タナトス
ガードレールから腰を上げ、どこへ行くのかも分からないまま足を進める。繁華街を通り抜けると急に静かな住宅街が目の前に広がった。
そのまま歩いていくと日当たりのよさそうな公園に突き当たる。遊具があちこちに置かれ、時間が時間なら親子連れで賑わいそうなところだった。
しかし時間的に人もまばらで、ちょうどいいと近くの自動販売機でコーヒーを買い、ベンチに腰を下ろす。
柔らかな日差しと温かいコーヒーの缶。たったそれだけのことで涙が出そうになる。
(こんなことで泣いて…情けない)
「駄目だって。依頼なんだからちゃんとやらないと!」
「だってほら、公園抜けたらもうどっち行ったか分かんなくなっちゃうじゃない」
「そんな事言わないでさぁ。あ、ちょっと待って…そこの、そこの人!」
コーヒー缶をベンチに置き、僅かに滲んだ涙を拭おうとした時だった。騒がしい声が公園の入口辺りでしたかと思うと、小型犬が猛スピードでこちらに走ってくる。
そこの人!と叫ばれ、何を考える間もなく、走ってくる犬をぎゅっと抱きかかえる。立ち上がった弾みでコーヒー缶が倒れ、スーツのズボンに染みができた。
「あ」
「ありがとうございまーす」
震える犬を抱えたまま、地面に吸い込まれていくコーヒーを眺めていると、若い男が可愛いペットケージ片手に走ってくる。人当たりのよさそうな笑みに自分とは正反対のラフな服装。楽しそうだなとぼんやり思っているうちに男が目の前までやってきた。
「助かりました!昨日からずっと探してて」
「あ、よかったですね。どうぞ」
「ありがとうございます。よかったー、かず。見つかったよー」
「見つかったよーじゃなくて拾ってもらったよーでしょうが」
渡した犬に頬ずりをして、ペットケージに入れる。その後ろからまた若い男が現れた。
こちらはやる気のなさがひしひしと伝わってくるスウェット姿に若干寝ぐせの残る髪。眠そうな目でこちらを見て、
「ありがとうございました」
「いえ。とんでもないです」
「…コーヒー、かかっちゃって……」
ちらっとズボンを見遣ってから申し訳なさそうな顔をして、公園の向こうを指さし、
「よかったら、事務所どうぞ。洗濯ぐらいならできますので」
「あ、でもこれ」
「クリーニング的なやつですか」
「いや、どうだろう。いつもやってもらってるから」
「あぁ」
そこで初めて彼の目が少し違うものに変わる。ざっとしょうの全身を見て、最後に鞄を一瞥。何だか値踏みされている気分になった。
「オーナーに話をして、必要であれば弁償もできますので」
「いや、そんな大事にしていただかなくても」
「どの道、あなたがいなければ犬も見つからないままでしたので、こちらとしても非常に助かりました。なので、お時間よろしければどうぞ」
具体的な話を詰めていくうちに眠気は飛んで行った様だ。緩い物腰と押しつけがましくない勧誘に、無意識のうちに張っていたバリアが崩されていく。
(ここで拒んでもどこにも行く場所なんてないし。これでまた襲われてももう…いいや。何でも)
「…では、お言葉に甘えて」
「はい。ねぇ、行くよ」
「うん。よしよし。帰ろうねー」
スウェット男は犬の世話役と化している男に声をかけ、しょうが来たのと反対の方角へと歩き出す。少し濡れたズボンを気にしながら、その後に続いた。
【END】