白月の君といつまでも1

-- Spring, about 17 years old
193:沈黙の白き来訪者


◇




 次の日――。
 コナンは、朝から東雲セキュリティ本社ビルへと急いだ。


「ええっ!? ボクは入れないの!?」

「一応頼んではみたけど、子供に聞かせる話じゃねぇからなぁ……」


 本社ビル前で松田と合流したコナンだったが、受付で「ボウヤはロビーで待っててね」と締め出されてしまった。
 松田は手を合わせてコナンに「悪いな」と謝罪し、事務の佐藤とエレベーターに乗り込んでいった。


「ボウヤ、何か飲む?」

「…………アイスコーヒー」


 受付嬢に尋ねられ、コナンは口を尖らせる。
 探偵としての力を発揮できない、今の状況が不満で仕方ない。


「…………花梨、お前……今どこにいるんだ……?」


 コナンは受付嬢が用意してくれたアイスコーヒーを飲みながら、外の景色を見渡しつつ、ロビーを観察した。

 外壁のほとんどが全面ガラス張りで構築された、東雲セキュリティの本社ビル。手垢一つ付いていない窓ガラスは、たぶん防弾ガラスだ。ここへ来るときに外から見たが、光を反射して内部を隠すタイプのガラスだった。
 “見せない”ことを徹底している――そんな印象を受けた。

 館内の空気は淀みなく澄み渡っているが、肌に触れる空調の風はどこか、人工的で冷たい。
 ロビーに置かれたソファもふかふかで、床はおそらく本物の大理石。
 足音がコツコツと不気味に響くほど静まり返った空間は、確か、中堅企業のはずなのに……やけに立派なビルだ。

 さすが、バックに白河がついているだけある。


「……白河か……そういえば、あいつ、お嬢様なんだよな……」


 白河家は、決して表舞台には出てこない曰く付きの一族。

 昔は世間の裏側で“何でもやっていた”らしい。三十数年前に現当主の白河多紀が路線転換を図って、今じゃ表向きはクリーンな企業、クリーンな名家って扱いだけど――。

 だが、政府にも口出しができる権力はそのままで、今も裏で何をやっているのかは不明。
 “白河”と名前は表に出ないが、繋がりのある企業は数知れず。
 当主が望めば、その通りになるっていうから驚きだ。

 まさか、幼なじみがそんなやばい家の血族だなんて、優作に聞くまで新一は知らなかった。
 花梨の母・雪音は使用人だった父・葵朔太郎と駆け落ちし、結婚している。

 両親が亡くなったから、花梨は母親の実家に身を寄せることになったが、すでに次期当主候補がいるからという理由で、花梨は追い出されたと聞いた。

 その花梨が、次期当主候補に狙われているという。


『……新一。白河には深く関わるな。あそこは「善」でも「悪」でもない。ただ、この国の理(ことわり)そのものを握っている一族だ。……古くから、“神事”を担ってきた家でもある。――決して表に出ることはないがな』


 あの時、優作は珍しく神妙な顔をして新一にそう言った。
 かつて“悪”を飲み込み、今は“正義”の仮面を被ってこの国を裏から支えている怪物――それが白河。

 ……けれど、優作はこうも言っていた。


『花梨ちゃん自身には関わっても構わんからな。しっかり面倒をみてやるんだぞ』


 有希子まで『そうよ! 新ちゃんなら花梨ちゃんも安心できるんだから、昔みたいに頼んだわよ!』と新一に花梨を任せる始末。
 両親の言葉通り、新一は花梨の面倒をみていたわけだが――最初は仕方なしだったそれが、今や自分から望んで世話を焼きたくなるとは……。


「……必ず助けてやるからな」


 情報を整理しながら、ほんのり頬を赤らめたコナンはちゅぅっとストローを吸う。
 そんなとき、ふと、外に高級車が三台停まったのが目に入った。


「……?」


 東雲セキュリティは要人警護を生業としている。
 コナンは「依頼人かな?」と予想し、誰が降りてくるのか見ていた。


「いらっしゃったわ……!」


 受付嬢が、見えない重圧に押し潰されるように、掠れた声を漏らした。
 慌てて震える指で内線を掴むと、ロビーに緊張が走る。


「――お客様がお着きになりました……! す、すぐに、お出迎えを!!」


 名前は一切出さない。
 けれど、その徹底された秘匿性と、ロビーにいる全職員が一斉に直立不動の姿勢をとった異様な光景に、コナンの背筋に冷たいものが走った。


(……誰だ? 総理大臣か、それとも……)


 コナンはストローを吸うのを止め、防弾ガラス越しに高級車を見つめる。
 真ん中の一台のドアが、漆黒のスーツを着た男の手で、音もなく開かれた。

 そこから降りてきたのは、凛とした佇まい、細身の和服女性だった。

 白地の着物――。
 だが、ただの白ではない。光の加減で、黒の龍が静かにうねり、その合間に咲く赤い牡丹が、妙に生々しく目に映える。


(……なんだよ、この着物……)


 高級なはずのロビーが、たった一目で色褪せた気がした。

 年齢は――三十代後半から四十代半ばに見える。
 ……だが、“年齢”という概念が当てはまらないような、不思議な若さだった。
 高い鼻梁に大きな瞳、後ろでまとめ上げた艶のある黒髪。年齢を感じさせない、凛とした美しさ……気品に溢れているが、瞳はどこか冷たさを感じる。

 彼女がドアを開けた男に軽く会釈すると、彼は恐縮し、敬礼してから固まっていた。


(あの男の人……警察か……?)


