鬼滅短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは、全くの突然だった。
「あ、みんないたいた。元に戻るまでお邪魔するねぇ」
機能回復訓練を受ける私と様子を見に来た善逸、それに蝶屋敷の面々の元に、その人は現れた。
陽の光を浴びてきらきらと輝く髪を高く結い上げ、すらりとした長身に鬼殺隊の隊服を纏い、明るい黄色から橙に段染めされ白い三角が散る見慣れた羽織に袖を通したその姿は。
「ぜ……善逸……?」
「そうだよぉ!わあ久しぶりだなあきみの髪が短いの!可愛い!」
そう言ってするりと私の顎の高さで切りそろえた髪の毛先を撫でる。彼の手からさらさらと、紐暖簾のように滑り落ちる自分の髪の毛がくすぐったい。
「ちょっとちょっとちょっと!!!はあぁぁあ!?俺ぇ!!?どういう事だよナオちゃんに触んじゃねえよ!!」
その手を払い除けて、私と彼の間に体をねじ込んできたのは、私のよく知る我妻善逸だ。髪の毛の色も瞳の色も、特徴的なその眉毛も、見れば見るほどそっくり……というか同じに見える。
「お、大人な善逸さんです!」
「どういうことでしょう……」
なほちゃんたちが慌てた様子で言うと、大人な善逸と呼ばれた人は首を傾げる。
「あれ、しのぶさんから聞いてない?俺の方が早く着いちゃったかなぁ」
その時ちょうどしのぶさんのカラスが飛んできて、アオイちゃんが差し出した腕に止まった。手紙を持っていたので開くとそれを読み上げる。内容は『血鬼術の作用で未来から飛ばされてきた善逸を蝶屋敷で保護する』とのものだった。
「というわけでよろしくねぇ」
「……こんなことあるゥ!!?」
のほほんと笑う大人善逸と髪を逆立てて叫ぶ善逸、二人は同じ人間の過去未来というだけあってよく似ているのに、なんというか話し方や雰囲気がだいぶ違った。
◆◇
大人善逸をどう呼ぶか悩んだ末に、善逸さんと呼ぶことにした。
普段は同い年の善逸を呼び捨てにしているが、大人善逸は未来から来たということだから年上だろうし、我妻さんと呼ぼうとしたら「君から名字で呼ばれるのかぁ」と寂しそうにされたからだ。敬語を使うことにも微妙な顔をされたけど、やはり年上に砕けた言葉遣いは出来ないので妥協してもらった。
善逸さんは未来でも鬼殺隊として鬼を狩っているそうだ。でも、未来をあまり知るのはよくない、過去が変わってしまうかもしれないと言って他のことはあまり教えてくれない。鬼との戦いはどうなっているのか、友人たちの無事は、善逸さんの階級も、なんにも教えてくれなかった。
そして今、善逸さんは任務に行く私の横を歩いている。
「で、善逸さんはなんで私についてきてるんですか?」
「いいじゃない、せっかく過去のナオちゃんと過ごせるんだから一緒にいさせて?」
善逸とはあまり変わらない目線で話すけど、善逸さんは少し背が高い。きっとこれから背が伸びるんだろうなあと思いながら見上げると、ふんわりと優しい笑顔を返してくれた。
「善逸さんは善逸なはずなのに善逸より落ち着いてますねぇ」
「はは、俺だって成長すんのよ」
何年先の未来から来たのかもわからないけど、ほんとにあの善逸がこんなに落ち着くのだろうか。五十年くらい先から来たのでは??
「任務ってこの辺りだったよね?」
「カラスからの伝達だとそうですね」
「んー……あっちの鳥居のある森に二体、街よりの森に一体かな」
「……え?」
「鬼の数。情報より多いね」
善逸は耳がいいのは知ってるけど、それにしてもこんなに離れたところで数まで聞き分けるほどだったろうか。
どうする?と善逸さんが目で問いかけているので急いで思考を巡らす。もうじき日が落ちる。街に近い森に鬼がいるのなら犠牲を出さないためにも最優先にしたいが、手前の鳥居が見える森にもいるとなるとそこを放っておくと後ろから襲われてしまう。最悪挟み撃ちだ。それは避けたい。ここは、全速で手前の鬼二体を倒して街に近い森の鬼が街へ行く前に会敵するのが最善か。
けれど私の速さで、強さでそれができるのか……?いや、やるしかない。時間が無い。
「手前の鬼二体を殲滅後、街に近い鬼を狩ります!」
言いながら走り出した。善逸さんは驚いた様子もなく並走している。
「りょーかい!」
……ほんとにこれはあの善逸なのだろうか?鬼のところに向かっているというのに平然とついてきている。泣いたり喚いたり、駄々を捏ねたりしない。まるでちゃんとした鬼殺隊の隊士みたいだ、そこまで思ってから考えを改める。善逸だってちゃんと鬼殺隊の隊士である。泣き喚いたりするけどやる時はやる。
鳥居を抜けると、ようやく私にも鬼の気配が感じられる。
「……みつけた!」
即座に抜刀し手前の一体の頸を落とす。続けざまにもう一体も、と思うが、先の一体を切ったことで気づかれて刀を弾かれてしまう。
爪で弾いたのかと思ったが腕全体を硬化させることができるようで、鬼が振った腕を刀で受けたら腕がビリビリと痺れる。重い一撃だった。細く、どちらかといえば突きに特化させた私の日輪刀ではあまり受けるのは避けたい。
仕方ない、呼吸を使う。
深く吸った息をゆるく吐き出すと、私の周りにきらきらと色とりどりの光が舞う。出したい型がすぐに出せないのが、この呼吸の難儀なところだ。
「全集中、輝石の呼吸ーーー」
見極める、必要な色を、輝石を……赤や緑、紫といった石が輝きながら舞う中に、目当ての光をみつけた。
「肆ノ型、金剛!!」
一際輝く無色の輝石を貫くと、日輪刀が同じ輝きを纏う。私の最硬の突きだ。頸を庇った腕ごと貫くと、そのまま体を捻り日輪刀を振り抜いて鬼の頸を落とした。
しっかりと頸が落ちていることだけを確認してまた走り出す。時間が無い。参道を抜けて鳥居をくぐり、さっき善逸さんが示した街の近くへの森へと走る。もう日は落ちている……鬼の時間だ。
よく見ると私たちより先を街に向かって歩いている人影がみえた。まさか鬼だろうかと一瞬思うが、気配は人間のようだ。
まさに鬼がいると善逸さんが言っていた森の横を歩いている。鬼の気配は街道のすぐ横に迫っていた。
「まずいな、間に合わない。先に行くね」
「善逸さん……っ!?」
一瞬間を置いて、私の横から雷鳴がとどろき街道の先の森の端に、落ちた。
「霹靂一閃……」
私も何度か見た事のある善逸の技を、善逸さんが放ったのだ。
急いで走って追いつくと、さっき見えた人影が腰を抜かして座り込んでいたので大丈夫ですか、と声をかける。
「ああ、雷に驚いただけでさ。こんな近くに落ちることあるんだなあ。それも天気はいいのにさ」
「そうですね……」
周りにさっきまであったはずの鬼の気配はない。善逸さんが斬ってくれたのだろうか。
腰を抜かしていた人はこの街に住んでいるようで、私にお礼を言って帰っていった。私はあの人に対しては何もしていないのに。
いつの間にか私の隣に善逸さんが戻ってきていた。
「お疲れ様ー!ごめんねぇ、君の仕事だったのに取っちゃった」
君が斬ったことにしといてくれる?と人差し指を立てる。善逸は泣いて喚いて気絶してようやく鬼を斬るのに、善逸さんはしっかりと起きたまま、騒ぐ様子もなく鬼を斬った。
……やっぱり百年くらい未来から来たのでは??
