白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
162:月下のランデブーは風の中に







「なーんで、オレが一人席なんだよー!」


 席に着いた快斗は、ぶーたれる。


「三人がけの席がないんだから、しょうがないでしょ!」

「納得いかねぇ……」


 ロイヤル・エクスプレスの座席は、二列シートと通路を挟んで、一人席の三つ。
 豪華列車だけあって、ゆったりした造りで三列シートなんてものはない。
 三人で乗るのだから、どうしても一人は離れてしまう。

 青子が二列シートの窓側から身を乗り出し、一人席の快斗を睨みつけた。
 “切符を取ってやったんだから文句を言うな”と顔に書いてある。


「――快斗。一人が嫌なら、私が一人席に座ろうか? 替わる?」


 ……通路を挟んで、隣は花梨だ。
 彼女は「嫌なら替わるよ」と笑顔を見せた。


「それじゃ意味ねぇんだよ……!」

「ん?」


 快斗は口を尖らせるが、花梨には伝わらない。


「花梨ちゃんは、鈍感だからな~。あ」

「失礼致します。本日のご乗車、心より歓迎いたします。ウェルカムドリンクをご用意しております。何になさいますか?」


 青子が少し呆れたように笑うと、各席を回っていた乗務スタッフが、ドリンクメニューを手に花梨たちの元へとやってきた。


「花梨ちゃん、何にする? 青子はリンゴジュース」

「えーっと……じゃあ、私はアイスコーヒーをお願いします」


 青子は笑顔で答え、花梨も続けて注文する。


「あ、僕もアイスコーヒーで」


 快斗が最後にそう伝えると、乗務スタッフはドリンクの準備を始めた。


「ね、ね、花梨ちゃん。ウェルカムドリンクが付くなんて、すごいよね~!」

「ふふふ♡ そうだね。中森警部に感謝だよ」


 いつもよりテンション高めの青子に、花梨もにこにこ。
 乗務スタッフがグラスにそれぞれのドリンクを注ぎ、座席テーブルに置いてくれる。


「快適な旅をお楽しみください」

「ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀をする乗務スタッフは、花梨が頭を下げると、次の席へと移っていった。


「ふふふっ。花梨ちゃんは礼儀正しいなぁ。あ、このリンゴジュースおいし~♡ これ、絶対いいやつだよ。リンゴそのまま搾ったみたいな味」

「そうなんだ? ん……言われてみれば、このアイスコーヒーもおいしいかも。香りと、コクが違う……?」


 ウェルカムドリンクを一口。感動した青子が感想を漏らすと、花梨もどれどれとアイスコーヒーを飲んでみる。
 普段、家で飲むインスタントコーヒーとは違う味がした。


「花梨ちゃん、リンゴジュース飲んでみる?」

「いいの?」

「どーぞどーぞ♡」

「じゃあ、ひとくちだけもらうね」


 ちゅぅっと一口、ストローからリンゴジュースを吸うと、リンゴの香りが鼻から抜けて、口の中に甘さと酸味が絶妙なバランスで広がる。
 青子の言った通り、リンゴを丸搾りしたような味わいだった。


「ね、おいしいでしょ?」

「うん、とってもおいしい♡ ありがとう。青子ちゃんもアイスコーヒー飲んでみる? あ、ブラックだし、もう口をつけちゃってて悪いけど……」

「いいの!? むしろそれがいい! じゃあ青子もひとくちだけ♪」

「へ?(……むしろそれがいい、ってどういうことかな?)」


 青子が嬉々として、花梨のアイスコーヒーを口にする。
 一口飲んで「にが……」と顔を顰めたが、それはほんの一瞬だけで、あとは嬉しそうに微笑んだ。

 そんなやりとりを見ていた快斗は、なんだか二人がイチャイチャしているように見えて――。


(オレも花梨と飲み比べしたかった……!!)


 ……シロップとミルク入りのアイスコーヒーを、ストローでブクブクした。

 青子と他愛もない話をしながら、ウェルカムドリンクを飲み終えた花梨は、少しして席を立つ。
 快斗はというと、最初こそ花梨と青子の会話を聞いていたものの、途中から飽きたのか、眠ってしまっていた。


