水族館デート編【完結】

③指先を奪うドクターフィッシュの誘惑







 ……甘いひとときを過ごし、クラゲ展示室を出た快斗と花梨。


「……はー……(クラゲ展示室、最高だった……!)」


 ここが水族館であることなどすっかり忘れ、快斗は目を閉じ、花梨と手を繋いで余韻に浸る。
 花梨が手を引いてくれるから、目を閉じていても歩いていける。このまま現在地が水族館であることを思い出しても怖くない。

 そんな快斗のそばで、花梨の感嘆の声が聞こえた。


「わあ……すごい……!! ね、快斗、すごいよ!」

「ん……? え、なに――」


 “ぎゃああああ!!”


 声につられてそっと目を開いた途端、快斗は叫び声を上げ、慌てて花梨の背後に回る。
 二人の目の前には大きな水槽があった。
 その中には、照明に照らされキラキラと銀に光るイワシの群れ。それらが一斉に、快斗に迫ってくるような動きを見せたのだ。


「……ふっ。ふふっ、なんでそこまで?」

「オレ、マジで魚はだぁああっめなんだって!!」


 よほど魚が怖いのだろう。
 快斗は花梨に後ろから抱きつき、うなじあたりに顔を埋める。

 ……小さく“ちゅっ”と音がした。


「……ン? ちょ、ちょっと快斗、どさくさに紛れて抱きつかないの……っ! お客さん、たくさんいるんだからねっ」

「魚はマジ無理なんだって! 見たくねえっ!」


 ぐりぐりと快斗の額が花梨の首元、肩口へと擦り付けられる。
 イヤイヤをしているらしいが、やはり時々“ちゅぅ”っと吸われるような感覚がした。


「っ、こらっ、だからって首にちゅーしないでよ~!」

「やだー♡ 魚こわーい♡」

「ちょっ、ンッ! くすぐった……もぉ~~っ、確信犯~!」


 周囲の客たちが生温かい視線を向ける中、快斗と花梨は少しずつ我に返り、引っ付いたままの状態で、ゆっくりとその場から離れていく。
 人の視線が気にならなくなった頃、快斗と花梨は再び手を繋ぎ、一気に駆け出した。


「はぁっ、はぁっ、ああもう、人前であんな……恥ずかしい……!」

「ははっ、やっちまったな!」


 屋内の暗い空間から屋外へと出ると、明るい日差しが二人を出迎える。
 肩で息をする、陽の光を浴びた二人の顔は赤かった。


「も~、やっちまったじゃないよぅ……」

「魚イヤだったんだもん、しょうがねーだろ? あんな大量の魚見ちまったら、足が竦んで動けねえって!」

「だったら、他の展示のときみたく、目を閉じてればよかったんじゃ……? 私、連れていってあげたのに(あれ? 足がちゃんと動いたから逃げてこれたんじゃ……?)」

「目ぇ閉じたら花梨が見えなくなるだろ。それはもっとイ・ヤ♡」


 屋外の通路を歩きながら、快斗は繋いだ手にぎゅっと力を込めた。


「ああもう、ああ言えばこう言うんだから……あ。あれは……!!」

「ん? ぎゃっ!!」


 ふと、花梨が前方に目を向け指を差すと、快斗がぎょっとした。
 二人の前には“ドクターフィッシュ体験コーナー”なる水槽と、水槽に手を浸している人だかりが見える。


「わぁ、あれが青子ちゃんが言ってた……おもしろそう!」

「ちょ、ちょっと花梨ちゃん!?」

「私、体験してきていい? あ、快斗は苦手だろうから、ここで待っててくれる? 行ってくる!」

「あっ、花梨、おい……!」


 花梨が一人でドクターフィッシュの水槽へと歩いていく。
 その足取りは軽やかで、瞳はキラキラと輝き、わくわくしている様子。

 ……そんな顔を見せられては、止めたくても止められないじゃないか。
 魚が苦手な快斗は、仕方なく少し離れた場所から見守るしかなかった。


「では、次の列のお客さま、手を浸してくださ~い」


 係員の案内で、列に並んでいた花梨は順番がきて、嬉しそうに手を水槽に浸す。


「わぁ……くすぐったいけど、なんか面白い……♡」


 花梨の手には小さなドクターフィッシュが数匹集まり、ついばんできた。


「初めてですか? けっこうくすぐったいですよね」

「そうですね……でも、面白いですね♡」


 隣に座ったのは知らない男性で、笑顔で話しかけてくる。後ろには彼女らしき女性がいた。
 歳は花梨たちより少し上だろうか、花梨はちょっと照れ笑いを浮かべながら頷く。


「なっ……あいつ……!!」


 ――花梨の隣にオレ以外の男がいるなんて、絶対嫌だ……っ!


