水族館デート編【完結】
⑤帰り道は修羅場未満
◇
夕暮れの街並みを歩く快斗と花梨は、手をつないでいるだけでドキドキが止まらなかった。
すると、ふと目の前に見覚えのある建物が現れた。レジャーホテルの看板が夕日に照らされている。
帰り道、買い物をして帰ろうと商店街を通っている内に、ホテル街に出てしまったようだ。
「なあ、花梨……入っちゃう?」
「だめだよ、未成年だもん!」
快斗がニヤリと悪戯っぽく言うと、花梨は慌てて首を横に振った。
「じゃあ、家に来る?」
「も~、快斗ってば、そんなことばっかりなんだから~」
「えー、だって花梨ともっといちゃいちゃしたいんだもん!」
花梨が頬を赤らめながら、軽くツンツンと快斗の腕をつつく。
「いちゃいちゃって……手、繋いでるよ~?」
「足りね~~! オレん家においでよ!」
二人のやり取りはまるで高校生のバカップルそのもの。
「じゃあ、お邪魔しようかな~」なんて花梨が答えたその時、背後から鋭い声が聞こえた。
「お前らまさか……」
振り返ると、コナンが眉をひそめて立っている。
不意にコナンの視線は、今にもぶちぎれそうな険悪な雰囲気をまとって、快斗に向かい、彼を睨みつけた。
それに応じるように、快斗も容赦なく鋭い視線でコナンを見下ろす。
睨み合いが始まってしまった。
二人の間に火花が散っているのが見える。
(ちょ……な、なんで……? ええっ!? なんで二人とも険悪なの!? たしか、仲良かった……よね?)
二人の不穏な空気を感じ取った花梨は、瞬時に察知し、笑顔を取り繕った。
「あ、し……コナンくん! どうしてこんなところに?」
「どうしてこんなところにって――そりゃこっちのセリフだっ!!」
「ひっ!!?」
怒鳴るコナンの背後で、少し距離はあるが、人混みに紛れ、小五郎が聞き込みをしているのが見えた。険しい瞳の小さな彼に、花梨の肩がびくっと揺れる。
小五郎の仕事に付いてきたのだと、花梨は理解した。
「ホテル街から来て……しかもオメーら、未成年だろうが!!」
コナンのお説教に、花梨と快斗は顔を見合わせ、一瞬沈黙する。
そのあとで快斗が照れ笑いで答えた。
「違うよ、偶然通っただけだって!(まあ入ってもよかったけどな?♡)」
「そうそう、ただの通り道で……! さっきまで商店街を歩いてたんだよ~?」
花梨も必死に説明する。
コナンは納得せず、腕組みしながら頬を膨らませていた。
「ふざけんなよ……高校生がレジャーホテルってなんなんだよ……ありえねえだろ」
ぶつぶつと文句を垂れているが、快斗と花梨は濡れ衣である。
「だから、オレたちはホテルに行ってねぇっつーの……っつーか、ボウズ、マセ過ぎだろ……そもそも! 小学生のくせにこんな時間に何してんだよ。親はどうした?」
快斗は相変わらずマセたガキだなと思いつつ、コナンの額を人差し指で“とん”と突く。
コナンはそれを不愉快そうに振り払った。
「……今日は蘭姉ちゃんが留守なんだよ。だからおっちゃんにくっついて来たってわけ。おっちゃんはあそこで仕事。オレはおっちゃんのお守り。わかったか?」
雑踏の中で聞き込みをする小五郎を親指で示し、快斗を小馬鹿にしたようにニヤつく。
「はぁ? おっちゃんって……何やってんだよ。もうすぐ夜7時だぞ? 子どもは飯食って風呂の時間だろ」
「飯なら食った」
快斗はコナンに対して思うところはあるが、親切だ。
小さな彼の心配をしているようだが、コナンの快斗に向ける眼差しは鋭いまま。
「…………」
(新ちゃん……なんか今日、機嫌悪いね……?)
コナンの様子に花梨は、いったいどうしてしまったのだろうかと心配になった。
(やっぱり、小さい姿はストレスたまるのかなぁ……)
言動も子ども設定が抜けてしまっていて、“ボク”が“オレ”になっている。
快斗がいると、いつもそんな感じなのだが、花梨はそこには気づかなかった。
「ひょっとして、コナンくん……」
「ん?」
花梨はコナンに近づき、視線を合わせるようにしゃがむ。
まっすぐ彼の見つめて尋ねた。
「ひとりで寂しいの?」
「なっ!!? なんでだよっ!? 別に寂しくなんかねーよ!! オレは! オメーのことが心配……で――」
曇りなき金の瞳に見つめられたコナンの声がだんだんと小さくなり、最後は聞き取れない。
わかるのは、顔が赤くなったということだけ……。
“花梨のことが心配で――”と、コナンの気持ちなど当の本人には届かず、花梨はイタズラっぽくニコッと笑って告げた。
「……ね、よかったら、一緒に行っちゃう?」
「「へ? ……どこへ?」」
コナンと快斗の声が重なった。
(花梨……一緒にって、オレはこのガキを家に入れんのは嫌だぜ……?)
