白月の君といつまでも

-- Spring, about 17 years old
129:素顔の君に伝えたい







 カラオケ店での一件の後日、留置所にて――。
 達也は寺原の面会にやってきていた。


「よっ! 殺人犯」

「殺してないわよ!」


 面会室に入室した達也は、軽く片手を挙げて、明るく笑う。
 反射的に返した寺原の声が、面会室に少し響いた。
 達也は気にする様子もなく、席に着く。


「だよなっ。はいはい、差し入れ持って来たぜ~」


 “じゃ~ん”と声を弾ませ、達也はスマホを取り出す。
 画面を指でスライドさせながら、得意げに言った。


「実はさ、新曲のデモができたんだ。“素顔の君に伝えたい”ってやつ」


 そのタイトルに、どこか気恥ずかしさを覚えたのか、寺原は眉をひそめて小さく鼻を鳴らす。


「……フンッ、ソロ活動で忙しいのに面会なんて……よくやるわね」

「まあまあ、麻里。素直になれって」


 ふっと笑ってから、達也は指を止め、再生ボタンにかけた指を一瞬だけ止めた。
 そのまま、ガラス越しにじっと寺原を見つめる。

 今日の寺原はノーメイク。
 留置所じゃ、化粧水や乳液くらいしか手に入らないからすっぴんだ。

 ……肌にはうっすらとそばかすが浮いていた。


「……なによ」

「ん……? 別に?」


 視線に気づいた寺原が、不機嫌そうにフイッと顔を背けてしまう。
 達也はとぼけるように言ったが、そのまなざしはどこか懐かしげだ。

 ……整形してしまった彼女の顔。

 だがこうしてノーメイクのままだと、昔、自分が好きだった“麻里”の面影がうっすらと浮かび上がってくる。

 頬のライン、そばかすの位置、ちょっと膨れた時の口元。
 たぶん彼女自身はもう捨て去ったつもりの“過去”なのかもしれない。

 でも、達也にとっては――。


(いつもノーメイクでいりゃいいのに……。可愛い……。)


 達也がテーブルに肘をつき、ほんのり頬を赤らめながら見つめていると、向かいの寺原も、どこか落ち着かない様子で顔を背けたまま、じわじわと頬が赤くなっていった。

 タンッ、とスマホをタップする音が静かな面会室に響く。
 次の瞬間、空気を包み込むように、デモ曲の旋律が静かに流れ出した。


 ……“素顔の君に伝えたい”


 曲は、誰かに無理に合わせなくてもいい、飾らなくていい、そのままの君が美しい……そう、心の奥に優しく訴えかけるような内容だった。


「……っ、いい曲ね」


 再生が終わった瞬間、寺原の目元からぽろりと一筋、涙がこぼれた。
 それは堪えきれずに零れた想いであり、同時に、深い後悔の証でもあった。


 ――この曲、達也は私のために書いてくれた。


 そんな彼の愛に気づかず、危うく達也を殺めてしまうところだった。
 初対面で彼に可愛がられる天然の美少女に嫉妬なんかもして……。

 もし花梨がいなければ、本当に達也の命を奪っていたかもしれない。
 それなのに彼は、こんなにも自分を想ってくれている。


(バカな私……。刑期を終えても、達也の隣に並ぶ資格なんて、私にはないわね……)


 胸にこみ上げる感情を押し込めながら、寺原はそっと涙を拭った。
 こんな気持ち、いまさら「好き」なんて……とても口には出せない。


「だろ? 好きな女に贈る曲だからな」


 達也が、何気なく、だけどはっきりとそう言った。
 その一言に、寺原は肩をぴくりと揺らす。


「っ……ふーん?」


 照れ隠しに鼻を鳴らすが、耳までほんのり赤くなっていた。


「ははは、素直じゃねーの!」


 達也はそんな彼女の反応を面白がって笑いながら、続ける。


「あのお嬢さんに贈れば?」


 その言葉に、寺原の目が鋭く細まった。
 言うまでもなく、“あのお嬢さん”とは花梨のことである。


「なんでだよっ! どう考えてもお前のために書いた詩だろうがっ」


 ツッコミながらも、達也の顔はどこか嬉しそうだった。
 あの時、花梨が“素直に”と言ってくれなければ、自分はこんな気持ちに気づかないままだったかもしれない。

 ……そうしたら麻里はオレを――?


(殺したいほど好かれてるってのは……なんつーか、ヘビーでクレイジーなビッグラブだぜ)


 自嘲気味にそう思いながらも、達也の頬がまた赤く染まる。
 ……嬉しくないわけがない。
 どんな形であれ、好きな女に想われていたという事実は、胸の奥をじんわりと温めた。

 たとえ、まだ一度も“好きだ”なんて言われていなくても。


「どうだかっ。あのお嬢さんにデレデレだったじゃない」


 寺原がぷいっと顔をそらして言う。
 その頬はむくれていて、どこか子供のようで、また少し――可愛い。


「ちげーって! あれは、嬢ちゃんが“たこ天”に似てたからで……!」


 懐かしむように言いかけたところで、ふと思い出したように彼女が眉をひそめた。


「たこ天?」

「麻里、憶えてねえ?」

「え?」

「ほら、オレたちが高校ん時にさ――」


 達也が懐かしそうに語り出そうとした、その瞬間――。


「面会終了時間です。寺原さん、退室してください」


 事務的な声とともに、立会いの警察官が寺原の肩に軽く触れた。
 “もう?”という表情で、寺原は名残惜しげに立ち上がる。

 ……明日も、達也は来てくれるのだろうか。
 自分を殺しかけた犯人に、こんなふうに毎日……?

