白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
189:遺された言葉と赤黒い呪い


「コナン、こっち来てみろよ」


 松田の低く険しい声に呼ばれ、コナンはオルゴールを閉じた。
 開け放たれたクローゼットの中には、綺麗にガムテープで封をされた数個の段ボール箱が、整然と積み上げられている。


「……おい、これを見ろ。ただの失踪じゃねーぞ。……『身辺整理』だ」

「身辺整理……?」

「ああ。服も、身の回りのもんも、まるで誰かに譲るか捨てるかするように、きっちり詰められてやがる。……犯人に連れ去られたんなら、こんな真似してる余裕はねぇ」


 松田のサングラスの奥の瞳が、怒りと焦燥で細められる。
 コナンは、その段ボールの山を見つめながら、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 ガムテープで厳重に封をされた段ボール箱。
 その側面には、花梨の丁寧な字で『キッチン用品』『冬物衣類』と、中身を記したラベルまで貼られていた。


「……宛先がねぇな」


 松田が段ボールの天面を指でなぞる。


「普通、引っ越しなら送り先を書く。……だがこれには、どこへ運ぶかも書いてねぇ。ただ、いつでも『処分』できる状態にしてあるだけだ」


(処分……!?)


 コナンの脳裏に、最悪の二文字がよぎる。
 彼女は、自分が消えた後のことまで計算して、この部屋を片付けたというのか。
 まるでもう、二度とこの場所で朝を迎えるつもりがないかのように。


「……松田刑事。……おとといボク、花梨姉ちゃんに電話したんだ。話してる途中で……『ちょっと頭痛がするから、先に寝るね』って切って――」


 絞り出すようなコナンの声。


「……嘘だったんだ。……あいつ、電話を切ったあと、一人で泣きながらこの箱を詰めてたんだ……。ボクが、……オレがもっと早く異変に気づいていれば……!!」


 コナンは俯き、拳をぎゅっと握りしめる。
 探偵として、幼馴染として、隣にいたはずなのに。
 彼女が一人で地獄への支度を整えていた間、自分は何をしていた。


(月曜のキス……あれが、あれが最後だったって言うのかよ……花梨っ!!)


 別れ際、泣いていた花梨を思い出すと、浮かれていた過去の自分に無性に腹が立つ。“後悔”の二文字だけがぐるぐるとコナンの頭の中を駆け巡った。


「……自分を責めるのは後だ。ボウズ、今は泣いてる暇はねぇぞ」


 松田がコナンの肩を強く掴む。
 その手の熱さが、凍りつきそうだったコナンの思考を無理やり現実に引き戻した。


「あいつの中身、チェックしねーとな?」


 松田はそう言って、自分のこめかみを指先でトントンと軽く叩いた。それから、静かに、けれど逃さぬような鋭い視線で――花梨のデスクの上に置かれた、ノートパソコンを射抜く。


「あ、パソコン……」


 以前、“新一”として触ったことのあるそれ。いつもなら、高校の課題や気に入った画像ファイルで埋め尽くされているはずの、彼女の相棒。


「……おい、パスワードはわかるのか?」

「……たぶん」


(花梨のことだ。面倒臭がって、パスワードを変更してないはず……)


 コナンは席に着き、迷わず、キーボードを叩いた。
 打ち込んだのは、彼女の誕生日じゃなく、新一の名前と誕生日だ。

 設定したのは自分だから、『あとで変えとけよー』と言ったが、花梨の性格上、変えてはいないだろう。

 入力を終えると、画面がゆっくり立ち上がった。壁紙は初期設定のまま。花梨らしい、飾らないまっすぐな性格が、静かに伝わってくる。


「……通ったか。ボウズ、お前よくわかったな」

「……新一兄ちゃんの名前と誕生日。それより……」

「新一兄ちゃんって、工藤新一か? 黒羽じゃねーのかよ……」


 黒羽とあんなに仲がいいくせに、パソコンのパスワードは幼なじみの名前と誕生日だとは……。
 黒羽はおそらく知らないんだろう。知ったら最後、独占欲の強いあいつのことだ。嫉妬で狂うに違いない。


(花梨……お前って結構、悪女だよな……そういうとこ、嫌いじゃないぜ)


 松田はふっと口角を上げた。


「新一兄ちゃんのほうが頼りになるからね~」

「…………ふぅん?」


 なぜかドヤ顔をするコナン。
 よくわからないが、松田には、コナンが黒羽より工藤新一を信頼しているように見えた。


「それより、これ……」


 立ち上がった画面。
 一見なんの変哲もない普通の画面だ。

 けれど、一つだけ、中央に不自然に置かれたフォルダがある。
 フォルダ名は、『お世話になりました』。


(……っ!)


 コナンは奥歯を噛み締めて、その中身を確認する。
 中には、Excelファイルにまとめられた銀行口座情報、各種サービスの解約リスト、そして――。


「……遺言書代わりの、手紙か……?」


 松田が横から覗き込み、声を震わせた。
 たった一つ、メモ帳が残されている。

 カチッとそれを開くと、花梨が書いたらしきテキストがあった。

 “
  これを読んでいるのはたぶん……いや、きっと、新ちゃんだよね。
  わーい、助かる~♪
  さっすが名探偵! かっこいい~!

