凜

04:工藤邸の熱帯夜


【新一視点】


 あの後、オレは凜を連れて自宅に戻って来た。
 母さんは、久しぶりに見た凜にメロメロになってた。父さんまでも黙り込んで、目を見開いたかと思ったら、じっと凜を見てたな。


「じゃあ、母さんたちはホテルに泊まるから。凜くん、ゆっくりして行ってね! 新一、凜くんのお布団頼んだわよ」

「ああ、凜くん。さっき頼まれたサインだが、新刊に書いておいたよ。ほら、持って帰るといい」

「ありがとうございます。有希子さん、優作さん」


 凜が、父さんからサイン入りの新刊を手渡され、頭を下げる。
 父さんと母さんは東京湾クルーズを予約してるとかで、クルーズが終わったら、今夜はそのまま近くのホテルで泊まるとのこと――。

 東京に戻って来て間もないという凜。
 結局、凜の家がまだ片付いていないとかいう理由で、母さんの「じゃあうちに泊まればいいじゃない!」という鶴の一声により、凜はオレの家に泊まることになった。

 ……ったく、あいつのペースに巻き込まれっぱなしだ。

 オレはリビングのソファで、落ち着かない気分を紛らわすようにミステリー小説を広げていた。
 だが、文字がちっとも頭に入ってこねぇ。
 さっきから、脱衣所のほうから聞こえるシャワーの音が、やけに鼓膜に響きやがる。


「……あー、クソっ。集中できねぇ」


 パタンと本を閉じた、その時だった。


「ふぅ……。新一、お待たせ。お風呂、借りたよ」


 リビングの扉が開いて、湯気と一緒に凜が現れた。
 ……その姿を見た瞬間、オレの心臓は今日一番の音を立てた。


「っ……オ、オメー……っ!!」

「ん? なに?」


 凜は、オレが貸した大きめのTシャツ一枚に、短パンというラフすぎる格好。

 だが、問題はそこじゃねぇ。
 風呂上がりで少し上気した肌。濡れた白い髪が首筋に張り付いて、そこから滴り落ちる雫が、鎖骨のくぼみを伝ってTシャツの襟元に消えていく。

 おまけに、さっきまでしてたミントの香りに、石鹸の匂いが混じって、リビングの空気が一気に“凜”に染められた。


「……髪、ちゃんと拭けよ! 床が濡れるだろ!」

「あはは、ごめん。新一、拭いてくれる?」


 凜はソファに座るオレの膝の間に、すとん、と腰を下ろした。


 ――おい、距離感がおかしいだろ、距離感が。


「……。自分でやれよ」

「手が疲れちゃってさ。お願い」


 そう言って、凜は無防備に後頭部をオレに預けてくる。

 ……仕方ねぇ。
 オレは乱暴にタオルを掴むと、あいつの頭に被せてワシワシと動かした。


「いたっ、新一、力が強いよ」

「るせー、これくらいが丁度いいんだよ」


 タオル越しに伝わる、凜の頭の形。そして、時折触れる耳の熱。
 あいつは気持ちよさそうに目を細めて、オレに背中を預けきっている。


「……ねえ、新一」

「……あ?」

「……僕のこと、まだ“苦手”だと思ってる?」


 ふいに、声のトーンが落ちた。
 凜の顎がゆっくりと上を向いて、金色の瞳が至近距離でオレを捉える。
 濡れた睫毛に縁取られたその瞳は、昼間よりずっと深く、色濃く、オレの姿を映していた。


「……、……当たり前だ。振り回されてばっかで、イライラするんだよ」

「へえ。……でも、新一の鼓動、さっきからすごく速いよ?」

「っ!!」


 振り返った凜の白い手が、オレの胸元にそっと触れた。
 Tシャツ越しでも分かる、あいつの指先の温度。

 オレの心臓は、あいつに指先一つ触れられただけで、裏切り者のようにさらに速度を上げた。


「……怒ってるから速いのか、それとも……」


 凜は膝立ちになって、オレの顔を両手で挟み込む。

 ……逃げ場がねぇ。

 潤んだ唇が、目と鼻の先で、弧を描く。


「……新一。……昼間の続き、今度は『やめとこっか』って言わないけど……どうする?」


 煽るような、試すような、とびきり甘い囁き。

 こいつは分かってやってるのか?
 それとも本当に天然なのか?

 推理力なんて一瞬で吹き飛んだ。
 オレは凜の細い腰を引き寄せると、震える声で吐き捨てた。


「……後悔しても、知らねーぞ」


 低く、少し掠れた声でそう告げると、オレはさらに腕に力を込めた。
 膝立ちになっていた凜の体が、ぐらりとバランスを崩し、ソファに座るオレの胸へと倒れ込んでくる。


「ん……っ」


 抗う様子もなく、そのまま腕の中に収まった凜の体温が、Tシャツ越しにもはっきりと伝わってくる。
 ふわりと舞い上がった白い髪が、オレの頬をくすぐった。


「……新ちゃん、そんなに焦らなくても……」


 潤んだ金色の瞳が、甘く細められる。


 ――もうダメだ。


 こいつの“無自覚(?)”な挑発は、オレの理性の限界を完全に超えていた。
 オレは凜の細い背中に手を回し、ソファへと押し倒した。
 ばさりと、Tシャツの裾が捲れて、白い腹筋が露わになる。


「っ、新一……!?」


 驚きに見開かれた瞳が、戸惑うように揺れた。
 だが、オレは構わず、その体を覆い隠すように覆いかぶさる。


「……焦ってるのは、どっちだよ」


 鼻先が触れるほどの距離で、吐息が絡み合う。
 石鹸とミントの混ざった甘い香りが、オレの思考を溶かしていった。

 重なる、唇。
 昼間の寸止めとは違う、深く、熱を帯びたキス。


「ん……ふ、んん……っ」


 凜の小さなうめき声が、オレの鼓膜を震わせる。
 柔らかい唇を吸い上げると、凜の背中が弓なりに反り、白い指先がオレの肩を掴んだ。
 初めての感覚に、頭の中が真っ白になる。

 キスが途切れて、二人の吐息がリビングに溶けていく。
 潤んだ金色の瞳が、情欲に濡れて、蠱惑的にオレを見上げていた。


「……新ちゃん……っ」

「……はぁ、はぁ……ったく、お前は本当に……」


 オレは凜の白い髪を掻き上げ、額に熱いキスを落とした。
 そのまま、首筋、鎖骨、そしてTシャツの襟元へと。
 甘い吐息が、オレの耳元をくすぐる。


「っ、待って、新一……! 僕は……っ」


 凜の声が、途切れ途切れに発せられる。
 けれど、もう止まれなかった。

 十二年間、心の奥底で燻っていた感情が、今、堰を切ったように溢れ出す。
 蘭への想いだと、ずっとそう思い込んできた感情が、目の前のこいつに向けられていると、もう否定はできなかった。


 ――ああ、そうか……オレは、こいつが昔から、好きだったんだ。


 理性という名の枷が外れた、その瞬間。
 工藤新一は、目の前の幼なじみに、心の底から囚われていく自分を自覚した。
 そして、その甘い罠へと、深く、深く、堕ちていった。



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