水族館デート編【完結】

①水槽の外のデートプラン


 ある日の昼休み、弁当を食べ終えた花梨は、青子と嬉しそうに雑誌を見ていた。


「わぁ、これ! アシカのショーがあるの? 可愛いね♡」


 アシカがボールを鼻先にのせる写真に、花梨の白い指先がそっと触れる。
 白い睫毛を優しく伏せ、朗らかな笑みを浮かべた。


「ね~♡ ほら、こっちは小魚とかにも触れられるみたい。ドクターフィッシュの水槽もあるって。ちょっと楽しそうだよね!」

「へえ~、ドクターフィッシュって……あ、ガラ・ルファっていうんだね。人の肌の古い角質や垢をついばむ……小さなセラピストさんみたいで素敵だね。くすぐったいのかな?」


 雑誌の写真を、愛おしそうになぞる花梨。その瞳には、単なる好奇心以上の、命への深い慈しみが宿っているようで、購買部から戻ってきた快斗は席に着くと、思わず彼女に目を奪われた。


「ふふっ、青子行ったことあるけど、あの感触はねー……フフッ」

「ん? え、なにそれ、意味深……! 青子ちゃん、どんな感触なの~?」


 興味津々の花梨を前に、快斗は心の中で(……いや、魚に指を食われるなんて、拷問以外の何物でもねーだろ!)と戦慄しつつ、そのまま聞き耳を立て続ける。


「フフフ……」

「えぇ~? 気になる~……!」


 青子は以前、水族館でドクターフィッシュを経験済みらしい。期待を持たせるような言い方をしながら笑っただけで、それ以上は教えてくれなかった。


(……水族館か……。オレ、魚嫌いなんだよなー……。ぶっちゃけ、あのヌルテカした連中と同じ空間にいると思うだけで鳥肌もんだけど……)


 快斗がちらりと隣を見れば、花梨が白い指でクラゲの写真をなぞっている。


(……あんな顔して喜ぶなら、サバでもイワシでも、一万匹くらい耐えてやるか)


 “オレの子猫ちゃん”が自分以外の何かに見惚れているのは癪だが、その対象が魚ならまだ許せる。

 花梨がその“感触”を楽しみにしているのなら、たとえ自分の指が魚の餌食になろうとも、彼女の隣で平然とポーカーフェイスを保ってやろうじゃないか――。

 快斗は心の中で、密かに指先の感覚を麻痺させるイメージトレーニングを始め、自分を納得させるように深く頷いた。

 ……花梨とのデートで遊園地には行ったが、水族館はまだ行ったことがない。
 そもそも魚嫌いの快斗に、デートで「水族館」という選択肢ははなからないわけで。
 だいたいのデートは、互いの家か近くの公園、ショッピングなどが多い。
 彼女からも、どこかに行きたいとリクエストをもらったことは――。


「あれ……?(花梨からどっか行きたいって言われたことなくね……?)」

「……ん? 快斗、どうかした?」

「あ、いや、はは……」

「そ?」


 不意に花梨が顔を向けると、快斗は頭を掻いて愛想笑いをした。

 ……そうして、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、青子が雑誌をしまう。


「青子ちゃん、雑誌を見せてくれてありがとう。アシカもお魚も可愛かった♪」

「どういたしまして~。デートの参考になったら幸いだよー」

「へ? デート? どうして?」

「は?」


 花梨が首を傾げるので“きゃわわ♡”とは思ったが、青子の首も傾いた。


「ん?」

「んん?」


 ……なぜか花梨は目をぱちくりさせている。

 机にしまった雑誌の表紙には“東京人気のカフェランキング100”の大きな文字と、“彼と行く、今熱いデートスポットBEST5!”の文字。
 青子の雑誌は、花梨と恵子と次に行くカフェを探すために持って来たものである。
 だが、他の特集が“彼と行く~”と書かれたものがあったから、花梨と快斗の参考になるかと思い、二人の恋のサポートをしてやろうと見せていたのだ。


『“彼と行く、今熱いデートスポットBEST5”だって!』

『そうなんだ~』


 ……雑誌を見せ始めた時、ちゃんと言っておいたはずなのにおかしい。
 花梨は何もわかっていない様子で柔和な顔……。


「ねえ、花梨ちゃん。水族館、面白そうだったよね」


 快斗に連れてって言わないの?
 快斗は魚嫌いだけど、花梨ちゃんのためなら行くと思うんだけど。
 ていうか、快斗も聞こえてたんならさっさと誘いなさいよ!

