追憶の誕生日【完結】

-- Autumn, about 16 years old
⑤真珠のしずくに溺れて


 運ばれてきた二つのグラスが、テーブルのキャンドルの光を透かして美しく輝いている。
 花梨の“真珠のしずく”は、彼女の肌のように透き通った白。新一の“ミッドナイト・シャドウ”は、夜の帳を溶かしたような深い青だ。


「わあ、綺麗……♡ 飲むのがもったいないくらいだね、新ちゃん」


 花梨が嬉しそうにグラスを持ち上げ、新一をじっと見つめる。その瞳は、窓の外の100万ドルの夜景よりもずっと眩しく、新一の視線を釘付けにしていた。


「……っ。ああ、そうだな」


 新一は喉の渇きを覚えながら、自分のグラスをそっと持ち上げた。
 カラン、と氷が触れ合う繊細な音が、二人の間に響く。


「えーっと……。誕生日、おめでとう。……それと、」


 言葉が喉に詰まる。
 本当は「綺麗だ」ともう一度言いたかった。けれど、さっきの失態を思い出して、新一は慌てて別の言葉をかき集める。


「……今日からは、あんまり一人で抱え込むんじゃねーぞ。……何かあれば、オレが……いつでも駆けつけてやるからな」


 それは、蘭との時間を切り上げてでも彼女のもとへ走った、今の新一の本音だった。


「新ちゃん……。うん、ありがとう♡ 私、世界で一番幸せだよ~」


 花梨が満開の笑顔でグラスを差し出す。


「……ったく。……乾杯」


 チリン、と高い音が鳴り、二人はそれぞれのモクテルを口にした。
 新一の喉を通る冷たいはずのドリンクは、今の彼の熱い頬を冷ますには、少しばかり物足りなかった。


「わあ、本当に真珠みたい! 飲むのがもったいないくらい綺麗だね、新ちゃん」


 花梨がストローでグラスの底の白いパールを転がすと、キャンドルの火が液体に溶けて、淡い真珠の光沢のように揺れた。
 一口飲むと、ヨーグルトの優しい甘さとエルダーフラワーの清涼感が広がり、彼女はパッと表情を輝かせる。


「……んっ、おいしい~♡ 爽やかで、なんだか新ちゃんのイメージにも合ってるかも?」

「っ、なんでオレなんだよ。……それは、お前のその髪とか……ドレスに合うと思って選んだんだっつーの」


 新一はそっぽを向きながら、自分の『ミッドナイト・シャドウ』のグラスを口に運んだ。

 舌の上に広がるのは、グレープフルーツのほろ苦さと、ジンジャーのピリッとした刺激。バタフライピーの深い藍色が、喉を通るたびに高揚を鎮めてくれる気がした。


(……甘いだけじゃねー、このくらいの刺激がちょうどいいんだよ。今はな)


 けれど、そんなクールな思考も、目の前で嬉しそうに『真珠のしずく』を堪能している花梨を見ると、一瞬で溶けてなくなってしまう。


(……バーロー、可愛すぎんだよ)


 新一が内心で頭を抱えていると、タイミングを見計らったように、静かな足取りでスタッフが近づいてきた。


「失礼いたします。最初の一皿、前菜の盛り合わせでございます」


 運ばれてきたのは、まるで宝石箱をひっくり返したような、色彩豊かな冷製オードブル。
 花梨の「わあ~♡」という弾んだ声が、静かな店内に心地よく響く。


「新ちゃん、これ見て。お花が乗ってる。綺麗すぎて、どこから食べていいか迷っちゃうね♡」

「っ、迷ってねーで食えよ。……オメーの分は食べやすいように一口サイズにしてあるからな」


 新一は、自分が事前に店側と打ち合わせた“小食な花梨への配慮”がうまくいっていることを確認し、ようやく少しだけ余裕を持ってフォークを手にした。


「おいしい……ふふっ、しあわせ……♡」

「…………」


 上品かつ丁寧な所作で食事を口に運ぶ花梨に、新一は時折手を止め見つめてしまう。
 目が合い、柔らかく微笑む姿は、天使のように美しく、そして愛らしい。


(ホント、美味そうに食うよなこいつ……。見てるだけで、オレまで幸せだと思うなんてな……)


