平和な金曜日【完結】
-- Spring, about 17 years old
平和な金曜日①:金曜日は、やっと平和な日
遅刻ギリギリの時間。
江古田高校の門を、二人並んでくぐる影があった。
……快斗と、花梨。
白銀の髪が朝日に透け、金色の瞳が眩しそうに細められる。
制服のスカートがふわりと揺れ、花梨は小さくあくびをひとつ。
「ん……眠い……」
「そりゃそーだ。昨日までずっとピリピリしてたもんな」
快斗は笑いながら、手を伸ばして花梨の頭をぽんぽんと撫でた。
そんな何気ないしぐさに、花梨は頬を少しだけ赤らめる。
「今日は、ちゃんと平和かな……?」
「俺がいるから、絶対平和♡ ってことで、堂々と遅刻しよーぜ?」
「うん……♪」
二人は職員室へ寄って遅刻届を出し、二限目後の休憩時間、教室のドアを開けると――。
「おっそーい!」
青子が立ち上がり、手を振ってくれた。
花梨は「ごめんね~」と笑って手を振り返す。
すぐ隣では、快斗が全く悪びれずに「いやー花梨が可愛くて出発できなくてさー」などと、言わなくてもいいことを言っている。
「バ快斗! そういうのは心の中にとどめておけっての!」
青子がすかさず拳を振り上げると、快斗はひょいっとかわして、自分の席に向かった。
花梨も自席に着くと、恵子がやって来て話しかけてくる。
「……朝、ニュース見てびっくりした! 昨日、事件があったんだってね! 大丈夫だった?」
「うん、ありがとう。大丈夫だったよ~」
「大丈夫……って、うわ。それっ! 怪我してるじゃない! 花梨が負傷者だったのね!」
どうやらカラオケ店での殺人未遂事件は、朝のニュースに取り上げられていたようで“負傷者一名”と発表されていた模様。
花梨の首には包帯が巻かれていたためか、それに気づいた恵子は、大きく見開いた。
「あ、これ? ふふっ、快斗が大袈裟に巻いただけで、大したことないんだよ。ちょっと引っかかっちゃっただけ。絆創膏でいいって言ったんだけどね。ダメって快斗が」
「そうなの? それならよかった……」
(あれ? 薬指になんの痕? 歯形みたい……いや、見なかったことにしよ……)
にこっと微笑んだ花梨に、恵子はちらっと隣の席の快斗を見てから笑う。
快斗は他のクラスメイトと話しながらも、恵子の目線が花梨の左手薬指にあったことを見逃さず、ニヤッと目を細めた。
そんな中――。
「花梨さん……今日も、お美しい」
快斗の列、後ろの席から視線を向けてきたのは、白馬探。
……真顔でじっと花梨を見つめている。
「て、天使……この世のものとは思えないほどの透明感……♡」
「白馬くん、また始まった……」
青子が小声で呟くと、快斗がばっちり聞きつけて、バチッと白馬へ視線を投げた。
「オイ、視線がいやらしいぞ白馬」
「誤解だ、黒羽君。ボクはただ、彼女の清廉さを尊んでいるだけで――」
「ほう、“清廉”ねえ。……襟元の痕に気づいたら、どう反応すんのかなあ?」
「えっ……」
花梨が咄嗟に制服の襟元をぎゅっと掴む。
首筋に残るうっすら赤い痕が、ちょうど見えそうだった。
「か、快斗ぉ……!」
「冗談だって♡ ほら、見えてねーし」
快斗が悪戯っぽく笑うと、花梨は赤い顔でむすっと膨れっ面。
「もう、朝からそういうのやめて……っ」
そんなやりとりに、クラスの空気もほっこりしていた。
……それから一限目、二限目。
久々に何のトラブルもない、ただの“授業”が過ぎていく。
花梨はどこか落ち着かないように背筋を伸ばして座っていたけれど、隣の快斗がノートを回して「落ち着け♡」と手書きでメッセージをくれた。
その文字を見て、花梨はようやく笑顔になる。
◇
……昼休み。
花梨は、図書室へ向かっていた。もちろん快斗も一緒だ。
「たまには一人で行かせてね?」
「ムリ♡ 目を離したらナンパされるし」
「……そこまでじゃないと思うけどなぁ」
「先週の火曜は、俺が購買行ってる間に“写真撮らせて”って男三人に囲まれてたろーが」
「……うん、まあ……」
二人並んで歩く廊下を、すれ違う男子生徒たちがちらちらと振り返る。
まるで陽光に染まるガラス細工のような花梨の姿は、どうしたって目立ってしまう。
でも――。
「花梨はさ、本読んでるときが一番落ち着くんだよな」
快斗がふっと優しく呟いた。
「うん。物語の中では、誰も命を狙ってきたりしないから」
その言葉に、快斗は少しだけ表情を曇らせる。
だけど、すぐに切り替えて――。
「じゃあ、俺も物語の中に入り込んで、花梨を守んなきゃな♡」
そう言って、彼は花梨の手を優しく握った。
図書室の扉を開けると、本の香りがふんわりと漂う。
静かで落ち着いた空間に、花梨はほっと小さく息を吐いた。
「ねえ、快斗。今度、一緒に本読もうよ。静かにできる?」
「むっ、俺の知性を疑ってんのか♡」
「じゃあ、読んでる間は絶対喋らないでね……?」
「……努力する♡」
くすくす笑い合いながら、二人は窓際の机に並んで座った。
陽だまりの中で、ページをめくる音だけが優しく響いていた。
トラブルも、事件も、誰の命も狙われない。
ただ、本と、日差しと、隣の人の存在がある――。
そんな“何でもない日”が、何よりも愛しい。
……明日はまた、土曜が来る。
でも今日は、まだ金曜日。
ほんの少しだけ――平和に甘えても、いいだろう。