白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
144:風の止んだ駅で







 ロッカー前には、電車の遅延で足止めされた人々が溢れ、ざわざわとした人混みができていた。肩がぶつかり、子どもが泣く――、イライラとした空気の中で、皆、少しでもスペースを確保しようと身を寄せ合っている。

 コナンと快斗はそんな雑踏の中、もし爆弾が仕掛けられていたら――という最悪の事態を想像し、自然と息を詰めた。


「ほら、花梨。鍵貸しな」


 一方で松田は、動じることもなく、いつも通りの落ち着いた様子でロッカーの前に立ち、手を差し出した。


「待ってよ、松田さん! ここは慎重にいかないと……!」

「そうだぜ、ボウズの言う通りだ。なにが入ってるか分かんねーし!」


 花梨が返事をする前に、コナンと快斗は彼女の前に出て、制止の声を上げた。
 二人は互いが気に入らないが、ここは同意見だ。

 松田の服装も、いつものスーツ姿にサングラス――爆発物処理班の防護服に比べれば、あまりに軽装すぎるじゃないか。
 そんな格好で、もし中に爆弾が仕掛けられていたとしたら……と考えると、二人の背中に冷たい汗が流れる。


「フッ。なぁに、大丈夫だって。駅に来るまでにイメトレしてきたからな。ほら、花梨」


 心配する二人をよそに、松田はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
 彼は、指先をくいっくいっと動かし、鍵を寄越すようにと催促する。


「「はあっ?」」


 ……コナンと快斗の声は同時だった。
 なにをわけのわからないことを――と、二人の目が懐疑的だ。

 反射的に互いの顔を見合わせ、一瞬の間をおいてから、同時に「チッ」と舌打ちをして顔を背ける。


「花梨、貸してみな。絶対大丈夫だから」

「……は、い……」


 松田はサングラスを外して、優しい瞳で花梨を見つめる。
 その落ち着き払った様子に、花梨の緊張も少し和らぎ、ポシェットからロッカーの鍵を取り出した。その手は、少し震えている。


「あ、おい、花梨。危ないからオメーは下がってろって」


 ……快斗は花梨の左側から、腰に手を引き寄せるように添え、松田の側に近づけたくないらしい。
 さっきから松田と花梨の間に必ず、自分の身体を割り込ませるよう位置取って立っていた。


「そーだぞ、その鍵はオレが渡すから貸せよ」


 コナンも似たようなもので、花梨の右隣にぴったりくっついていたが、今は花梨の前に立ちはだかり、守りの姿勢――。振り向いて花梨の手から鍵を奪った。


「あっ(快斗……新ちゃん……)」


 コナンと快斗、男二人に守られ、花梨は申し訳なさに顔を俯ける。


 ――ごめんね、二人とも……陣平さんまで巻き込んじゃって……。


 自分でも何が起こっているのか把握しきれていないが、関係のない三人を巻き込んでしまったことに、花梨の胸はチクチクと痛んだ。

 ……ちょうどその時、構内アナウンスが流れた。


『先ほどまで強風の影響により、運転を見合わせておりました東都環状線は、ただいま運行を再開いたしました。各列車には順次ご乗車いただけます。ご利用のお客様にはご迷惑をおかけいたしました。』


 どうやら止まっていた電車が動き出したらしい。
 駅に集まっていた人々が、一斉に改札へと向かい出した。


「はい、松田さん。気をつけてね」

「お、おう?(気をつけてね?)」


 人の流れが激しくなった構内で、コナンはロッカーの鍵を松田に渡すと、花梨のそばに戻って、彼女の右手を引く。


「ちょ、ちょっと、コナンくんどうしたの?」


 急にロッカーから離れるよう促され、花梨は困惑した。


「ほら、花梨姉ちゃん向こう行こう! 犠牲は少ない方がいいよ!」

「ぉ……だな! よし、花梨。向こうの角まで下がろうぜ」


 手を引くコナンに加え、快斗が左から花梨の腰に手を添え、守るように自分の方へぐいと引き寄せ、爆風の届かない安全圏へと彼女を誘導する。


「あぁぁぁ……二人ともなに言って……。もし爆弾だったらロッカーの側にいる人たちが危ないよ……?」

「念のためだよ! 今、大声で言ったらパニックになる! 群衆雪崩でも起こしたらどうすんだ!?」


 ただでさえ電車が止まり、通常よりも多くの人間が駅に集まっているのだから、下手に“爆弾だ!”なんて騒いだら、人々がパニックになりかねない。
 一瞬の混乱で、周りの安全も危うくなる。

