白月の君といつまでも

-- Spring, about 16 years old
012:春のある日







 あの日以来、新一は何かと花梨の世話を焼くようになった。
 週に一度は有希子からの差し入れを持って会いに行き、生活用品の買い出しやら、花梨が人混みが苦手だというので一緒に出掛けたりなんかもして、対人関係のリハビリに付き合った。

 蘭から「新一、最近見ないけど、どこに行ってるの?」なんて言われた新一だが、蘭たちにはまだ黙っておいて欲しいとの花梨のお願いを聞き入れ、黙ってくれている。

 花梨は蘭と園子に会うのが怖い。
 昔二人は花梨を“王子様”として扱っていたから、今の姿に失望されたくなかった。

 あの二人なら受け入れてくれると新一は言うが、今はまだ無理。
 一度毛利探偵事務所の近くまで行ってはみたものの、勇気が出せずに帰ってきてしまった。
 人前に出ること自体も辛く、新一が一緒じゃないと、用がなければほぼマンションに引きこもっている。


「オメー、近所でいいから散歩くらいはしろよ。高校生になったんだからよ」


 学校帰りに花梨のマンションへ様子伺いにやって来た新一は、勝手知ったるように冷蔵庫からアイスコーヒーのペットボトルを取り出し、口に含んで呆れた顔をした。
 注意を受けた花梨はソファで寝転び電子書籍で読書中――。


 ……季節は冬を過ぎて、桜の舞う季節。
 受験は花梨の宣言通り、無事合格。

 晴れて高校生となり花梨は今、セーラー服を着ている。
 中学の時もセーラー服だったから代わり映えしないと思いつつ、長めのスカートに相変わらずの黒髪の鬘と眼鏡を着用。
 少し違うのは、再会してから半年の間に新一たちによる食事管理が成功したのか、肉付きが良くなった。

 今は顔色も良くなり、爪もツヤツヤ。
 成長期にしっかり食べられなかったこともあり、筋肉量が少ないため体力はいまひとつながら、すっかり健康体になったというわけだ。

 有希子が「これは高校生デビューでもするかしら」と期待していたが、そう簡単に心の傷は回復しない。
 友達という友達も未だできず……身体だけでも健康になったからよしとするべきか。


「近所くらいは出てるよ……」

「夜は出んな、昼に行け」

「う、なんでわかったの……? 新ちゃんすごくない……?」

「人混みが苦手なオメーが、人が少ない夜に出歩いてることくらいわかんだよ。元々はオメー……外出歩くの好きだろ?」


 新一がソファにやって来ると、花梨は上体を起こし席を空ける。
 隣に彼が腰掛けたら、いつものように軽く手刀を入れられ説教の始まりだ。

 ……ここ最近は新一の小言が増えた。
 電話もメッセージも、新一の小言だらけで少しうんざりしている。

 新一に指摘された通り、夜の散歩は花梨の最近のお気に入りである。
 昼間は人でごった返す街も、夜は人も疎ら。
 慣れてきたのだろうか、一人で歩く時も俯きながら歩くことが少なくなってきたように思う。

 それが駄目だと言われてしまうと、また家でネット三昧、ゲーム三昧となってしまうのだが。


「……心配なんだよ。オレはこうしてたまにしか来てやれねーし。女の子の一人暮らしだろ。夜は犯罪に巻き込まれる率も上がるし、もう少し警戒心を持ってだな……」

「……新ちゃんが外に出ろって言ったんじゃん?」

「だから昼間、な?」


 にこにこと目を細める新一の拳固が頭にのっかり、ぐりぐりと擦り付けられた。


「いだだ……昼間は人が多いからヤダってばあっ」

「くっ、オメーなあっ……! なんでわかんねんだよっ! このバカッ!」


 花梨が涙目で訴えかけると、新一の手が離れた――と思ったら今度は頬に両拳がぐりぐりとめり込んでくる。
 “グーはやめて!”と思っている間に、不細工な顔を作らされてから解放された。

 ……新一は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。


「いひゃいいひゃい……ひーん……暴力はんたーい……。わかってないわけじゃないもん。私だって、ちゃんと考えて行動してるもん」


 拳を強く擦り付けられた頭と頬が痛い。
 けれど新一から与えられる痛みは、虐められていた頃とは違って辛くはなかった。


「父さんと母さん、来週海外に行くんだよ。しばらく自宅には戻らない。だからあんま心配かけさせねーでやってくんねーか?」


 ほら、と新一は胸ポケットから一通の封筒を取り出し、花梨に手渡す。
 見れば可愛らしい封筒で、有希子からの手紙のようだ。
 手紙を受け取った花梨はすぐに封を開けて目を通す。