「とりあえず、任務完了ですね……」
「そうだねぇ。じゃあ藤の家紋の家に行く?この近くにもあったはずだよ」
そう言うと善逸さんは慣れた様子で私の手を取って歩き始めた。
正直今までに善逸に縋りつかれたことはあっても手を繋いだことはない。なんでこんな慣れてるんだ善逸さん……
もやもやした思いを抱えたまま手を引かれ、私たちは藤の家紋の家に向かった。
◆◇
藤の家紋の家に着くと、善逸さんはこれまた慣れた様子で食事やお風呂の用意を頼んでいた。善逸は藤の家紋の家で世話をやかれる事にどちらかと言うと恐縮している事が多かったように思うが、こんな所も違う。
「……って、なんで部屋一緒なんですか!?」
「いいじゃん、俺と一緒はいや?」
「嫌とかじゃなくて普通に男女は別じゃありません?」
「大丈夫大丈夫、俺奥さんも子供もいるし、奥さん以外の女の子に何かしたりしないよ」
「え……えぇぇ!?」
善逸さんが現れてから一番の爆弾発言が飛び出す。未来のことを全然教えてくれなかったのに、今になって急に何を言い出すんだこの人は。
にしても奥さんと子供かあ……びっくりした。あの善逸に。ちょっと胸が痛いような気がするのは、うん気のせい。
「それに、ここの家は家族が多いから、部屋を分けたら家の人が狭い思いをしちゃうんだよ」
「そ、そうなんですか……」
それなら仕方ない……仕方ないのか?先の爆弾発言のせいで動揺していた私はそのまま同室を受け入れてしまった。
善逸さんが食事の前にお風呂を頼んでいたので、家の人が支度ができたと呼びに来てくれた。行っておいでと言われたので有難く先にお湯を頂いてくることにした。走ったり戦ったりしたから汗もかいたし汚れも気になる。それに、動揺している気持ちをあまり知られたくない。もう聞こえているかもしれないけど。
案内されたお風呂で体を清めさっぱりとして、湯に浸かって少し心を落ち着かせた。
「善逸さん、戻りました」
「おかえり。俺もお風呂行ってくるよ。ご飯来たら食べちゃってていいからね」
私が部屋に戻ると、入れ替わりに善逸さんが部屋を出てお風呂へといった。食事は食べていいと言われたけれど、ひとりで食事をするのは味気ないので出来れば一緒に食べたい。善逸さんが戻るのを待ちたい。
洗って濡れた髪を手拭いで挟むようにして水気をとり、荷物から髪用の油を出して手のひらで温めてから揉み込んでいく。そういえばこれは善逸から貰ったものだった。いい匂いがするし、髪の指通りが良くなるので気に入ってる。
仕上げに櫛で梳かしていると、部屋の外から声がかけられた。
「鬼狩り様、お食事をお持ちしますか?」
「ありがとうございます。でも、連れが戻ってからにしますね」
「かしこまりました、ではまた後ほどお伺いします」
お腹はすいたけど、やはりひとりで食べるのは好きじゃない。
◆◇
「あれ?ご飯まだだった?」
お風呂から戻った善逸さんは部屋の中を見てそう言った。隊服から浴衣に着替えて、洗ったらしい濡れた髪を降ろしたままの姿は大人の見た目も相まってすごい色気だ。
善逸さんははっと気づいたようで慌てて言う。
「あ!ナオちゃんひとりで食べるの苦手だったっけ?ごめんねぇ待たせて!」
「あ、いえ大丈夫です。私が勝手に待ってたので」
「ご飯持ってきてもらおう、お願いしてくるね」
「えっ?まって、その前に髪乾かしません?」
戻ってきたばかりなのに、家の人に声をかけるためにまた出ていこうとする善逸さんを止める。長い髪は保水力があるのか、水が毛先からぽたぽた落ちている。
「ほっとけば乾くから大丈夫だよ」
「ダメですよ、やってあげますから座ってください」
「えーいいよいいよ」
「私がやりたいのでさせてください。まあ人のはやったことないんですけど」
せっかく綺麗な髪なのにもったいない。普段から自然乾燥なのだろうか?それにしては綺麗な髪だけど。
善逸さんは一瞬目を大きく開いたけど、またふんわりと笑って大人しく私の前に座ってくれた。この笑い方、善逸はしない気がする。私が見た事ないだけかもしれないけど。
「じゃあお願いするねぇ」
「はい、失礼しますね」
手拭いを受け取り、長い髪をそっと持ち上げる。濡れて部屋の灯りを反射する髪はいつもよりきらきらしていた。ひょっとしたら私より綺麗なのではなかろうか。やっぱり手入れされてるなと思う。
せっかくなのでさっき自分にも使った髪用の油を出してきて揉みこんでいく。
「それ、俺があげたやつでしょ」
「よく覚えてますね」
「覚えてるよぉ」
手櫛を通すとするりと滑って、いい匂いがする。髪が長いと、この髪油の良さがより分かるなあ。
「……私も髪伸ばそうかな」
「いいと思うよ?長いのも似合うし」
「そういえば最初に会った時に言ってましたよね、私の髪が短いのは久しぶりだって。未来では長いんですね私の髪」
「どうかなー?まあ今の短いのも似合ってるし」
きみの好きにしたらいいよ。
突き放すような言葉なのに、とても優しい声で言われた。
髪を乾かし終え善逸さんが髪を緩く結ってから、食事を出してもらってふたりで食べた。善逸より騒がしくないけど話が途切れることもなくて、楽しかった。やはりひとりで食べなくて良かった。
さて寝るかという頃合になり、敷いた布団がふたつ並んでいるということにちょっとどきりとしたが、奥さんと子供がいる、という言葉を思い出して心臓を落ち着かせる。
それにしても、未来では善逸が結婚してるんだなぁ……彼の夢というか念願が叶ったのだから目出度いことだ。
「そろそろ寝よっか。灯り消すよー」
「はい。おやすみなさい善逸さん」
「今日もおつかれさま。おやすみナオちゃん」
とても優しい声がして、灯りが落ちる。顔は見えないけど、きっとあのふんわりとした笑顔を浮かべているんだろうなと思った。
◆◇
朝、まだ日が登らない薄暗い時間に目が覚めた。寝起きはいい方なのでそのまま体を起こす。隣を見ると既に善逸さんの姿は無く、布団だけが残されていた。
とりあえず顔を洗おうと思い羽織だけ肩にかけて部屋から出る。洗面所まで向かう廊下は既に雨戸が開けられていて、朝方の冷え冷えした明るさが入り込んでいた。廊下の冷たさに足の裏から体温を奪われる。
廊下に面した中庭に、見慣れた金色が見えた。
刀を振る善逸さんだ。
「やっぱきみは早起きだねぇ、よく眠れた?」
