白月の君といつまでも
-- Spring, about 17 years old
103:米花警察署にて
◇
“次は米花~、米花。お出口は右側です。”
途中一度の乗り換えを経て車内放送が流れ、米花駅に到着。
快斗が「さっさと済ませよう」と言うので、花梨は手を引かれるままに早足で米花警察署へ向かった。
米花警察署に着き、制服姿の女性警察官に声をかけ、応接室に通され待つこと十分――。
ガチャッとドアが開き、奥に立っていた人物に花梨と快斗は目を瞬かせる。
「ご足労どうもー。担当の松田でーす」
そこにはクリップボードとボールペンを手にした、スーツ姿の松田が立っていた。
「ゲッ」
「ゲッ、とはなんだ。ゲッ、とは。万年発情少年よ。よー、花梨ちゃん! 元気にしてたかなー? 先週ぶりかあ! 今日も可愛いな♡」
快斗があからさまに嫌そうな顔をするので、松田は眉を寄せ睨み付けるが、花梨にはにっこりと応対する。
「っ、どうして陣平さん……?」
「んー、たまたま?」
「たまたまって……」
挨拶もそこそこに座ってくれとのことで、花梨と快斗は応接室のソファに腰掛けた。
「早速だが、花梨には悪いが……昨日の事件、なかったことになった」
「え、なかったことにって……」
テーブルを挟んで、対面のソファに松田が座るなり本題に入る。
昨日の事件がなかったことになったとは……どういうことだろうか、花梨は首を傾げた。
「正確には、頭のおかしな男が改造した自動球出し機を用いて、無差別に通行人を狙った……という話についさっき、
「なんで!? 花梨を狙ってたんじゃねーのかよ!! オレはっきり聞いたんだぜ!?」
松田の話に快斗は身を乗り出しテーブルを叩く。
「……らしいな。けど、そうなったんだ。悪いな」
「っ! 警察どうなってんだよ……。信じらんねえ……」
「……、俺もそう思う」
身を乗り出した快斗の肩を松田はぽんと叩いて微苦笑。
快斗がソファに座り直し、眉を寄せながら呆れて腕を組むと、松田も同意した。
「……そうですか……」
――やっぱり……。
花梨は唇を噛み、膝に置いた手でスカートを握りしめる。
以前誘拐された時も誘拐事件にはならなかったし、トロピカルランドの殺人未遂も事件にならなかった。
今回ももしかしたらと思ったが、やはりそうなった。
きっと自分が死んでも事故かなにかで済まされてしまうのだろう。
……母と父のときのように。
「悪い……、また尻尾を掴めなかった。けど俺
松田が頭を下げながら告げる。
俺たち……というのは、松田、降谷、諸伏、伊達の四人。四年前に命を救ってくれた“お兄ちゃんたち”のことだ。
あの時も不本意ながら、お兄ちゃんたちを危ない目に合わせてしまっている。
頼もしいお兄ちゃんたちに頼れたらと思ったこともあるが、狙われているのは自分だけなのだから、これ以上、内輪の問題に他人を巻き込んではいけないのかもしれない。
……悟った花梨は頭を深く下げた。
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です。陣平さんたちにこれ以上迷惑をかけたくない。危ないからもうやめて下さい」
「花梨……」
「もうすぐそれも終わると思うから、忘れて欲しいです」
――快斗とも……もう一緒にいるべきじゃないのかも……。
松田に憐憫の眼を向けられながら、花梨はチラッと隣の快斗を見やる。
快斗は、花梨が何を考えているのか測りかねるように、その横顔をじっと見つめていた。
彼が差し出そうとした手は、花梨の頑なな孤独に触れられず、宙で少しだけ彷徨った。
「……ん? それも終わるってどういうことだ?」
「花梨?」
花梨の意味深な発言に松田と快斗が注目する。
「……、いえ。なんとなく、そんな気がしただけ」
花梨は首を左右に振って微笑んでみせた。
――もし、快斗まで巻き込まれることになったら……。
警察官のお兄ちゃんたちなら警察組織にいる分、内部に敵がいたとしても、ある程度は大丈夫だろう。
けれど快斗は寺井と二人だ。
大切な恋人と友達が巻き込まれる可能性は、どれくらいなのだろう。付き合いが長くなればなるほど高くなるかもしれない。
親戚の家を追い出され、やっとすべて終わったと思っていたのに、逃れられないとは――。
微笑んでいた花梨だが、考える内に俯いてしまった。
「……まあとにかく、そういうわけだからせっかく来てもらってわりぃけど、今日はこれで終わり。二人とも自宅まで送ってってやるよ」
クリップボードをテーブルの上に置き、松田は立ち上がる。
クリップボードに挟まれた紙は白紙で。
……もう終わった事件で、花梨から話を聞く必要がないということがわかった。
「いや、別に送ってもらわなくても結構です。電車で帰るんで」
快斗も立ち上がり、ドアに向かう松田を追いかける。
「送ってくよー? 特に花梨ちゃんは、お家までしっかり送り届けますよ~。黒羽は電車で帰るなら駅まででいいよな?」
「松田さん……、こないだのこと根に持ってますよね?」
松田に追いついた快斗は、俯いたまま未だ立ち上がろうとしない花梨をよそに、こそこそと話しだした。
「あん?」
「オレと花梨は恋人同士だっつってんだろ?」
――ぜってえ、こないだいちゃついてたの根に持ってるよな!?
