白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
096:恋人の時間







 休日の、まだ三時を少し過ぎた頃だからだろうか、比較的空いている帰りの電車内で花梨と快斗は手を繋ぎ、疲れからか無言で流れゆく景色をぼうっと眺めながら帰路につく。

 権堂を公園に残してきたが、公園を出たところで花梨のスマホに伊達からメッセージが届き、警護は引き続きしているから心配するな、とのこと……(権堂が連絡してくれていたらしい)。
 快斗も「今日はオレもいるし、もう大丈夫なんじゃねーかな」なんて、自身のスマホを見下ろしつつ言った。

 秘かに諸伏と連絡を取り、「続きの警護って、諸伏さんですか?」と尋ねていた快斗。まさか諸伏と快斗が繋がっているなんて、花梨は思っていない。
 快斗がそう言うなら……と、そのまま素直に受け入れる。

 そうして、ようやく花梨のマンションに戻ってきた。

 マンションに入る直前、快斗が背後を気にして頭を下げたような気がした。
 しかし、花梨には快斗が何を気にしているのかわからなかった。


「おつかれさま」

「あ、うん……快斗もおつかれさま。ごめんね、気が気じゃなかったよね」

「うん……すげー心配した……」


 部屋に上がりリビングまでやって来ると、花梨は振り返って背後に立つ快斗を見上げる。
 快斗の顔は眉が下がり不安そうで、そっと花梨を抱き寄せた。


「快斗がキッドだって、バレなくてよかった……」


 ――新ちゃん、快斗のことどころじゃなかったみたい。


 あれだけのことがあれば、さすがの新一も、快斗のことなど気にしている場合ではないだろう。

 花梨は快斗の背に手を回す。
 ところが快斗は両肩に手を乗せ、花梨を押し剥がした。


「は? ちょ、花梨、なに言ってんだよ……。そっちじゃねーよ……?」

「え?」

「……はー、もぉ~! オメーさんは人のことばっか気にして……! バーロ!」

「えぇっ? っ、くるし……」


 信じらんねえ……と、見開かれた目の快斗が再び強く抱きしめてくる。
 ぎゅうぎゅうっと強く、強く。


「オレのことはいーの! 変な動きもしてねーんだし、あんな場所でバレるわけねーって」

「そっかぁ……、よかったぁ……」


 安堵に力を抜く彼女を見て、快斗は奥歯を噛み締めた。


(本当は、あのボウズに感謝しなきゃいけねーんだ。あそこであの探偵くんが間に合わなきゃ、今頃オレは――)


 浮かびかけた最悪の想像を振り払うように、快斗は指が白くなるほど花梨の細い肩を強く掴んだ。


「花梨……、なんでそんなこと思うんだよ……」


 なぜ、自分の身より正体の露見を優先するのか。
 なぜ、そんなに脆い体で、自分を置いていこうとするのか。

 喉まで出かかった「オレが遅れたばっかりに」という懺悔を飲み込み、快斗は逃さないように彼女を閉じ込める。


「私……快斗に迷惑かけてばかりだから、私のせいであなたに何かあったら申し訳なくて」

「……バーロ、もっと迷惑かけろってんだ……!!」


 ――オレが遅れたばっかりに、怖い思いをさせちまった……。


 今花梨が無事でいられるのは、あの少年のおかげ。打ちどころが悪ければ失明……または、死だってあり得た。
 トロピカルランドの時も、諸伏がいなければ花梨は――。

 権堂は確かに頼もしかったが、初手は後れを取っている。
 それは、花梨のプライベートを優先させたゆえの悪手だといえよう。

 諸伏から聞いた話が真実であることがわかった今、快斗のできることと言えば、常に彼女のそばにいること。
 なぜか、命を狙うのは土日だけだと言っていた。だから、土日だけでもそばにいれば守ってやれる。

 こうなったら花梨に土日の外出は控えてもらって……。


「ちょっ、快斗っ、本当に苦しい……っ!」


 ……快斗が力を緩めずに抱きしめ続けるので、花梨は抗議の声を上げた。


「ん……? あ、わりぃ……抱き心地がくてつい……♡」

「快斗ってチカラ強いね……。潰されちゃうかと思ったよ……」

「んー? 抱き潰されたいって?」

「え? そんなこと言ってな……、ン、なっ、なんでファスナー下ろすの……っ、あっ」


 快斗の指先が、躊躇いなく背中の合わせ目を割っていく。
 露わになった白い背に、熱を持った掌が吸い付くように滑り込んだ。


「……っ、あっ」


 花梨が身を竦ませ、震える瞳で彼を仰ぎ見る。
 そこには、いつもの軽薄な笑みは微塵もなかった。射抜くような、けれど泣き出しそうなほど切実な“男”の目。


「……花梨。オレ、今日はなんかもーお腹いっぱい。昼寝しよーぜ、昼寝。休息大事よ?」


 吐息が触れるほどの距離で囁かれる、甘く強引な宣告。
 それは恐怖を塗りつぶし、自分の所有権を刻み込もうとする、雄としての本能的な求愛だった。


「えぇっ? お昼寝するならこんなことしてないで普通に寝ようよ、ソファで横になる? それとも……わぁっ!?」


 スルスルとワンピースをあっという間に足元に落とされ、花梨は下着と靴下だけの姿に。快斗がすぐに両腿を持ち上げ、軽々と正面から抱き上げられてしまった。


「花梨に抱きしめられて寝たい♡」

「っ……もぉ~っ! しょうがないなあ……♡」

「花梨すき~♡」


 ぐりぐりっと胸の谷間に快斗の顔が埋まり、花梨は癖っ毛頭を抱えて優しく撫でる。そのまま抵抗することなく自室へと連れられて行った。
 自室に着けばベッドに下ろされて、寝転がされ快斗が覆い被さってくる。
 やっぱりするんだと思い、彼を見上げると、快斗は今にも泣きそうな顔をしていて――。


「花梨っ、オレが絶対守ってやるからな……?」

「快斗……」


 快斗の顔が近づき、花梨は静かにまぶたを閉じた。










 花梨の寝息を隣で聞きながら、快斗の意識は冷徹に研ぎ澄まされていた。


 ――なぜ、『土日』なんだ?


