白月の君といつまでも
-- Spring, about 17 years old
080:勇気がほしい
「あっ、花梨っ!」
「わっ……!」
慌てたせいだろうか、花梨のバスタオルがキッドの腕と擦れ合い、はらりと開いてしまった。
バサッと、バスタオルが足元に落ちた。
……真っ裸で男を部屋に誘い込もうとしている女の図が完成、である。
「……っと。今宵の花梨嬢は大胆ですね……♡」
「これは、だって……」
紳士的な言葉とは裏腹に、キッドの目は嬉しそうに細められ、花梨の全身を隈なく凝視した。
ラッキーとでも思っているのだろう。
プロのポーカーフェイスもどこへやら、その視線はその視線はしっかりといやらしく、口角も上がっている。
……ところが。
「……っ、いてて」
不意にキッドが眉を寄せた。逃げる際に転んで打ち付けた頬の擦り傷が、口角を上げた拍子に引きつり、痛みに声が漏れた。
「っ、大変っ、怪我してるの!?」
花梨が部屋の窓とカーテンを開けてキッドを見上げ、よく見てみれば衣装はボロボロ。負傷したらしく、ところどころ服が破けて血が滲んでいる。
気づいた花梨の顔が瞬時に青ざめた。
「ははは、少々ヘマをしましてね……(せっかく花梨の裸を拝んでるってーのに格好わりぃ……)」
「ほんとだ……擦り傷がいっぱい……痛そう……っ」
ポロッと花梨の瞳から涙がこぼれ落ちる。
……花梨は泣き虫だ。
一滴あふれると、あとからあとから涙が止まらなくなった。
「……泣かないでください、あなたの涙は私の心を鋭く抉る」
「気障なこと言ってる場合じゃないでしょ……今、救急箱持って来るから座ってて……!」
キッドが花梨を見下ろし、悲しそうに苦笑した。
花梨はキッドを部屋に引き入れ、ソファに座るよう促す。
そして救急箱を取りに走り出そうとしたが、キッドはそれを引き留めた。
「……あー、花梨? タオル巻いてこ? えっちすぎる」
「あ」
「……うん、オレは別に手間が省けるからいいんだけどな?」
「っ……」
少し素に戻った快斗は、花梨の落としたバスタオルを拾い上げ、彼女の肩に被せてやる。
……まあ、このあとひん剥くから構わないっちゃ構わないのだが、治療の間も裸だとさすがに目のやり場に困るのだ。
花梨は慌ててタオルを身体に巻きつけると、「すぐ着替えてくる!」と告げて自室へダッシュした。
「あっ、花梨嬢! 走って転ばないように!」
「はーい! あっ!」
「ちょっ、花梨大丈夫か!?」
「っ、平気! ちょっと滑っただけ!」
キッドが注意したそばから花梨は足を滑らせ、バランスを崩す。
だが運動神経は悪くないためなんとか踏みとどまり、自室に消えた。
「……花梨があんなに慌ててる姿、初めて見たな……。オレ、結構愛されてんじゃん?」
リビングに一人残ったキッドは、先ほどの花梨の自分を想って泣く姿と、慌てふためく姿に心が温かくなる。
どう考えても相思相愛だよな……と、今夜花梨の元に来て良かったとしみじみ思った。
◇
「――で、探偵が現れたわけですよ」
「ふふふっ♡ 今夜はキッドさんでいくのね?」
「フフフ、怪盗の私もお好きでしょう?」
ポンポンとピンセットで消毒薬を塗ってもらいながら、キッドはうっとりした眼で花梨に尋ねる。
消毒薬がしみるが、さほど気にならないのは花梨のおかげだろう。
さっき月明かりに照らされた花梨の瞳が、いつもより輝いて綺麗に見えた。
魅惑の瞳だなと常に思っているが、今夜は格別かもしれない。
バスタオルを落とした時、月に照らされた彼女は女神そのものだった。
……一瞬、言葉を失ったほどに。
彼女の魅惑の瞳も、優しい声も、艶かしい身体も。構成するその全てが愛おしく、独り占めしたくて堪らない。
今夜は怪盗キッドとして、その身体を奪ってしまおう……。
「ん、すき♡」
問われた花梨は、満面の笑みですぐに「すき」だと伝えた。
彼氏に告げる愛の言葉は、いくら言っても問題なしだ。
「っ……もっ、も~、花梨はすーぐそういう可愛いこと言っちゃうからさあ~!」
――素直すぎ、可愛すぎ! オレもすきっ!!