 -- 花梨ちゃんへ。

 優作の仕事の都合でロスに戻ることになったの。
 本当は花梨ちゃんも一緒に連れて行きたいけど、あなたはまだ日本の方がいいと思って。
 新一も一人暮らしになるし、たまにご飯でも作ってあげてくれたら嬉しいわ。
 しっかり食べて、しっかり勉強して、しっかり遊ぶのよ。
 女の子の夜遊びは危険だからおやめなさいね。
 連休になったら遊びにいらっしゃい。待ってるからね。

 有希子 --


 愛情溢れる手紙に、読み終えた花梨の手は震えた。


「……優作おじさまと有希子さんがまたロスに? 私、心配なんてかけてるつもりは……」


 身寄りのない自分を気に掛けてくれた工藤夫妻。
 息子の新一までこうして世話を焼いてくれている。
 ただ昔近所に住んでいただけという間柄なのにもかかわらず。

 世間に冷たくされ、身内にも冷たくされ、どこにも居場所がなかった花梨。
 今も居場所は見つからず、ふわふわとただ漂うだけ。

 両親もすでにおらず、自分は誰の目にも留まらない、取るに足らない存在だと思っていたのに、こんな愛情を受け取る資格もない存在なのに。
 手紙には、亡き母親が生きていれば言ってくれたであろう言葉が綴られている。


 “いい? 花梨。バカなことしないでたくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん眠るの。毎日を一生懸命大切に過ごしなさい。今を生きるのよ。”


 幼少期、母雪音が花梨に男の子の恰好をさせながら毎日のように言い聞かせてきた言葉たち。
 雪音の言う“バカなこと”が何かはわからなかったが、今急に思い出され花梨の瞳に涙が滲んだ。


「オレもまた一人暮らしになる。お互い一人暮らしなんだから、羽目外して夜遊びなんかしないでちゃんとした生活を送ろうぜ」


 手元の手紙を覗き込む新一。“女の子の夜遊びは危険だからやめなさい”の部分を、何度も指でなぞり強調する。
 ……説教はまだ終わってないらしい。一瞬うるっときた花梨の涙は引っ込んだ。
 新一に言われるとどうももやもやする。


「新ちゃんは真面目くんだなあ~」

「オメーも真面目ちゃんじゃねーか」


 新一はとにかく真面目な人間だ。
 曲がったことが大嫌いだし、犯罪が許せない推理オタク。
 ズバズバと真っ向から指摘し追求してくるから、答え辛い質問のときは尋問を受けているみたいで本当に困る。
 それに彼は少々、決めつけが強い。

 そもそも花梨は見た目だけは真面目を装っているが、それは目を付けられないための処世術。
 実際はそんなに真面目でもなければ、不真面目でもない。
 夜遊びだってする(夜の散歩くらいだが)。


「んー……? そう……?」


 花梨は鬘を外し、少しはにかんでみせる。


「ん? ……おい、花梨? まさかオメー……夜、遊び回ったりは……」

「えと、えとっ、ふふふっ。大丈夫、補導はされてないよ!」

「オメーって奴はよー!」

「いだだだ……! 痛い痛いっ! 新ちゃんマジで痛いって!」


 笑顔で察したのだろう。花梨が両手でサムズアップして誤魔化したら、新一の拳固が容赦なく今度はこめかみに……ぐりぐり。
 痛いのなんのって、その日新一の機嫌はずっと悪く、夜の散歩は二十時までと花梨は約束させられたのだった。










「けど、新ちゃん。私、あと一年しかないからさ」


 新一が帰ってしまい、残った花梨はカレンダーを手に部屋で一人ぽつりと呟く。
 昨年新一と一緒に買いに行った三年カレンダーを捲り、二年目、来年六月に目を止めた。


「……お母さん。あともうちょっとだけ、私がんばるね」


 三年カレンダー二年目の六月からは赤いペンで大きく×印が引かれ、以降の月も×が書かれている。


「新ちゃん……」


 ぽたり。頬から一滴。
 カレンダーに落ちた雫が赤いインクを滲ませた。



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