01:月光に溶ける約束(後編)


【快斗視点】







 その夜、塔屋の上――。
 月明かりが静かにふたりを包んでいた。

 凜は、いつもの時間に現れた。


「……」


 ――……ん? 今日の凜、なんか元気ない……?


 何も言わずに立ってるのはいつも通りだけど、チラッと見えた瞳が……少し悲しそうに見えた。
 なんだろう……心配になったけど、声をかけるか迷う。


(でも……今日こそ、声をかけるって決めたんだろ、オレ……!)


 塔屋から降りて一歩一歩、静かに凜に近づいていく。
 けど、近づけば近づくほど――。


「っ」


 息が詰まって、喉がひゅっと閉じた。
 足が勝手に重くなる。心臓が、さっきからずっとドクドクうるせぇ。


(……やっべ、逃げたくなってきた……)


 ただ話しかけるだけだろ!? なのにこのザマ。
 深呼吸して、なんとか落ち着こうとするけど――。


「……ん?」

「へっ!?」


 ……吐息の音に気づいたのか、凜がふいに振り返った。


「あっ……」


 目が合った瞬間、オレは固まった。
 凜は月を背にして立ってて、優しく微笑んでて――。


「あれ、キミ……キッドさん? ふふっ、久しぶり」

「っ」


 ――その笑顔、反則だろ……。


 オレは慌ててシルクハットを斜めにかぶり直し、無理やりクールぶって胸を張る。
 けど、心臓はバクバク、手のひらは汗でベタついてて、完璧な演技なんてできるわけねぇ。


「……お、おう……。静かな夜だな、凜」


 出てきた声はかすれてて、自信なんてどこにもねぇ。
 凜の瞳を前にすると、無理してカッコつけてる自分がバレバレで……それが悔しいのに、どこか嬉しくもあって。


「そうだね。今夜は満月だしね」

「ああ……お前の瞳みたいな月だよな、綺麗で……」


 ――っ……は……?


 思わず、口から出ちまった。
 言ってから、変な汗が背中を伝った。


「月が綺麗ですねって?」

「そ、そう……あっ、いや、なんでもねぇって……!」


 凜の反応に焦って、声を低くしてみたけど――やっぱりぎこちない。


「フフフッ」


 凜が、楽しそうに笑ってる。
 その笑顔がさ、月明かりの中でめちゃくちゃ綺麗に見えて……ヤバい。見とれるって、こういうことかよ。


「っ、こ、今夜はお前に見せたいものがある!」

「ん? 唐突になに?」

「……っ、た、確かに唐突だけど……!」


(なんでこんなに緊張してんだ、オレ……!?)


 凜にそう言ってから、オレはポケットからトランプを取り出した。
 手が震えてるの、ヤバいくらい分かる。


「トランプ?」

「……カッ、カードを一枚選べ。そのカードがなんだったか当ててやる。あ、オレに見せるなよ?」


 カードをシャッ、シャッ、シャッと切り始める。
 最初はガッチガチに手がこわばってて、まるで初心者みてーだったけど、次第にいつものリズムが戻ってくる。


 ――よし。


 手にカードが馴染んでくると、不思議と気持ちも落ち着いてきた。
 これなら、スマートに決められる……!


「あ、マジック?」

「……あっ……っ、そ、そうだ」


 その瞬間――。

 凜の声が耳に入っただけで、手が止まった。
 ドクンって、心臓が跳ねて……カード、落としちまった。数枚、足元にぱらぱらっと。


(っあ、ダメだ~! オレ、もう凜に全部持ってかれてる……!!)


 怪盗が心盗まれるって、なんだよその構図。
 完全にオレが被害者なんだが!?

 ……くそ、落ちたカードはあとで拾う。
 今は、とにかく動揺してないふりだけはしないと……!


「へえ……面白そう。僕、生のマジック初めて見るよ」

「そうなんか!?」


 ――なに!? その可愛いおカオ!?


 キラキラした瞳で、無邪気に興味を向けてくる。
 オレ、今ので一撃食らった。マジで。
 笑顔に釣られて、オレの顔までゆるむのが分かった。いや、やべぇって……!

 ……カード当て、開始。


「……あなたの持っているカードは、ハートのエース……違いありませんか?」

「さて、どうでしょうか? あ……あははっ! あったりー!? すごいね!! なんでわかったの?」


 凜がカードを表に返すと、ハートのエース。
 よっしゃ、当たり。

 凜はカードをヒラヒラさせながら、表も裏もチェックしてるけど、もちろん細工はしてねぇ。
 全部、オレの指捌きだけだ。


「はあ……」


(……上手くいってよかった……)


 最初にカード落としたときは、ほんとどうなるかと思った。
 でも、凜が笑ってくれてるから、もうそれだけでオールオッケーだ。

 とりあえず落としたカード拾っとくか、と腰をかがめたその時――。


「あ」

「え?」


 ゴチンッ!


