夕陽には背を向けて
車が一台、ゆっくり路肩に寄せて止まるところだった。そして後部座席のドアが開き、中から誰かが出てくる。
「何してるの?ここで」
「あ……」
「逃げてる」
「誰から?」
「悪い人から」
「そりゃ大変だね。よかったら乗っていく?」
「いいの?」
「いいよ」
「いや、よくねぇよ」
車から出てきたのは、若い男だった。乗っている車のランクは分からないが、運転している人間の服装からするに安い車ではないのだろう。
返答によっては施設に戻されてしまうかもしれないと言い淀むかずとは対照的、まさきは男との会話をどんどん進めていく。それに思わず、心の声が漏れた。
「おかしいでしょ。どう見ても」
「何で。親切な人じゃない」
「親切な人かもしれないけど、こんな所に突っ立ってるガキ二人車に乗せる時点で怪しいでしょ」
「ふふ、確かに怪しいね」
言い切ったかずに男は小さく笑った。笑うと若いというより幼く見える。そもそもいくつなのかもよく分からない。
よれたシャツとジーンズ姿。施設でよく見る慈善家のように、ギラついた感じも見られない。不思議な人だと思った。
「いいコンビだね」
「…どうも」
「オイラ今から家に帰るところだから、方面が一緒だったらなと思って」
「方面も何も、行く当てないし」
「あー、逃げてるってそういうこと?」
「施設から、逃げてきたから…親とかもないし」
言っていて情けなくなってきて、八つ当たりのようにまさきの足を踏んだ。痛っと小さく呟いた彼が、かずの言葉を肯定するように頷く。
「んー、じゃあうち来れば?ちょうど仕事始めたんだけど人いなくって。住む所もあるから住み込みで手伝ってもらえたら助かる」
「ほんとですか?やったー」
「やったー、じゃねぇよお前。どんだけ素直なんだ」
今後は遠慮なく足を踏んでやる。だから痛いってと言ったまさきが、
「でもかず、このままここにいてもしょうがないでしょ。戻ってもしょうがないでしょ。だったら行ってみたらいいじゃん」
「……あんたのその考えに最初に乗った時点で、俺の負けだったんだよな」
「負けるか勝つかは、まだ分かんないよ」
何故か自慢げに笑うその顔が、不安でたまらない!と叫ぶ心を温め溶かしていく。
かずは大きく息をついた。寒さでかじかむ手を強く強く握り、目の前の男をじっと見つめる。どこからどう見ても、やっぱりよく分からない人間。
「よろしくお願いします」
「俺も、お願いします」
「んー、じゃあどうぞ。…ごめん、お待たせ」
男は頷くと同時、車に戻り運転席に声をかけた。暗闇に慣れた目が、ぴしりと制服を着た白髪の運転手を捉える。黒いハンドルに沿わされる白い手袋がすっと動き、後部座席のドアが開いた。
「暖房、強めてあげて」
「かしこまりました。足元もお付けしますね。行き先はお変わりないですか」
「ん。お願い」
暖かな車内の柔らかいシートに収まり、車は動き出す。二人で一生懸命走った道はもう、暗すぎて何も見えない。
「ちょっとかかるから、寝てていいよ」
落ち着いたトーンの声に小さく頷くが、寝られるはずもなく、かずは窓の外を見つめた。
想像以上に気弱な自分の顔が映り、それにショックを受ける。
やっぱり不安なんだ。そりゃそうだ。これからどうなるんだ。新しい環境でうまくやっていけるんだろうか。そもそもどこに連れていかれるんだ。
(あぁ駄目だ。やっぱり怖い。怖い……)
窓から顔を外し、深く俯く。さっきまで耳に入っていた車内の優しい音楽も、遠くに聞こえ出してくる。
不意に、ぎゅっと手を握られて目が開いた。逃げ出す前と同じ強い力の手。顔を上げた先、思ったより近い位置に彼の顔があり、心臓がどくんと跳ねた。
「大丈夫。きっと大丈夫」
まさきがほんの少し不安を滲ませた、でも精一杯の強がりをまとった顔でそう言う。
普段なら反発するのに、その言葉は今のかずが最も欲していた言葉で。すっと染みていく感覚に促されるまま肩の力を抜き、こくりと頷いた。
【END】