追憶の誕生日【完結】
-- Autumn, about 15 years old
①消えものの贈り物
江古田のマンション、最上階。
引っ越したばかりで家具もまばらなリビングに、新一が「東京に戻った祝いだ」と、ぶっきらぼうに大きな紙袋を提げてやってくる。
「花梨……これ。誕生日おめでとう。物はいらねーって言われてたけど、一応な」
「わぁ~♡」
新一が差し出したのは、彼なりに選んだであろう、シンプルなシルバーのブックマーカーだった。
読書好きの花梨なら使ってくれるだろうという、控えめな、けれど“残る”贈り物。
花梨はそれを手に取り、笑顔を見せながら、指先で冷たい金属の感触をなぞった。
(……新ちゃん。嬉しい、すごく嬉しい……でも――)
花梨の首が左右に振れる。
翳りが見え隠れする彼女の笑顔に、気づかない新一ではなかった。
「ごめんね、新ちゃん。これ、お返ししてもいいかな?」
「……は? なんでだよ。気に入らなかったか?」
「ううん。すごく素敵。……でもね。私、お腹に入って消えちゃうものが一番嬉しいの。形に残るものは、いつか、新ちゃんを困らせちゃうかもしれないから」
新一は眉を寄せて、探偵特有の鋭い目で花梨を見つめる。
「困る? オレが? なんでお前のプレゼントでオレが困るんだよ。別に高いもんでもねーし、意味わかんねーぞ」
「……ふふ、そうだよね。ごめん。……でもね、新ちゃん。私は、新ちゃんがくれた『美味しいお肉』で、私の身体が作られるのが一番幸せなんだよ」
真っすぐに見つめるその瞳に、花梨はふわりと微笑んだ。
自分がいなくなった部屋に、新一がくれたものが残るのが怖い。
それを見た新一が、「あいつ、いなくなったな」と一瞬でも悲しむくらいなら、最初から何もなかったことにしたかった。
結局、その夜は新一が買ってきた最高級の牛肉で、二人きりのすき焼きパーティーをすることにした。
「いい肉だからな。絶対美味いぞ、これ」と笑いながら鍋に牛肉を入れて焼く新一の顔を、花梨は心のアルバムにだけ焼き付ける。
新一が焼いた肉はちょっと焦げたが、準備ができて、さあ食べよう。
そんなとき――。
ふと、新一が箸を置いた。
グラスにジンジャーエールを注ぎ、花梨に渡す。自身も手にして居住まいを正した。
「あ~……なんだ。改めて言うけど、15歳の誕生日おめでとう、花梨。お前はここまでよく頑張った、えらいぞ」
“チンッ☆”
互いにグラスを傾け、小気味いい音が鳴る。
新一は小さく咳払いしてから柔らかく笑い、そう告げた。
「ありがとう、新ちゃん……だいすき……♡」
いつも不敵に笑う新一の優しい笑顔は貴重だ。
……この笑顔も覚えておこう――。
花梨は思い出を追加するように新一を見つめ、いつもの挨拶みたいな告白をする。
新一のことは、昔から大好きだ。
有希子も。優作も。阿笠博士も。
彼らは皆温かく、優しい。
心から大好きなひとたちだ。
好意だけは伝えたい。
そんな想いで、花梨は新一に毎度「すき」と伝えているわけだが……。
「ばっ……! だからオメーは、すーぐそうやって……!!」
新一の顔が真っ赤に染まった。
「あれ? 新ちゃん、照れてるの?」
「るせっ、バーロォ! こっち見んなよ……!!」
花梨から目を逸らす、新一の耳が赤い。
「ふふっ♡ 新ちゃん可愛い♡」
「うぐっ!」
頬杖をついて穏やかに微笑む花梨をちらっと見て、新一は心臓が強く跳ね、胸を押さえた。
……花梨の宝石の瞳があまりにも綺麗で、一瞬、見惚れてしまったのだ。
「なっ!!? な、何言ってんだオメーは!! お、男に可愛いなんて言うもんじゃねーだろっ……!?」
新一は突然席を立ち、走り出す。
「あっ、これから食べるのに、もう帰っちゃうの? 私、一人で食べるのさみしい……」
「ばっ……トイレだよっ! 先に食っとけ!」
逃げるなんて、らしくない。
わかってはいたが、新一はトイレに駆け込む。
(さみしいとか言うなよ……! ずっといてやりたくなるだろーが!!)
再会したときはびっくりした。
男だったくせに、本当は女の子だったなんて。
しかも、なんだよ。
あのビジュアルは……!