 つい、つられて新一の目尻が自然と下がる。
 彼女は何を食べても、食べ方がいつでも上品だ。

 小さな口に運ばれていく花々に、(花が花を食ってる……共食いっていうのか、これ……)と、花梨の口元が気になって仕方なかった。


「……新ちゃん?」

「――っ! な、なんだ!?」


 ふと、気づけば、花梨が新一の前で小さく手を振っている。


「ぼうっとしちゃって……どしたの?」

「そ、そうかな? 別に普通だけど!?」

「そう……? 熱でもあるのかなって、心配しちゃった」

「熱? なんで?」

「だって、新ちゃん、今日、ずっと顔赤いから……それ、アルコールなの?」

「ん? それって?」

「ちょっとごめんね」


 花梨はヒョイっと新一のグラスを手にすると、モクテルをちゅぅっと吸い上げる。


「お、おい、それオレが口つけた……」

「ンッ、おいしい♡ ……変ね、アルコールは入ってないみたい。あ、返すね」

「…………」


 戻ってきたモクテルのストローには、ピンク色のリップが付いていた。


(花梨の……口紅……っ!)


 ストローに付いたリップ痕。唇の皺が僅かに見えて、生々しさを感じる。
 それを認めた瞬間、新一の顔は耳まで赤く染まった。


「ちょ、し、新ちゃん!? どうしたの!?」

「な、なんでもねえ……! なんでも……!」

「あ、リップ、気になっちゃった? ごめんね、今拭くね」

「へ? あ……別にそのまま――」


 花梨が再び新一のグラスを手にして、ストローに付いたリップ痕をナプキンでそっと拭き取る。
 それを新一は呆然と見ていた。


「ふふっ♡ ……間接キス、しちゃうとこだったね? ドキドキしちゃった?」


 彼女はテーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を置いて、上目遣いで新一をじっと見つめる。
 小悪魔のようなその仕草――新一には効果が抜群だった。


「っっ!!? バッ、バーロッ!! オメーに、ドキドキなんてするわけねーだろっ!! ここの空調が暑いだけだっての……!」


 ドキドキ……。
 新一の心臓は一気に跳ね上がり、目の前の小悪魔花梨に釘付けになる。

 まったく、この小悪魔は、自分の言動がいかに他者を狂わせるかわかっていない。


「あはっ! だよね! でも、空調……? 快適だけどな……やっぱり熱があるの……? お食事、まだ途中だけど、もう帰る?」

「っ、いいよ。オレのことは気にするな。最後まで食ってこうぜ」

「そう? 新ちゃんのこと心配だから、辛くなったら教えてね」

「っ……くっ!」


 今日の食事を花梨は楽しみにしていたはずだ。
 それなのに、自分が心配だからと眉を下げ、心配そうに覗き込んでくる花梨に、新一の胸が痛みを帯びる。


(なんだよ、これっ、なんなんだよっ……!?)


 胸が苦しい。
 花梨といると、わけのわからない痛みが何度も襲ってくる。

 新一は、それに気づいてはいけないと、モクテルに挿したストローを引き抜き、一気にあおった。
 冷たい雫が喉を伝い、身体を冷やしていく。

 だが、胃に落ちた冷たさに、身体は即座に反応し、逆に体温を上げた。

 “ダンッ”

 新一はテーブルに両手をついて立ち上がる。


「し、新ちゃん……?」

「……ごめん。ちょっとトイレ行ってくる。すぐ戻るから、先に食ってて」


 突然席を立った新一に、花梨は目を丸くした。


「あ、う、うん……いって、らっしゃい……」



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