快斗にしてみれば、急に「一緒に」と決められて、なんのこっちゃである。
……自宅にコナンを招くのはごめんだ。
けれど、続く花梨の言葉はこうだった。
「あそこ、三人で入っちゃう?」
「「あそこって…………」」
またしても快斗とコナンの声が重なる。
花梨の指が、おしゃれな雰囲気のレジャーホテルを示していた。
快斗とコナンは一斉に顔を真っ赤にして、慌てて目を逸らす。
「な、なんだよ急に!(オレは今小学生なんだぞ!? そういうのは元の体に戻ってからで……!)」
「や、やめろって花梨!(そこは二人きりで利用するとこだろ!!)」
コナンも快斗も何を想像したのか、花梨を直視できない。
そんな二人の耳に、くすくすと楽しそうな花梨の笑い声が聞こえた。
「ふふっ♡ 冗談だよ~! ほらほら、コナンくん。おじさまが呼んでるよ! 連れて行ってあげる」
「っ、い、いいよっ!! 一人で戻れるっ!!」
花梨から手を差し出され、取ろうとしたコナンだったが、快斗の手前、格好悪い気がして断った。
「そう? コナンくん小さいから、人の波に流されてどっか行っちゃわないか心配しちゃった♡」
「バカにすんなっ! オメーよりしっかりしてるっつーの!! ったく……なんなんだよ……」
「えへへ、そうだよね~……じゃあ、またね~♡」
コナンはプリプリと怒り出し、花梨たちに背を向け歩き出す。
花梨はコナンの背に向けて手を振った。
ふと、コナンが振り返り、花梨と快斗を交互に見る。
「っ、ホテルになんか行くんじゃねーぞ! 通報すっからな!?」
「行かないよ~」
「…………」
花梨の隣で快斗は黙ったまま、走っていくコナンを見送った。
「なあ、花梨」
「ん?」
「あいつ、妙に大人びてるよな」
「そうだね~。しっかりしてるよね!」
「っ、そういうことじゃなくて……だな」
「ん? ほら、快斗。お弁当買って帰ろう?」
交差点を挟み、商店街の遠くに見える弁当屋に、花梨は目を向ける。
外食して帰ってもいいが、今日は一日中外にいたから、早く帰ってまったりしたい。
「! そうだった! 花梨ちゃんを招待したんだった! レジャーホテルは行かねーけど、オレの部屋でいちゃつけるもんな~?」
点滅し始めた横断歩道に、繋いだ快斗の手が解かれ、花梨の背中に回った。
温かい手に導かれるように、横断歩道を小走りで駆けていく。
「も~、快斗ってば♡」
「デートは明日の朝まで、だからな?」
「いつの間に決まったの~?」
「今、決めた~」
渡り切ると信号が赤に変わり、二人は再び手を繋ぎ、仲良く弁当屋を目指した。
快斗は、繋いだ手のひらから伝わる花梨の柔らかな熱を確かめるように、何度も指を絡め直す。
「デートは明日の朝まで」――半分は冗談だが、半分は本気だ。水族館で魚の恐怖を乗り越えたあのご褒美として、今夜は一秒たりとも彼女を離すつもりはない。
弁当屋に着き、メニューボードを眺める二人は、隣同士、自然と同じ動きをする。
「なに食べる~?」
「ん~? 花梨かな♡」
「もぉ~~っ!」
突然、快斗に熱い瞳を向けられた花梨は、彼の強引さに困ったような顔をしながらも、その瞳には夕焼けよりも温かい光が宿っていた。
彼女にとって、水族館の青い幻想も、コナンとの騒がしい遭遇も、すべては快斗の隣にいるための愛おしいエピソードに過ぎない。
……弁当屋を出て、ふと、快斗が振り返り、人気の少ない夜道で花梨の耳元に唇を寄せた。
「……なあ、花梨。さっきの三人の誘い、断られて正直ホッとしたぜ」
「え……?」
「だって、花梨のあんな顔やこんな顔、あいつに見せるわけねーだろ? ……全部、オレだけのものなんだからな♡」
「っ……、もぅ……バカいとっ♡」
街灯の光が、照れ隠しに快斗の腕に抱きつく白い少女と、それを満足げに受け止める少年の影を長く伸ばす。
魚嫌いの怪盗が、最愛の「子猫ちゃん」のために潜り抜けた、最高に甘くて少しだけ騒がしい一日は、こうして静かに、二人の夜は家の扉の向こうへ続いていくのだった。
※次ページはあとがき。