凛
01:月光に溶ける約束(後編)
【快斗視点】
◇
その夜、塔屋の上――。
月明かりが静かにふたりを包んでいた。
凜は、いつもの時間に現れた。
「……」
――……ん? 今日の凜、なんか元気ない……?
何も言わずに立ってるのはいつも通りだけど、チラッと見えた瞳が……少し悲しそうに見えた。
なんだろう……心配になったけど、声をかけるか迷う。
(でも……今日こそ、声をかけるって決めたんだろ、オレ……!)
塔屋から降りて一歩一歩、静かに凜に近づいていく。
けど、近づけば近づくほど――。
「っ」
息が詰まって、喉がひゅっと閉じた。
足が勝手に重くなる。心臓が、さっきからずっとドクドクうるせぇ。
(……やっべ、逃げたくなってきた……)
ただ話しかけるだけだろ!? なのにこのザマ。
深呼吸して、なんとか落ち着こうとするけど――。
「……ん?」
「へっ!?」
……吐息の音に気づいたのか、凜がふいに振り返った。
「あっ……」
目が合った瞬間、オレは固まった。
凜は月を背にして立ってて、優しく微笑んでて――。
「あれ、キミ……キッドさん? ふふっ、久しぶり」
「っ」
――その笑顔、反則だろ……。
オレは慌ててシルクハットを斜めにかぶり直し、無理やりクールぶって胸を張る。
けど、心臓はバクバク、手のひらは汗でベタついてて、完璧な演技なんてできるわけねぇ。
「……お、おう……。静かな夜だな、凜」
出てきた声はかすれてて、自信なんてどこにもねぇ。
凜の瞳を前にすると、無理してカッコつけてる自分がバレバレで……それが悔しいのに、どこか嬉しくもあって。
「そうだね。今夜は満月だしね」
「ああ……お前の瞳みたいな月だよな、綺麗で……」
――っ……は……?
思わず、口から出ちまった。
言ってから、変な汗が背中を伝った。
「月が綺麗ですねって?」
「そ、そう……あっ、いや、なんでもねぇって……!」
凜の反応に焦って、声を低くしてみたけど――やっぱりぎこちない。
「フフフッ」
凜が、楽しそうに笑ってる。
その笑顔がさ、月明かりの中でめちゃくちゃ綺麗に見えて……ヤバい。見とれるって、こういうことかよ。
「っ、こ、今夜はお前に見せたいものがある!」
「ん? 唐突になに?」
「……っ、た、確かに唐突だけど……!」
(なんでこんなに緊張してんだ、オレ……!?)
凜にそう言ってから、オレはポケットからトランプを取り出した。
手が震えてるの、ヤバいくらい分かる。
「トランプ?」
「……カッ、カードを一枚選べ。そのカードがなんだったか当ててやる。あ、オレに見せるなよ?」
カードをシャッ、シャッ、シャッと切り始める。
最初はガッチガチに手がこわばってて、まるで初心者みてーだったけど、次第にいつものリズムが戻ってくる。
――よし。
手にカードが馴染んでくると、不思議と気持ちも落ち着いてきた。
これなら、スマートに決められる……!
「あ、マジック?」
「……あっ……っ、そ、そうだ」
その瞬間――。
凜の声が耳に入っただけで、手が止まった。
ドクンって、心臓が跳ねて……カード、落としちまった。数枚、足元にぱらぱらっと。
(っあ、ダメだ~! オレ、もう凜に全部持ってかれてる……!!)
怪盗が心盗まれるって、なんだよその構図。
完全にオレが被害者なんだが!?
……くそ、落ちたカードはあとで拾う。
今は、とにかく動揺してないふりだけはしないと……!
「へえ……面白そう。僕、生のマジック初めて見るよ」
「そうなんか!?」
――なに!? その可愛いおカオ!?
キラキラした瞳で、無邪気に興味を向けてくる。
オレ、今ので一撃食らった。マジで。
笑顔に釣られて、オレの顔までゆるむのが分かった。いや、やべぇって……!
……カード当て、開始。
「……あなたの持っているカードは、ハートのエース……違いありませんか?」
「さて、どうでしょうか? あ……あははっ! あったりー!? すごいね!! なんでわかったの?」
凜がカードを表に返すと、ハートのエース。
よっしゃ、当たり。
凜はカードをヒラヒラさせながら、表も裏もチェックしてるけど、もちろん細工はしてねぇ。
全部、オレの指捌きだけだ。
「はあ……」
(……上手くいってよかった……)
最初にカード落としたときは、ほんとどうなるかと思った。
でも、凜が笑ってくれてるから、もうそれだけでオールオッケーだ。
とりあえず落としたカード拾っとくか、と腰をかがめたその時――。
「あ」
「え?」
ゴチンッ!