  新ちゃん、お世話になりました。
  いっぱいいっぱい、ありがとう。

  何も返せなくてごめんなさい。

  私、東京に帰ってきて一年半、とってもしあわせでした。
  大好きな新ちゃんや警察のお兄ちゃんたち、
  蘭ちゃんや青子ちゃんたちに優しくしてもらえて、
  本当に幸せだったの。

  快斗には特に優しくしてもらって…申し訳なかったな…。
  もっと彼に優しくしてあげられればよかったんだけど…
  いつもしてもらうばかりで、結局なにも返せなかった。
  新ちゃん、快斗と仲良さそうだったし、
  気が向いたら「ごめんね、ありがとう」って、伝えてね。

  警察のお兄ちゃんたちにもお礼、言いたかったな~。
  いっぱいいっぱい、助けてくれたのに、ごめんなさい。
  ありがとうございました。

  直接お礼を言えなかったのが少し残念だけど、
  私は新たな世界へ旅立ちます。

  あ、心配しなくて大丈夫だよ。
  遠く離れても、いつも見守ってるからね。

  P.S.
  各種手続きとか、申し訳ないけど、
  陽翔叔父さまに伝えてもらえると嬉しい。
  荷物の中に手紙入れたから、
  あとは白河の人がやってくれると思う。

  じゃ~ね~!

  花梨
 ”


「……ふざけんなよ……ふざけたこと書いてんじゃねーよ!!」


 コナンの拳がデスクを叩き、鈍い音が部屋に響いた。
 モニターの中で、花梨の書いた『じゃ~ね~!』という軽やかな文字が、残酷なほど無邪気に揺れている。


(誰が、誰と仲がいいって!? オレが、あいつ(黒羽)に……『ごめんね』なんて、言えるわけねーだろ!!)


 自分たちへの感謝は『新ちゃん』という幼馴染への甘えに溢れているのに、快斗に対してだけは「申し訳ない」「返せなかった」と、一線を引いたような、震えるほど丁寧な言葉。
 それが、彼女がいかに快斗を「一人の男」として愛し、傷つけたくないと願っていたかの裏返しだと、今のコナンには痛いほどわかってしまう。


「……松田刑事。これ、……本気だ」

「ああ……分かってる。……『新たな世界へ旅立ちます』、だと? ふざけやがって……。そんなもん、死後の世界しかねーだろうがよ……!!」


 松田の低く唸るような声。
 その時、コナンの視線がテキストの最後、P.S.の項目に止まる。


(陽翔叔父さま……白河の人……?)


「……松田刑事、これを見て! 花梨、やっぱり白河の家に連れ戻されるのを分かってて……。いや、自分からその『地獄』に行くことで、オレたちを逃がそうとしたんだ!」

「……っ。白河の連中が、あいつの荷物を回収しに来るってのか……?」


 松田がコナンの襟首を掴むようにして立ち上がらせた。
 その拍子に、マウスが僅かに動き、デスクトップの“ゴミ箱”のアイコンが不自然に満杯になっているのが、コナンの目に飛び込んできた。


(待て……まだ何かある……!)


 コナンは松田の手を振り払い、狂ったようにゴミ箱をダブルクリックした。
 そこに、捨てられていたのは――。

 名前のない、ショートカット。
 しかも、数が十、二十……尋常じゃない。

 それと、『快斗へ』と題された、送信されなかったメールが一つ。


「っ、なんだろうこれ……(どれも無題って……量が多くねーか?)」


 快斗へのメールはなんとなく想像がつく。それよりも、コナンは名前のないショートカットが気になった。


「……クリックしてみようぜ」

「うん……」


 コナンがそれをクリックすると、ブラウザが立ち上がった。


「……これ、は……?」

「ん? あ、コナンたちの写真だな……って……おいおい……なんだよこれ……」


 ブラウザを見ていたコナンと松田の顔がみるみる引き攣る。
 すべてを見終えた頃、二人の目は憤怒に満ちていた。

 画面を埋め尽くす、赤黒いノイズ。
 その中央に浮かび上がった、冷酷な宣告。


Everyone will die because of youお前のせいでみんな死ぬ!!』


「……ふざけるな……ッ!」


 松田の低い怒声が、静まり返った寝室に叩きつけられた。
 コナンは言葉を失い、ただ画面を見つめることしかできない。


(花梨……お前、こんなものを見せられて……独りで、戦ってたのか……?)


 この“呪い”が届いたのは、いつだ。
 この悪意に、彼女はいつ、心をへし折られたのか。

 コナンの思考が、数日前の「あの日」へと遡っていく。


「日付は……日曜」


 ……日曜日。
 その日、花梨の日常は終わりを告げた。

 広田雅美との密会を終え、ケーキバイキングを楽しみ、快斗に送られて、この部屋へ戻ってきた直後。
 幸せの余韻を、一瞬で地獄の泥に塗りつぶした、あの通知音が鳴るまでは――。



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