警官たちが集まったあの日、花梨とのいちゃつき現場を止めに入った松田の目は、怒りに満ちていた。
快斗が小声で告げて下から睨み上げれば、今も不機嫌全開で見下ろしてくる。
「だからなんだ。未成年の不健全性的行為は断固阻止するぞ? あ、そうだ黒羽。今日はここに泊ってっか?」
「なら花梨も泊めるっつーことになりますけど?」
「何言ってんだ。お前だけに決まってんだろ。可愛い花梨をあんな場所に寝かせるわけねーわ」
「なんでだよっ!」
――あんたこそ、未成年に目をつけるやべー奴だろーが!
留置するのは黒羽、お前だけだとニヤニヤする松田に、快斗の声は大きくなり……。
「ちょ……、二人ともなんの話をしているの……?」
遅れてようやくやって来た花梨が仲裁に入った。
「花梨、松田さんだけどな。花梨のこと狙ってングッ!?」
「どうどう! 黒羽、お前余計なこと言うと本当にしょっ引くからな? 罪状なんてどうとでもなるんだぜ……?」
快斗が花梨に松田の狙いを話そうとすると、背後から手が伸び、物凄い力で羽交い締めにされる。
……きゅっと首が絞まり、言葉に詰まった。
だがそれは一瞬で、松田は快斗の耳元で脅し文句を囁きすぐに離れる。
背をトンッと押され、快斗はすぐさま翻って睨みつけた。
「職権乱用じゃねーか! この不良警官!」
「何を言う。オレがいなけりゃ爆処の人間や民間人が何人死ぬと思ってんだ!」
不良警官と呼ばれた松田は腰に手を当て、快斗を見下ろす。
松田の現在の部署は一課の特殊犯捜査係だが、元は警備部機動隊の爆発物処理班所属。
一時期は一課の強行犯係に配属されていたが、三年前の事件をきっかけに希望していた特殊犯捜査係へと転属した。
爆弾の解体技術は見事なもので、特殊犯捜査係に配属された今でも古巣の爆発物処理班に呼ばれて出張することがあるくらいだ。
「あ、爆処って言えば……先月、陣平さん、また爆弾解体したって言ってませんでした? ほら、おいしいお菓子持って来てくれた日に言ってたような……」
「そうそう! オレにかかればどんな爆弾も、ちょちょいのちょーいってな!」
ふと花梨が思い出したように先月の爆弾事件について語る。
都内のオフィスビルに仕掛けられた時限式爆弾の解除を、松田が担当したのだが、解除は難しいと言われていたにも関わらず、松田はあっという間にバラして無効化してしまった。
現場にいた現役の爆処の人間が、迷いのない松田の手捌きに「なんであそこであれを切るんだよ、おかしいだろ……」と首を傾げたという。
そういった爆弾の解体をこれまでいくつかしてきているのだが、とにかく解体が素早いのだとか。
毎度あっという間に無効化するため、神がかっている……と噂され、爆処からは戻って来て欲しいとラブコールが絶えない。
「すごいですね……。怖くないんですか?」
「そうだな……、怖くないって言ったら嘘になるが……。俺には女神さまの権能があっから絶対大丈夫なんだ」
すごいと言われた松田の口角が上がり、優しい瞳で花梨の頭を撫でる。
(……四年前、お前から貰った『あれ』と、お前が何気なく言った『あの言葉』があったから、俺は今ここに立っていられるんだ)
あの日、スマホの画面越しに「未来」を掴み取り、俺は死ぬはずだった運命を笑い飛ばした。
