追憶の誕生日【完結】
-- Autumn, about 16 years old
③日常に溶ける距離
◇
夕方――。
新一と花梨の姿は、近所の中華料理店にあった。
「で、何を食べるんだ?」
「私はね~、このラーメンセットがいいなぁ~」
二人でメニュー表を覗き込みながら、花梨は“ラーメンセット”を指差す。
写真入りのそれには、ラーメン・餃子・半チャーハン・杏仁豆腐というデザート付き。
(花梨、お前、絶対食いきれねえだろ……)
花梨は、小食のくせになぜこれを……?
この間外食したときも、食べきれないセットものを注文し、彼女は残したはず。
残すのも悪いからと、新一の皿にのせて「完食~♡」と喜んでいたのはどこのどいつだ。
新一はキラキラと目を輝かせる花梨に呆れつつ、尋ねた。
「半チャーハンと餃子付きか……全部食えるのか?」
「残しちゃうかも。またお願いっ! ……だめ?」
「またお願い!」とは、残りをシェアして食べてくれという意味だ。
なんで食べきれない分を注文するのかと以前聞いたら、「いろんなもの、食べてみたくて」とのこと。
手を合わせて小首をかしげ、そんなことを言われたら新一は。
「っ、しゃ~ね~な~。オメーは小食だから仕方ねえな。残りは任せろ」
頬をほんのり赤くして、そう言うしかできない。
花梨の生い立ちを知っているから、色々食べてみたいという気持ちが分かって、付き合うことにした。
「新ちゃん、ありがとう♡ できるだけ頑張って食べるね! ここのラーメンおいしいもの。餃子とチャーハンもおいしそうだなって思ってたんだ♡」
花梨曰く、たまに一人で食べに来るらしいが、餃子とチャーハンを付けると確実に残してしまうため、いつもラーメン単品で頼んでいたのだそうだ。
今日は、新一がいるから――と、甘えているらしい。
「……花梨が残す分を考えると……」
新一は花梨が残す前提で、自分の分を注文することにした。
注文を終え、店員が去った後のわずかな沈黙。
花梨がカバンからハンカチを取り出した拍子に、ちらりと例の小説が覗いた。
そのページの間には、夕方の店内の明かりを反射して、シルバーのブックマーカーが誇らしげに挟まっている。
(……本当に、肌身離さず持ってんのかよ)
一年前、「形に残るものは困る」と泣きそうな顔で拒んでいた彼女が、今ではそれを当たり前のように持ち歩き、日常の景色に溶け込ませている。
それを確認するだけで、新一の胸の奥は、これから出てくる杏仁豆腐の甘さよりもずっと甘酸っぱい何かで満たされていく。
「新ちゃん、どうしたの? お腹空きすぎて元気なくなっちゃった?」
覗き込むように顔を近づけてくる花梨の、宝石のような瞳。
「……っ、んなわけねーだろ。オメーが残す分まで食わなきゃならねーから、気合入れ直してただけだっ!」
慌てて視線を逸らし、新一はあえてぶっきらぼうに言い放った。
「は~食った食った。悪いな、奢ってもらっちまって」
「ううん! 今日、付き合ってもらっちゃったお礼! 組み立てまでしてもらって助かっちゃった♡ やっぱ新ちゃんは頼りになるね♡」
食事を終え、花梨の奢りで中華料理店をあとにした二人。
外は夜の帳が落ち、街灯が二人の足元を照らしている。新一は花梨をマンションまで送り届けてから帰宅予定だ。
「……んなの別にいいのに。いくらでも呼べよ。なんか他に困ってることはないか?」
今日、新一は花梨に呼び出され、江古田にやって来ていた。
カラーボックスを通販したので、受け取り時に立ち会ってほしい――という理由で……。以前、新一が「女の子の一人暮らしなんだから、通販したら受け取るときはオレを呼べ」と言っておいたからだった。
花梨は、「一人暮らしかどうかなんてわかんないよ」と笑っていたが、何かあってからでは遅い。
新一の忠告に、彼女は素直に従い、こうして度々呼び出している。
自分を頼りにする花梨に、新一はすっかり兄貴風を吹かせ、世話を焼いているのである。