 コナンは移動しながら一喝し、花梨の手を強く引っ張った。


「で、でも、陣平さんが……!」

「松田さんなら開けたらすぐわかるだろうし! もし爆弾が入っていたとしてもすぐには爆発しないと思うよ!」


 快斗が人を避けるようにガードしながら、寄り添ってくれているのもあるが、グイグイと花梨を引っ張っていくコナンの小さな手は力強い。


「そ、そうなの?」

「人通りの多い駅のロッカーに、開けただけで爆発するような仕掛け、設置するのは難しいんじゃないかなー!?」


 コナンは周囲を見回し、監視カメラの位置を指差した。


「ほら、あそこに監視カメラあるし!!」

「な、なるほど……さすが、し――コナンくん!」


 “新ちゃん”と言いかけて、花梨は言葉を呑み込み、言い直す。


「だから念のために、ボクたちは下がろうよ!」

「……だな(ボウズの言う通りだぜ)」


 コナンの言葉と同時に、花梨の腰に添えられた快斗の手にぐっと力が込められた。


「っ、わかった」


 花梨は頷いて、二人の言う通りに安全な場所まで大人しく連れられて行った。


「……あいつら過保護だな~……まあ、俺も人のこと言えねえけど。ってーか、大丈夫だっつってんのに。信用しろよ……」


 ぽつん、と一人ロッカーの前に残された松田は受け取った鍵を見下ろし、番号を一つずつ照らし合わせていく。


「B32、B32……と」


(俺の予知は反応しなかった……だから中身は爆弾じゃない)


 ロッカーナンバーB32……。
 松田は鍵を手に取り、軽く指先で回す角度を確かめた。
 その間にも、背後から人々のざわめきが耳に入り、心拍が少し速くなる。

 離れた場所で、花梨は手をぎゅっと握り、息を呑む。

 コナンと快斗はロッカー前にぴったりと張り付き、松田の一挙手一投足を見守った。

 松田が鍵を差し込み、回す。

 時間が、まるで一瞬だけ止まったかのように感じられた。

 カチリ――。

 静まり返った空気の中で、錠前が外れる金属音がやけに鮮明に響く。
 松田は迷いなく扉を引き開けた。
 喧噪の静寂の中、全員の視線が一点に集中する。

 その刹那、少し離れた場所にいたはずのコナンと快斗が、弾かれたように駆け寄って中身を凝視する。


「……封筒?」


 ロッカーを開けるとA5サイズの茶封筒が入っている。
 厚みは殆どなく、取り出してみると、中に書類か何かが数枚入っているだけの様子……。


「……中、見てもいいんかな? いや、駄目だな」


 ……表には“葵 花梨様”とだけ書かれていた。これなら、本人が開けても問題はなさそうだ。

 そう思った松田は花梨を呼ぶことにして「か」と発声した直後――。


「なんの封筒? なにが入ってるの?」

「開けよーぜ!」


 松田の真後ろからひょっこり。コナンと快斗が封筒を覗き込んでいた。


「おわっ!? お前らいつの間に……!?」


 “さっきまで結構離れた場所にいたよな……?”と、驚いた松田は一歩後ずさる。
 イリュージョンか……。

 コナンもいたので、驚きは倍増しだ。


「ちょ、ちょっと二人とも~! それ、私宛てでしょ~……!」


 出遅れて、花梨が走って来た。


「ンもう、二人とも、私を権堂さんに任せて、すぐ戻っちゃうんだから……心配したよ」


 花梨の後ろから権堂もやって来て、松田に頭を下げる。

 どうやらコナンも快斗も、花梨が気付かないうちに、近くに控えていた権堂とアイコンタクトを取っていたらしく、彼女の側に連れてくるよう頼まれていたようだ。
 権堂に花梨を預け、二人はすぐ松田のもとへもどって来た……ということだった。


「ははは……けど、松田だけに任せるってのも悪いじゃん?」

「松田さん・・な!?」


 快斗の軽口に、松田は敬称を付けるようにと注意する。


「松田さん、その茶封筒、中はなんだったの?」


 コナンは早速封筒に食いつき、中身を知りたい様子で見上げた。


「花梨宛てで間違いないらしい。書類かなんかが入ってるみたいだぞ。危険はないな」

「はあ……そっか」


 憶測ではあるが、松田は自身の見解を交え、花梨に封筒を手渡す。
 それを聞いたコナンは深い安堵のため息をついた。


「葵 花梨様……ホントだ……。なんだろう……」


 花梨がピラッと裏を見ると、差し出し人名のイニシャルだろう。
 【H.R.】とだけ書かれていた。

 その文字を目にした瞬間、花梨の心臓が冷たい指でなぞられたような、得体の知れない悪寒が全身を駆け抜ける。


「……っ」

「花梨さん。封を切るなら、これ使って下さい」


 権堂が「事務作業でよく使うんです」と小さなペーパーナイフを貸してくれる。


「ありがとうございます」


 花梨は息を呑み、手渡されたペーパーナイフを持つ手をわずかに震わせた。
 コナンが鋭く目を細め、快斗もまた、彼女を守るように拳を固く握りしめる。

 ……ゴクリ。
 誰かの喉元で小さく音がした。

 ズッ、ズッ、ズ――とペーパーナイフを滑らせ、慎重に封を切っていく。
 一瞬、時間が止まったかのような緊張が、その場を支配した。

 開封された封筒を覗き込む。
 そこには、たった一枚のメモと数枚の写真が収められていた。



147/196ページ
スキ