平和な金曜日【完結】
-- Spring, about 17 years old
平和な金曜日③:天使、天才、そして重たい男
移動教室の途中、提出するプリントを忘れたことに気づいた快斗が、花梨の耳元でぼそりと囁いた。
「ちょっとだけ待ってて。すぐ取ってくる」
そのまま教室へと走り去る快斗の背を見送り、花梨は一人、渡り廊下の手すりにもたれて空を見上げる。
……ほんの少し、夏の香りが混じる風が通り過ぎていく。
「……いい天気だなぁ」
何気なく呟いたそのとき――。
「やはり、貴女は自然光が似合う」
突然かけられた声に、花梨はびくっと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこには一歩距離を空けて立つ白馬の姿があった。
「あっ……白馬くん」
「失礼、驚かせてしまいましたね。だが、どうしても言わずにはいられなかったのです」
真っ直ぐな瞳が、まるで芸術品を見るように花梨を見つめている。
花梨は緊張からか、思わず自分の髪に手をやった。
「そ、そんなに見つめないで……なんか、恥ずかしいよ……?」
「……すみません。つい。やはり、その金色の瞳は昼の光でも夜の街灯でも――どの環境でも輝いているように見える。まるで天使の光だ」
「て、天使……」
――え、ええ……?
まるで詩のような言葉の数々に、花梨は戸惑い気味に苦笑した。
(スーパーで初めて会った時は、急に距離を詰めてきて、ちょっと怖かったけど……こうして話すと、思ったより優しいんだよね……)
初対面のときと比べて、今の白馬の印象はずいぶん変わった。
昨日は一緒に遊び、彼の人となりを知れた気がする。
同年代の男子は苦手なのに、快斗や新一以外であれだけ話せたのは初めてだ。
「……その、昨日のゲームセンター、楽しかったね?」
花梨は思い切って、白馬に昨日の話題を振ってみた。
「ええ。君があのクレーンゲームでぬいぐるみに手を伸ばしたとき、少し真剣な顔をしていたのが印象的でしたね」
「あっ、それ、見てたんだ……恥ずかしいな。結局取れなかったし」
「無我夢中な表情もまた、美しかったですよ」
「~~~~っ」
どこかストレートすぎるその言葉に、花梨の頬はじわじわと赤く染まっていく。
白馬の視線は真面目そのもの。冗談を言っているようには見えない。
――白馬くん……恥ずかしいから、あんまりこっち見ないで欲しい……。
快斗や青子にもよく「綺麗だの可愛いだの」と言われているが、元々はそんな言葉――言われ慣れていない。
いったい、どういうつもりでそんなことを言ってくるのやら。
……花梨には理解できないが、なぜか羞恥だけは感じ、両手を頬に当てた。
「わ、私なんて……そんな大層な存在じゃ……」
「謙遜はいりませんよ。君は、存在そのものが奇跡だ」
そんなやりとりの最中、足音が聞こえてくる。
やってきたのは、ノート片手にやや息を切らした快斗――。
……その顔を見た瞬間、空気がぴしっと凍った。
「……白馬」
「……怪盗キッド」
「あん?」
二人の間に火花が飛んだ……ように見えた。
「か、快斗……。お、おかえり~……?」
……花梨は声をわずかに震わせる。
「……あれ、花梨。待ち合わせの場所、ここじゃなかったよな?」
「えっ、あ、えっと、偶然……白馬くんが通って……」
「ふ~ん……偶然ね。んで、どんな話してたの?」
快斗の口元は笑っていたが、目が全然笑っていない。
花梨の背に、うっすらと冷たいものが流れていくのを感じた。
「え、ど、どんな話って別に……昨日の寄り道の話をしてただけ――」
「いやぁ~、オレがちょっと目を離したすきに、“オレの天使”が他の男と会話してるって聞いてさ? うっかりダークサイドに飲まれそうだったわ♡」
快斗の声は明るいが、隣の空気がじわりと重くなる。
「黒羽君……言っておくが、ボクは君の“天使”などとは一言も――」
「“存在そのものが奇跡”って言ったよな? オレにも聞こえてたから♡」
花梨の後ろから、そっと肩に快斗の手が添えられる。
「へえ~? “存在そのものが奇跡”ねぇ……じゃあオレはどうなる? “神”?」
「ちょっと快斗、なに言ってるのっ」
「ごめんごめん♡ 愛が重くて♡」
快斗は笑っている。
……けれども、にっこり笑ったその顔が、まるで怪盗キッドの仮面のように読めなかった。
(うわ……)
……花梨は思う。
(これ……めちゃくちゃ焼きもち妬いてるんじゃ……?)
自分の彼氏は、どうも酷い焼きもち焼きらしい。
最近拍車がかかっている気さえする。
ちょっとでも、快斗以外の男性と話そうものなら、こうして不機嫌になってしまうのだ。
彼が強く束縛してくるわけではないけれど、柔らかい檻に囚われているような感覚を覚えることがある。
……まるで、ベルベットの箱に入れられた宝石みたいだ――なんて。
宝石を愛でるように、大切にしてくれているのは充分伝わっているから、別にそれが嫌だと思ったことはない。
ただ、少しだけ――。
ほんの少しだけ、窮屈だな……と感じる時がたまにある。
それは自分の感覚がおかしいのか、快斗がおかしいのか……人との距離の取り方がわからない花梨にとっては難しくて、判断がつかずにうやむやのままだ。
……花梨がそんなことを考える中、白馬はまったく動じた様子もなく、逆に「ふっ」と軽く笑った。
「彼女に相応しい男が誰なのか、それは彼女自身が決めることだ。ボクは、彼女の自由を尊重する」
「そっかそっか~♡ でもオレは自由を与えた上で、オレを選ばせるタイプだからさ♡」
互いに笑顔のためか、一見穏やかな会話に聞こえるが、どう見ても二人とも目が笑っていない。
(うぅ。なんか二人とも圧がすごくない……?)
この場の居心地の悪さと言ったらもう……。
花梨はピリピリと張り詰めた空気に視線を彷徨わせ、意を決して口を開く。
「……あの、さ、私……先行くね?」
そう言って花梨は、逃げ出すようにそっと二人の間を抜け、歩き出した。
けれど、その背中に快斗の声が追いかけてくる。
「花梨~~! オレの存在って神だと思わない!? ……なあ!? 神じゃない!?!?」
「……ちょっと快斗、マジで怖い……」
快斗の狂気に触れ、花梨の身体はぶるりと震えた。