 平日、彼女が学校に通い、警察のお兄ちゃんたちの目が届きにくい時間帯はいくらでもある。
 なのに、わざわざ快斗たちがそばにいる休日を狙い、しかも明確な殺意を持って現れる。

 まるで、誰かに見せつけているみたいじゃねーか。
 彼女を殺すことが目的ではない、もっと別の、おぞましい意図が裏にあるような。

 ……快斗は隣で眠る花梨の指に自分の指を絡め、その細い感触を確かめた。
 何があろうと、来週の土日も、その次も――この手は絶対に離さない。

 ……ちょっとした昼寝は夜遅くまで続いた。

 明日は月曜日。またいつもの日常が始まる。
 たっぷり昼寝をした快斗は花梨宅で風呂を済ませ夕食を食べ、名残り惜しいが帰宅することになった。


「一緒にいたい……」


 お別れの時間だというのに、玄関で靴を履き終えたにも関わらず、快斗は花梨のパジャマの袖を掴んで放そうとしない。


「明日学校だよ? 制服自宅でしょ?」

「うー……もうさ、一緒に住んじまえばいいんじゃねえの? 花梨の家に置くオレの服、もっと増やしてさ。もうここから学校通おっかなー……」

「それはまずいんじゃないかな……。私たち未成年だから倫理的にまずいし、お兄ちゃんたちが黙ってないと思うんだけど……」


 ――特に零お兄ちゃん、新ちゃん並みにお説教が長くなりそうで……。


 マンションで同棲しようと言い出す快斗に、花梨は現実的な返答をする。
 現在一人暮らし同士だからできなくはないが、二人はまだ未成年だ。保護者の同意もなくそれは無理というもの。
 たとえ快斗の親の同意があったとしても、親がいない花梨にはその代わりではないが頼もしい“警察のお兄ちゃんたち”がいる。

 ……快斗との親密な交渉に目を光らせていた彼らが許すはずがない。


「花梨の真面目っ子ー……。くそー……国家権力に屈して堪るか! こちとら何人たりとも捕まえられない天下の大盗賊だぞ!? この腕で幾多の修羅場を潜り抜けたと思ってんだ!」


 快斗は自らの逃走技術を誇示するように、握り締めた拳を天井に向けて掲げた。
 そんな快斗に花梨は。


「ふふふっ、えいっ♪」

「ん?」


 ぎゅっ、と快斗の胸に飛び込み抱きしめる。
 そしてそっと顔を上げてにっこり。


「わーい、捕まえた~♡ 私、キッドさんを捕まえたよ~?」

「……っ、ん゛ン゛っ!? きゃわわっ♡♡」


 不意をついた花梨の攻撃に、快斗の顔が真っ赤に染まった。
 大体いつも快斗から抱きつくので、花梨からというのはどうにも慣れておらず照れてしまう。
 しかも、花梨のふわもこ白パジャマは猫耳フード付き。そっとフードを被せてみれば白猫みたいだ。

 嬉し恥ずかし尊し。
 ……快斗は心のカメラのシャッターを何度も切った。


「あれれ~? 私には簡単に捕まってくれるのに何人たりともなの~?」

「花梨はいーの! ってーか、おめえはオレが捕まえてんの!」

「えー? 私いつの間に快斗に捕まってたの?」


 いつの間にか快斗の手が背中に回され、抱きしめられる。
 ……帰り際になると、離れ難くて毎度こうなってしまう。
 他人には見せられないなと思うくらい甘くてくすぐったくて、けれど愛おしい時間だなと花梨は思っていた。


「……初めて逢った時からですよ、お嬢さん。あなたは私のものなんですよ」

「っ! も、もぉっ、急にキッドさんにならないでよぉ……。緊張しちゃう……」


 こっそり囁かれ、耳に快斗の吐息が触れて、花梨の身体がぶるりと震える。

 気安い快斗も好きだが、キッドでいる時の快斗はまるで別人のよう。そのギャップにドキドキしてしまうのだ。
 頬が熱くなった花梨は瞳を潤ませ俯く。


「かっわっ♡ 花梨」

「ん? っ」


 俯いた花梨の顎に、快斗の指先が掬い上げるように触れ、“ちゅっ”と軽く唇を落とし、快斗はすぐに離れた。


「……離れ難いけど、今日は帰るな」

「うん……、今日はそばにいてくれてありがとう」

「ん、窓とか戸締りはちゃんとしてな?」

「うん、帰ってから開けてないよ?」

「オレが出たらすぐ鍵かけてな?」

「うん、わかった」


 快斗に戸締り確認をされていると、過保護だなと思う。
 けれど、これは多分彼の愛情なのだ。

 ……確認を取られる度に花梨は何度も首を縦に振った。



98/116ページ
スキ