音で私が近づいていることはわかっていたのだろう、すぐにこちらに顔を向けた。寝る前は緩く結われていた髪は高い位置で括られ、善逸さんの動きに合わせて流れるように揺れている。
善逸さんは刀を納めながらこちらに歩いてきた。
その時見えてしまった。
刀に刻まれた四文字。
「善逸さん」
「うん?なに?」
善逸さんが首を傾げると、ちょうど朝日が差してきて中庭に光の線が走る。なんて良く似合う光景だろう。
「……なんでもないです」
「そう?」
本人が言わないなら、追求すべきではないのだろう。きっと。未来は知らない方がいい。今見た四文字のことを、他に気になることも、聞くのはやめた。
「……おはようございます」
「うん、おはよ」
それから朝食を頂いて、私は拠点にさせてもらっている蝶屋敷へ帰ることにした。もちろん蝶屋敷で保護という形になっている善逸さんも一緒だ。
そもそも今回私に同行してきたこと自体意味がわからない。助けてもらったけど。
今回は私の単独任務だったから、本当は私ひとりでやらなきゃいけなかった。けれど今回善逸さんが鬼の位置や数を教えてくれて、最後は斬ってくれた。私だけでは間に合わなくて犠牲が出ていただろう。
そういえばまだお礼を言ってない。
「善逸さん、今回は手伝ってくれてありがとうございました」
隣を歩く善逸さんを見上げると、何故か私の頬に手を伸ばしてくる。なんだろう、なにか付いていただろうか。
その手がそのまま耳を掠め後頭部にまわり、ぐっと引き寄せられ、目の前に善逸さんの顔が迫り、唇が触れた。
…………唇が触れた?
反射的に右手を振り抜くが、その前に善逸さんが離れていったので張り飛ばせたのは一拍遅れた動きの髪の毛だけだった。
「なに、するんですか……っ!」
「えー?お礼ならこっちがいいなと思って」
急な出来事にどくどくとうるさい心臓を押さえるように、胸に手を当て叫んだ。善逸さんは悪びれる様子も照れる様子もなくそう言った。
「奥さんいるんですよね!?信じらんない……!」
昨日の夜そう言っていたじゃないか。奥さん以外には何もしないって。未来の善逸は奥さんがいながらも他の女の子に手を出すようなやつになってしまっているのか。じわりと涙が滲んで、止める間もなく零れていった。
善逸さんがまた手を伸ばしてきて涙を拭うが、その手を叩いて払う。今度は避けなかった。
「……うん、いるよ。可愛くて優しくて、大事な大事な俺の奥さん」
また、あのふんわりとした笑顔でそう言った。
そんな大事な奥さんがいながら、なんで私にこんなことをするんだ。どうしてそんなやさしい顔をするんだ。この胸の痛さをどうしたらいいんだ。酷すぎる。
「……あー、ははは面倒なのが来た」
善逸さんがそう言うと、遠くから「聞こえてんだよぉーー!!!」と叫び声が聞こえる。この声は善逸だ。
声のした方を見ると、黄色い豆粒くらいにしか見えない善逸が道の先から走ってきてる。その後方にいる緑っぽい点は炭治郎だろうか。
見る見る間に近づいてきた善逸は私と善逸さんの間に入り、私を後ろに庇うように立つ。善逸さんが来た最初の日みたいだ。
「誰が面倒なんだよふざけんなよぉぉぉ!!何女の子泣かせてんだしかもナオちゃんを!!俺と言えど許さねえぞ!!!そのスカした髪引きちぎってやる!!!」
「うわあ……面倒だろこんなん」
「お前も俺なんだろ!!?心底ドン引きした音させてんじゃねえよ!!!」
「はははこりゃねえわ無理」
「イ゙ーーーーーーー!!!!!」
よく似た二人の言い合い、というか善逸が一方的に騒いでいるだけなんだけど、その騒がしさが逆に今は落ち着く。
鼻をすすると善逸が振り返り、肩をガシッと掴まれる。
「ナオちゃん大丈夫?こいつに何された?ぶん殴っとく?……なんかすごい傷ついた音してるけど」
「大丈夫じゃない、けど大丈夫……ありがと善逸」
善逸が私の頬に手を伸ばして涙を拭ってくれたのが、その動きがさっきの善逸さんと全く同じでまた涙が溢れた。
◆◇
蝶屋敷までの道のりを、善逸と善逸さんに挟まれた状態で歩く。相変わらず善逸が一方的に突っかかっているけれど、善逸さんもちょっと煽るような物言いをするのでお互いちっとも黙らない。
私を挟んで言い合いするのを、見かねた炭治郎が二人を叱りつけてくれた。
「ええっ俺悪くなくない?うるさいのちっこい俺だけじゃん」
「はぁぁぁああ??そもそもナオちゃん泣かせたのお前だろ??ちっこいとか言うな自分は伸びたからって!!!いつ伸びんだよチクショー!!!」
「俺は兄弟喧嘩は両成敗と決めてるんだ!」
「「いや兄弟じゃねえし……」」
結局長男力を発揮した炭治郎には善逸さんも叶わないらしく、解放された私は二人から離れて炭治郎と歩く。黄色い凸凹善逸コンビはまだ何か言い合いながら先を歩いている。
「ナオ、大丈夫か?」
「うん、ちょっと落ち着いた。ありがとう炭治郎」
「無理するなよ」
並んで歩きながら、炭治郎と先の任務の話なんかをしていると蝶屋敷に着いた。気持ちもだいぶ落ち着いたし、涙も引いた。目は少し赤くなってるかもしれないけど、それはもうどうしようもないからそのままだ。
私を見たアオイちゃんは心配してくれたけど、なんでもないと言ったらそれ以上は聞かないでくれた。
「ちょっと疲れたから、部屋で休むね」
「そうですか。食事はどうされますか?」
「夕飯は食べたいかな」
「わかりました。支度ができたら呼びに行きます。……なにか出来ることがあれば言ってください」
「……ありがとうアオイちゃん」
心配をかけてしまった。アオイちゃんは優しいなあ。普段なら食事の支度も手伝うんだけど、今はちょっとひとりになる時間が欲しかった。
部屋に戻ると、借りている部屋ではあるが自分の場所に戻ってきた感じがして、ほうっと息を吐いた。だいぶ落ち着いたけど、それでも気を張っていたらしい。羽織だけ脱ぐとベッドに倒れ込む。今日は移動だけで任務はなかったから、体はそんなに疲れていない。けれど泣いたせいで頭と目の奥が重い。
私は目を閉じた。閉じていると少し楽だ。
善逸さんはなんで急に口付けをしたんだろう。
あんなに優しい顔と声で奥さんのことを語って、子供までいるらしいのに。なんで私はこんなに胸が、心が痛いんだろう。口付けされたから?それだけか?
