追憶の誕生日【完結】
-- Autumn, about 16 years old
④夜景に溶けた理性
◇
花梨の誕生日当日、夜――。
二人は新一の予約した、夜景の見える、展望レストランへとやって来ていた。
「……ドレスコードがあるなんてびっくりしたよ~!」
「っ、オレもびっくりした……」
受付で花梨がコートを脱ぐと、新一はその姿に目を見開いた。
「へ?」
花梨は不思議そうに首をかしげる。
新一は気づかなかったのだ。マンションまで迎えに行ったら、エントランスですでに彼女が待っていたから。
いつもと髪型が違うということまではわかっていたけれど、寒さ対策にスカーフを巻いた今日の花梨。
彼女は、普段とは違った。
漆黒のなかに微細なラメが散りばめられた、ミッドナイトブラックのドレス。
普段の“白”とは正反対の色を纏うことで、彼女の白銀の髪はまるで月光のように輝き、その美しさは新一の思考を完全に停止させるほどだった。
「新ちゃんが選んでくれたレストランに合わせて、頑張ってお洒落してみたんだよ♡」
彼女は無邪気にそう言うが、コートの下に隠されていたのは、ミッドナイトブラックのドレスだけではなかった。
店内が温かいため、スカーフも取り払った花梨。
普段はさらりと肩に流している白銀の髪が、今日は丁寧に編み込まれ、高い位置で華やかにまとめられている。
アップにされたことで強調された、抜けるように白い
普段の“妹分”らしいあどけなさは影を潜め、そこには夜景の光を背負った、息を呑むほどに美しい“一人の女性”が立っていた。
(……っ、聞いてねーぞ。あいつ、あんな……)
露わになった首筋のラインがあまりに無防備で、それでいて色っぽくて、新一は喉の奥がカッと熱くなるのを感じた。
「新ちゃん? ……あ、やっぱり変かな? 自分でやるの、ちょっと大変だったんだけど……♡」
花梨が少し照れくさそうに、結い上げた髪にそっと手を添える。その仕草ひとつとっても、今の新一には刺激が強すぎた。
「……っ、変じゃねーよ。……似合ってんじゃねーの、……凄く」
最後の方は、消え入りそうな声で、けれど本心を隠しきれずに絞り出した。
「こ……コートお預かり致します……」
案の定、預かりを担当するスタッフまでもが、花梨の姿に一瞬見惚れたように言葉を詰まらせている。
それを見た瞬間、新一の胸の奥で、自分でも正体のわからない焦燥感と独占欲が、火花を散らして弾けた。
「あ、ありがとうございます」
「花梨、行くぞ」
「あっ、ちょ、新ちゃん!?」
新一は彼女を一人で歩かせるのが急に怖くなり、無意識にその細い肩を抱き寄せたくなったが、手首を取るに留まった。
「ご予約席はあちらになります」
席を案内するスタッフが頬を赤らめ、ちらちらと花梨を何度も見る。
……黙っていれば美術品そのものの彼女だ、気持ちはわからなくもない。
だが――。
窓際の予約席に着くまで、他の客たちも――特に男性客たちが花梨を見ている。
新一はイラっとしながらも予約席に案内されると、スタッフが花梨の椅子を引こうとする前に回り込んだ。
「どうぞ、お嬢さま?」
「ありがとっ♡」
新一がエスコートすると、花梨が弾けるような笑みを浮かべる。
テーブルに揺らめくロウソクの明かりに彼女の瞳が煌めいた。
さっき、お洒落をしたと言っていたし、今日の彼女は化粧をしているみたいだ。
花梨の頬がほんのり桃色に色づいている。
うっすらと細められる優しい瞳。
新一は魅入られたように、動けなくなった。
「…………綺麗だ」
「あ、夜景、綺麗だね!」
不意に花梨の視線が窓の外に移動する。
色とりどりの明かりが夜の闇を彩っていた。
「っ、そうじゃねえよ……っ! あ、いや、そうだな……」
(オレは今、何を口走った……!?)
