凜

05:犯人はオレ自身


【新一視点】


◇




「……はぁ、はぁ……」


 荒い息遣いだけが、静まり返ったリビングに響く。
 ソファの上で、凜はオレの腕の中に、脱力したように身を預けていた。

 上気した白い頬。開かれた薄い唇。
 金色の瞳は、瞼に隠されて、何を思っているのかは分からない。

 頭の中は、今さっきまでの熱狂で真っ白だ。
 ただ、一つだけ確かなのは、目の前のこいつを抱いてしまった――ということ。

 やっちまった……。
 オレは、何てことを……。

 じんじんと熱を持った肉体が、時間が経つにつれて急速に冷えていく。
 同時に、胸の奥底から、鉛のように重い罪悪感が込み上げてきた。


「……っ」


 緩やかに寝息を立て始めた凜を、オレはそっと抱き上げて、ゲストルームのベッドへと運んだ。

 白いシーツに沈む、無防備な寝顔。
 昼間、あんなにオレを翻弄した妖しさは鳴りを潜め、まるで天使のようだ。

 ……天使なわけ、ねーだろ。

 オレは、こいつの過去を知っているわけじゃないが、あの「隙」の多さは、経験者の余裕か?

 いつの間にか魅入られたように、眠る凜の陶器のような頬に手が伸びる。その肌に触れる寸前で、ピタリと止まった。


「っ、なにやって……!」


 だめだ。
 これ以上こいつに触れるな。

 言い聞かせるように自分の部屋に逃げ込み、デスクの椅子に身を沈め、オレは天井を仰いだ。


 ――そもそも、男同士じゃねーか。


 オレは、女が好きだ。
 蘭が好きだ。
 ずっと、そう信じて生きてきた。

 なのに、なんで……なんで、あんなことになったんだ?

 凜は、可愛い。
 昔から、女と見紛うほどに可愛かった。
 だけど、まさか、そんな感情を抱くなんて、夢にも思わなかった。

 一時の雰囲気に流された?
 いや、違う。

 あの瞬間の、胸の疼きは、理屈じゃないものだった。
 まるで、ずっと前から決まっていたかのように、自然に、体が動いた。

 ……まさか、オレは、同性愛者だったのか?
 それとも、凜だから、なのか?

 考えれば考えるほど、泥沼にハマっていく感覚だ。
 時計の針が、静かに深夜を刻む。

 眠れないまま、オレは、自分の感情と、目の前で眠る“幼なじみ”という名の事件を、徹夜で推理し続けた。

 ……だが、どんな難事件でも、解決の糸口は必ずある。
 しかし、この事件の犯人が、まさか“オレ自身”だとは、思いもしなかった。

 夜が明けるまで、オレの頭の中は、答えの出ない問いで埋め尽くされていた。
 あの時、蘭の名前を出した時の凜の「可愛いよね、彼女」という、どこか遠い目。

 あれは、きっと、本当のことだったのだろう。

 ……そう。
 オレが一方的に、深みにハマっただけ。

 朝焼けが、部屋の窓から差し込む頃。
 オレは、ある結論に辿り着いていた。

 これは、工藤新一、人生最大の誤算だ――。










 翌朝、庭にやってきた鳥たちのさえずりが聞こえる中、昨夜から椅子に座ったままだったオレは、静かに立ち上がった。

 結局、一睡もできなかった。
 鏡を見れば、目の下にはうっすらとクマが浮き出ている。

 ……高校生探偵、一生の不覚だ。


(……なんて顔してあいつに会えばいいんだよ)


 リビングに降りる足取りが重い。
 昨夜の感触が、唇の熱が、まだこびりついて離れない。
 謝るべきか、それとも「事故だ」と切り捨てるべきか。

 葛藤しながらダイニングの扉を開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。


「あ、新ちゃん。おはよう」


 エプロン姿の凜が、フライパンを片手にくるりと振り返る。
 窓から差し込む朝日に、白い髪がキラキラと透けて、昨夜の熱っぽい空気なんてこれっぽっちも感じさせない、爽やかな笑顔。


「……オメー、何やってんだ」

「勝手にキッチン借りたよ。冷蔵庫に卵と厚切りベーコンがあったから。ほら、新ちゃんも座って。すぐできるよ」


 トントントン、と手際よく野菜を刻む音。
 漂ってくるコーヒーの香ばしい匂い。

 ……毒気が抜ける。

 というか、拍子抜けだ。
 オレが一人で地獄の底まで悩んでいたっていうのに、こいつは……これかよ。


「……昨日のこと、だけどよ」


 意を決して切り出すと、凜は「はい、どうぞ」と、これ以上ないくらい完璧な盛り付けの朝食プレートをオレの前に置いた。
 そのまま、ひょいと顔を覗き込んできた。


「昨日のこと? ああ、新ちゃん、キス下手だったね」

「っぶーーー!!」


 口に含んだばかりのコーヒーを吹き出しそうになった。
 こ、こいつ……!


「なっ、オメー……!!」

「あはは、嘘だよ。……でも、新ちゃんがあんなに熱くなるなんて思わなかったから、ちょっとびっくりしたかな。気持ちよかったし、嬉しかったよ?」


 凜はオレの向かい側に座り、トーストを齧りながら、まるで今日の天気を話すような軽さでそう言った。

 金色の瞳には、罪悪感も羞恥心も、カケラほども見当たらない。
 ただ、オレを翻弄することを楽しんでいるような、飄々とした光だけがある。


「……っ、オレはっ、本気で悩んで……!」

「そんなに難しく考えないでよ、新一。僕たちは幼なじみで、再会して、ちょっと気分が盛り上がっただけ。……でしょ?」


 ――盛り上がっただけ。


 そう。

 探偵の推理としては、それが一番“論理的”な答えだ。
 だけど、そう言いきる凜の唇が、昨夜オレが塞いだ場所だと思うと、胸の奥がキリキリと鳴る。


「……オメー、他にもあんなこと、してんのかよ」

「んー、どうだろうね?」


 凜はいたずらっぽく笑って、自分の唇に指先を当てた。
 その仕草だけで、オレの理性がまたしても危うくなる。


「あ、そうだ。今日、蘭ちゃんに会わせてくれるんだよね? 楽しみだなあ、素敵なレディになってるんだろうね」


 凜の言葉に、オレの背筋は凍りついた。

 こいつ……このまま蘭に会わせたら、あいつの初恋どころか、人生ごと掻き乱されるんじゃねーか……!?



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