白月の君といつまでも
-- Spring, about 17 years old
006:新ちゃんと呼ばれて
「あ、もしもし。有希子さん? 新ちゃんまだ来てなくて」
「あー、また話し中かよ……って、え?(有希子さん? 新ちゃん?)」
背中から聞こえたよく聞く名前に、新一は繋がらないスマホを片手に振り返り固まる。
新一の後ろにはさっきの少女。
彼女は、通話相手に待ち合わせ相手が来ないことを告げているようだ。
「……え? もう着いてるはず? はい……今日の新ちゃんは詰襟で、サッカーボールを持ってる……?」
そこまで言った少女の身体がくるりと反転。互いに振り返った恰好で目が合った。
「……新ちゃん……?」
「んん?」
急に呼ばれた新一は目を瞬かせ、首を傾げる。
自分を“新ちゃん”と呼ぶのは母親である有希子だけ……。いや、もう一人いた。
「……やっぱり新ちゃんだった……。あ、えと、新ちゃんいたみたいです。え? 替わって? あ、はい。新ちゃん、これ」
「あ、ああ……」
――オレを“新ちゃん”呼ばわりするのは、母さんと……。
突如少女から通話中のスマホを渡され、耳に当ててみる。
状況を整理し、推理すると通話相手は恐らく――。
『新ちゃん! 葵くんと会えたみたいね! うふふっ♪』
「は? 葵くん……?(やっぱり母さん……!)」
通話相手の声は予想通りよく知った新一の母、有希子の声だった。
『葵、花梨ちゃん♪ 可愛い女の子でしょっ♪』
電話口の向こうで、楽しそうな母親の声が聞こえる。
「か、りん……ちゃん?」
聞いたことの無い名前が告げられ、目の前の少女を見つめ復唱した。
「はい。私は葵、葵花梨だよ。新ちゃん! 久しぶりだねっ!」
「え……、えええええっ!?!? 葵っ、おまっ、おん……!?」
両手を振り振り、少女……花梨が朗らかに笑う。
眩しいくらいの笑顔が十年前の幼なじみのそれと重なった。
いつもは何事にもそう動じることのない新一も、今回ばかりは驚き過ぎて一歩後退してしまう。
「ふふふっ、うん、私本当は女の子だったの! びっくりした?」
「はぁああああっ!?(葵って苗字だったのかよ……!!)」
……まさか葵が女だなんて。
思ってもみなかった衝撃の事実に、新一は頭を抱えた。
スマホから母親の声が何やら聞こえたが、意図せず通話終了をタップしたようで途中で切れた。
「オメーよー、なんで女だって黙ってたんだよ……。オメー、オレと風呂入っ……」
――しかも一緒の布団で寝てたじゃねーか……。
昔の葵を思い出し、混乱中の新一をよそに、花梨が手土産を買うと言うのでショッピングモールへ入り、ケーキ屋を探す。
……まったく、気が付かなかった。
名前もみんなが“葵くん”としか呼ばなかったから、男だとばかり。
なぜ気が付かなかったんだ。
よく見りゃ、女だってわかりそうなものなのに……。
隣を歩く花梨をちらっと盗み見て、昔葵の笑顔に惹かれたことを思い出し、新一の頬が赤く染まった。
「あははっ、思い出すとこそこなんだ? あれ実は結構恥ずかしかったんだ~。けど新ちゃん、“一緒に入ろうぜ”って誘うから断れなくて。海パンはいて入ってたよね!」
「……そうとは知らずオレは洗いっこなんてして……」
――恥ずかしすぎる……。
真実はいつも一つだというのに、その真実に気付けなかった自分は、探偵としてやっていけるのだろうか……。
新一の羞恥心ゲージは最高値に達し、熱くなった顔を両手で覆った。
穴があったら速攻逃げ込んだだろう。
「あははは……。まあ、しょうがないよ、小さい頃だもん。五歳じゃ性別なんて関係ないよ」
「けどっ、だなあっ!」
「ふふっ、思い出すのがそれって、新ちゃんてエッチなんだね」
「ばっ、バーロー! た、たまたまだよ!」
新一が顔を真っ赤にして叫んだが、花梨は目当てのケーキ屋を見つけたのか走って行った。
◇
「はっはっはっ! そうか。新一は花梨ちゃんの名前を憶えていなかったんだな?」
