チョコレート・ミステイク【完結】

-- Winter, about 17 years old
チョコレート・ミステイク②







 そして、運命の二月十四日。
 江古田高校の教室は、朝から異様な熱気に包まれていた。


「紅子様ぁぁっ! チョコ、チョコを僕にください……!」

「ああ、紅子様……! 一生ついていきます!」


 教室の中心では、小泉紅子が女王のように君臨していた。
 彼女が気まぐれにチョコレートを差し出すたび、男たちは瞳を虚ろにし、魂を抜かれたように彼女の足元へ跪いていく。


(フフ……。そうよ、世界中の男は私の虜。……あとは、あの黒羽快斗、貴方だけよ)


 紅子が勝ち誇ったように教室を見渡すと、そこへ騒がしく快斗がやって来た。
 腕にはすでに他の女子からもらった大量のチョコを抱えている。


「おー、相変わらずすげーな! あーか子ちゃん♡ オレにもくれよ!!」


 いつもの軽い調子でチョコをねだる快斗に、紅子は口角を妖艶に上げた。
 指先で真っ赤な包みのチョコを弄び、快斗を挑発するように見つめる。


「フフ、黒羽くん。私のチョコレートがほしければ……今抱えているそのはしたないチョコを、すべて捨てるのね……」

「はあ? 捨てる? なんでだよ、もったいねーだろ」


 紅子の命令ゆうわくをさらりとかわし、快斗は鼻を鳴らした。


「悪いけど、今年は数で負けるわけにいかねーんだ。……あいつにだけはよ」


 快斗の視線の先――教室の隅に、人だかりができていた。
 たまにしか学校に姿を見せない、どこか浮世離れした雰囲気を持つ少女、葵花梨。

 彼女の周りには、紅子の魔力に中てられているはずの男子生徒数人と、さらに女子生徒たちまでもが集まり、次々と花梨にチョコレートを捧げているのだ。


「これ、よかったら食べて! 花梨ちゃんとお友達になりたいの!」

「葵さん。お近づきの印に……あ、僕のも!」

「わぁ、いいの? ありがとう、嬉しいな~♪」


 花梨がふわふわと微笑むたび、その場に春の陽だまりのような温かい空気が広がる。
 そこへ、騒ぎを聞きつけた白馬探がスマートに割って入った。


「花梨さん。本日は格別の趣向を。英国の伝統あるショコラです。……どうぞ♡」

「あ、白馬くん! ありがとう、おいしそうだね♡」


 白馬が花梨の手を取り、優雅にチョコを渡す光景に、快斗の額に青筋が浮かんだ。


「チッ、あのキザ野郎……。おい花梨! あんまりホイホイ受け取ってんじゃねーよ!」

「えー? だって、みんな優しくしてくれるから……」


 快斗が慌てて花梨の元へ駆け寄っていく姿を見て、紅子は目を見開いた。


(なっ……!? 白馬探までもが、私の誘惑を無視してあんな娘に……!?)


 紅子の魔術は「男の欲望」を煽るもの。
 だが、花梨の周りにいる男たちの瞳には、淫らな欲望ではなく、ただ純粋な「親愛」と、守ってあげたくなるような「癒やし」の光が宿っている。

 ……それは欲望を焼き尽くす、清冽な祈りにも似た光。
 魔術を介さずとも、ただそこにいるだけで人の心を浄化してしまう『神性』のようなものに、紅子は戦慄した。


(……葵花梨……! 一体、何者なの!? 私の魔術が……一部とはいえ、男たちに効いていないなんて……!)


 紅子は、花梨の鞄から微かに聞こえる小さなノイズ(快斗の盗聴器)や、彼女が放つ不思議な清涼感に、魔女特有の直感で危機感を抱く。


(お気に入りのおもちゃだと思っていたけれど……。あんな無垢な笑顔で、私の下僕たちを横取りするなんて……! おのれ、葵花梨……許さないわ……!)


