白月の君といつまでも
-- Spring, about 17 years old
007:進路先は?
……あれから二時間は経っただろうか。
話は三十分前には終わったようで両親はリビングで寛ぎ中。花梨の姿は見当たらず、風呂に入っているようだ。
「ん……? 花梨……」
「あ、新ちゃん……。お風呂いただきました」
「お、おぉ……」
リビングをちらっと見て通り過ぎた新一が、ダイニングで水でも飲むかと冷蔵庫を開けていると、風呂上がりの花梨に会った。
有希子のパジャマを借りたのだろう。もこもこ素材の淡い色をした可愛らしいパジャマは母親が着るには年齢的にどうかと思っていたが(ツッコんだら殺されるから言わない)、十五歳の花梨にはよく似合う。
花梨は首にフェイスタオルを下げているが、髪が濡れた様子はない。乾かしてきたのだろうか。
かなり厚ぼったい長い髪なのに、よく短時間で乾かせたものだ。
なんとなく気に掛かったものの、女の子の事情に首を突っ込むのは気が引けて、特にここでは深掘りせずスルーした。
風呂上がりだからか、眼鏡を外している花梨の瞳がはっきり見えて、幼児時代の“葵”と顔は同じなのにギャップがあり過ぎて面食らう。
……花梨は、どこからどう見ても女の子にしか見えない。
その花梨がぺこりと丁寧にお辞儀をする。
「……目ぇ、パンパンじゃねーか」
「あ、えへへ……いっぱい泣いちゃった」
「水飲むか?」
新一の指摘に、花梨はまた泣きそうな顔で笑った。
大泣きした名残だろう、花梨の目が腫れている。
新一は冷蔵庫から自分の分と、もう一本。
ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し花梨に差し出す。
「ありがと……。急に泣いちゃってごめんね。びっくりしたよね! 実は私自身が一番驚いてたり~……あははっ」
「……」
「新ちゃん?」
「花梨、オメーさ……。なんでオメー……」
ミネラルウォーターを受け取った花梨が、ペットボトルの蓋に手を掛けながらはにかむ。
笑っているというのに、その笑顔が新一からは嘘くさく見えてしまった。
……夕刻助けた少女が花梨だと判明し、新一には引っ掛かっていることがある。
(花梨、オメー、なんであんなびくびくしてたんだ?)
新一を新一だと認識した途端、花梨に怯える様子はなくなったが、それまでは周りを警戒するように俯いていた。
始めは恥ずかしがり屋だからだと思っていたのだが、どうもそうではなさそうで。
「ん?」
「……いや、なんでもねー……」
――オレにはまだ話してくれねーよな……。
柔和な瞳で首を傾げる花梨に、新一は事情も知らないし、自分がまだ信用されていないのではと感じ、いつか話してくれるかもしれないと、今は訊かないことにした。
「……かった」
「……ん?」
「フタ、固くて開かない」
「あぁ? 貸してみろ」
「はい」
急に花梨の眉間に皺が寄り、ペットボトルの蓋を捩じる手が止まる。
蓋が固くて開かないらしい。
寄越せと彼女のペットボトルを奪い、新一が蓋に手を掛けると少し固めではあったがあっさり開いた。
「……なんだよ、すぐ開くじゃねーか。ハハッ、オメーどんだけ非力なんだよ」
「固かったんだもん」
「そういや昔もあったっけか。プルタブが開けられなーいって泣きついてきたよな」
「ちょっ、五歳児なんだから、開けられなくたっておかしくないでしょ!?」
昔彼女がドリンク缶を開けるのも一苦労だったことを思い出し、新一は笑う。
“葵”の時も花梨は非力だった。
あの時はなよなよしてるなと思っていたが、今ならわかる。
ペットボトルを返してやると緩めてやった蓋を開けて「新ちゃんありがとー」とのどが渇いていたらしく、ゴクゴクと勢いよく飲み下していった。
「ぷはーっ! 冷たくておいし~♪」
「ははっ、いい飲みっぷりだなおい。そういやオメー、推理小説好きだったよな?」
「うん。私、新ちゃんみたいに推理はできないから、最後まで解けない人だけどね」
「図書室行くか?」
「……うんっ!」
腰に手を当て、ミネラルウォーターを飲み干した花梨にもう一本、ペットボトルを持たせ、新一は自宅の図書室へ案内する。
工藤邸には、図書室という名の蔵書家も驚く大量の書籍が蒐集されているのだ。