「苗字じゃなくて名前が“葵”で、男の子だと思ってたのよねー。蘭ちゃんが遊びに来た時なんて不機嫌になってたし、うふふっ。ライバルだと思ってたのかしらん?」
工藤邸に着き、花梨を招いての晩餐会が開かれ、優作と有希子が新一に生温かい視線を送る。
「ライバルって……ばっ! そんなことねーよ! オレは別にあいつのことなんか……」
両親からの眼に耐えられなかった新一の頬は赤い。
「ふふふっ、そっかぁ。私、蘭ちゃんと仲良かったもんね。新ちゃんにヤキモチ焼かせちゃってたんだね。ごめんね」
「花梨っ! オメー、そういうことは予め言っておけよ! オレはずっとオメーが男だと思ってたんだぞ!」
「うん……あの頃は男の子してたからね~……」
憤る新一だったが、急に花梨の表情が曇って俯いてしまい、それまで和やかだった場の空気が一変した。
「花梨……?」
――なんだよ……? 急に浮かない顔して……。
花梨は黙り込んでしまい、浮かない顔で膝に置いた自分の手元を見ている。
なぜそんな顔をしているのか、新一にはわからない。
「新一、花梨ちゃんは正真正銘の女の子だ。あまり深く詮索してやるな」
「そうよぉ。乙女心は複雑なんだから。ねっ、花梨ちゃん♪ ほらたーんとお食べ♡」
優作と有希子が、昔のように花梨の取り皿に、肉や野菜をのせていく。
口には出さなかったが、栄養状態が悪いのだろう、花梨の青白い顔と細い腕や脚が気になって仕方ない。
十年前にもしていた行為だが、あの時は美味しそうに頬張る可愛い花梨を見ていたくてそうした。
「もうたべれれないよぉ」と舌足らずな花梨のセリフは、何度聞いても愛らしく、夫婦二人は癒されたものである。
「優作おじさま、有希子さん、ありがとうございます」
花梨は深々と頭を下げた。
「やだも~、ずいぶん他人行儀ねー。昔みたいに“おいちゃん”、“ゆきちゃん”て甘えてくれていいのにー!」
「そうだぞ。花梨ちゃんは我々の娘みたいなものだ。困ったことがあったらいつでも相談していいんだからな?」
「……っ、ありがとうございます……。私、嬉しいです……」
有希子と優作の言葉に花梨の瞳が潤い、ぽろりと雫が滴り落ちる。
一滴落ちた途端、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「花梨ちゃん……」
「うっ、うぁ……うぅぅ……!!」
「も~、朔ちゃんと同じで泣き虫なんだからぁ。ほら、いらっしゃい。ぎゅーってしてあげる」
「ぅぅ、有希子さぁああん……! うぁああああんんっ!」
余程辛いことがあったのだろう、有希子が席を立ち、花梨の側で手を広げると、花梨は抱きついて幼い子どものように泣き始めた。
有希子が花梨を慰めている様子を見守っていた優作も、少しして立ち上がり、花梨を抱きしめにいく。
その後花梨は二人に甘えるように泣きじゃくった。
「な、なんなんだよ……この空気は……」
――花梨になにがあったんだよ……?
突然泣き出した花梨に、何があったのか知らない新一は、一人置いてけぼりだ。
「……新一。それを食べたらもう部屋に戻っていいぞ」
「え」
「花梨ちゃんは今晩泊めるから。明日は土曜で休みだ、帰りは送って行ってやりなさい」
「……わかった」
花梨を慰めながら優作が振り返り、新一にデザートを食べたら部屋へ戻れと促してくる。
新一がダイニングから出て行ってからも花梨の泣く声は続いた。
(オレだけ何も知らねーのかよ……)
このまま一人だけ蚊帳の外というのも気に入らない。
花梨が女だったからとて、大事な幼なじみであることには違いないのだ。友達があんなに泣く理由を知りたい。
なぜか探偵の血が疼き、何となくその場から離れたくなくて、新一は閉じられたドアに背を預けた。
泣き声はしばらく続き、そのうち静かになる。
すると、少しずつだが優作と有希子の慰めの声と共に、花梨がぽつりぽつり何かを話し始めた。
声が小さくてよく聞き取れず、盗み聞きもこれ以上は無理だと判断。
新一は大人しく自室に戻ることにした。