白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
178:静寂の贈り物







『大阪、大阪――』


 到着アナウンスがホームに響き、花梨たちは下車する。
 離れた場所で、同じく下車した女王たちの列が見えて、フィリップが振り向き、手を大きく振るのを見送った。


「青子、悪い。花梨がなんか話あるって言うから、ちょっと待っててくれるか?」

「OKOK、行っておいで。青子、お父さんたちといるから、終わったら連絡ちょうだい」

「おー。じゃあ花梨、行こっか♡」


 長時間の乗車で疲れたのだろうか――少しばかり元気がなさそうに手を振る青子をホームに残し、快斗は花梨の小さなスーツケースを引く。
 やっと二人きりになれると思っている快斗の足取りは軽やかだ。

 二人は人混みを避けるようにエスカレーターを上がり、連絡橋口の改札を抜けてルクアの脇にある細い通路へと向かう。
 人通りの絶えた通路の突き当たり、駅の喧騒からぽっかりと切り離されたような小さな展望スペース。
 そこに人の姿は見られず、静まり返っていた。

 頭上を吹き抜ける夜風の音だけが、耳をかすめていく。
 視線を駅の外に投げれば、宝石を散りばめたような夜景が広がり、新しく生まれ変わろうとする大阪の街が、静かに息づいていた。


「下は賑やかそうだけど、ここは静かだな……誰もいねえ……」


(いろいろあったけど、やっと花梨と二人っきり……来月、オレの誕生日もこうして一緒に過ごしてくれねーかな……)


 プレゼントなんていらない。
 ただ、誕生日は一日中、花梨が自分と一緒に過ごしてくれれば、それだけで。

 快斗は眼下のプラットホームの明かりに照らされ、きらきらと輝く花梨の瞳に、目を奪われたように見入った。


「ここなら、ゆっくり話せるね……」


 花梨は、冷たい夜風に当たりながら、握りしめていたシトリンのネックレスをそっと離す。
 そして、隣に立つ快斗に向き直り、震える唇を開いた。


「快斗……ネックレス、ありがとう。……私も、あなたにあげたいものがあるの。それはね……」

「ちょっ、ちょっと待った花梨! オメーをくれるっていう気持ちはうれしいけど、それはホテルに行ってからで!! いや、まあ、誰もいねーし、キスくらいならいいか……」


 快斗は距離を詰め、花梨の腰に腕を回す。


「え……? あ、ふふっ♡ 違うよ、快斗」

「ええっ!? 違うの!? オレはてっきり……」

「ふふふっ♡ もぅ、快斗ってば、そんなことばっかり」


 花梨が無邪気に笑うと、腰をぎゅっと引き寄せられ、快斗の顔が肩に埋まった。
 柔らかい快斗の髪が花梨の首と耳をくすぐる。


「っ、だって、いつだって花梨に触れていたいんだ。仕方ないだろ?」

「……ふふふっ♡ くすぐったいよ?」


 耳元で甘えたような快斗の声が響く。
 吐息のくすぐったさに花梨は身をよじって、そっと彼の胸に手をついた。


「……じゃ、じゃあ……何をくれるんだ?」


 快斗は、勝手に速まる鼓動を感じながら頬を赤く染め、花梨をじっと見下ろす。彼女を見つめる瞳はいつも熱を帯びて真っ直ぐだった。


「うん……。私ね、色々考えたんだ。今の私があなたにあげられるものはなにかって」

「……別に、オレは花梨がそばにいてくれれば、他に何もいらねーけど……」


 “花梨の他には何もいらない”

 はっきりと言われた花梨は、一瞬目を伏せてから微笑む。
 これから離れてしまうというのに、そんなことを言われるとは思ってもみなかった。


「ふふっ、こんなに素敵なものをもらったから、そんなわけにはいかないよ」

「それは、オレがあげたいから贈っただけだぜ?」


 首元のネックレストップに触れて、快斗を見上げる花梨の表情は笑顔だ。
 快斗はネックレスに触れる花梨を、優しい瞳で見下ろしている。

 ……本当は、このネックレスはもらうべきじゃなかった。

 けれど、快斗へ突き返すことなど、花梨にはできない。


(ごめんね快斗……本当は、返したほうがいいってわかってるけど……このネックレスと一緒なら、最期も怖くないって思えるから、もらっておくね)


 その代わりに、自分が彼に贈れるものは――?

