IF全員彼氏①:花梨閉じ込め大作戦【完結】
File.9:風見裕也の場合・後編
◇
次に目を覚ました時、視界に飛び込んできたのは、無機質な白を基調とした見覚えのある病室の天井だった。
視界の端で、窓からの白い光が優しく揺れ、俺の頬をふわりと細い髪がかすめた。
目覚めた俺の顔を、至近距離から覗き込んでいたのは――。
「あ……」
「あ……」
二人同時に、小さく声を発した。
「き、気が……つきましたか……!?」
「花梨……さん……」
そう、花梨さんだった。
ベッドのすぐ傍らに置かれたパイプ椅子に腰掛け、俺の様子を窺うように、神秘的な金色の瞳がじっと見下ろしていた。
……その美しく白い頬には、幾筋もの泣き跡が残っていた。
瞼も真っ赤に腫れ上がっている。
「よかった……っ、気がついて……本当によかった……!」
ふいに、ポロポロと大きな粒の涙が彼女の瞳から溢れ出し、俺の頬の上にぽたりと落ちた。気を失う寸前に感じた温かい涙は、幻などではなかったのだ。
俺はそっと、包帯を痛々しく巻き付けられた腕を伸ばし、彼女の頬を伝う涙を親指の腹でやさしく拭った。
「……泣かないでください……」
「……うっ、うっ……。命に別状はないって、お医者様が……っ。ぐすっ、でも……一ヶ月は絶対安静だって……!」
俺の怪我を自分のことのように悲しみ、申し訳なさそうに華奢な身を縮めて嗚咽する彼女。
……そんなに自分を責めて、泣かなくてもいいのに。
「そう、ですか……一ヶ月、ですか」
「っ、私のせいで……ごめんなさい……っ。ううん、本当に……ありがとうございました……! 今、零お兄ちゃんとヒロお兄ちゃんを呼んできますね! ずっとロビーで心配して待ってくださっているので」
花梨さんは溢れる涙を両手で拭いながら立ち上がり、くるりと踵を返そうとした。
「あ、ま、待ってください! ……っ、痛っ……!」
俺は慌てて身体を起こし、離れようとする彼女を引き留めた。激痛が肋骨を走る。
「え……!? あっ、風見さんっ! まだ動いちゃダメです……!」
「……よかったら、もう少しだけ……ここにいてくださいませんか……?」
「へ……? あ、はい……っ! 私で何かお手伝いできることはありますか? お水、入れましょうか!?」
「いえ、そういうことではないんです。ただ……もう少しだけ、ここにいてほしいだけなんです」
「それって……」
花梨さんが不思議そうに首をかしげる。俺は苦笑いを浮かべ、わざと冗談めかして言った。
「ははは。ほら……降谷さんたちが戻ってくると、不手際を盛大にお説教されてしまいそうですから……」
「あ……そうなんですか? ふふふ……。でも、うん、なんかわかるかも……」
花梨さんは納得したように席に戻り、くすくすと鈴を転がすような声で可愛らしく笑った。
……ああ、その笑顔だけで、癒される。
身体の痛みが薄れるようだ……。
俺は痛む身体を誤魔化しながら、静かにベッドから抜け出て立ち上がった。
「た、立ち上がって大丈夫なんですか!?」
「はは、少しだけなら。……ちょっと、何か冷たいものでも飲みたいなと思いまして……いてて」
「あ、それなら! 扉のすぐ横にある備え付けの小型冷蔵庫にお茶が入ってますよ。私チョイスで、いろいろ買っておきました。お好きなものをどうぞ♡」
朗らかな笑顔を見せながら花梨さんも立ち上がり、俺に自然と寄り添うように肩を貸してくれる。
すっと俺の懐に収まった彼女。甘く優しい香りにドキリとした。
彼女は、異能とはまた違う力――そこに存在するだけで人の心をほぐす、不思議な力を持っている気がする。
なんて優しい人なのだろうか……。
きっと、俺だから特別なのではない。
彼女は誰に対しても、こうして相手を思いやれる人なのだろう。
……同情するわけではないが、犯人は彼女の優しさを、自分だけに向けられたものだと錯覚したのだろう。
だが……それは決して許されることではない。
「そ、そうですか。ありがとうございます」
花梨さんと密着した部分から熱が広がっていく。
お近づきになれたことははっきり言って、嬉しい。だが、このまま密着しているわけにはいかない。
俺は点滴スタンドを押し、扉の前まで近づいた。
「自分で取りますから」と一言告げて、俺は小型冷蔵庫から花梨さんが用意してくれたお茶を取り出すと同時に――彼女に決して気づかれないよう、背後に回した手で病室の重い扉の鍵を静かに、カチャリと下ろした。
(……すみません、降谷さん。諸伏刑事)
心の中で、上司と同僚にそっと詫びる。
(……しばらくの間だけ、彼女と二人きりで過ごさせてください。……どうせ後で、盛大にお怒りになられるでしょうから。叱責なら、後でまとめてお受けします)
もう、彼女とこうして二人きりで笑い合える時間など金輪際、訪れないかもしれないのだから――もう少しだけ。
「花梨さん。お茶、どれがいいですか?」
「わあ♡ 私ももらっていいんですか?」
「もちろんです。色々買っておいてくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして♡」
包帯を全身に巻かれた痛々しい俺の姿を見て、花梨さんは最初は辛そうに眉をひそめていたが、俺が穏やかに笑ってみせると、すぐにいつもの太陽のような明るい笑顔を返してくれた。
……外から、この扉が厳格な上司と同僚によってこじ開けられる、その瞬間まで。
ほんの少しの間だけ、この温かく穏やかな時間を独占することを――どうか許してほしい。
おしまい☆
▽おまけの後日譚
――後日。
すっかり怪我も治り、現場復帰を果たした俺は、街で偶然にも花梨さんの姿を見かけた。
だが……その数メートル後ろから、怪しい男が忍び寄っているのを発見してしまったのだ。
この前、セーフハウスに現れた二メートルの巨漢とは、また別の男だ。
(……花梨さん、またストーカーを作ったのか……?)
遠目から彼女の様子を観察しながら、俺は心の中で深く深く溜め息をついた。
(あの子は……あまりにも無防備すぎる。……しかも無自覚に優しくて、どこまでも可憐で……無意識のうちに人の心を惹きつけてしまうのだ……)
俺が身構え、男を確保するために一歩踏み出そうとした、次の瞬間――。
(……あ。降谷さん……?)
どこからともなく現れた俺の上司が、死神のような恐ろしい形相で男の背後に迫り、俺が動く間もなく一瞬で怪しい男を取り押さえて逮捕したのだった。
そして――。
「花梨! 君は今後、外では笑顔禁止だっ!!!」
「えぇッ!? そんなぁ……っ!?」
街中で我が上司に理不尽な(?)お説教を食らっている、可憐なお嬢様。
花梨さんは小さな身体をキュッと縮こまらせ、「はい……はい……」と何度も首を縦に振りながら、しゅんと落ち込んでいた。
……困惑して落ち込んでいるそんな姿すらも、どこまでも愛らしくて可憐なのだから、本当に目が離せない。
また彼女の警護の任務が下りてきたら――今度こそ、誰よりも完璧に守り抜こうと思う。