「「いった!」」


 まさかの、頭同士がぶつかる事故発生。
 凜も、カード拾おうとしてたんだ。完全にタイミング被った。


「いってぇ……」

「はは、ごめん。カード拾おうと思って。はい、これ」

「い、いや……ありがとな」


 指先が触れた瞬間、静電気でも走ったみてーに火花が散った気がした。


 ――ッあああああ!? なに!? 今、オレ、凜にぶつかった!?


 ぶつかった額を撫でながら、凜が拾ってくれたカードを渡してくる。
 その手が近くて、距離が近くて……しかも、ふわっといい香りがした。何の香水使ってんだ?

 オレ、完全にときめいた。
 なんなんだよ、この人間兵器……!


「マジックを見せてくれてありがとう。面白かった!」

「こちらこそ、見てくれてありがとな。気に入ってもらえたみたいでよかった」

「うん、けどなんで急にマジックなんか?」

「そ、それは……だな」


 ――そうだよな、唐突すぎるよな。


 凜に聞かれて、オレも自分で「は?」ってなった。
 そうだよな、いきなりカード出してマジックって、冷静に考えたら意味不明すぎる。


「ん?」

「っ……べ、別に意味なんかねーよ。た、ただ話し――」


 “ただ、話しかけるきっかけが欲しかっただけで……”


 ……後半は声に出せなかった。
 それに、あわよくば興味を持って欲しくて……なんて、絶対言えない。言えるわけない。


「ん?」


 凜が小首をかしげる。
 オレはその目を見て、誤魔化すように口を開いた。


「また会ったら、声をかけていいか?」

「もちろん、楽しみにしてるよ」


 ……その返事に、思わず息が詰まりそうになる。

 凜が、手を差し出してきた。
 オレも思わず、その手を取る。


 ――あったけぇ。宝石なんかより、ずっと離したくねぇ……。


 ぎゅっと握ったまま、しばらく無言になる。
 凜の手が、思ったより細くて、でも芯があって……なんだよ、こんなん。


「……?」


 なかなか手を離せなかった。
 いや、離したくなかった。
 けど、凜が少し首を傾けたのを見て、我に返った。


「……っ、今宵はこの辺で失礼致します。また次回の邂逅をお楽しみに」


 オレは、なんとか“キッド口調”を整えてそう言って、シルクハットを取ってお辞儀する。
 ……最後くらいは、ちゃんと決めたかった。


(……上手く言えた……よな?)


 最初のころからずっと、凜の前じゃ全然キャラ保ててなかった。
 もう正直、今さらなんだけどさ。


「フフフッ、またね」


 その笑顔を背に、オレは逃げるように駆け出した。
 マントをひるがえし、屋上から飛び降りる。

 白い布が月光に照らされて、ゆるやかに揺れながら夜へと溶けていく。


 ……ああ、やっぱり。
 オレ、あの人に、惹かれてる。









 オレの姿が見えなくなったあと……。
 ビルの屋上に残った凜は、しばらく夜空を見上げてた。


「……ふふっ、やっぱり可愛い人だな」


 誰に向けたでもない、独り言。
 けどその声は、あたたかくて、ほんの少しだけ名残惜しそうで。

 ふと、手のひらを見下ろしていた。

 さっき、オレが握っていた手。
 そこにはまだ、ほんのりと熱が残ってる気がして……指先を、そっと握り込んでた。


「次に会えるのは……いつだろうね、キッドさん」


 月明かりを背に、ビルの下の闇を見つめながら、凜が微笑む。
 その横顔には、まるで“分かってる”かのような、静かな確信が宿っていた。









 一方そのころ、オレはというと――。
 夜の街を駆け抜けたあと、人気のない裏路地に降り立って、やっと肩の力を抜いた。


「っ……やべぇ、マジで心臓止まるかと思った……!」


 帽子を脱ぎ、額の汗を拭う。
 緊張でにじんだ汗がひやっとして気持ち悪いはずなのに、胸の奥は不思議とぽかぽかしてた。


「……握手って、あんな破壊力あんのかよ……」


 気づけば、ひとりで笑ってた。
 勝ち誇った笑いじゃない、ただ自然に浮かんだ、どこか甘い笑顔。


「……また会いてぇな、凜」


 誰もいない夜の空に、ぽつりとつぶやいた。

 それは、自分でも驚くくらい素直な気持ちだった。
 だからこそ、いちばん戸惑ってるのは……たぶん、オレ自身だ。




 ……月は、今夜も変わらず静かに、そこに浮かんでいた。



2/3ページ
スキ