白月の君といつまでも

-- Autumn, about 15 years old
010:落ちた黒髪


「んっ!」

「……ちげーし」

「……うそつき~」

「ぜってえちげー……(って唇柔らかいな……)」


 手で覆った花梨の唇が手のひらに触れ、新一の頬が赤く染まる。
 彼女の吐く息から、ほんのりハチミツの香りがした。


「はあ……新ちゃん……?」

「花梨……」


 ――なんだ? なんか……妙な気分に……。


 きょとんと瞳を瞬かせる花梨に、新一は顔を近づけてゆく。
 吸い込まれそうな琥珀色の瞳に吸い寄せられ、人形みたいな花梨の顔を、もう少し近くで見たいと思ったのだ。


「新ちゃん」

「……ん?」

「キス、する?」

「え」

「キスくらい、別にいいよ? 減るもんじゃなし」

「え?」


 不意に花梨の両手が間近に迫った新一の頬に伸び、包まれる。
 そのまま顔を花梨の顔へと引き寄せられ、ちゅっと唇が――。

 ……新一、自らの手の甲に唇を触れさせた。


「……なんだよこれは」

「私、新ちゃんの手のひらにちゅーしちゃった!」

「なんだよこれはっ!!」


 ――本当にキスするかと思ったじゃねーか!


 目を細め、明るい声で告げる花梨に新一は憤慨する。
 なんで自分の手の甲に、自分で口づけせねばならないのか。

 ……花梨とキスしたかった。

 下心を自覚した新一の顔は真っ赤に染まった。


「ん。ふふふっ、ファーストキスは好きな人とじゃないとねっ♪」

「……オメー、好きなやついんのかよ」


 ――いるわけねーよな?


 花梨が喋る度、熱を含んだ振動が手に伝わってくる。
 くすぐったいが、新一は花梨の唇の感触を楽しむ自分に気づき、放したくなかった。

 彼女も気にしていないようだし、しばらくはこのまま触れさせてもらおう……花梨の好きな奴の話など、聞きたくもない。
 そんな新一の手に力が入り、花梨の頬に指が食い込んだ。


 “今のはナシだ、答えなくていいから”。


 口には出さず、目の前の花梨を睨み付ける。
 自分で尋ねておいてこれとは――まるで花梨の好きな奴に嫉妬しているみたいじゃないか。

 ……それは、どこからきた想いだというのか。


「いなーい!」

「なんだ、いねーのかよ……ふぅ……(よかった……)」


 新一の気持ちが通じることはなく、花梨は首を左右に振って明るい笑顔を見せる。
 あっさり自分の願望通りの答えが得られた新一は、小さくため息を吐いた。


「ていうか、新ちゃんいつまで私の口を塞いでるわけ? 鼻が出てるから息苦しくはないけどさ」

「あっ、わりぃ!!」


 ――さすがに嫌か……。


 ずっと口封じされているのはおかしい。
 花梨が抗議して、やっと新一は慌てて手を放した。


「あっ、ダメっ!」


 手を放した際に花梨の髪が絡んで引っ掛かり、ズルッ、ドサッ。
 大きな音を立てて花梨の黒髪が床に落ちた。


 ――髪が落ちた……!?


 新一は床に落ちた纏まりのある髪に驚き、一瞬怯んだものの、なぜ髪が――いやかつらか……。
 床に落ちたのが鬘だと気づくのは早かった。

 ぱらぱらと白い髪が、床の鬘を見下ろす新一の視界に紛れる。
 それを見た新一は顔を上げ、花梨へと視線を戻すと目を大きく見開かせた。


「オメー……その髪……!?」


 新一の目の前には、真っ白な髪の花梨がいた。
 光沢のある白い髪がさらさらと靡く。


「あ……あはは……これ、白髪なの。ちょっと色々あって、こんなになっちゃってね。若いのに白髪なんて恥ずかしくて。だから鬘、被ってて……」

「……っ、そうだったのか……」


 ――だから野暮ったく感じたわけか……。


 鬘を見下ろしながら、自分の頭を隠すように抱えて身を震わせ、青白い顔で訳を話す花梨が怯えているように見える。
 何かトラウマを抱えているのがわかってしまった新一に、彼女を慰める言葉はすぐには出てこない。

