無罪者の憂鬱
朝起きた時、まさか今日がこんな風に終わるとは思ってもみなかった。
「前から思ってたけど、君、うちに合わないよねぇ」
「え?」
「もっと君に合う所を見つけた方がいいんじゃなかなぁ」
典型的な中年男性の外見をした上司はそう言って、ふぅっと息をついた。その前にはじゅんが出した企画書が何枚か載っている。
人並みに勉強して学校を出て、フライング気味に就活した甲斐あって大手不動産会社に身を置くことに成功した。入社して月日が流れ、新入社員とは呼ばれなくなり、仕事に必要な資格もいくつか取って、この春から新たな部署に異動も決まった。
その部署は配属された社員はみな後に出世している、いわゆるエリート部署だった。異動が決まった時、選ばれたと思った。レベルアップしたと思った。そこまではよかった。
ただ、その部署は時代にそぐわないレトロな風習の残るところだった。
「こういうの、うちには必要ないと思うんだよね、僕はぁ」
「しかし今までのやり方よりもこちらの方が効率がよいという検証結果も」
「まだ僕がしゃべってるのにうるさいな。口を挟むな!」
「申し訳ありません」
「んー、だから、要らないと思うんだよね、僕はぁ」
異動先の部署で勤務するうち、何度か腑に落ちないことがあった。なぜそんな古臭いやり方なのだろうか。なぜみなそのやり方で何も思わず働いているのだろうか。
新入社員時代なら『まぁいいか』で終わっていたが、流れた月日がじゅんを『変えていかなければ』と思わせてしまった。それが良くなかった。
上司の恫喝に近い声量に部署内が静まり返る。固まったじゅんを見て、彼は満足そうに笑い、企画書を投げるように突き返した。
「どうかなぁ?自分でも思わない?ここに合わないって」
「……いえ、その」
「思うよね?合わないって」
道理でみなそのやり方で働いているはずだと遅まきながら腑に落ちる。
何も思わないわけではなく、思うことすらここでは許されていない。先輩も誰一人じゅんの提案にいい顔をしなかった。かと言って、上司に企画書を出そうとするじゅんを止めもしなかった。この部署が出世コースに一番近いと言われているからだ。
おそらく自分のような人間は過去に排除されてしまったんだろう。そして自分も……。
「思うだろ?なぁ」
「……そう、ですね」
「ん。決まり。ね。じゃあこの書類書いてもらっていいかな」
まるで用意していたように退職願がデスクの引き出しから出てくる。現代ではありえない流れでことが進んでいく。
これはれっきとしたパワハラであり、しかるべき場所に訴えて環境改善及び上司指導の必要がある。そのためには再度企画書を提出して上司の言動を記録に残し、更に上層部へ出して…と考え、止めた。
過去に排除されてきた人間がみな大人しく従ったとは考えづらい。きっと何人かはじゅんと同じように考え、行動に移した。にも拘らずこの上司が現在の地位まで上がってきているということは、会社自体がそういう人間を認めているということになる。
仮に記録を提出したとしても軽い処分で済むか、下手をすれば揉み消されるのではないだろうか。軽い処分で済んだ後の上司と共に仕事をする気になどなれるはずがない。
他部署にいる同期の顔が浮かんだ。運の良し悪しをこの時ほど恨んだことはなかった。
入社から頑張ってきた年月が脆く崩れ去ってくのを感じながら、差し出された書類を震える手で受け取り、自分のデスクへと戻っていった。
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