とある日なんかは――。
「ねえ、新一、今日帰りにさ、新しくできたクレープのお店に行――」
ピピピピ……。
放課後、帰宅途中のことだ。
蘭と帰宅していた新一に、突然着信が入った。
表示されたのは「K」。
新一は、蘭と会うのはまだできないという花梨のために、「花梨」と登録はせず、「K」とした。
「K」の表示に新一の心臓が跳ねた。
蘭と一緒のときに、花梨からの着信は緊張が走った。
「っ、悪い、蘭。事件だ、じゃーな!」
「あっ、ちょっと新一ーー!?」
悪いことをしているわけではないというのに、新一は鳴り続けるスマホを手に、蘭から離れ、電話に出た。
『……あ、新ちゃん? 今、忙しい? またかけ直したほうがよかった?』
「はぁっ、はぁっ、……いや? 大丈夫。なんだ? 何かあったのか?」
『あ、えっとね――』
「――わかった。すぐ行くから」
花梨の呼び出しに、新一はそのまま走り出した。
「なによ、新一。事件ばっかり追いかけて……」
新一が笑っていたのを、蘭が離れた場所で首をかしげて見ているとも知らずに――。
そんな風に、花梨に世話を焼いてきた新一。
鬘を取って歩けば、誰もが振り返るほどの美人で、それでいて純粋無垢な世間知らず。一人にしたら誰かに声を掛けられ、碌な目に遭わないに決まっている。
やっと今の生活にも慣れて、少しずつ外に出るようになったのはいいが、まだまだ彼女には、自分がついていてやらないと――と、心配でたまらなかった。
「うん、家具も揃ったし、今のところはないかな~? それより新ちゃん」
「ん?」
「蘭ちゃんとはどうなってるの?」
「は?」
「最近、よく遊びに来てくれてるのはうれしいんだけど、ちゃんと、蘭ちゃんと仲良くしてる?」
突然、花梨に尋ねられ、新一は目を丸くする。
彼女は事あるごとに、蘭のことを持ち出してくる。
きっと花梨は、蘭に会いたいのだろう。
けれど、まだ勇気が出ない……といったところか。
それとも――?
「な……べ、別に蘭とは……そういうんじゃねーし……」
「ん~~? 私にはお見通しなんですけど?」
歩きながら花梨が上目遣いで新一をじっと見つめる。
街灯の明かりに照らされた彼女の金色の瞳がキラキラしていて、新一はつい見惚れた。
「……なにがだよ」
「……まあ、いいけどね。私、新ちゃんと会えるのうれしいし……♡」
「っ……」
小悪魔のような笑みを浮かべる花梨。
じっと見上げられて、新一の胸がドクンと音を立てた。
「っ、オメーはっ、すーぐそうやって無自覚に……っ!」
なぜだか顔が熱い。新一の頬が赤くなる。
けれど、そんな新一には気づかない花梨は、くるっと背を向けた。
「……あ! 新ちゃん、あれ見て! メロンパン! おみやげに買っていこうよ!」
「あっ、おい、花梨っ! 待てよ!」
メロンパンの店を見つけ、走り出す花梨。
「新ちゃんも早く~!」と笑う花梨の姿は、鬘も眼鏡もない、この世で自分だけが知っているはずの本当の花梨だ。
街灯の明かりに照らされて輝く白銀の髪と、自分を呼ぶ弾んだ声。
(……ったく、あいつ。外でこんな顔、絶対に見せるんじゃねーぞ。……オレ以外の男にはな)
自分の口から漏れた独り言の“熱さ”に、新一はハッとして、慌ててメロンパンの看板のせいにして走り出す。
蘭との時間を“事件”だと嘘をついてまで切り上げた後ろめたさは、確かにあった。
けれど、目の前で自分の名前を呼びながら、楽しそうに走る花梨を見ていると、どうしても足が彼女の元へと向かってしまう。
(来週の誕生日は、これよりもっと……お前が驚くくらい、幸せにしてやるからな)
その決意が“兄”としてのものなのか、それとも別の何かなのか。名探偵はまだ、その答えを出すことを、無意識に拒んでいた。
「新ちゃん、早く早く~! 売り切れちゃうよ~!」
「あー、わーったよ! そんなに走ると転ぶぞ!」
手招きする彼女を追いかける新一の顔は、秋の夜風に吹かれても、一向に冷める気配がなかった。