花梨が窓に顔を向けて目を細めてくれて助かった。
自分の言動がよくわからない新一は困惑しながら席に着く。
「コース料理にしたんだ。お前の分は少な目にって言ってあるから」
「ありがと~♡ フレンチ久しぶりだな~」
新一にドリンクメニューを手渡され、花梨はそれを見ながらどれにしようか上から一つ一つ見ていく。
ソフトドリンクの名前が、見慣れない文字ばかりだった。
「久しぶり……? ああ、親戚の家か……」
「うん……たまに会食とかあったから、そのときだけ。緊張しちゃってておいしく食べた記憶、ないんだけどね」
(初めてフレンチを食べたときは、普段食べてるのと違うものばっかりで、びっくりしたんだよね~。マナーも厳しかったし……)
花梨は親戚の家で初めて食べたフレンチを思い出しながら、難解なドリンク名を指でなぞる。
「そっか。今日はオレだけだから、楽しんでくれよ」
「ありがと、新ちゃん。だいすき♡」
「っ……あ、ああ……オレ……も……っ!?!?」
ハッとして慌てて口元に手を当てる。
いや、兄として、妹が好きなのは当たり前で――と、何度も目を瞬かせた。
「ん? なにか言った?」
「あっ、いや、なんでもない! で、ドリンク決まったか?」
「あ、うーん。なんか、どれもおっしゃれ~なドリンク名で、どれがいいのか迷っちゃって」
「ふーん? じゃあオレが決めていいか?」
新一が手を差し出すと、花梨は申し訳なさそうにメニューを閉じて渡してくる。
「じゃあ、新ちゃんチョイスで、おいしいやつをお願い♡」
「っ、どれも美味いって……」
不意打ちで、「新ちゃんにおまかせ♡」と言う花梨の笑顔に、新一の頬は熱くなる。
(なんか……暑いな……このレストラン、空調おかしくねえか……?)
新一は、片手でメニューを広げ、もう片方の手で顔を仰いだ。
新一がメニューを真剣な眼差しで睨みつける横で、花梨は「何が来るのかな~♡」とワクワクした様子で窓の外を眺めている。
その横顔、特にアップにされた白銀の髪がキャンドルの炎を反射して揺れるたび、新一の視線はどうしてもメニューから逸れそうになる。
新一はあえて自分の動揺を押し殺すように、指先で二つのドリンクを迷いなく指し示した。
「……オーダーお願いします」
すぐに駆け寄ってきたスタッフに、新一は平静を装いながらも、どこか“連れの女性”を意識させる口調で告げる。
「この『ミッドナイト・シャドウ』を。……それと、彼女にはこの『真珠のしずく』をください」
「かしこまりました。ノンアルコールカクテル二種でございますね」
スタッフが去った後、テーブルに一瞬だけ沈黙が落ちた。
グラスの氷が、かすかに鳴る。
花梨が何気なく小首をかしげる。
その仕草に合わせて、耳元でドレスと同じ黒いイヤリングが小さく跳ねた。
彼女は小さく息を吸い込み、何かを言いかけて――やめる。
言葉にしてしまえば、きっと何かが変わってしまう気がした。
その言葉が何なのかも、自分でもまだよくわかっていないのに。
(……私、いま、何を言おうとしたんだろう……?)
花梨は、何事もなかったように笑みを浮かべた。
「『真珠のしずく』? なんだか可愛い名前だね」
「……ああ。お前、普段は白ばっか着てるからな。……今日のそのドレスには、真っ白なモクテルが映えると思ってよ」
実際には、メニューの解説にあった“清楚で気高い白の輝き”というフレーズが、今の花梨にあまりに重なって見えたからなのだが、新一はそれを口にする勇気はなかった。
「新ちゃんは、なんだっけ? 『真夜中の影』……?」
「……『ミッドナイト・シャドウ』だ。……ま、オレはこれくらいの方が落ち着くからな」
新一が選んだのは、深い藍色のハーブティーをベースにした、少しビターな大人のドリンクだ。自分の顔の赤さを、その暗い色の液体に溶かして隠したいという、無意識の心理が働いていた。
「ふふっ♡ 新ちゃんチョイスなら、絶対おいしいよね♡」
「っ、ハードル上げんなっつーの……」
新一は再び、自分を落ち着かせるように冷たい水を一口飲んだ。
だが、アップにした髪のせいでいつもより近く感じる彼女の存在感と、自分を見つめる宝石のような瞳に、心拍数は一向に下がる気配を見せなかった。