「……初めてだったのに、」
付き合っている訳でもない、他の人と結婚してる人に初めての口付けを奪われてしまった。それが嫌だったのか。
それも違う気がする。たぶん、きっと私は……未来の善逸が誰かと結婚をしてる、そのことが一番堪えたのだ。
ああ、私は善逸のことが好きだったんだ。
また涙が溢れてきて、閉じたままの目から零れてまつ毛を濡らした。自分の気持ちに気づいた途端失恋なんてつらい。枕に涙を吸わせるように顔を押し付けると、声もあげずに泣いた。
◆◇
こんこん、と控えめに扉を叩く音が聞こえた。そういえばアオイちゃんが夕食ができたら呼んでくれるって言っていたのを思い出し、意識をしっかりと浮上させる。枕に押し付けたままだった顔を上げると、部屋の中が暗い。蝶屋敷の夕食時間にしては暗すぎる。
「あ、ナオちゃん起きた?俺だよ」
聞きなれた声に呼び方、これは善逸のようだ。私が起きたことに音で気づいたらしい。
「ご飯の時も呼びに来たけど起きなかったからさ、大丈夫?食べられそう?」
呼びに来てくれたのに起きれなかったらしい。
自分でも寝起きはいい方だと思っていたし、今までに呼ばれて起きないことはなかったから驚いた。
「食べるなら準備するけど、無理そうなら寝ててもいいよからね」
恋心を自覚して、この善逸ではないけど未来の彼に失恋した私に、この優しさは痛むように染みる。正直お腹はすいてないけど、きっと残しておいてくれたであろう食事を無駄にするのも、善逸の気遣いを無碍にするのも悪い。
「……たべる」
「っ、じゃあ準備するね!食堂で待ってるから!」
ぱたぱた足音がして善逸の気配が遠ざかる。あまり待たせるのも心苦しいから、すぐにベッドから降りて隊服を脱ぐ。着たまま寝てしまったからすこし皺になっていた。
普段着にしている着物に着替えると、鏡で身なりを確認する。髪は手櫛でいつも通りだけど、涙の跡が残っていた。部屋を出て、食堂に向かう前に洗面所に寄って顔を洗う。
屋敷内はほとんど灯りが落ちていて、夜遅い時間だということがわかる。思ったより長い時間寝ていたようだ。灯りがもれる食堂に行くと善逸がいる。というか善逸しかいない。
「あ、おはよナオちゃん」
「……おはよう善逸」
「まあ夜だけどねぇ」
ひひ、と笑いながら器に料理をよそってくれている。なんで善逸がやってるんだろ、と思ったけど時間が遅いから他の子達はもう寝てるのかもしれない。
「自分でやるよ」
「俺にやらせてよ、座ってて」
そう促されたので、椅子に座ったまま善逸の動きをぼんやり眺める。決して手際がいい訳では無いけど、不慣れさは感じられない手つきで食事を用意してくれた。
はいどうぞ、と目の前に湯気のたつ器が置かれたので手を合わせていただきます、と言う。
普段はうるさいけど、優しいこの彼がいつか誰かと結婚するんだなぁと思うとやっぱり寂しい。
「……ねえ、何があったのか聞いてもいい?」
「だめ」
「即答!?ちょっとくらい考えてくれてもいいんじゃないのォ!?ねえ!!」
「ちょっと、いま夜だよ。静かにして」
「ごめんなさいねっ」
急に大声で高音を出し始める善逸を諌めると、その後の謝罪はちゃんと小さい声だった。
「まあ言いたくないなら無理には聞かないけどさ。音がつらそうだし……心配だけはさせてよ」
「……うん、ありがと」
私が礼を言うと、善逸はやわらかく笑った。それは善逸さんが時々見せていたあのふんわりとした笑顔によく似ていた。
◆◇
食事の後、善逸が部屋まで送ってくれた。屋敷の中だから別にいいって言ったけれど、俺が一緒にいたいから。と言って結局送ってもらったのだ。
前から私に限らず女の子には優しい善逸だけど、今日はいつも以上に優しかった。それだけ私が酷い音をさせていたんだろう。
部屋に戻ったはいいけれど、変な時間に寝てしまったせいか眠くない。普段任務で夜起きていることが多いのもあるかもしれないけれど。
眠れないがすることもない。ベッドに座ってぼんやりしていると、今度は窓がこんこんと叩かれた。いつの間にか窓の外に善逸さんが来ていた。
「や、こんばんは」
「こんばんは、何しに来たんですか?」
「あらご機嫌ナナメ」
だれのせいだと思っているんだこの人は。こっちの不機嫌なんか音でわかってるくせに、善逸さんは相変わらずのほほんと笑っている。
「どうせ寝れないんでしょ?俺と少し話をしようよ」
「嫌です」
「即答!?まあいいや、俺そろそろ未来に帰るからさ」
そうか、善逸さんはもともと未来から来たのだった。普通に隣にいて喋ったり触れたりできた人がいなくなるのは、なんだか変な感じだ。
「……そうですか。お世話になりましたどうぞお元気で」
「世話になったのは俺の方だよぉ」
にこにこと笑う善逸さんは、また髪を低い位置で緩く結っている。ちょっと濡れているのでやっぱり乾かしてないんだろう。
濡れたままの髪を結うなんてどうしたって傷むだろうにあんなに綺麗なのは、手入れされてる証拠だ。本人がしないのなら奥さんかな。
ああいやだ、自分の想像で傷つく。
「ねえ、ナオちゃんさあ。俺の言ったことわかってないでしょ」
「……なんのことですか」
「俺は、奥さん以外には手を出さないって言ったでしょ?」
そう言いながらこちらに手を伸ばしてくる。
窓から離れようとした私を簡単に捕まえて引き寄せると、また昼間のように唇が触れた。
「だから、きみにこういうことしてんの」
わかる?と見つめる善逸さんの瞳は、部屋の明かりを反射してきらめいている。そこに映る私の顔ははっきりとは見えないけれど、もしかしたら顔が赤いのかもしれない
奥さんにしか手を出さないと言う善逸さんが、だからこそ私に口付けたと。それは。
都合のいい夢みたいだけど、善逸さんの奥さんが私……正確には未来の私ということなのだろうか。単純な私の心が喜びの音を上げてしまう。善逸さんはその音を聞いて、ふんわりとやわらかい笑顔で私を見てる。
「ひひ、そーゆーことだから。じゃあ未来でまた会おうねぇ、ナオ」
私を捕まえていた手を解くと、善逸さんは窓から一歩下がる。夜の闇に姿がじわりと溶けていき、瞬きする間もなく消えてしまった。こんなすぐに消えちゃうなんて。
恋心も善逸との未来も知ってしまった私は、明日からどんな顔して善逸に会えばいいのだろうか。いやもう今日か。気がつくと窓の外には夜明け特有の冴え冴えした明るさが降りてきて、闇を隅へと追いやっていた。