花梨から恥ずかしげもなく真っ直ぐに伝えられる好意に、キッドの顔は真っ赤に染まる。
いつもは自分が言うセリフをこうして伝えてもらえると、こんなに嬉しいものなのだと胸が高鳴って仕方ない。
やっぱり自分は花梨に愛されているんだと再認識し、ここに来るまでに感じていた焦燥感が薄らいだ気がした。
「ん?」
「……花梨嬢、今夜はあなたの優しく温かい巣の中で、羽を休めてもよろしいですか?」
――せっかくだし、今夜はキッドに徹してよっかな。
好きと言われて少々素が出てしまったが、今夜は“快斗”を引っ込め、キッドに徹することに決めた。
紳士的に振る舞い、花梨を翻弄してやろう。
そして自分に完全に堕ちてくれ。
そう願ってキッドは花梨の返事を待った。
「ふふふっ、はい……どうぞ?」
「……愛しています」
「ン……」
治療が終わり、救急箱の蓋を閉めると、花梨は「あなたを受け入れます」というように両手を広げる。
キッドは真面目な顔で愛を囁き、顔を寄せると、花梨の唇を塞ぎながら芳しい香りのする柔らかい身体を強く抱きしめた。
◇
怪盗キッドの訪問から二時間後――。
白装束を脱ぎ、すっかり素に戻った快斗は、ベッドで横になりながらうっとりした顔で花梨の髪を撫で、くるくると指に絡めて弄び始める。
いつもならもう花梨は疲れて眠ってしまっている時間なのだが、今夜はまだ起きていた。
「……ね、快斗、お願いがあるんだけど……」
「んー?」
ぱちぱちと睫毛が上下し、見え隠れする花梨の
「……快斗にね、勇気をもらいたいなって」
少々眠かったが、花梨は自身の髪を弄ぶ快斗に、意を決して告げる。
「勇気?」
「うん、勇気。快斗といると、何でもできちゃう気がして」
「そっか♡ よし、じゃあぎゅーしよか? それともちゅー?」
快斗は何の勘違いか髪から手を放し、両腕を広げ唇を尖らせた。
「あっ、そうじゃなくてね」
「えぇ? 違うの?」
なんだ違うのか、と、花梨から求められたものだとばかり思った快斗の唇は、尖ったままぶすくれる。
「……幼なじみに会いに行こうと思って」
「幼なじみって……新ナントカって奴か?」
花梨の幼なじみといったら“新ちゃん”とかいう、男のことか。
……尚も快斗は唇を尖らせたままだ。
「あ、ううん。新ちゃんじゃなくて、女の子」
「え? 女の子?」
「うん、大好きな女の子。とっても可愛くて優しくて。私、昔その子に憧れてたの」
「へえ?」
意外そうに快斗は目を瞬かせる。
可愛い花梨に憧れる女の子ならいると思うが、花梨が憧れる女の子……?
どんな子なのだろうと少し興味が湧いた。
「でも私ね、昔は男の子として育てられてたから、その子、たぶん今も私のこと男の子だって思ってると思うんだ」
「男の子として育てられたぁ? は? どういうこと?」
――こんな可愛い子を男として……? いや、無理があるだろ……。
驚きすぎたのか、快斗は上体を起こして花梨を見下ろす。
どこをどう見ても、花梨は可愛い女の子にしか見えない。
顔だけじゃなく、身体だってしっかり女の子だということは、身をもって知っている。
まさかとは思うが、どこか整形しているようには見えないし、おそらく幼少期から顔立ちは殆ど変わっていないはずだ。
「あ……、そこから話さなきゃだね……。んー……」
もう過ぎ去ってしまった過去の話をするのはあまり好きではないが、快斗になら話してもいいかもしれない。
けれど、話して不快な思いをさせたりはしないだろうか。
……花梨は思い迷う。