 花梨には、一か月記念とやらはよくわからなかったが、快斗に最後、贈るものはずっと考えていた。

 自分に何を贈れるだろうか……。

 物は手元に残ってしまう。
 それを見るたび、快斗に辛い思いをして欲しくない。

 それなら、手元に残らず、彼の役に立つものを贈ってあげたい。
 自分がいなくなっても、快斗を守れるように。

 完全ではないけれど、きっと彼を守る盾になる。

 花梨は一呼吸置いてから、口を開く。


「……快斗は、キッドさんだから……。正体がばれると困るよね?」

「ん……? そりゃ、まあ……」

「だからね、私から贈れるものは『言葉』だよ」

「言葉……?」


 花梨が微笑むと、快斗は不思議そうな顔で瞬きをした。その瞳に映る自分を、花梨は網膜に焼き付けるように見つめ返す。
 彼の瞳をじっと見つめるのは、気恥ずかしくて少し苦手だった。
 けれど、最後だから――と。


「うん。人に使うのは、久しぶりなんだけどね――」


 一度、言葉を切り。
 夜風が、ふと止まった気がした。

 吸い込まれるような静寂の中、花梨は快斗の瞳の奥、その魂に直接触れるように、祈りを込めて紡ぎ出す。


「『あなたが、自ら怪盗キッドだと名乗らない限り――』」


 ……唇が、静かに言葉を刻んでいく。


「『あなたがキッドであることは……誰も、辿り着くことはできない』――これが、私があなたに贈る言葉」


 最後の言葉を紡ぎ終えると同時、花梨の脳内に、シャラン……シャン、と幾重にも重なる鈴の音が響き渡った。
 どこか遠く、けれど意識の芯まで震わせるような、奥行きのある清冽な鳴動。
 目に見えぬ「振り子」が大きく揺れ、逃れられぬ運命の歯車がカチリ、と噛み合う。

 言葉は、ときに強い武器にも、盾にもなる。
 この祈りにも似た制約が、自分がいなくなった後の彼を、永遠に守り続けるように。


「……っ? なにそれ、言霊かなにかか?(今……瞳が光っ……いや、照明のせいか……? でも……)」


 花梨を見下ろしていた快斗の瞳が一瞬、驚きに見開かれた。
 こくりと喉を鳴らし、目を瞬かせる。


「っ……ふふっ♡ どうかな? おまじないみたいな――もの? でも、きっと快斗の役に立つはずだよ。……完全ではないかもしれないけどね」

「…………な、なーんかよくわかんねえけど……花梨がそう言うならそうなるような気がするな♡ ってことは、身バレ気にしなくてよくなる!?」


 快斗は笑顔で花梨に尋ねた。

 花梨の瞳が光った気がしたのは、足元に見えるプラットホームにちょうど電車がやってきたところだし、きっと照明の反射だろう。
 その様子にぞくりとしたことは、黙っておこう……そう、快斗は思った。


「ふふっ、そうだよ♡」

「へぇ~! じゃあ、もっと派手に活動してもいいってことか!」

「……派手な活動はいいけど、怪我にはくれぐれも気をつけてね?」

「はい♡」


 快斗の屈託のない返事に、花梨はふわりと微笑んだ。
 その微笑みに、わずかな、けれど消えない陰影が混じっていることに、浮かれた今の快斗は気づかない。


「ん…………あ。えっと、快斗……」

「ん?」

「ごめんね、さっき列車でアイスコーヒー、ちょっと飲みすぎちゃったみたい。……お手洗い、行ってきてもいいかな?」


 少しだけ恥ずかしそうに、花梨は眉を下げて笑ってみせる。
 あまりにも“いつも通り”の、年相応な女の子の仕草で。


「お、おう。冷えたか? 行っておいで。……ここで待ってていいのか?」

「うん。すぐ戻るから、そこにいて」

「――いや、やっぱオレも行く」

「えっ、今行っておいでって言ったばかりなのに……」


 花梨が去ろうとすると、快斗が眉を寄せてついてくる。
 さすがは公認ストーカーといったところか……彼から逃れることが、まず第一の難関かもしれない。


「……権堂さん、どうしたんだよ?」

「あ、権堂さんは、班長と出張だよ。今日は別の人がついてて……」


 向けられた真っ直ぐな疑念を、花梨は柔らかな嘘で受け流す。その指先が、ポケットの中で別れの準備を告げるように震えていた。

 実際、権堂が警護につく頻度は多かったが、毎日彼女がついていたわけではない。
 契約解除しに行った水曜日も、別の人がついてくれていたわけで――。

 あの日、花梨は、警備会社の冷えた応接室で、自分を守り続けてくれた大人たちの「愛」を、自らの手で一つずつ解いていったのだ……。



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