◆◇
数ヶ月後。
耳のいい善逸に気持ちを隠せるはずもなく、恋心はすぐにバレてしまった。結婚しようと縋りついてくる善逸を断りきれず、まずは付き合うとこになる。
「ナオちゃん、今日休み?デートしよ!」
「うんいいよー」
二つ返事で頷いて、一応カラスに予定を確認してみると明日まで任務はないらしい。善逸も今日は丸一日自由らしかった。
最近休みはいつも一緒に過ごしていて、善逸がちゃんと休めているのか気になる。私は善逸と過ごす時間がむしろ癒しになっているからいいのだけれど。
「どこか行きたいとこある?」
「うーん……あ、髪油が無くなりそうだから買いに行きたい」
「え、俺があげたやつだよね。もうそんな減った?」
善逸が私の髪に手を伸ばしてさらりと撫でる。手入れされた髪はその手をすり抜けて私の首筋を擽った。無意識だろうけど善逸さんと同じことをするから、やっぱり同一人物だなぁと思う。
「この間善逸さんの髪を手入れさせてもらった時に結構使っちゃったから」
「は?なんであんなやつに使ってんのぉ!?」
「あんなやつって、未来の善逸でしょ……」
「いやそうかもしれないけど!ほんとなんなのあいつ!」
キーっと髪をかきむしる善逸の金色は、短いせいかたまに跳ねている。善逸さんの髪は流れるような動きをするのが綺麗だった。
「善逸は伸ばさないの?」
「あいつと同じになんて死んでもならない」
どうして自分自身なのにそんなに嫌っているんだろう。私にはわからない何かがあるのだろうか。
「そっか、手入れさせてほしかったのに」
「ハイ今日から伸ばします!」
見事な手のひら返しで髪を伸ばす宣言をする善逸に、思わず笑いが零れた。そういえば善逸さんは未来の私は髪が長そうなことを言っていたっけ。
「私も伸ばそうかな」
「いいと思うよ!ナオちゃんなら長い髪も似合いそう絶対可愛い」
好きにしたらいいと言った未来の彼とは違い、善逸は髪を伸ばすことに大賛成だった。
今までは動きやすさ重視でずっと短いままだけど、善逸がこんなに楽しそうにしてるなら伸ばすのも悪くない。やっぱり伸ばそう。
「あ、そしたらさ、ナオちゃんの髪は俺に手入れさせてよ」
「いいよ」
「やった!じゃそろそろ行こっか」
そう言いながら善逸は左手をずいっと差し出してきた。その手と顔を交互にみると、顔がじわじわ赤くなってくる。
「手、繋がない?嫌じゃなければだけど……」
嫌なことなんてあるものか。
私の顔に熱が集まり、きっと顔も赤くなってる。
差し出された手は左手、並んで歩くには右手を繋ぐことになる。剣士として利き手を握られるのはちょっと不安がない訳でもないけど、善逸ならいいか。
なにより私も手を繋ぎたい。
差し出された手にそっと私も手を重ねると、善逸はふんわりとやわらかく笑って手を握った。善逸さんと同じ表情だ。今になってわかる、これはきっと好きとか愛しいとか、そういう感情の顔だったんだ。未来の彼が何度も私に向けてくれたこの表情を、これから今の彼が私にたくさん向けてくれるのだろう。
「幸せだなぁ」
「俺も!」
お互い慣れてなさそうな手の繋ぎ方で、私たちは並んで歩き出した。
二人の道は同じ未来に繋がってる幸せを感じながら。
「あ、みんないたいた。元に戻るまでお邪魔するねぇ」
機能回復訓練を受ける私と様子を見に来た善逸、それに蝶屋敷の面々の元に、その人は現れた。
陽の光を浴びてきらきらと輝く髪を高く結い上げ、すらりとした長身に鬼殺隊の隊服を纏い、明るい黄色から橙に段染めされ白い三角が散る見慣れた羽織に袖を通したその姿は。
「ぜ……善逸……?」
「そうだよぉ!わあ久しぶりだなあきみの髪が短いの!可愛い!」
そう言ってするりと私の顎の高さで切りそろえた髪の毛先を撫でる。彼の手からさらさらと、紐暖簾のように滑り落ちる自分の髪の毛がくすぐったい。
「ちょっとちょっとちょっと!!!はあぁぁあ!?俺ぇ!!?どういう事だよナオちゃんに触んじゃねえよ!!」
その手を払い除けて、私と彼の間に体をねじ込んできたのは、私のよく知る我妻善逸だ。髪の毛の色も瞳の色も、特徴的なその眉毛も、見れば見るほどそっくり……というか同じに見える。
「お、大人な善逸さんです!」
「どういうことでしょう……」
なほちゃんたちが慌てた様子で言うと、大人な善逸と呼ばれた人は首を傾げる。
「あれ、しのぶさんから聞いてない?俺の方が早く着いちゃったかなぁ」
その時ちょうどしのぶさんのカラスが飛んできて、アオイちゃんが差し出した腕に止まった。手紙を持っていたので開くとそれを読み上げる。内容は『血鬼術の作用で未来から飛ばされてきた善逸を蝶屋敷で保護する』とのものだった。
「というわけでよろしくねぇ」
「……こんなことあるゥ!!?」
のほほんと笑う大人善逸と髪を逆立てて叫ぶ善逸、二人は同じ人間の過去未来というだけあってよく似ているのに、なんというか話し方や雰囲気がだいぶ違った。
◆◇
大人善逸をどう呼ぶか悩んだ末に、善逸さんと呼ぶことにした。
普段は同い年の善逸を呼び捨てにしているが、大人善逸は未来から来たということだから年上だろうし、我妻さんと呼ぼうとしたら「君から名字で呼ばれるのかぁ」と寂しそうにされたからだ。敬語を使うことにも微妙な顔をされたけど、やはり年上に砕けた言葉遣いは出来ないので妥協してもらった。
善逸さんは未来でも鬼殺隊として鬼を狩っているそうだ。でも、未来をあまり知るのはよくない、過去が変わってしまうかもしれないと言って他のことはあまり教えてくれない。鬼との戦いはどうなっているのか、友人たちの無事は、善逸さんの階級も、なんにも教えてくれなかった。
そして今、善逸さんは任務に行く私の横を歩いている。
「で、善逸さんはなんで私についてきてるんですか?」
「いいじゃない、せっかく過去のナオちゃんと過ごせるんだから一緒にいさせて?」
善逸とはあまり変わらない目線で話すけど、善逸さんは少し背が高い。きっとこれから背が伸びるんだろうなあと思いながら見上げると、ふんわりと優しい笑顔を返してくれた。
「善逸さんは善逸なはずなのに善逸より落ち着いてますねぇ」
「はは、俺だって成長すんのよ」
何年先の未来から来たのかもわからないけど、ほんとにあの善逸がこんなに落ち着くのだろうか。五十年くらい先から来たのでは??