 紅子が嫉妬の炎を燃やしているとも知らず、花梨は「快斗、はい! 一緒に食べよ♡」と、もらったばかりのチョコを快斗の口へ放り込む。


「んぐっ……!? ……ったく、めーっちゃ甘いな、これ」


 そう言いながらも、快斗の顔はこれ以上ないほどだらしなく緩んでいた。









 ……昼休み。
 教室の喧騒を離れた中庭のベンチで、花梨がもらったチョコの山を整理していると、背後から冷ややかな影が伸びた。


「葵さん……。貴女、自分がどれほど不敬なことをしているか、分かっているのかしら?」


 セーラー服を、まるでドレスのようになびかせ、紅子が傲然と立ちふさがる。その手には、禍々しいほどに美しい漆黒の包みのチョコレート。


「あ、小泉さん! どうしたの?」

「フフ……。貴女に、魔女の『本物』を教えて差し上げようと思ってね。このチョコレートを口にした者は――」


 紅子が妖艶に笑い、魔力(誘惑)を最大限に高めて花梨を支配しようとした、その時。


「ふふっ、ちょうどよかった! 小泉さん、見て見て! このチョコレートすっごくおいしかったの♪」


 花梨は紅子の言葉を一切無視して、自分が開封していた最高級ショコラの一粒を差し出した。


「小泉さんにも1つあげるね。はい、あーん♡」

「なっ……!? わ、私を誰だと思って……っ、あ、あーん」


 逆らう間もなかった。
 花梨の真っ直ぐな瞳に見つめられ、紅子は反射的に口を開けてしまった。
 濃厚なカカオの香りと、花梨の指先から伝わるような不思議な温もりが口内に広がる。


「……ンッ! ウマッ♡♡」


 あまりの美味しさに、思わず素の反応が出てしまう。


(……って、なんなのよ!? なんで私、素直に口開けちゃったわけ!? この私が、他人のチョコを恵んでもらうなんて……!!)


 紅子が顔を真っ赤にして困惑していると、花梨はさらに追い打ちをかけるように優しく微笑んだ。


「小泉さん、たくさんの人にチョコレートを用意するの、大変だったでしょ? 朝から一生懸命配ってて、すごかったなぁ。だから、私からはプレゼントするね!」


 花梨はチョコの山から、自分が特に「おいしい!」と感じたものをいくつか厳選し、紅子の手に握らせた。


「あ、これ、人からもらったものだから……みんなにはナイショね? はい、どうぞ♡」


 眩いばかりの、一点の曇りもない笑顔。
 その瞬間、紅子の胸の奥で、何かが激しく「トゥンク」と鳴った。


(な、なんなのこの子……。毒気がないというか、毒を吸い取られているような……!?)


 本来なら呪いにかけるはずの相手だったのに、気づけば紅子の心からは嫉妬も殺意も消え失せる。
 代わりに花梨の笑顔に、生まれて初めて「女の子としての友情」のような温かさを感じてしまった。


「……っ。わ、悪くないわね。……ふん、特別に、私のチョコも……もらいなさいよ……」


 紅子は頬を林檎のように赤く染め、本来は快斗を跪かせるために用意したはずの漆黒のチョコを、ぼそっと呟きながら花梨に手渡す。


「えっ、小泉さんのチョコ……? いいの? 嬉しい♡ ありがとう!」


 花梨に手を握られ、さらに赤くなる紅子。


「ちょっと待ちなさい、今解除するから」

「解除? あ、開封してくれるのね。小泉さんて優しいね」

「なに言ってるの。いいこと? これはね……」


 紅子は花梨にこっそり耳打ちした。

 ……その様子を遠くから盗聴器と双眼鏡で見ていた快斗。
 二人のコソコソ話は聞き取れなかったが、レンズ越しの紅子は花梨に笑顔を見せていた。


「紅子まで攻略されてんじゃねーか! 負けねーぞ! 1・2・3……」


 快斗は手元のチョコレートを数える。
 花梨がもらったチョコレートは今いくつだろうか。


(オレもチョコを渡すから、1つ分ハンデになるな)


 花梨の監視はこれくらいにして、次なるチョコを求め、快斗は走り出すのだった。



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