 しかも、あいつ、彼女連れじゃねーか!!
 ……と、男の隣にいる女性はむすっとした顔で、自分に背を向け、花梨に語りかける男を睨みつけている。

 快斗は、頭にカッと血が上るのを感じ、気づけば走り出していた。


「……花梨、オレもやるっ!」


 快斗は勢いよく割り込むように椅子に座った。
 「えっ、ちょっと!」とさっきの男の声が聞こえたが、無視した。


「えっ、快斗……!?」

「離れたくないんだ♡」


 花梨の手を握り、快斗はそのまま握った手を水槽に入れる。
 すぐに小さな魚たちが指に群がり、ムズムズとした感触が全身に広がる。


(……ヒィッ! 指を食われてる、食われてるぞオレ……! でも花梨の隣は譲らねえ……!)


 快斗の腕には鳥肌が……そして、鼻の穴が広がっていた。


「……うぅ、くすぐった……でも、花梨の隣なら耐えられる!」

「……快斗、強がらなくても大丈夫だよ? あははっ、面白いね~♡」


 快斗は必死に引っ込めたくなる手を我慢しつつ、横目で花梨をチラリ。
 花梨の楽しそうな笑顔に、胸の奥がじんわり熱くなる。


「……花梨、離さねーからな……っ♡」

「うん……私も……離さないね?」


 二人は水槽の小さな魚にくすぐられながらも、手をつないだまま笑い合う。
 周囲の視線も、二人にとってはもうどうでもいいくらい、甘く幸せな時間が流れていった。










 ……どれくらい経ったろうか、ドクターフィッシュの水槽の前、花梨と快斗はまだ手をつないだまま座っている。
 途中でアシカのショーが始まるとの館内放送があり、他の客たちは次々と立ち上がり、そちらへ向かっていく。

 残ったのは快斗たちだけ……。
 魚たちが指先をついばむ感覚が、二人の心臓の高鳴りと重なった。


「んっ……くすぐったいね……でも、快斗と一緒なら楽しい……♡」


 快斗はそんな花梨を見つめ、頬を赤くして小さく笑った。


「そうだろ? 花梨はいっつも、オレと一緒なら、何でも楽しいって顔してるよな……」


 彼の言葉に、花梨は照れたように小さく笑い、ゆっくりと手元を見下ろす。


「うん……快斗と一緒だとなんでも楽しいよ……♡」


 その瞬間、快斗は水に浸かっていないほうの手を差し出した。
 花梨は不思議そうに差し出した手に手をのせる。
 その手を取って、快斗はそっと自分の頬に引き寄せた。


「……花梨、こっち見て」


 花梨は快斗の手に導かれるように顔を上げ、二人の距離はほんの数センチ。
 柔らかい吐息が交わるほど近くて、花梨の鼓動が手のひらに伝わってくる。

 そばに立っていた、ボールペンを手にした館内スタッフが、手元のクリップボードに集中している。その隙を見て――。


「んっ……」


 快斗は我慢できず、花梨の唇に唇を重ねた。


 “ちゅっ……”


 花梨も小さく応え、唇を重ね返す。

 二人がキスを始めた途端、館内スタッフのペンが激しく動き出した。クリップボードの上で、シャッシャッとわざと立てた大きな音が、魚の跳ねる音と合わさり、二重奏を奏でる。


(……よし、あそこのカップルは背景だ。おれが見ているのは魚の数だけだ。断じて接吻中の高校生じゃない……!)


 スタッフの涙ぐましい“空気読み”のおかげで、二人の世界はその瞬間、満たされた。
 周りの音も、水槽の泡も、すべての音が遠くに溶けていく。


「……快斗……」

「オレの花梨……ずっとこうしていたい……」


 花梨の声に、快斗はそっと額を花梨の額に寄せる。
 館内スタッフに気づかれた気配はあったが、もう止められない。


「うん……私も……」


 花梨は微笑み、快斗に肩を寄せた。
 水槽の青い光が二人を包み込み、手のひらの温もりと心の高鳴りが、甘く静かな時間を描く。

 小さな魚たちが二人の指先をついばみながら、まるで二人の愛を祝福しているかのように、静かに泳いでいた。


(……チッ。あんなに嫌いだったヌルテカ共が、今は二人の仲を繋ぐキューピッドに見えなくもねーわ)


 ……まあ、花梨が隣にいない時は、一匹残らず消えてもらうけどな♡

 快斗は心の中でそう悪態をつきながら、自分に肩を寄せる花梨の温もりを噛み締めるのだった。



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