「任務ってこの辺りだったよね?」
「カラスからの伝達だとそうですね」
「んー……あっちの鳥居のある森に二体、街よりの森に一体かな」
「……え?」
「鬼の数。情報より多いね」
善逸は耳がいいのは知ってるけど、それにしてもこんなに離れたところで数まで聞き分けるほどだったろうか。
どうする?と善逸さんが目で問いかけているので急いで思考を巡らす。もうじき日が落ちる。街に近い森に鬼がいるのなら犠牲を出さないためにも最優先にしたいが、手前の鳥居が見える森にもいるとなるとそこを放っておくと後ろから襲われてしまう。最悪挟み撃ちだ。それは避けたい。ここは、全速で手前の鬼二体を倒して街に近い森の鬼が街へ行く前に会敵するのが最善か。
けれど私の速さで、強さでそれができるのか……?いや、やるしかない。時間が無い。
「手前の鬼二体を殲滅後、街に近い鬼を狩ります!」
言いながら走り出した。善逸さんは驚いた様子もなく並走している。
「りょーかい!」
……ほんとにこれはあの善逸なのだろうか?鬼のところに向かっているというのに平然とついてきている。泣いたり喚いたり、駄々を捏ねたりしない。まるでちゃんとした鬼殺隊の隊士みたいだ、そこまで思ってから考えを改める。善逸だってちゃんと鬼殺隊の隊士である。泣き喚いたりするけどやる時はやる。
鳥居を抜けると、ようやく私にも鬼の気配が感じられる。
「……みつけた!」
即座に抜刀し手前の一体の頸を落とす。続けざまにもう一体も、と思うが、先の一体を切ったことで気づかれて刀を弾かれてしまう。
爪で弾いたのかと思ったが腕全体を硬化させることができるようで、鬼が振った腕を刀で受けたら腕がビリビリと痺れる。重い一撃だった。細く、どちらかといえば突きに特化させた私の日輪刀ではあまり受けるのは避けたい。
仕方ない、呼吸を使う。
深く吸った息をゆるく吐き出すと、私の周りにきらきらと色とりどりの光が舞う。出したい型がすぐに出せないのが、この呼吸の難儀なところだ。
「全集中、輝石の呼吸ーーー」
見極める、必要な色を、輝石を……赤や緑、紫といった石が輝きながら舞う中に、目当ての光をみつけた。
「肆ノ型、金剛!!」
一際輝く無色の輝石を貫くと、日輪刀が同じ輝きを纏う。私の最硬の突きだ。頸を庇った腕ごと貫くと、そのまま体を捻り日輪刀を振り抜いて鬼の頸を落とした。
しっかりと頸が落ちていることだけを確認してまた走り出す。時間が無い。参道を抜けて鳥居をくぐり、さっき善逸さんが示した街の近くへの森へと走る。もう日は落ちている……鬼の時間だ。
よく見ると私たちより先を街に向かって歩いている人影がみえた。まさか鬼だろうかと一瞬思うが、気配は人間のようだ。
まさに鬼がいると善逸さんが言っていた森の横を歩いている。鬼の気配は街道のすぐ横に迫っていた。
「まずいな、間に合わない。先に行くね」
「善逸さん……っ!?」
一瞬間を置いて、私の横から雷鳴がとどろき街道の先の森の端に、落ちた。
「霹靂一閃……」
私も何度か見た事のある善逸の技を、善逸さんが放ったのだ。
急いで走って追いつくと、さっき見えた人影が腰を抜かして座り込んでいたので大丈夫ですか、と声をかける。
「ああ、雷に驚いただけでさ。こんな近くに落ちることあるんだなあ。それも天気はいいのにさ」
「そうですね……」
周りにさっきまであったはずの鬼の気配はない。善逸さんが斬ってくれたのだろうか。
腰を抜かしていた人はこの街に住んでいるようで、私にお礼を言って帰っていった。私はあの人に対しては何もしていないのに。
いつの間にか私の隣に善逸さんが戻ってきていた。
「お疲れ様ー!ごめんねぇ、君の仕事だったのに取っちゃった」
君が斬ったことにしといてくれる?と人差し指を立てる。善逸は泣いて喚いて気絶してようやく鬼を斬るのに、善逸さんはしっかりと起きたまま、騒ぐ様子もなく鬼を斬った。
……やっぱり百年くらい未来から来たのでは??
「とりあえず、任務完了ですね……」
「そうだねぇ。じゃあ藤の家紋の家に行く?この近くにもあったはずだよ」
そう言うと善逸さんは慣れた様子で私の手を取って歩き始めた。
正直今までに善逸に縋りつかれたことはあっても手を繋いだことはない。なんでこんな慣れてるんだ善逸さん……
もやもやした思いを抱えたまま手を引かれ、私たちは藤の家紋の家に向かった。
◆◇
藤の家紋の家に着くと、善逸さんはこれまた慣れた様子で食事やお風呂の用意を頼んでいた。善逸は藤の家紋の家で世話をやかれる事にどちらかと言うと恐縮している事が多かったように思うが、こんな所も違う。
「……って、なんで部屋一緒なんですか!?」
「いいじゃん、俺と一緒はいや?」
「嫌とかじゃなくて普通に男女は別じゃありません?」
「大丈夫大丈夫、俺奥さんも子供もいるし、奥さん以外の女の子に何かしたりしないよ」
「え……えぇぇ!?」
善逸さんが現れてから一番の爆弾発言が飛び出す。未来のことを全然教えてくれなかったのに、今になって急に何を言い出すんだこの人は。
にしても奥さんと子供かあ……びっくりした。あの善逸に。ちょっと胸が痛いような気がするのは、うん気のせい。
「それに、ここの家は家族が多いから、部屋を分けたら家の人が狭い思いをしちゃうんだよ」
「そ、そうなんですか……」
それなら仕方ない……仕方ないのか?先の爆弾発言のせいで動揺していた私はそのまま同室を受け入れてしまった。
善逸さんが食事の前にお風呂を頼んでいたので、家の人が支度ができたと呼びに来てくれた。行っておいでと言われたので有難く先にお湯を頂いてくることにした。走ったり戦ったりしたから汗もかいたし汚れも気になる。それに、動揺している気持ちをあまり知られたくない。もう聞こえているかもしれないけど。
案内されたお風呂で体を清めさっぱりとして、湯に浸かって少し心を落ち着かせた。
「善逸さん、戻りました」