 ……青子はチラチラと花梨と快斗を交互に見る。
 花梨はキョトン顔で、快斗はぽかん。


「うん、キレイなお魚がいるんだね~、クラゲのお部屋の写真が特にキレイだった~!」

「……ね、花梨ちゃん、あっち向いて」


 あっち向いてホイの要領で、青子が快斗を指し、花梨はそちらへ顔を向けた。


「へ? ん? 快斗?」

「んー♡ なんだ? あ、せんせー来た!」


 花梨が快斗に目を向けると、快斗は優しい瞳で微笑むが、視界の隅に黒瀬の姿が目に入って、先生が来たことを告げた。


「わっ、授業の準備してなかった」

「花梨。オレ今日、教科書忘れたー」

「じゃあ、机くっつける?」

「くっつける~♪」


 嬉しそうに机を寄せた快斗に、花梨は「ふふっ」と喉を鳴らして笑う。
 肩が触れそうなほどの距離。教科書から微かに漂う紙の匂いと、隣から伝わる快斗の体温が、静かに混ざり合う。


(……あ。やっぱり、ここが一番落ち着く場所だなぁ……)


 花梨にとって、雑誌の中のきらびやかな水槽よりも、ガタつく木の机のここが、今一番行きたい特別な場所――。
 だからこそ、彼女の口からおねだりが出るはずもない。


(教科書、家に置いてきて正解だったぜ……!)


 花梨の隣でにやにやする快斗を、青子が呆れた目で見る。


「はあ……」


 今朝――青子がゴミ出しに出たとき、たまたま家を早く出て行く快斗を見かけたが、彼は自分の鞄を覗いてから、教科書を置きに家に戻っていった。


『ねえ、さっきの教科書だけど……今日授業あるよ?』

『いーんだよ!』


 忘れているのかと思い、わざわざ声をかけてやったというのに、快斗は自信満々に言い切って、そのまま花梨を迎えに行ったのだ。
 これを狙っていたんだなと理解した青子は、“そういや、快斗が教科書忘れるの何度目だっけ?”なんて苦笑した。

 ……二人は水族館デートについてなんて一言も言及しないまま、教科書の文字を一緒に追っている。


「……いや、お二人さん、そこはさ、どっちかがデートに誘おうよ……」


 ぼそっと青子はつぶやいた。

 青子からすれば、雑誌を見て「わぁ、綺麗!」となったら「連れてって!」となるのが普通の乙女心だと思っていた。

 けれど、花梨は違う。
 彼女にとって、今ここで快斗と机を並べて、同じ教科書を覗き込む。
 それだけで、世界で一番甘いデートスポットにいるのと変わらない満足感を得てしまうのだ。

 以前花梨に、「お休みの日とか、快斗とどこ行ってるの?」と聞いたら――。


『ん~、どっちかのお家か、お買い物とか、たまに近くのカフェとか?』


 ……と返ってきた。
 デートっちゃデートではあるが、落ち着きすぎてやしないだろうか……。


『えっ!? 映画館とか、博物館とかは? ほら、デートに最適なところ、もっと色々あるよね?』

『あ~、映画館は幼なじみと行ったことあるし……博物館は米花町にあるから。それにね、快斗と一緒なら、どこにいても特別な場所になっちゃうから、あんまり考えたことなかったかも♡』


 ふんわりと、一点の曇りもない笑顔で返され、青子はそれ以上何も言えなくなった。


『――え、幼なじみと映画館行ったらデートに行かないの? 博物館は米花町にあるから……? ど、どういうこと?』


 花梨の返答に青子は困惑し、ようやく声を絞り出す。
 彼女の感覚が独特なのは知っているが、わけがわからない。


『うん。快斗が米花町はダメだって言ってて。行かないようにしてるの』


 土日、命を狙われている花梨の外出を極力避けたい快斗は、犯罪率の高い米花町へ行くのを良しとしていない。
 そんな事情を青子は知らないのだから仕方ない。


『ふぅん?』


 青子は“よくわかんないけど、快斗のやつ、もっとデートに誘って花梨ちゃんを楽しませてあげなさいよね! 青子だって花梨ちゃんと土日遊びたいんだからね!”と、その時思ったものだ。


(もっと二人で色々なところへ行けばいいのに……!)


 恋愛はよくわからないが、恋バナは好きである。

 カップルは色んなところへ行って愛を育むんだとか。
 快斗と花梨。青子にとって、大事な二人がずっと仲良くしていくためにもデートのご提案を……!

 そう思ったデート特集記事で、花梨も興味津々そうだったというのに、二人の反応は何もなし……。


「(花梨ちゃん、行きたそうに見えたけどな……)」


 チラッと、後ろにプリントを配るため振り向くと、快斗はずっと花梨を見ていて、花梨は「快斗、前、前」と黒板を指差している。

 快斗は、花梨が「どこへ行きたい」と口にしない理由を、彼女の謙虚さだと思っていた。だが、さっきの雑誌を見る瞳は本物だったはずだ。


(……あんな顔してクラゲ見てたんだ。魚は死ぬほど嫌いだけど……一回くらい、連れてってやるか)


 教科書をめくるフリをして、快斗はこっそりスマホで検索を始めた。


 “検索:水族館 魚に会わないルート”
 “検索:クラゲ 魚類じゃない 安心”
 “検索:水族館 滞在時間 最短記録”


「……(よし、クラゲ展示室は暗いし、魚のヌルテカ感も薄い。ここを拠点にすれば……!)」


 必死な検索履歴は、もはやスパイの潜入作戦のよう。魚嫌いという致命的な弱点を抱えながら、快斗は「花梨の笑顔」という最高報酬のために、自ら戦地(水族館)へ飛び込む決意を固めていた。

 まるで水族館のことなど最初からなかったかのような……そんな二人の様子に、青子は(せっかく見せたのになぁ……)とため息をついたのだった。



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