君に渡した第二ボタン

-- Spring, about 16 years old
君に渡した第二ボタン①


 中学三年の終わり――。
 まだ冬の空気を引きずる晴れ渡った空の下、オレは卒業式を終えてコートを羽織り、少しだけ物寂しい空気に包まれた校舎を走っていた。


「あ! 新一~! これから園子たちとみんなで、卒業記念にカラオケ行こうって言ってるんだけど」

「悪い蘭っ! オレはパス!」

「――え、ちょっと新一ー!? どこ行くのよ~~!?」


 呼び止める蘭を素通りし、オレは一目散に昇降口へ。


「もうっ……第二ボタン取っておいてくれたんなら、置いていきなさいよね……」


 ……蘭が言った言葉はオレには届かなかった。

 オレの学ランのボタンは、第二ボタン一つだけを残し、すべて取られてしまっている。
 最後の一つはどうしても渡したくなくて、死守した。

 ……卒業したら、あいつに渡してやると決めていた。


「はぁっ……あいつも卒業なのに……」


 走りながら取り出したICカードをタッチして、米花駅の自動改札を通り、電車に乗り込む。


「はぁっ、はぁっ……」


 オレが乗り込んだ途端、扉が閉まった。


『駆け込み乗車は危険ですので、お止め下さい』


 アナウンスが流れてマズいと思ったが、周囲から注がれる視線に軽く頭を下げる。
 まだ昼前で、車内は思ったより空いていた。

 座席に腰かけると、自然と手が制服の最後のボタンを握りしめる。


(一人でいるんだろ……?)


 秋に再会した幼なじみは、学校に行っていない。
 確か彼女の卒業式も、オレと同じ日だったと記憶している。


『え? 卒業式?』

『そ。オメーの中学はいつなんだ?』

『ん~……たぶん新ちゃんと同じ日だったかと……。どうして? 出席しないからどうでもいいと思うけど……』

『どうでもいいって……』


 幼なじみの彼女――花梨に尋ねたら、なんでもないことのようにサラッと流された。
 卒業式っていうのは、人生の大切な節目だとオレは思っているんだが、花梨にとってはそうではないらしい。
 彼女は心底どうでもよさそうに、顔色一つ変えずにすぐ本を読み始めた。

 卒業証書はあとから送ってもらうからいいんだと。
 式には出席しない。
 だから今日、花梨は家に一人だ。

 胸が少し痛む。
 あいつが独りで過ごす昼下がり――本を読みながら、きっと何も変わらず静かに時間を過ごしている。
 そんな姿を想像しただけで、オレの心臓がギュッと締め付けられる。

 ……あいつは、ずっと一人だった。

 母さんに頼まれたってのもあるが、オレはそんな花梨を放っておけなくて、世話を焼いてきた。
 それこそ妹のように。

 四月から、あいつはオレとは違う高校に行く。
 オレは帝丹で、あいつは別の場所で。
 この距離が、なんだか耐えられない気がする……。


(なんでこんなに、心がざわつくんだ……?)


 考えても答えは出ない。

 花梨は人見知りが激しいから、心配だ。
 もし、髪が鬘(かつら)だとばれたら、あのビジュアルだ。見た目に釣られて寄ってくる男も多いだろう。
 オレがそばにいないのに、大丈夫だろうかと今から不安でしょうがない。

 けれど、あいつが決めたことだから、オレは尊重する。


「けど、なんかヤなんだよなぁ……なんで帝丹じゃねぇんだよ……帝丹にくればよかったのによ……」


 知らぬ間に口から出ていた。


「……ハッ。なんだ……?」


 思わず出た言葉に自分で驚く。

 “なんかヤ”って、何が嫌なんだよ……?

 自問自答してみたが、わからない。
 最近のオレは少々、おかしいかもしれない……。

 そう――最近、蘭のことよりも、花梨のことを考える時間が増えているんだ。

 オレの胸の奥で、何かが芽生え始めてる気がする。
 それに気づくのは、もう少し先の話だった。




◇




 花梨のマンションに着いて、ドアの前でインターホンを押すと、彼女がふんわりとした笑顔で出迎えた。
 この笑顔を見ると、なぜかほっと癒される。


「新ちゃん、中学卒業おめでと~♡ って、わっ!? ちょっと新ちゃん! ボタンほとんど取れちゃってるよ? どうしちゃったの?」


 オレの姿を見た花梨は驚いた顔で目を丸くした。
 さっきはコートに隠れていて、よく見えなかったのだろう。

 よく見ると、オレのボタンは第二ボタンしか留まっていない。


「おめでと~って、なにを暢気に……卒業はお前もだろ。取られたんだよ」

「なんで!?」


 呆れるオレに、これまたびっくりした花梨の顔。
 うん、こいつ……卒業式のボタンの扱いをわかっていない。

 オレですら知っているというのに、疎すぎるだろ……。

 なんか知らんが、花梨はオレを憐みの目で見てきた。
 花梨のことだ、寒そう……とか思ってそうだ。


「なんでってー……んっ! 最後の一つ、お前にやる」

「え?」


 オレは最後のボタンを握りしめ、ブチっと勢いよく引きちぎる。
 そうして、花梨にそれを渡した。


「なんで私に?」

「……蘭に渡せなかったから」

「??? そ、そうなんだ……?」


 両手で受け取った花梨は、手元のボタンを見下ろし首をかしげる。


「お前は式に出てねぇんだから、卒業記念に貰っとけ。どうせ余りモンだしな」

「はぁ……それは、どうも……?」


 ううむ……これ、本当にわかってねぇな……。

 そんな花梨の態度に、オレの胸はずきっと痛んだ。


(……なんだ今の……?)


 突然の胸の痛みに、オレも首をかしげた。


「大事にしろよ?」

「よくわかんないけど、大事にするね! ありがとうっ!」

「っ」


 不意打ちに弾けるような笑顔を向けられて、オレは息を呑む。
 花梨の笑顔が眩しく見えた。


「ね、新ちゃん」

「ん?」

「ケーキ買いに行かない?」

「なんで?」

「卒業のお祝い! 新ちゃんの義務教育が終わったかと思うと、お母さんはうれしくて……うぅっ」


 花梨のヤツ、目元を押さえて嘘泣きしてやがる。

 ……なんだ、それ。
 なんで世話してる側のオレが祝われる側なんだよw


「だーれが母親だよっ! っつーか、だから、卒業はオメーも一緒だっての!」


 くすりと笑いつつ、ピシッといつもの、おでこにチョップを入れてやった。


「いたっ! あはは~。まぁ、そうなんだけどね~。新ちゃんのお祝いしてあげたくて。有希子さんたち、戻るの来週でしょ? やっぱり当日にお祝いしたほうがいいかなって」


 額を押さえながら、花梨は明るく笑ってる。
 自分のことなんか、どうでもいいみたいな顔で。

 ……花梨は他人のことばっかりだ。



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