「おかえり。俺もお風呂行ってくるよ。ご飯来たら食べちゃってていいからね」
私が部屋に戻ると、入れ替わりに善逸さんが部屋を出てお風呂へといった。食事は食べていいと言われたけれど、ひとりで食事をするのは味気ないので出来れば一緒に食べたい。善逸さんが戻るのを待ちたい。
洗って濡れた髪を手拭いで挟むようにして水気をとり、荷物から髪用の油を出して手のひらで温めてから揉み込んでいく。そういえばこれは善逸から貰ったものだった。いい匂いがするし、髪の指通りが良くなるので気に入ってる。
仕上げに櫛で梳かしていると、部屋の外から声がかけられた。
「鬼狩り様、お食事をお持ちしますか?」
「ありがとうございます。でも、連れが戻ってからにしますね」
「かしこまりました、ではまた後ほどお伺いします」
お腹はすいたけど、やはりひとりで食べるのは好きじゃない。
◆◇
「あれ?ご飯まだだった?」
お風呂から戻った善逸さんは部屋の中を見てそう言った。隊服から浴衣に着替えて、洗ったらしい濡れた髪を降ろしたままの姿は大人の見た目も相まってすごい色気だ。
善逸さんははっと気づいたようで慌てて言う。
「あ!ナオちゃんひとりで食べるの苦手だったっけ?ごめんねぇ待たせて!」
「あ、いえ大丈夫です。私が勝手に待ってたので」
「ご飯持ってきてもらおう、お願いしてくるね」
「えっ?まって、その前に髪乾かしません?」
戻ってきたばかりなのに、家の人に声をかけるためにまた出ていこうとする善逸さんを止める。長い髪は保水力があるのか、水が毛先からぽたぽた落ちている。
「ほっとけば乾くから大丈夫だよ」
「ダメですよ、やってあげますから座ってください」
「えーいいよいいよ」
「私がやりたいのでさせてください。まあ人のはやったことないんですけど」
せっかく綺麗な髪なのにもったいない。普段から自然乾燥なのだろうか?それにしては綺麗な髪だけど。
善逸さんは一瞬目を大きく開いたけど、またふんわりと笑って大人しく私の前に座ってくれた。この笑い方、善逸はしない気がする。私が見た事ないだけかもしれないけど。
「じゃあお願いするねぇ」
「はい、失礼しますね」
手拭いを受け取り、長い髪をそっと持ち上げる。濡れて部屋の灯りを反射する髪はいつもよりきらきらしていた。ひょっとしたら私より綺麗なのではなかろうか。やっぱり手入れされてるなと思う。
せっかくなのでさっき自分にも使った髪用の油を出してきて揉みこんでいく。
「それ、俺があげたやつでしょ」
「よく覚えてますね」
「覚えてるよぉ」
手櫛を通すとするりと滑って、いい匂いがする。髪が長いと、この髪油の良さがより分かるなあ。
「……私も髪伸ばそうかな」
「いいと思うよ?長いのも似合うし」
「そういえば最初に会った時に言ってましたよね、私の髪が短いのは久しぶりだって。未来では長いんですね私の髪」
「どうかなー?まあ今の短いのも似合ってるし」
きみの好きにしたらいいよ。
突き放すような言葉なのに、とても優しい声で言われた。
髪を乾かし終え善逸さんが髪を緩く結ってから、食事を出してもらってふたりで食べた。善逸より騒がしくないけど話が途切れることもなくて、楽しかった。やはりひとりで食べなくて良かった。
さて寝るかという頃合になり、敷いた布団がふたつ並んでいるということにちょっとどきりとしたが、奥さんと子供がいる、という言葉を思い出して心臓を落ち着かせる。
それにしても、未来では善逸が結婚してるんだなぁ……彼の夢というか念願が叶ったのだから目出度いことだ。
「そろそろ寝よっか。灯り消すよー」
「はい。おやすみなさい善逸さん」
「今日もおつかれさま。おやすみナオちゃん」
とても優しい声がして、灯りが落ちる。顔は見えないけど、きっとあのふんわりとした笑顔を浮かべているんだろうなと思った。
◆◇
朝、まだ日が登らない薄暗い時間に目が覚めた。寝起きはいい方なのでそのまま体を起こす。隣を見ると既に善逸さんの姿は無く、布団だけが残されていた。
とりあえず顔を洗おうと思い羽織だけ肩にかけて部屋から出る。洗面所まで向かう廊下は既に雨戸が開けられていて、朝方の冷え冷えした明るさが入り込んでいた。廊下の冷たさに足の裏から体温を奪われる。
廊下に面した中庭に、見慣れた金色が見えた。
刀を振る善逸さんだ。
「やっぱきみは早起きだねぇ、よく眠れた?」
音で私が近づいていることはわかっていたのだろう、すぐにこちらに顔を向けた。寝る前は緩く結われていた髪は高い位置で括られ、善逸さんの動きに合わせて流れるように揺れている。
善逸さんは刀を納めながらこちらに歩いてきた。
その時見えてしまった。
刀に刻まれた四文字。
「善逸さん」
「うん?なに?」
善逸さんが首を傾げると、ちょうど朝日が差してきて中庭に光の線が走る。なんて良く似合う光景だろう。
「……なんでもないです」
「そう?」
本人が言わないなら、追求すべきではないのだろう。きっと。未来は知らない方がいい。今見た四文字のことを、他に気になることも、聞くのはやめた。
「……おはようございます」
「うん、おはよ」
それから朝食を頂いて、私は拠点にさせてもらっている蝶屋敷へ帰ることにした。もちろん蝶屋敷で保護という形になっている善逸さんも一緒だ。
そもそも今回私に同行してきたこと自体意味がわからない。助けてもらったけど。
今回は私の単独任務だったから、本当は私ひとりでやらなきゃいけなかった。けれど今回善逸さんが鬼の位置や数を教えてくれて、最後は斬ってくれた。私だけでは間に合わなくて犠牲が出ていただろう。
そういえばまだお礼を言ってない。
「善逸さん、今回は手伝ってくれてありがとうございました」
隣を歩く善逸さんを見上げると、何故か私の頬に手を伸ばしてくる。なんだろう、なにか付いていただろうか。
その手がそのまま耳を掠め後頭部にまわり、ぐっと引き寄せられ、目の前に善逸さんの顔が迫り、唇が触れた。
…………唇が触れた?
