白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
156:灯りの下で泣く君へ







 花梨はベランダに出て、街の灯りをぼぅっと眺める。
 暗い夜に輝く無数の光が、雅美の魂をいたむ弔いの明かりに見えた。

 ……もし誰かの未来が視えたとしても、その人の命運を左右できるのは本人だけ。
 未来をたまたま垣間見た花梨が、どうこうしたりすることはできない。

 生も死も、その人自身のものであり、他人である花梨が、軽々しく口にしていいことではない。
 先を知る、別の運命を生きている赤の他人が下手に介入すれば、事態が悪くなり、別の犠牲者を伴うことがある。

 だから花梨はみだりにそれを口にしたりはしないし、たまに他人の死を視ることがあっても、ただ見守ってきた。
 “苦しむことがないように……”と、せめてもの祈りだけを捧げて。

 けれど、自分の死期が近いのだから、最期くらい多少好きに振る舞ってもよくないだろうか――。

 そう思った花梨は、あの日の雅美の質問に“イエス”と答えた。
 雅美の質問にも驚いたが、これは異例だった。

 ……ホテルで雅美と交わした会話。


『花梨さん、彼を知っていますか?』

『はい……知っています』


 雅美に会いたいと誘われ、会いに行ったホテルの一室――彼女の部屋で、花梨はスマホの画像を見せられた。
 そこに映った男性の姿に、見覚えがあった花梨は頷いた。

 意外なところで、意外な人と繋がっているものだな――なんて、縁の妙を感じたものだ。
 そういえば以前、諸伏からきたメッセージは前触れだったのかもしれない。
 あれから返事はないが、彼は元気にしているのだろうか……。

 “ヒロお兄ちゃんに限って、無茶はしないとは思うけど……”と考えていると、雅美から次の質問が投げかけられた。


『彼に――あなたの名前を出しても構いませんか?』

『……構いません。雅美さんのお好きなように』

『……ありがとうございます』


 何もできない花梨が答えたのは、彼女の質問を肯定する返事二つだけだ。
 花梨には、それしか言うことができなかった。

 彼女の運命にもう少しだけでも触れることができていたら、未来は違ったものになったのかもしれない。
 ……そう思うと未来を知っていた身でも、胸が苦しくなる。


「ぅ……っ……」


 ――雅美さ……いえ、明美さん……!


 一度は止まった涙が頬を伝って流れていく。
 夜風は冷たいが、静かに光る無数の灯りがなんだか優しく思えて、また涙がこぼれた。

 ……広田雅美、彼女の本当の名は【宮野明美】――。
 とある組織に属する一員。

 彼女は妹と組織を抜けることを夢見て、今月あった十億円の銀行強盗に手を染めた。
 花梨が見た未来は、その事件の先で、黒ずくめの男に彼女が撃たれるというもの……。

 そして、その場にはコナン――小さくなった新一の姿があったのだ。
 下手に花梨が介入し、彼がもし、その代償を払うことになったなら――。

 未来は、大筋は決まっているとはいえ、不確定だ。
 ……大事な幼なじみを巻き込まないために、花梨は結局なにも言えなかった。


「っ、ごめんなさい……っ!」


 ベランダの手すりを掴み、こうべを垂れる。

 ……不確定な未来は変えることができる。
 けれど、それは本人が変えるしかない。

 心苦しいが、花梨には見守ることしかできなかった。
 いつものように、ただ祈ることしか――。

 今回少し違ったのは、“おまじない”を施したことだが――あの場にコナンがいたことを見ていなければ、もっと何か別の方法を提案できたかもしれない。


「ぅ……っ……」


 花梨は死も大事なプロセスだと認識しているが、やはり知り合いが亡くなったと思うと、悲しいものである。

 ……そうして、花梨は弔いの灯りの前で、すすり泣いていた。


「……っ……」


 ――どうしよう、涙が止まらない……もうすぐ快斗が来るのに……。


 このあと、快斗の訪問が控えている。
 二人きりでいられる最後の夜だというのに、笑顔で迎えて楽しく過ごしたいというのに。

 涙に濡れるまぶたを手で拭って、笑顔を作ろうと試みる。
 ……口角を上げようとする唇が、震えてぎこちない。

 笑顔はうまく作れなかった。

 そんなとき――。


「……どうして、泣いているんですか?」

「っ!? この声……」


 ふと、頭上から彼の声がして、花梨は上を見上げて息を呑む。
 そこにいたのは、屋上から伸びたロープにぶら下がっている怪盗キッド――。
 彼はロープを何度か揺らして反動を付け、トンッと、軽やかにベランダに降り立った。


「……オレのお嬢さん――花梨を泣かせたのは誰だ?」

「キッドさん……」


 ベランダに着地したキッドは、すぐに花梨の傍に寄り、腰に手を添え引き寄せる。
 いつもより、少し怖いくらいの真剣なまなざしに覗き込まれた。声も普段より低く、怒っているように聞こえる。
 急に近づいた距離に、花梨の頬は一気に赤く染まった。