 彼の愛は本物だと、頭ではわかっている。
 けれど、それが永遠ではないかもしれないという不安が、心のどこかに居座っていた。

 言葉を発せぬまま、寺原は無言で面会室を出ようとする。


「麻里っ! また明日くっから! そん時“たこ天”のこと、話そうぜ!」


 振り返ると、達也が明るい笑顔で手を振っていた。
 いつものように、変わらない笑顔だった。


「たこ天か……」


 その言葉を小さく呟いた寺原は、警官に促されながら部屋を出る。
 高校生時代の“たこ天”といえば――一体なんだったっけ?

 その日、寺原は房に戻ってから一日中、記憶の引き出しを探った。
 懐かしい、けれど思い出せない“たこ天”を探して。









 今から五年前――。
 達也は十六、寺原は十八の頃のことだった。

 二人はすでにバンドを組み、地元では少しずつ人気が出はじめていた。
 夏休みを利用して、地方へ遠征しよう――そう決めて、大阪のライブハウスへと向かった。

 アマチュアバンドの音楽フェス。
 いつかプロデビューするための通過点だと、意気込んで挑んだ遠征だったが……結果は、惨敗だった。

 出番の並びが悪かった。
 地元で圧倒的な人気を誇るバンドのあとに回され、本来はそのバンドがトリだったにもかかわらず、スケジュールの都合でなぜか達也たちがラストを務めることになってしまったのだ。

 完全にアウェーの空気。
 フェスの終盤で、観客の疲労もピーク。
 達也たちの演奏が始まる頃には、客席から一人、また一人と帰り始め、終盤には数えるほどしか残っていなかった。

 そして、最後の一人。
 そこに残っていたのは、小さな女の子だった。

 鶏ガラのように細い身体。
 ボサボサの黒く長い髪。
 服は汚れていて、腕や足には小さな怪我も見えた。

 まるでどこかから逃げてきたような、痛ましい姿。

 彼女はどうも虐待されているようで――ファンというより、どう見てもどこかから逃げて来て、迷い込んだ子どもという印象。


「わぁ~! お兄ちゃんら、めっちゃ上手やん! 最高っ! 惚れてまうわ~♡」


 少女は手をパチパチと大きく鳴らしながら、笑顔で声を上げた。
 みすぼらしい外見とは裏腹に、その笑顔は無垢で可愛く、そして何より――瞳が印象的だった。

 ……金色にきらめくような、不思議な瞳をしていた。


「最後まで聴いてくれて、ありがとう」

「ありがとな」


 寺原と並んで、達也も素直に礼を伝えた。


「お兄ちゃんは、きっと有名になるわ。忙しなる思うから、しっかりきばってな~」

「お、おう……?(きばって……?)」


 ――関西弁、難しいな。


 達也は戸惑いながらも、ステージに近づいて握手を求めてくる少女に、手を差し出した。

 と、その瞬間――。


 “ぐ~きゅるるるる……。”


 場の空気が一瞬止まるほど大きな音が、少女の小さなお腹から鳴った。


「……ぷっ。腹減ってんのか?」

「夏休みやから給食ないねん」


 言いながら、少女はちょっと気まずそうに笑った。

 夏休みで給食がない……。
 つまり、普段からまともに食事を摂れていないのだろう。
 服装もそうだが、その暮らしぶりが、ひしひしと伝わってきた。


「そうか……たこ焼き、食うか? オレたち、これから食いに行くんだけどさ」

「ええの!?」


 達也が遠慮がちに尋ねると、少女の金色の瞳が一瞬で輝いた。


「ふふっ、ええ・・よ~? お嬢ちゃんにご馳走してあげる。地方ファン第一号だもの」

「わあっ、ホンマに!? そばかすのお姉ちゃん、めっちゃええ人やな~!」


 達也の隣で寺原も微笑む。
 ステージは惨敗だったかもしれないが、この一期一会の出会いは、どこかあたたかく、心に残るものだった。

 少女は、明るくて、ほんわかしていて、なぜかすべてをポジティブに受け止めてしまうような、不思議な空気を持っていた。


「私が最初から最後まで聴いたバンドは、お兄ちゃんらだけやねんで。これはもう! ホンマにすごいことなんやから、自信持ってな~? ンッ! このたこ焼き、めっちゃおいし~っ♡」


 ……きっと、気落ちしていた達也たちを励まそうとしてくれていたのだろう。

 熱々のたこ焼きを頬張って、目を細めるその表情は、まるで天使のようだった。
 それで、達也と寺原は、彼女に“たこ焼きの天使”――略して「たこ天」というあだ名をつけた。

 少女と過ごした時間は、ほんのわずかだった。
 けれど、そのわずかな時間で、達也たちの沈んだ気持ちは嘘のように晴れた。
 ……次のライブでは絶対に満席にしてやる――と、意気込みを取り戻すほどには。

 いつもなら、一週間は引きずるような落ち込みも、彼女のおかげでその日だけで乗り越えられた。

 別れ際の夕暮れ――。「ごちそうさまでした! 応援してるからな~」と手を振って笑う少女の姿は、夕陽を背にして、まるで光に包まれているかのようだった。

 ……昔のことだから、すっかり忘れていたけれど。

 ボサボサの黒髪に隠れて、少女の顔はよく見えなかったが、寺原が「すっごい美少女……」と呟いていたのだけは覚えている。

 そして今――。

 花梨を初めて見たあの日。
 瞳の色を見た瞬間、達也の脳裏にはあの少女がよみがえったのだ。

 ……もしかしたら、あの“たこ天”は――。










「……たこ天ちゃんか……。そっか、本当に天使だったのね。ありがとう……」


 面会に来た達也から、“たこ天”についての話を聞かされた寺原は、どこか遠くを見るような表情でそう呟き、柔らかく微笑んだのだった。




※次ページはあとがき。
131/196ページ
スキ