 ……優作から一部始終を聞いて知っていることは、今はまだ言わない方がいいだろう。

 だが――。
 花梨の白い髪は、本人は嫌なのかもしれないが……。


「白髪だと見苦しいでしょ……?」

「いや、それはねーよ」

「へ?」

「……ハーフみてーに見えるから綺麗だと思うぞ」


 ――綺麗に色が抜けちまってまー……控えめに言って、めちゃくちゃ可愛いなオイ……。


 透き通る白い肌の色も相まって、真っ白な花梨は穢れの無い天使そのもの。
 ……新一の胸はドキドキと、いつもより鼓動が早くなった。


「新ちゃん……。けど、私、実はこの髪のせいで、その……虐められたりしててね……っ……」

「……ンンッ!? ……そ、そっか(やべぇ……可愛すぎる……)」


 ――ぐはっ……! なんだよその目、オメー天使か!?


 上目遣いの花梨の瞳がうるうると潤んで、新一を見上げる。
 新一は、胸がぎゅっと鷲掴みされたように痛んで堪らない。悶絶というのはこういうことをいうのだろう、思わず息を呑んでやり過ごす。

 花梨は天使、いや子猫――小動物のように可愛い……。
 彼女がふるふる震えているのを見ていると、新一の心の中、庇護欲がどんどん大きく膨れ上がっていくのを感じた。


(父さんたちが花梨を“妹のように接してあげなさい”と言っていた意味が、今ならわかる気がする……)


 見た目に由来するところもあるのかもしれないが、花梨、彼女は恋愛的な意味がなくても、ただ守ってやりたい。
 ……そんな気にさせる女である。

 有希子も花梨を可愛がっていたから、男でも女でも守りたくなるタイプなのだと新一は思う。

 では、花梨を虐めた奴らは?
 なぜこんな綺麗な花梨を虐めたりしたのだろう。

 人目に怯えるようになるまで追い込んだのだ、弄りや揶揄いの受け取り方は人それぞれだが、何を言われてもいつもニコニコ笑っていた花梨が、ああなってしまったということは――虐めの範疇を越えている。

 父優作から聞いた話では、花梨の学校での生活は地獄だったらしい。

 トイレに閉じ込められて、上から水を掛けられたり、多量のイナゴが入ったバケツをひっくり返される。
 上履きに画鋲を入れられる。
 机や教科書には落書きがされる。
 給食に虫や雑巾の絞り汁を混ぜられる。
 暴行、窃盗、クラス全員による無視や嫌味。

 ……なんてことがあったそうだ。

 花梨が可哀想なのはそれだけではない。
 家に帰っても状況は似たようなもので、誰一人、彼女の味方はおらず、耐えるしかなかった。

 最終的には命まで狙われるほどで、家を出ざるをえなかったらしい。
 主犯格は身内で、警察も手を出せなかった――そんな最悪の事情。

 家の中でも暴力が日常的に振るわれ、傷害でも罪に問えそうだったが、それも叶わなかった。
 優作が独自に調べた花梨の親族は、どうもかなりの権力を持つらしい。


『彼女の過去を調べることはできたが、他は何も出来なくて悔しいよ』


 花梨の話を終えた優作は、ぶつけようのない怒りを押し殺すように深くため息をついていた。
 優作と有希子が花梨に優しく接していたのは、裏事情を知っていたからなのだろう。

 新一は、花梨の可憐さと白い髪に圧倒されながらも、胸の奥でふつふつと熱いものが湧き上がるのを感じた。

 胸がぎゅっと掴まれたように痛む――息を止めたくなるほどの、庇護欲と動揺。
 花梨を虐めた奴らへ、怒りが沸騰する。
 どうしてこんなに可愛い子を……。どんな理由があっても許せない。

 だが今はまだ、花梨の前で声を荒げるわけにはいかない。
 そっと、でも強く、彼女を守りたい――それだけが、胸の中の真実だった。



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