水族館デート編【完結】
②甘くてとろけるクラゲの魔法
◇
「なあ、花梨」
放課後――帰り道。
快斗は少し照れくさそうに花梨に声をかける。
「最近、どこか行きたい場所とか、ある?」
訊かれて花梨は一瞬だけ視線を落とした。
「ん~、特にないかな~?」
けれど、その瞳の奥には小さな光が宿っていた。
花梨は普段、自分の望みを強く主張したりしない。誰かのためじゃないと動きにくいタイプである。
快斗はそんな花梨のことをよくわかっていた。
「……無理に言わなくていいよ。でも、もし気分転換したいなら、オレが付き合うからさ」
「快斗……」
「水族館、行きたいだろ?」
「あ……、べ、別に……。快斗はお魚嫌いでしょ?」
尋ねられ、花梨が耳に髪をかけ、誤魔化すように微笑む。
遠慮しているのだと、快斗にはすぐにわかった。
「魚は嫌いだけど、花梨は好き♡ 花梨が行きたいっていうなら付き合うよ? たまには遠出もいいじゃん?」
「ん……じゃ、じゃあ甘えてもいい?」
明るく話す快斗の笑顔に、花梨はそっとうかがうように彼を見上げる。
「おう! どーんとこい! あ、けど、魚がいるとこはオレ、目ぇ瞑るから、連れてってくれる? ――って水族館だもんな、ほぼ目瞑ったままか……、待てよ、それだと花梨の顔が見られないじゃん! 本末転倒! だったら、魚じゃなくてずっと花梨を見てれば万事解決じゃね? あ、天才だわオレ。よし、採用! 自己解決~♡」
快斗は自信満々に話し始めたかと思えば、途中から完全に独り言の世界に入っていた。
あれこれと言ったあとで、彼は“はいっ”と手を差し出す。
「……ふふっ♡ わかった♡」
花梨は少しだけ笑って、その手を取った。
翌日、学校をサボった二人は水族館にいた。
「……っ、集中できない」
「オレは全集中♡」
水槽を回る間も、快斗の視線は一秒たりとも花梨から逸れない。
可愛い魚たちを鑑賞したいのに、横から突き刺さる熱すぎる視線のせいで、花梨は生きた心地がしなかった。
「んもぅ……! ずっと私を見てるけど、飽きないの?」
熱のこもった視線が、肌を灼くように突き刺さる。
快斗の瞳の奥にある独占欲や執着が、至近距離だと嫌でも伝わってきて、花梨の心臓は、水槽の小魚みたいにせわしなく跳ねていた。
「……うん、花梨って、ずっと見てても飽きねえの♡ なにこれ……可愛いし、綺麗だし。いつもは授業中だからって怒られっけど、今日はずーっと見てていいなんて最高だぜ。視界に魚が入る隙もねーわ」
「ば、ばかぁ……もぅ……」
――恥ずかしい……。
至近距離で囁かれる甘い声に、花梨は恥ずかしさで爆発しそうになり、空いている方の手で顔を覆った。
もう片方の手は、快斗が「魚が怖い」という名目でがっしりホールドしているため、逃げることもできない。
「あっ、快斗! カエルの展示ブースだよ!」
「ちぇっ。オレは別にずっと花梨見ててもいーんだけど?」
カエルの展示ブースに差し掛かると、花梨は快斗の手から逃れ、鮮やかな青いカエルに目を向ける。
「いいからいいから、ほら、毒ガエルだって~。わぁ~すっごい綺麗な色だね~」
「……うわ。スゲー色だな。コバルトヤドクガエルか……“熱帯雨林の宝石”とも呼ばれてるみたいだ。確かにな~、綺麗っちゃ綺麗だけど……毒、か」
……綺麗なものには毒がある。
(――オレも、花梨っていう甘い毒に完膚なきまでに参っちまってるもんな~)
逃げられないように絡めた指先に力を込める。快斗は、毒ガエルよりもずっと抗いがたい魅力を持つ自分の恋人を、とろけるような目で見下ろした。
「アルカロイド系の神経毒を持ってるんだって。中には一匹で人間十人も殺せちゃう個体もいるみたい」
「ん? 詳しいな、花梨」
「ふふ、検索しちゃった。ほらこれ!」
花梨のスマホには、いつの間にか調べたらしい“ヤドクガエル”の解説ページが表示されている。
「ははっ、なるほどね。すぐ調べるあたり、花梨らしいな」
「近所でこんなカエルに遭ったら触らないようにしないとね。快斗も触っちゃだめだよ?」
花梨の顔は真剣そのもの。
真面目な顔で「ご近所の安全」を心配する花梨に、快斗は思わず吹き出した。
「……プッ。だな♡(近所にこんな物騒なカエルはいねーよっ♡ 花梨て天然なんだなー……カワヨ♡)」
けれども、快斗は笑顔で同意する。
素敵な彼氏は、愛する彼女を否定したりしない。
……カエルの展示ブースを楽しんだ二人は次の展示へ。
◇
「わ……」
「おー……すげえ……」
「は~……」
……やって来たのはクラゲの展示室。
足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
薄暗くて幻想的な青い光に包まれた空間は、ふわふわと漂うクラゲたちがまるで星空のように見える。

「とっても綺麗だね……」
「……ああ」
――花梨が、な?
クラゲの巨大水槽を見上げる花梨の瞳は、うっとりとしていて愛らしい。
快斗の目は自然と細くなる。
雑誌を見ているときも、特にこの展示コーナーが気に入ってたようだから、連れて来てあげられてよかった。
快斗から見える世界は、花梨を中心に回っているといっても過言ではない。
――ああ、このままずっとそばで彼女を見ていられたなら。
溺愛する彼女を見ていたら、気付けば周囲には誰もいなくなっていた。
「快斗」
ふと、クラゲを見ていた花梨が近づいて来る。
「ん……?」
「今日は……お魚、苦手なのに、連れて来てくれてありがと……♡」
快斗のすぐそばにやってきた花梨は、もじもじしながら快斗を見上げた。
「っ♡ ん、どういたしまして! ここは魚臭くなくていいな♪」
――あう、花梨ちゃんの上目遣い、破壊力しゅごい……♡
花梨の仕草はあざといながら、快斗はそれも好き。
自分に向けてくれるなら、いくらでもして欲しいくらいだ。
頬がぼっと熱くなった。
「ふふっ、そうだね」
「……な、花梨」
「ん?」
「なんかお返ししてくれる?」
「お返し? あ、お昼ご馳走するよ? なに食べたい?」
水族館のチケット代を出してもらったし……と、花梨はランチ代は任せてとガッツポーズをしてみせる。
「そうじゃなくて! 今、誰もいねーよ?」
……周り、見てみ、周り。
快斗は周囲を見回し、最後に花梨をじっと見つめた。
「え?」
「ん?」
とん、とん、と、自分の唇を指先で叩きながら、快斗は目尻を下げた。
「……っ、ばかいとっ♡」
「んー♡」
花梨の細い腕が快斗の肩に回ると、快斗は愛しそうに目を細めて背を屈め、彼女の華奢な体をそっと引き寄せた。
(……ヤベ。魚の恐怖どころか、心臓が跳ねすぎて死ぬかと思った……)
ゆらゆらと揺れる幻光のような青い光が、花梨の白い髪を透き通るように照らし、金の瞳が潤んで閉じられる。
二人の影が重なり、“ちゅっ”というリップ音だけが暗い展示室に溶けた。