「……私、ちょっとお手洗いに行ってくるね」

「はーい♡」


 青子に断りを入れ、花梨はトイレのある隣の車両へと向かう。

 アイスコーヒーなんて飲んだから、お腹が冷えたみたいだ。
 おいしかったから、まぁ仕方ないか――そう思いながら通路を抜け、隣の車両へ移った。

 すると、隣で寝ていた快斗が目を開ける。


「……」


 快斗は黙ったまま立ち上がった。


「あれ、快斗。起きた?」

「ん……トイレ……花梨は?」


 急に立ち上がった快斗に、車内誌を読んでいた青子は声を掛けた。
 しかし快斗は尋ねておいて、そのまま無言で通路を歩き出す。


「今、花梨ちゃんも行ったとこ……って、ちょっと快斗!? ――ったく、あれは絶対寝たふりしてたなぁ……?」


 青子の視線の先では、「俺、さっきの子に声かけてくるわ」と花梨の後を追おうとした男の肩を、快斗が“バシンッ”と肩を叩いて止めていた。


「悪いけど、あの子――オレの女だから」


 顎で花梨を示し、にっこり笑う快斗の目は笑っておらず、その圧に男は怯んで席へ戻っていく。


「……ったく、一人じゃ放っておけねぇんだから困るよな~」


 そうして、自称・花梨の専属ボディーガード(実際は公認ストーカー)である快斗は、今日も当然のように彼女を追いかけるのだった。









 花梨がデッキに出ると、周囲に人の気配はなく、列車の静かな走行音だけが響いていた。


「かーりん♡」

「きゃっ! ……あれ? 快斗もお手洗い?」


 デッキまでやって来た快斗は、追いついた花梨を引き寄せるように抱きしめる。
 突然後ろから抱きしめられた花梨の心臓は、驚きと急な抱擁に胸が高鳴った。


「ンフフ、ま、そんなとこ♡」


 機嫌良さそうに微笑みながら快斗は、花梨の頭に頬ずりをしてさっと離れる。
 花梨がトイレの扉に手をかけると、快斗も反対側の扉を開け、静かに入っていった。

 用を足し終えた花梨は、扉を開けてビクッとして肩を揺らす。
 扉を開けた先には、不敵に笑う怪盗キッドの姿があった。


「っ! キッドさん……!?」


 まるで待っていたかのように口角を上げている怪盗キッドに、花梨はなんて早い着替えなんだろうと驚き、目を見開く。


「こんばんは、私の花梨嬢……。ロイヤル・エクスプレスに、月の女神セレーネが乗車されているとは思いませんでした」

「っ、びっくりした……っ、もうお仕事に行くの?」

「ん、いってきます♡」


 ぽっと頬を赤く染める花梨のこめかみに、キッドは軽やかに“ちゅっ”と口づけをして離れた。

 そして乗降口へ近づくと、扉に手をかける。
 花梨は慌てて駆け寄った。


「こ、ここから行くの!? 危ないよ?」


 扉を開けようとするキッドに、花梨の声が少し震える。


「ええ、私のお嬢さん。問題ありませんよ、ご心配なく。ここは寒いので、席に戻っておられたほうがよろしいかと」


 にやりと余裕の笑みで応え、キッドは扉を開け放った。
 開いた扉から大きな走行音が響き、夜風が一気に流れ込み、キッドのマントを揺らした。


「っ……すごい風……」


 花梨はトイレ近くの洗面所付近で息を呑む。
 近くの手すりに掴まっていないと、身体がふらついてまっすぐ立てない。

 白い髪もスカートも、吹き込んだ風で揺れていた。


「花梨! ここにいたら風邪引くから、席で待ってなー!」


 いくらキッドに扮したところで、花梨を前にするとつい、素の口調が出てしまう。
 快斗は、にこっといつもの爽やかな笑顔で、彼女に席へ戻るよう促した。


「っ……キッドさん、ご安全に……!」

「フフ♡ お任せ下さい、私のお嬢さん」


 花梨が頷くのを見届け、キッドは軽やかに外へと踏み出す。
 夜風が列車の側面を猛烈に駆け抜け、スリルが肌を刺した。


「キッドさんっ……!」


 扉からキッドが姿を消し、花梨は思わず乗車口まで走り、手を伸ばす。
 だが、追いかけることはできず、ただ見守るしかなかった。


「く~! 花梨のやつ、オレがキッドのときにさん・・付けすんの可愛すぎんだろ……♡」


 キッドは列車の屋根の上で軽やかに走り出した。
 マントが風に翻り、夜の暗闇に溶け込む姿は、まさに月光に照らされた影のようだ。
 この日の為に準備した小道具を器用に使い、音もなく次の車両へと移動していく。

 花梨はデッキの扉からその背を見送りながら、胸の鼓動が早まるのを感じた。


「……危ないのに……でも、すごいな……もうあんなところに……」


 屋根を見上げると、マントの一部がわずかに見えて、彼の軽やかさと大胆さに、目が釘付けになる。
 同時に、ほんの少し胸が痛くなるような、ドキドキした感情が混ざった。

 列車の走行音と風の音だけが響く中、花梨は手を伸ばしたくなる衝動を抑え、ただじっと待つ。
 屋根を伝っていたキッドの姿は、そのうち側面に下りて、車両の影に隠れてしまったが、その背中には確かな余裕と狡猾さが感じられた。

 花梨の心は一瞬で複雑な想いに包まれた。
 恐怖と心配、そしてほんの少しの期待に似た胸の高鳴り――。

 それでも彼女は、自分にできるのは、ただ待つことだけだと悟った。


「……心配だから、ここで待っててもいいかな……」


 席に戻ろうかとも思ったが、戻っても快斗が心配でそわそわしそうだ。
 青子に「どうしたの?」なんて訊かれたら、なんて答えればいいのか。顔が強張って、うまく口が回りそうにない。

 ……ふと、洗面台の鏡に映る自分と目が合う。
 夜風に乱された白髪を整えるついでに、花梨は鞄の奥へと指先を潜らせた。

 そこにある、少し角の丸くなった硬いプラスチックの感触――中学時代、快斗が使っていた彼自身の名札。
 “心臓に一番近い場所”の代わりにと、照れながら渡してくれたもの。


「……大丈夫。快斗だもんね」


 “Close to my heart.”


 ……彼を感じるその場所をなぞれば、不思議と胸のざわつきが凪いでいく。


「私が……戻っていたほうが快斗は安心かな……? ――あ」


 快斗は自分を心配し過ぎるきらいがある。
 夜風が入り込むデッキは寒いし、言われた通り、やはりここは席に戻ったほうが……と、花梨は一度は戻ろうとしたのだが――。

 行きに通った車内に続く扉を見たら、【保守点検中】の札が掲げられていて、このデッキが封鎖されていることがわかった。
 恐らく快斗が仕込んでいったものだろう。


「ふふ、快斗……さすが」


 このデッキはしばらく誰も来ないらしい。
 それなら、ここで待っていよう。

 花梨は、なるべく風の当たらない場所に身を隠し、快斗が戻って来るのを待つことにした。



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