IF全員彼氏①:花梨閉じ込め大作戦【完結】
File.9:風見裕也の場合・中編
◇
無事にセーフハウスへ到着し、荷物を下ろしたところで、花梨さんが申し訳なさそうに俺を見上げてきた。
「あの、風見さん……。今夜の夕食の材料を買いに行きたいのですが……」
「いいえ、花梨さん。外出は危険です。俺が行ってきますので、花梨さんはここで鍵をかけて待っていてください。欲しいものをリストに書き出していただけますか?」
「え……でも、風見さん今日もお忙しいのに……」
「これが俺の仕事ですから。それに、あなたを一人で外に出すわけにはいきません」
俺がそう言うと、花梨さんは「……ありがとうございます」と控えめに微笑み、メモ用紙にいくつか必要な食材を書き留めて渡してくれた。
彼女をセーフハウスに残し、俺は近くのスーパーへと向かった。
頼まれた食材をカゴに入れながら、胸の奥がじんわりと温かくなった。
……まるで、新婚生活でも送っているかのような錯覚。
バカなことを考えている場合ではないと首を振るが、彼女の優しさに触れるたび、理性が揺らぐのを感じていた。
買い出しを終えてセーフハウスへ戻ってきた瞬間、俺の全身の血が凍りついた。
(……なっ……!?)
セーフハウスの玄関のドアが、わずかに開いている。
オートロックのはずだ。花梨さんが自ら開けたか、あるいは――。
脳裏に最悪のシナリオが跳ね上がる。買い出し袋をその場に投げ捨て、俺は腰のホルスターに手を伸ばしながら、音を殺して静かにセーフハウスへ踏み込んだ。
リビングから、激しい物音と男の怒鳴り声が聞こえる。
「大人しくしろ!! 俺のところへ戻ってくればいいんだよ!!」
「嫌っ……! 放してっ!! 戻ってもなにも、私あなたのこと知らな――」
目に入った光景に、俺の血の気が引いた。
リビングの中央で、体格の大きな男が花梨さんの手首を掴み、押し倒そうとしていたのだ。
腰のホルスターへ伸ばした手が止まる。
銃を抜けば、あの男を制圧することはできるかもしれない。
だが――今、男の腕の届く距離には花梨さんがいる。
興奮状態の相手を刺激すれば、追い詰められた男が何をするかわからない。
公安として最優先すべきは、犯人の確保ではない。保護対象である彼女を無傷で救出することだ。
だから俺は、銃ではなく、自分自身を盾にすることを選んだ。
「花梨さんっ!!」
俺は一直線に駆け出し、不意を突いて男の脇腹へ鋭い蹴りを見舞った。
「ぐはっ……!?」
男が花梨さんを放して体勢を崩した隙に、俺は彼女を抱き寄せて自分の背中へと隠した。
「大丈夫ですか、花梨さん!?」
「か、風見さん……っ!?」
花梨さんを背に庇いながら、正面の男を睨みつける。
……デカい。
身長は二メートル近くあり、丸太のように太い腕の筋肉には尋常ではない圧迫感がある。プロの格闘家か、あるいは……。
「テメー……警察か……!? 邪魔すんじゃねぇ!!」
「花梨さんっ! 今のうちに逃げてください!」
「でも、風見さんが……っ!」
「早くっ!!」
「っ! 今、零お兄ちゃんたちを呼ぶから……!!」
花梨さんは意を決したように頷くと、テーブル上のスマホを掴み、リビングから廊下へと飛び出していった。
「待てっ! 逃げるな花梨!!」
暴漢が花梨さんを追おうと走り出す。
「行かせないっ……!!」
俺は男の胴体に低い姿勢でタックルをかまし、その足を必死で抱え込んだ。
「放せっ!! テメー、邪魔すんじゃねぇええええ!! あの女は俺の女だぞ!? 花梨! 戻ってこい!!!」
“ドゴッ!!”と重い衝撃が俺の顔面に走り、視界が真っ赤に染まる。
男の太い腕から繰り出される拳が、容赦なく俺の顔面や背中を叩きのめしていく。
(……ぐ、ぁっ……!! 俺の女、だと……!?)
激痛の中で、俺の脳が高速で回転する。
(なにを勝手なことを……!! いや……そう吐き捨てるということは、組織的な犯行ではない……!?)
この一週間の警護は、最近彼女の周りで不穏な動きがあったからついたものだった。
彼女の持ち物が消えたり、足音がついてきたりと、ストーカーによる犯行を思わせる特徴が多かった。そのためストーカー寄りの犯行と仮定して捜査を進めていたが、まさか公安のセーフハウスまで調べ上げ、こんな暴挙に出るとは……!
初めは個人なのか組織的なものなのか判断がついていなかったが、奴の言葉ではっきりした。
個人的な感情による犯行――だからこそタチが悪い。花梨さんを求めるその狂気じみた執念は凄まじいものだった。
「クソがッ!! 死ねよお前!!!」
何度も何度も顔面を殴られ、視界が歪む。口の中に血の味が広がり、意識が遠のきかける。
だが……ここで俺が倒れたら、あんなに可憐で優しい花梨さんが、この化け物のような男に惨い目に遭わされてしまう――!!
「っ! 絶対行かせません……!!!」
俺は全身の力を振り絞り、男の腰に腕を固く回してしがみついた。
「花梨さんは……俺の命に代えても、絶対守るっ!!!!」
「離せぇええええッ!!!」
男の拳が何度も俺の頭部や背中に振り下ろされる。肋骨が折れる嫌な音が響き、息が詰まる。
だけど、腕の力だけは絶対に緩めなかった。
降谷さんから押し付けられた激務で体はボロボロだったが、そんなものは関係ない。
個人的な感情が混じっていることは、とっくに自覚している。
それでも俺は公安捜査官だ。彼女を守ることは、俺が果たすべき任務でもある。
そして何より――彼女を守りたいという一心だけで、俺の身体は動いていた。
「離せッ! 離せよポリ公ーーっ!!!」
「がっ……は……っ、絶対に……っ……!」
意識が途切れそうになるたび、歯を食いしばって男にしがみつく。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ドタバタと、複数の足音がセーフハウスの廊下を激しく響かせて近づいてくるのが聞こえた。
「――そこまでだ!!!」
「風見っ!!」
「風見さんっ!!」
聞き慣れた上司の声、そして諸伏刑事の叫び声。
続いて、半狂乱になった花梨さんの泣き声が耳に届く。
直後、俺がしがみついていた暴漢の身体が、降谷さんと諸伏刑事の鮮やかな連携によって一瞬で叩き伏せられ、ガチャンと手錠の音が響いた。
(……よかった……。花梨さんは……無事だ……)
「風見! しっかりしろ、風見!!」
「風見さんっ!! 私のために……ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!」
自分を抱きかかえる降谷さんの声と、俺の手を握りしめておいおい泣く花梨さんの温かい涙が、頬にポタリと落ちてくるのを感じた。
(……泣かないでください、花梨さん……。あなたを守れて……よかった……)
安全を確信した瞬間、張っていた緊張の糸がぷつりと切れ、俺の視界は完全な暗闇へと落ちていった。