彼の魔法


一筋、涙が頬を伝った。悲しくて悔しくて情けなくて、それでもここ数日1滴も出なかった涙が今、忘れ物のように顎を伝い落ちる。
手の甲で涙を拭った瞬間、微かにしゃくり声が漏れた。いい歳をした大人が情けないと大きくため息をついた先、よく見る温かいおしぼりが差し出される。


「よかったら使って」
「ありがとうございます」


遠慮なく受け取り、目に当てる。流してしまって気が済んだのか、それ以上涙は出てくることはなかった。熱を持った布地の心地よさに後押しされ、言葉が口をついて出る。


「消えたかったんです。何もかも信じられなくて、どうしたらいいか分からなくて。でも俺の世界は狭すぎてどこに行けばいいかも分からなくて」


吐き出す自分に男は何も返さない。
慰めや質問が飛んでくるかと思ったがそれもなく、ただそこに佇んでいるだけだった。聞いているのかどうかも正直分からなかった。
吐き出してしまった気恥ずかしさから、熱を失いつつあるおしぼりをなおも目に当てていると、


「名前、聞いてもいい?」
「…しょうです」
「オイラはさとしって言うんだけど」
「さとしさん」
「敬語いいよ。あの2人からはリーダーってあだ名で呼ばれてるし」
「はい」
「あのさ、しょうくん。ここにいてくれたら助かるな」


思いがけない言葉におしぼりを目から離した。男はさっきと同じ笑みを浮かべている。


「ドアに書いてあったの見たかもしんねぇけど、なんでもやさんやっててさ。さっきの2人もメンバーなんだけど。しょうくん、頭よさそうだし。色々手伝ってくれたらすげぇ助かる」
「なんでもやさん」
「そう。何でもやるからなんでもやさん。たまに小難しい依頼が来んだけど俺達馬鹿だから分かんなくってさ。だから手伝ってくれると助かる」
「俺が」
「うん」


さっきより緩い微笑みなのに、それがひどく力強い。例えば静と動、例えば柔と剛、そんな風に相反するもので成り立っているような、不思議な人だと思った。


「俺でもお役に立てるなら」
「ありがとう。よかった」


カウンターの向こうから嬉しそうな顔をして出てくる。つられて立ち上がったしょうの目の前に差し出される手。


「握手、大丈夫?」
「大丈夫です」


そっと握った手は細身ながらも骨ばっていた。軽く握って離した彼が、


「じゃああの2人にも紹介しなきゃ。部屋の話もしたいし、上行こっか」
「はい。よろしくお願いします」


あぁそれ着替えてからでいいからと付け足され、再度洗面所に向かう。
こんな自分に居場所をくれた彼はやはり魔法使いのようだと現実味のないことを思った。


【END】
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