 警察の警護が付く要人……ただ者ではない。
 そんな彼女は、助手席から降りてきたもう一人の男性に誘導され、ビルに入ってくる。


(っ、いつの間に……!?)


 コナンが気づいたときには、玄関ドアの前に東雲セキュリティの社員が列を成して出迎えていた。

 女性が入ってきた途端、皆一斉に頭を下げる。
 四十五度のお辞儀――最敬礼だった。誰も一言も声を発さない。


(なんだ、あの人は……)


 女性が花道のような通路の中央を、淀みなく、堂々と歩いていく。

 その足が、ふと止まった。


「……おや? 子どもかい……?」


 ……その一言で、空気が止まった。
 ロビーのソファから、コナンはぱっと、女性と目が合った。


(っ――!?)


 射抜かれた、と思った。

 ただ視線が交わっただけじゃない。まるで、内側まで覗き込まれたかのような錯覚。
 思わず息が詰まりそうになる。


(な、なんだ……この人……)


 ドクンと心臓が大きく跳ねた。

 その気配は、人のものではない――“存在”そのものがそこに立っているような、そんな“気配”だった。

 圧倒的――威圧。
 涼やかでいて、静かに冷たく、けれど強者の凄みを感じさせる瞳。
 彼女がただ者ではないということだけは、身体が勝手に硬直し、理解した。

 感情の揺らぎなど一切見せないくせに――その奥にあるものを、本能が“危険”だと告げてくる。
 それだけじゃない――探偵としての勘が、理由もなく“この人は異質だ”と警告していた。

 逃げろと、警鐘が鳴る。
 だが、目が逸らせない。


(……見られてる……? “オレ”を……)


 一瞬――ほんの一瞬だけ。

 そんなことあるはずがないのに、江戸川コナンではなく、“工藤新一”として見透かされたような、言いようのない感覚を覚えた。
 呼吸の仕方すら、刹那にわからなくなる。

 ……コナンは言葉を発することができなかった。

 そのまま彼女は案内人に小声で耳打ちして、エレベーターへと乗り込む。
 そうして、ロビーから姿を消した。


(あの人……いったい何者なんだ……!?)


 エレベーターが動き出し、残った社員たちが一斉に脱力する。


「はぁ~、今日はもう、これで運を使い果たした気分だ」

「一目見られたなんて幸せです~!」

「お辞儀してて見えなかったでしょーが!」

「そうですけど~」


 社員たちがほっとしたように笑いながら戻っていく。
 コナンには詳しいことは分からなかったが、あの女性は、ただのカリスマという言葉では収まらない“重さ”を持っているらしい。


(確かに、目が合っただけでオレも固まっちまったけど……)


 さっきの一瞬だけ、直前まで考えていた花梨のことが吹き飛んでしまうほど、その存在感に圧倒された。
 事件か何かあれば勘が働くコナンだが、そういったものとは違う、張りつめた荘厳さを帯びた緊張感は初めてだった。

 不意に、考え込むコナンに影がかかる。


「ボウヤ、何かお菓子でも食べない? 近くのパティスリーで買ってこようと思うんだけど……」

「え?」

「さっきの女性からよ」


 コナンは一瞬、戸惑ったように瞬きをした。あの氷のような瞳の主が、去り際にそんな気遣いを見せたことに驚きを隠せない。


「あ……じゃあ……レモンパイがいいな」


(……レモンパイか……)


 口にした瞬間、喉の奥がツンと熱くなった。

 以前、花梨が『新ちゃん、上手く焼けたよ!』と、少し焦げ目のついたレモンパイをタッパーに入れて持ってきてくれたことがある。
 彼女は照れくさそうに笑って、『酸っぱすぎたらごめんね』と言っていた。

 そのときの花梨は、嬉しそうで、どこか不安そうで――まるで、誰かに褒められたい子どものようだった。
 酸っぱくて、でも優しくて、彼女そのもののような味。


「わかったわ。すぐに買ってくるわね」


 受付嬢が笑顔で去っていく。
 コナンは再び、外の景色に目を向けた。


(……さっきの人、なんだったんだ……。あんなに怖いのに、お菓子をくれるなんて……)


 ただ“そこにいる”だけで空気の密度が変わるような、神秘的で異質な、息を呑むほどの存在感。
 けれど、一瞬だけ――誰かに似ている気がした。


(……花梨? なんとなく、似ているような……)


 いや、面影がある程度だ。
 目元か、それとも雰囲気か。
 けれど、“血の近さ”を感じさせる何かが、確かにあった。

 ……目の前に運ばれてくるであろう、有名パティスリーの完璧なレモンパイ。

 それはきっと、花梨が焼いた不格好なパイよりもずっと洗練されていて、けれど――今のコナンにとっては、世界で一番、苦い味がするのかもしれない。



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