「なにがあった? なんで泣いてる?」

「っ……これは……ちがうの」

「……身体が冷たい。ずっと外にいたのか? 中に入ろう」


 キッドの質問に花梨は俯き、首を横に振る。
 そんな花梨の言葉を無視して、彼は快斗の口調で彼女を部屋に連れていった。

 窓を開け放ち、二人は部屋の中へ。
 ……部屋の中は暖かかった。

 キッドはまず、花梨をソファに座らせ、自身は部屋のカーテンを閉め切る。

 俯く花梨に寄り添う前に、シルクハットとモノクル、手袋を外した。
 ついでにジャケットも脱いで、彼女の肩に掛けてやる。

 そしてやっと、花梨の隣に腰を下ろした。


「……花梨ちゃん、なにがあったんだ? 言ってみな?」


 先ほどより優しい声が耳に届いて、花梨は恐る恐る顔を上げる。


「……っ、あの、ね」

「うん……」


 顔を上げた花梨の目の前には、青いシャツを着た快斗の泣きそうな顔――。
 ふいに彼が、花梨を包み込むように抱きしめてきた。


「か、快斗……?」

「……無理には聞かない。けど、ハグくらいさせて。でないとオレ、心配でたまんねえの」


 急に抱きしめられた花梨は、どうしていいかわからず、快斗の動きをそのまま受け止める。
 彼の腕の中は温かくて、ほっとした。


「……快斗……」

「ごめんな、今週、放課後一緒できてなかったもんな。寂しかったよな?」


 快斗は、花梨が今週一度も一緒に帰れなかったから、寂しくて泣いていたのだと思ったらしい。


「そんなことはないけど……」

「……っ、そ、そっか……! ならよかった……! あー、焦った焦った」


 ……素っ気ない花梨の返答に、快斗の目に涙がちょっぴり滲んだ。


(そこは“寂しかった~”って、言って欲しかったな~……まぁ、いいけど……)


 涙の原因が自分だったらいいのに――と思った快斗だが、違うことはわかっていた。
 ほんの冗談のつもりで、“寂しかった”と言ってくれたらいいな~程度に、ちょっと口走っただけである。

 自分ばかりが好き過ぎるような気がして、快斗はそんなつれない彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
 すると、花梨もぎゅっと抱きしめ返してくる。


(おおっ、抱きしめ返してきた……!)


 ……快斗の頬がぽっと赤く色づいた。


「……あのね、快斗」


 肩口に寄せた声は震えていた。
 抱きしめる腕の温かさに、少しだけ心が解けていく。


「うん」

「日曜日にね、雅美さんに会ったじゃない?」

「雅美さんて……あー……あの人?」


 たしか、日曜――花梨を呼び出した黒髪の女性だったか。
 花梨の説明に、快斗は広田雅美を思い出す。

 妨害電波が邪魔をして、二人の会話はほとんど聞き取れず、慌てて駆け込んだ客室。
 そこにいたのは黒髪おさげの女性だった。
 一時期、花梨が似たような髪型をしていたから、ちらっとしか見ていないが、印象に残っている。

 訳ありそうな感じがしたが、花梨に対して敵意はなさそうで、むしろ好意的だったような……。


「うん……彼女、亡くなったんだって」

「え……、な、亡く……?」


 肩口で花梨の声を聞き、快斗は動揺した。


(ど、どういうこと……!?)


 だって、日曜見た彼女、別に病気を患っているような感じではなかったじゃないか――と、急な訃報に驚きを隠せない。
 詳細を訊きたい快斗の手が、花梨の肩をそっと押して向かい合った。


「……さっき、コナンくんから連絡もらって……。それで、泣いてたの」

「なんで、急に……?」

「……わからない。詳しくは教えてもらえなかったの。ただ、亡くなったとだけ」

「じゃあ、事故か……? そっか……それで――」


 花梨から詳細が語られ、快斗は涙の理由を知り納得する。

 ……快斗がベランダに降り立ったとき、花梨の足元、手すりの下が濡れていた。
 相当泣いたに違いないが、声は聞こえなかった。
 彼女のことだ、近所迷惑だとかなんだとか考えて、声を押し殺して泣いていたに違いない。


「わかった花梨、いっぱい泣きな。オレの胸貸してやる」


 快斗は両腕を広げ、やさしく首を傾げて『おいで』と招く。


「快斗……。でもシャツ汚れちゃうよ?」

「いいよ、鼻水でもなんでもどーんとこい! ほらっ!」


 花梨が遠慮がちにためらうと、待ちきれなくなった快斗の手は再び花梨を抱き寄せた。


「っ、ふふっ♡ 快斗って優しいね」

「そっかぁ? だとしたら、花梨にだけトクベツだな」

「トクベツ……ふふっ、ありがとう快斗。だいすき……♡」


 快斗を見上げる花梨の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出す。

 ……笑顔なのに泣いている花梨が、あまりに綺麗で。
 その顔の美しさといったら――。

 一瞬、息を呑んで、快斗は花梨に見惚れた。


「っ……あーあ、泣いちゃってまー……ほらほら、思いっきり泣きな! たくさん泣いて、雅美さんを送ってやりな」

「わっ……! っ……ぅぅ……ああああっ……!」


 ……今は彼女に見惚れている場合じゃない。
 勝手に熱くなった頬を誤魔化すように、快斗は花梨の頭を寄せ、胸に押し当てる。


 “さあ、安心して泣けよ”


 言葉には出さなかったが、花梨の珍しい大きな泣き声に、心を預けてくれているのだと思うと、快斗の心は満たされた。




※次ページは、おまけ①快斗視点。
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