お前に繋いでもらったこの命、一秒たりとも無駄にはできねーんだよ。
意識の深淵、静寂の中で研ぎ澄ませる「死の境界線」。
あの日、肌に刻まれた微かな熱の残滓を手繰り寄せ、自分の進む先に破滅がないかを視通す――。
その不可思議な予知の感覚こそが、松田にとっては代えがたい“女神の祝福”だった。
「女神さまの権能……?」
「オレ程使いこなしてる人間はいねーんじゃねーかな?」
「……? はあ……そうなんですか……」
はて、女神さまの権能とはなんのこっちゃ……。
松田が何を言っているのかさっぱりな花梨の首がこてんと傾き、瞼がぱちぱちと大きく瞬いた。
「くっくっ……。わかってねーなあ……?」
……ポンポンと花梨の頭を撫でる松田は楽しそうだ。
松田に頭を撫でられていた花梨がその内、「髪が崩れるからやめてください」と言い出し「花梨ちゃん冷たーい!」と言葉の応酬が始まる。
その様子を見ていた快斗は――。
「……」
――また女神さまか……、それって花梨のことなんだよな……? けど花梨はよくわかってねーみたいだ……。
昨日諸伏も言っていた“女神”。
今花梨を見下ろしている松田の視線が、あの時の諸伏と似ている。
どういうことなのかははっきりしないが、諸伏の言葉を借りるならば、恐らく松田も天使……ということなのだろう。
神だとか、天使だとか、非現実的すぎて正直理解が追いつかないが、松田はきっと花梨を神格化しているに違いない。
……だが、ちょっと距離が近すぎやしないだろうか。
花梨は本気で嫌がっているが、じゃれ合っているようにも見える。
黙って見ていた快斗だったが、そろそろ止めに入るかと口を開こうとしたその時――。
「さて、そろそろ行くか」
「あーんっ! 髪がぐちゃぐちゃになっちゃった~……! 陣平さんひどいっ!」
「ハッ、どうせ家に帰るだけだろ? 気にすんなよ。ほら、直してやるから」
じゃれ合いがちょうど終わり、ボサボサにされた髪を嘆く花梨の頭を松田が楽しそうに直した。
「気にしますよっ! 好きな人の前なんですよ……!?」
「いてっ……っ、かっわ……」
花梨は松田の手をパシンと叩き、松田をキッと睨み付ける。
睨まれた松田だったが、子猫が威嚇しているように見えたらしく、口を手で覆って「白猫連れて帰りてえ……」なんて呟く。声が小さくて花梨も快斗も聞き取れなかった。
「……へ? 好きな人って、オレ?」
「だ、だって、快斗の前では可愛くいたいもの……」
「っ、花梨……」
花梨がもじもじしながら髪を整え上目遣いに見つめると、急に振られた快斗の胸がきゅっと締め付けられる。
――ンぁああああ……♡ かわええ……♡♡
(……っ、ダメだ、もう限界。警察署なんかで油売ってる暇はねーんだよ!)
電車内での『倍返し』の宣言を反芻し、快斗の心拍数は跳ね上がる。
よし、大至急帰ろう。
快斗は花梨の手を取り、応接室のドアノブに手を掛けた。
「なに言ってんだ。花梨は髪がぐしゃぐしゃでもかーいーからかき混ぜてやってるに決まってんだろ」
「やだーっ!」
……松田からのナデナデ攻撃に花梨は本気で嫌がるが、結局髪はぐしゃぐしゃに。
最終的に不機嫌になった花梨は快斗とともに、今日はもう退勤だと言う松田の愛車に乗せてもらい、花梨のマンションまで送ってもらうことになった。