花梨を預かっていた最初の頃、図書室で推理小説を勧めたが花梨は難しくて読めずに絵本ばかり読んでいた。
だが新一が推理小説を読み解き、得意げに語れば興味を示し、次第に推理小説を読むようになる。
別れる前日には「おいちゃん、ボクサイン欲しいの!」なんて、色紙を手に瞳をキラキラ輝かせて優作に迫り、ねだられた優作は、花梨を抱きしめしばらく離さず、色紙どころか著書にもサインを書いてプレゼントした。
「あっ、おじさまの最新作!? これ手に入らないって重版待ちのだよね! 読みたい!」
「……そのおじさまっての違和感あるんだが……親父は喜んでたみてーだけど……」
図書室にて、優作の新刊を前に花梨が目を輝かせる。
“実は新ちゃんの影響で推理小説好きになったんだー”、なんて言われた新一はちょっぴり照れつつ、新刊を花梨に手渡した。
「そう? さすがに昔みたいに“おいちゃん”はないかなーって思って」
「まあ確かに……」
――花梨も一応成長しているんだな……。
失礼なと言われそうだが、同い年の割りに、花梨が純粋無垢過ぎる気がした新一はそう思ってしまう。
「今晩だけじゃ読み切れないからまた遊びに来てもいい? 今週は荷解きとかゲームやるのに忙しいから来週にでも!」
「ん? おお……って、ゲーム? オメー学校は? 制服、都内の学校じゃねーだろ」
手渡された本を大事そうに抱きしめる花梨に、借りていけばいいじゃねーかと思ったが、それよりも気になったのは花梨のことである。
「あ……。さっすが新ちゃん! よくわかったね。実は、学校には行ってないんだ~」
「行ってないって……受験どうすんだよ……」
花梨の着ていた制服は東都外のもの。
三年生の秋。今の時期は受験勉強で忙しいはずなのだ。
なのにこの時期に引っ越し。しかも独り暮らしなのだと晩餐時に聞いた。
新一の通う帝丹中学なら、帝丹高校へとエスカレーターで進学するからいいとして、花梨は外部から来ているわけで。
「受験なら大丈夫。もう受ける学校決めてるし、たぶん受かる」
「ふーん。ならいいけどよ……。帝丹受けるのか?」
「ううん。江古田高校」
「なんで? オレ帝丹に行くんだけど? オメーも来ればいいじゃん」
帝丹に来ればまた蘭と園子も一緒だ。
花梨は五歳時点で一部の漢字を読めて、そこそこ頭は良かった。
性別で驚かれるだろうが、昔馴染みがいれば、気も遣わず楽に過ごせるはず――。新一はそう思ったが花梨は江古田高校を受けるらしい。
レベル的には大差のないところではあるが、なら帝丹でもいいのではないか。
「帝丹もちょっと考えたんだけどね。江古田の方が住んでるマンションに近くて」
「そっか……」
――なんだよ……一緒の高校に行けると思ったのに……。
花梨の言葉を受けて返す新一の声が暗く沈んでいる。
進学先は当たり前のように、同じ帝丹高校に来るのだと思っていたが、違った。
新一がそう思うのも無理はない。
昔、花梨は新一の後ろをついて来ることが多かった。
その後ろに蘭と園子もついて来るから、いつも目に入って面白くなかったのだ。
「たまにお家に遊びに来るし、淋しくても我慢してね」
「っ、別に淋しかねえよ!」
「あはははっ、私は淋しいよ~! 大好きな新ちゃんと一緒がよかったよ~!」
「だ、大好きって……、ちょ……え、えぇ……っ? そんなこと急に言われ、ても……」
新刊をぎゅっと抱きしめ眉を下げる花梨を前に、ストレートに好意を示された新一の顔は赤くなる。
今気になっているのは蘭で、だけど花梨が現れて……。
正直なところ、少し心が揺さぶられている。
ところが。
「あ、これ読むから邪魔しないでね」
「っ……あのなぁ……」
「……わくわくしてきた……!」
ふと花梨の顔が真顔になり、急に書籍を開いて読みだすものだから、新一は微苦笑して頭を掻いた。
……どうやら愛の告白というわけではなかったらしい。
瞳をキラキラさせて、小説を読み進める花梨の横顔を眺めてから、新一も他の本を手に取った。
「ふぅ……。ちょっと眠くなって来ちゃった」
しばらく集中して読んでいた花梨だが、次第に眠くなったのか目を擦っている。
「……犯人わかったか?」
「ぜーんぜん! でもハラハラドキドキして、いま胸がいっぱい。続きは来週かな」
隣で本を読みつつ、たまに花梨の様子を窺っていた新一が尋ねれば、明るい笑顔が返ってきた。
8/8ページ