーか」


 背後から響いたのは、いつもの新一の軽快なトーンではない。
 低く、地を這うような、そして隠しきれない怒りを孕んだ声だった。


「新ちゃん……!」


 花梨の顔がぱっと明るくなる。
 新一は男と花梨の間に割り込むように入り込み、男の視線を遮るように立ちはだかった。その瞳には、犯人を追い詰める時以上の、鋭く冷徹な光が宿っている。


「……なんだ、君か。彼女が一人で退屈そうにしていたから、話し相手になっていただけだよ」


 男が鼻で笑い、肩をすくめる。
 だが、新一は一歩も引かない。むしろ、相手を射抜くような視線で、傲然と言い放った。


「あいにくだが、こいつはオレの(・・・)連れだ。……ナンパな話し相手が必要なほど、暇じゃねーよ」


 「オレの」という言葉に、自分でも心臓が跳ねるのを感じたが、今は引くわけにはいかない。
 新一の放つただならぬ威圧感に、男は舌打ちを一つ残すと、足早に去っていった。


「……ったく。……おい、花梨」


 新一は去っていく男の背中を睨みつけたまま、ぶっきらぼうに言った。


「……オレがいない時に、すーぐそうやって……っ! ……少しは、自分が危なっかしい格好(カッコ)してる自覚持てよっ!」


 振り返った新一の顔は、さっきの“赤さ”とは違う、激しい感情で再び火照っていた。


「ええっ!? 今の、わ、私が悪いのっ?」

「そうじゃねーけどっ、そうなんだよ!」

「えぇ~~そうじゃないけど、そうってどういうことなの……」


 急に怒鳴られ、花梨は困惑する。
 花梨からすれば、指定されたドレスコードを守っただけだ。

 それの何が悪いというのか……花梨にはわからなかった。


「……席外して、悪かったな」

「ううん、生理現象は仕方ないよ。あ、これどうぞ」


 花梨は鞄からハンカチを取り出し、新一に差し出す。


「へ?」

「顔、洗ったんだよね? 前髪、濡れたままだよ?」

「あっ……わりぃ……」


 ハンカチを受け取り、新一は席に戻ると前髪に残った水気を拭き取った。


「ふふっ♡ 水も滴るイイ男って、新ちゃんみたいな人のこと、言うのかもね?」

「っ! おまえ、なんなんだよ……照れるわ」


(嬉しくなることばっか言いやがって……)


 ああ、また胸がチクチク痛む――。いや、これはチクチクと言うより、本当はきゅうきゅうと締め付けられるような痛みだ。

 だが、新一は決してそれを認めない。


「えへへ♡ 褒め殺ししちゃうよ~♡ 新ちゃん、私にメロメロになっちゃうんだから♡ なーんてねっ♡」

「っっ、このっ、小悪魔めっ!!」

「ふふふっ♡ 新ちゃん、お肉きてるよ。私、待ってたんだ。一緒に食べよ♡」

「……ああ」


 新一はまだ火照った顔を隠すように、運ばれてきたばかりの牛フィレ肉のステーキへと視線を落とした。
 花梨の分は、やはり食べやすいように美しくカットされていた。彼女はそれをフォークで一口分刺し、口に運ぶと、宝石のような瞳をさらに細め、とろけるような笑みを浮かべた。


「んん~っ! おいし~♡ 新ちゃん、これ、すっごく柔らかいよ! 食べてみてっ」

「っ、ああ……分かったから。そんなに身を乗り出すんじゃねーよ」


 花梨が自分の皿から、今にも「あーん」と言わんばかりにフォークを差し出してくるものだから、新一は慌てて自分の肉を口に放り込んだ。

 確かに美味い。けれど、花梨からふんわりと漂う大人びた香りと、目の前で嬉しそうに頬を膨らませている彼女の姿が、どんな高級食材よりも、新一の感覚を麻痺させていた。


「……今日、ここに来て本当によかった。私……一生忘れないよ、新ちゃん」


 ふと、花梨が食事の手を止め、窓の外の夜景を見つめながら呟いた。
 白銀の髪が、背後の光を受けて淡いヴェールのように輝いている。


「大袈裟なんだよ、オメーは」

「大袈裟じゃないよ。……こんなふうに誕生日をお祝いしてもらったの、すごく久しぶりだから……それに、新ちゃんが私のために、こんなに一生懸命選んでくれたんだもん」


 花梨は新一の方を向き、いたずらっぽく、けれどどこか切なさを孕んだ表情で微笑んだ。


「……ねえ、新ちゃん。来年も、再来年も……こうやって一緒にお祝いしてくれる?」


 その言葉に、新一はフォークを持つ手を止めた。
 一年後の未来、自分たちがどうなっているかなんて、名探偵にだって推理はできない。
 けれど、今、この瞬間、目の前でミッドナイトブラックのドレスを纏って微笑むこの少女を、誰にも渡したくないという本能だけは、確かに胸の奥で疼いていた。


「なーんてね、冗談――」

「――当たり前だろ。バーロー」


 花梨が「冗談だよ」と、そう言い切る前に、新一が遮った。


「……ありがと♡」


 花梨は小さく笑った。
 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 ――来年も。

 その言葉を、自分が口にできたことが嬉しかった。
 そして、そんな未来を当たり前のように約束してくれた新一が、たまらなく嬉しかった。


「ったく……オメーは……当たり前のこと言うんじゃねーよ」


 新一はぶっきらぼうに言い放つと、逃げるようにグラスに残ったモクテルを飲み干した。

 ……約束してしまった。

 その約束が、やがて来る“宿敵”の手によって、どれほど残酷に引き裂かれるかも知らずに――。 



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