「っ……可愛すぎるだろ……っ!!?」
まだ慣れない、女の子の花梨。
思わず本音が漏れて、新一は慌てて口を手で覆う。
急にできた妹に、最近ペースを乱されがちだが、悪くはない。
むしろ、楽しんでいる自分がいた。
せっかくの誕生日。
記念に残る物を贈りたかったというのに……。
「なんで、消えものだけなんだ……? あいつ……」
(「意味わかんねー」なんて言ったけど、本当はわかってる。花梨のやつ、まるで明日にはここからいなくなるみたいな顔して笑いやがるんだ……)
親戚からどういう扱いを受けたらあんな風になるのだろうか。
新一の知る昔の彼女は、明るく人懐っこくて、時折泣くことはあっても、あんな
……彼女の生い立ちがあまりに不幸で、つい同情してしまう。
親戚の家から追い出された彼女は、孤独という寂しさは多少あるかもしれないが、今や自由の身。
もう、花梨は幸せになっていいはずだ。
多くは語らずいつも笑顔の花梨だが、きっと心の傷は深いのだろう。
これからはそばで見守ってやると新一は思っていた。
新一は小さく息を吐いた。
「……花梨、オメーはもっと、幸せになるべきだ」
独り言が漏れて、新一はトイレから出る。
ダイニングで待っていた花梨に「おまたせ」と言うと、彼女は安心したように柔らかく微笑んだ。
「…………食うか」
「うん……! お肉、新ちゃんのももらっちゃうから! 新ちゃんは、お豆腐としらたき多めね♡」
「なにー!? って、肉ほとんど入ってねーじゃねーか!!」
「えへへ~♡ いただきまーす!」
ダイニングテーブルの上には、すでにすき焼きが取り分けられていて、新一の皿には肉が少ししか入っておらず、手を合わせる花梨の皿には肉・肉・肉と申し訳程度のネギと豆腐。
すき焼きパーティーが始まった。
「野菜も食え! ほらっ!」
「やー! この野菜、さっきつまみ食いしたら変な味がしたんだもん」
「すき焼きに春菊は定番だろ!?」
「そうなの?」
「そうなの! って、なんでオレの皿に春菊大量にのっけてんだよ!? オメー、これ、自分の食い残し入れただろ……」
「ん? ……えへへ♡ ちょっと端っこかじっただけだよ?」
「えへへ♡ じゃねーわっ!」
初めて食べるという春菊の味に驚いた花梨は、慌てて新一の皿にそれを入れたらしい。
ジト目で「オレに寄こすんじゃねーよ!」とツッコミを入れる新一だが、そのまま春菊を食べた。
「……慣れれば食べられるようになるかな?」
「おう、好き嫌いはよくないぞ?」
「ん……わかった。食べてみる」
新一が改めて春菊を皿に入れてやると、花梨は少しずつ食べ始める。
慣れてくると、普通に食べられるようになり、食わず嫌いなのだとわかった。
「よし、ちゃんと食べれたじゃん」
「うん……。不思議な味だけど、嫌いじゃないかな。新ちゃんがよそってくれたからおいしく感じるのかも♡」
「っ……そーかよ。オメーは食わず嫌いなだけだ。好き嫌いせずに食えよ。でないと、大きくなれねーぞ」
花梨のおかわりをよそう新一の頬が赤い。
胸をくすぐる言葉をいちいち言ってくるから困る。
新一は、妹として、花梨が可愛くてしかたなかった。
「……もう、成長止まってると思うけど……」
身長は去年から伸び悩んでいる。
おそらくもうこれ以上伸びないだろう。
花梨は頭に手をのせ、目線だけ上に向けた。
「まあ、背はそうかもな。けど、いいんじゃねーの?」
「ん?」
「ちっこくて可愛いし……っ!! あっ、いやっ、そのっ! 妹分としてって意味な!?」
「……うん、わかってるよ~……♪」
新一から“妹分”と言われ、花梨はにこにこと目を細める。
彼にとって自分は、やっぱりどこまでいっても妹なのだなと思うと、ちょっぴり寂しさを感じた花梨だった。
食事を終えて、ケーキも食べ、二人だけの誕生日パーティーが終わる。
新一の帰り際――。
「なあ、花梨」
「ん?」
「お前は、消えものだけでいいっつったけどさ」
「うん?」
「……やっぱ、これ。貰っとけよ」
玄関で見送る花梨に、新一は上着のポケットに突っ込んだブックマーカーを取り出し、押し付けた。
「新ちゃん……」
「オメーに買ったんだ。いらないなら捨てればいいだろ?」
「捨てるなんてできないよ」
「じゃあ、持ってろ」
「新ちゃん……」
花梨は手元のブックマーカーを何とも言えない表情で見下ろす。
「……迷惑だったか?」
「ううん……うれしいよ? ありがとう……」
ブックマーカーを胸の前でぎゅっと握りしめる花梨。
彼女は今にも泣き出しそうな顔で、それでも微笑みながら新一を見上げた。
新一はそんな花梨の頭を、ぽんと撫で、笑う。
「ふ。最初からそう言って素直に受け取っとけっつーの! じゃあな!」
「あっ、気をつけて帰ってね」
「おー」
ぱたんとドアが閉じ、花梨の部屋をあとにした新一の頬はほんのり赤くなっていた。
(うれしそうな顔しやがって、可愛いやつ……)
温かい気持ちで家路についた新一。
花梨も閉じられたドアをしばらく温かな気持ちで見つめ、ぽつりと呟く。
「……大事なものが増えちゃったな……」
胸に抱く新一からの贈り物。
……そのブックマーカーは、まだ少しだけ冷たかった。