「「いった!」」
まさかの、頭同士がぶつかる事故発生。
凜も、カード拾おうとしてたんだ。完全にタイミング被った。
「いってぇ……」
「はは、ごめん。カード拾おうと思って。はい、これ」
「い、いや……ありがとな」
指先が触れた瞬間、静電気でも走ったみてーに火花が散った気がした。
――ッあああああ!? なに!? 今、オレ、凜にぶつかった!?
ぶつかった額を撫でながら、凜が拾ってくれたカードを渡してくる。
その手が近くて、距離が近くて……しかも、ふわっといい香りがした。何の香水使ってんだ?
オレ、完全にときめいた。
なんなんだよ、この人間兵器……!
「マジックを見せてくれてありがとう。面白かった!」
「こちらこそ、見てくれてありがとな。気に入ってもらえたみたいでよかった」
「うん、けどなんで急にマジックなんか?」
「そ、それは……だな」
――そうだよな、唐突すぎるよな。
凜に聞かれて、オレも自分で「は?」ってなった。
そうだよな、いきなりカード出してマジックって、冷静に考えたら意味不明すぎる。
「ん?」
「っ……べ、別に意味なんかねーよ。た、ただ話し――」
“ただ、話しかけるきっかけが欲しかっただけで……”
……後半は声に出せなかった。
それに、あわよくば興味を持って欲しくて……なんて、絶対言えない。言えるわけない。
「ん?」
凜が小首をかしげる。
オレはその目を見て、誤魔化すように口を開いた。
「また会ったら、声をかけていいか?」
「もちろん、楽しみにしてるよ」
……その返事に、思わず息が詰まりそうになる。
凜が、手を差し出してきた。
オレも思わず、その手を取る。
――あったけぇ。宝石なんかより、ずっと離したくねぇ……。
ぎゅっと握ったまま、しばらく無言になる。
凜の手が、思ったより細くて、でも芯があって……なんだよ、こんなん。
「……?」
なかなか手を離せなかった。
いや、離したくなかった。
けど、凜が少し首を傾けたのを見て、我に返った。
「……っ、今宵はこの辺で失礼致します。また次回の邂逅をお楽しみに」
オレは、なんとか“キッド口調”を整えてそう言って、シルクハットを取ってお辞儀する。
……最後くらいは、ちゃんと決めたかった。
(……上手く言えた……よな?)
最初のころからずっと、凜の前じゃ全然キャラ保ててなかった。
もう正直、今さらなんだけどさ。
「フフフッ、またね」
その笑顔を背に、オレは逃げるように駆け出した。
マントをひるがえし、屋上から飛び降りる。
白い布が月光に照らされて、ゆるやかに揺れながら夜へと溶けていく。
……ああ、やっぱり。
オレ、あの人に、惹かれてる。
◇
オレの姿が見えなくなったあと……。
ビルの屋上に残った凜は、しばらく夜空を見上げてた。
「……ふふっ、やっぱり可愛い人だな」
誰に向けたでもない、独り言。
けどその声は、あたたかくて、ほんの少しだけ名残惜しそうで。
ふと、手のひらを見下ろしていた。
さっき、オレが握っていた手。
そこにはまだ、ほんのりと熱が残ってる気がして……指先を、そっと握り込んでた。
「次に会えるのは……いつだろうね、キッドさん」
月明かりを背に、ビルの下の闇を見つめながら、凜が微笑む。
その横顔には、まるで“分かってる”かのような、静かな確信が宿っていた。
◇
一方そのころ、オレはというと――。
夜の街を駆け抜けたあと、人気のない裏路地に降り立って、やっと肩の力を抜いた。
「っ……やべぇ、マジで心臓止まるかと思った……!」
帽子を脱ぎ、額の汗を拭う。
緊張でにじんだ汗がひやっとして気持ち悪いはずなのに、胸の奥は不思議とぽかぽかしてた。
「……握手って、あんな破壊力あんのかよ……」
気づけば、ひとりで笑ってた。
勝ち誇った笑いじゃない、ただ自然に浮かんだ、どこか甘い笑顔。
「……また会いてぇな、凜」
誰もいない夜の空に、ぽつりとつぶやいた。
それは、自分でも驚くくらい素直な気持ちだった。
だからこそ、いちばん戸惑ってるのは……たぶん、オレ自身だ。
……月は、今夜も変わらず静かに、そこに浮かんでいた。