反射的に右手を振り抜くが、その前に善逸さんが離れていったので張り飛ばせたのは一拍遅れた動きの髪の毛だけだった。
「なに、するんですか……っ!」
「えー?お礼ならこっちがいいなと思って」
急な出来事にどくどくとうるさい心臓を押さえるように、胸に手を当て叫んだ。善逸さんは悪びれる様子も照れる様子もなくそう言った。
「奥さんいるんですよね!?信じらんない……!」
昨日の夜そう言っていたじゃないか。奥さん以外には何もしないって。未来の善逸は奥さんがいながらも他の女の子に手を出すようなやつになってしまっているのか。じわりと涙が滲んで、止める間もなく零れていった。
善逸さんがまた手を伸ばしてきて涙を拭うが、その手を叩いて払う。今度は避けなかった。
「……うん、いるよ。可愛くて優しくて、大事な大事な俺の奥さん」
また、あのふんわりとした笑顔でそう言った。
そんな大事な奥さんがいながら、なんで私にこんなことをするんだ。どうしてそんなやさしい顔をするんだ。この胸の痛さをどうしたらいいんだ。酷すぎる。
「……あー、ははは面倒なのが来た」
善逸さんがそう言うと、遠くから「聞こえてんだよぉーー!!!」と叫び声が聞こえる。この声は善逸だ。
声のした方を見ると、黄色い豆粒くらいにしか見えない善逸が道の先から走ってきてる。その後方にいる緑っぽい点は炭治郎だろうか。
見る見る間に近づいてきた善逸は私と善逸さんの間に入り、私を後ろに庇うように立つ。善逸さんが来た最初の日みたいだ。
「誰が面倒なんだよふざけんなよぉぉぉ!!何女の子泣かせてんだしかもナオちゃんを!!俺と言えど許さねえぞ!!!そのスカした髪引きちぎってやる!!!」
「うわあ……面倒だろこんなん」
「お前も俺なんだろ!!?心底ドン引きした音させてんじゃねえよ!!!」
「はははこりゃねえわ無理」
「イ゙ーーーーーーー!!!!!」
よく似た二人の言い合い、というか善逸が一方的に騒いでいるだけなんだけど、その騒がしさが逆に今は落ち着く。
鼻をすすると善逸が振り返り、肩をガシッと掴まれる。
「ナオちゃん大丈夫?こいつに何された?ぶん殴っとく?……なんかすごい傷ついた音してるけど」
「大丈夫じゃない、けど大丈夫……ありがと善逸」
善逸が私の頬に手を伸ばして涙を拭ってくれたのが、その動きがさっきの善逸さんと全く同じでまた涙が溢れた。
◆◇
蝶屋敷までの道のりを、善逸と善逸さんに挟まれた状態で歩く。相変わらず善逸が一方的に突っかかっているけれど、善逸さんもちょっと煽るような物言いをするのでお互いちっとも黙らない。
私を挟んで言い合いするのを、見かねた炭治郎が二人を叱りつけてくれた。
「ええっ俺悪くなくない?うるさいのちっこい俺だけじゃん」
「はぁぁぁああ??そもそもナオちゃん泣かせたのお前だろ??ちっこいとか言うな自分は伸びたからって!!!いつ伸びんだよチクショー!!!」
「俺は兄弟喧嘩は両成敗と決めてるんだ!」
「「いや兄弟じゃねえし……」」
結局長男力を発揮した炭治郎には善逸さんも叶わないらしく、解放された私は二人から離れて炭治郎と歩く。黄色い凸凹善逸コンビはまだ何か言い合いながら先を歩いている。
「ナオ、大丈夫か?」
「うん、ちょっと落ち着いた。ありがとう炭治郎」
「無理するなよ」
並んで歩きながら、炭治郎と先の任務の話なんかをしていると蝶屋敷に着いた。気持ちもだいぶ落ち着いたし、涙も引いた。目は少し赤くなってるかもしれないけど、それはもうどうしようもないからそのままだ。
私を見たアオイちゃんは心配してくれたけど、なんでもないと言ったらそれ以上は聞かないでくれた。
「ちょっと疲れたから、部屋で休むね」
「そうですか。食事はどうされますか?」
「夕飯は食べたいかな」
「わかりました。支度ができたら呼びに行きます。……なにか出来ることがあれば言ってください」
「……ありがとうアオイちゃん」
心配をかけてしまった。アオイちゃんは優しいなあ。普段なら食事の支度も手伝うんだけど、今はちょっとひとりになる時間が欲しかった。
部屋に戻ると、借りている部屋ではあるが自分の場所に戻ってきた感じがして、ほうっと息を吐いた。だいぶ落ち着いたけど、それでも気を張っていたらしい。羽織だけ脱ぐとベッドに倒れ込む。今日は移動だけで任務はなかったから、体はそんなに疲れていない。けれど泣いたせいで頭と目の奥が重い。
私は目を閉じた。閉じていると少し楽だ。
善逸さんはなんで急に口付けをしたんだろう。
あんなに優しい顔と声で奥さんのことを語って、子供までいるらしいのに。なんで私はこんなに胸が、心が痛いんだろう。口付けされたから?それだけか?
「……初めてだったのに、」
付き合っている訳でもない、他の人と結婚してる人に初めての口付けを奪われてしまった。それが嫌だったのか。
それも違う気がする。たぶん、きっと私は……未来の善逸が誰かと結婚をしてる、そのことが一番堪えたのだ。
ああ、私は善逸のことが好きだったんだ。
また涙が溢れてきて、閉じたままの目から零れてまつ毛を濡らした。自分の気持ちに気づいた途端失恋なんてつらい。枕に涙を吸わせるように顔を押し付けると、声もあげずに泣いた。
◆◇
こんこん、と控えめに扉を叩く音が聞こえた。そういえばアオイちゃんが夕食ができたら呼んでくれるって言っていたのを思い出し、意識をしっかりと浮上させる。枕に押し付けたままだった顔を上げると、部屋の中が暗い。蝶屋敷の夕食時間にしては暗すぎる。
「あ、ナオちゃん起きた?俺だよ」
聞きなれた声に呼び方、これは善逸のようだ。私が起きたことに音で気づいたらしい。
「ご飯の時も呼びに来たけど起きなかったからさ、大丈夫?食べられそう?」
呼びに来てくれたのに起きれなかったらしい。
自分でも寝起きはいい方だと思っていたし、今までに呼ばれて起きないことはなかったから驚いた。
「食べるなら準備するけど、無理そうなら寝ててもいいよからね」
恋心を自覚して、この善逸ではないけど未来の彼に失恋した私に、この優しさは痛むように染みる。正直お腹はすいてないけど、きっと残しておいてくれたであろう食事を無駄にするのも、善逸の気遣いを無碍にするのも悪い。
「……たべる」
「っ、じゃあ準備するね!食堂で待ってるから!」
ぱたぱた足音がして善逸の気配が遠ざかる。あまり待たせるのも心苦しいから、すぐにベッドから降りて隊服を脱ぐ。着たまま寝てしまったからすこし皺になっていた。
普段着にしている着物に着替えると、鏡で身なりを確認する。髪は手櫛でいつも通りだけど、涙の跡が残っていた。部屋を出て、食堂に向かう前に洗面所に寄って顔を洗う。
屋敷内はほとんど灯りが落ちていて、夜遅い時間だということがわかる。思ったより長い時間寝ていたようだ。灯りがもれる食堂に行くと善逸がいる。というか善逸しかいない。
「あ、おはよナオちゃん」
「……おはよう善逸」
「まあ夜だけどねぇ」
ひひ、と笑いながら器に料理をよそってくれている。なんで善逸がやってるんだろ、と思ったけど時間が遅いから他の子達はもう寝てるのかもしれない。
「自分でやるよ」
「俺にやらせてよ、座ってて」
そう促されたので、椅子に座ったまま善逸の動きをぼんやり眺める。決して手際がいい訳では無いけど、不慣れさは感じられない手つきで食事を用意してくれた。
はいどうぞ、と目の前に湯気のたつ器が置かれたので手を合わせていただきます、と言う。
普段はうるさいけど、優しいこの彼がいつか誰かと結婚するんだなぁと思うとやっぱり寂しい。
「……ねえ、何があったのか聞いてもいい?」
「だめ」
「即答!?ちょっとくらい考えてくれてもいいんじゃないのォ!?ねえ!!」
「ちょっと、いま夜だよ。静かにして」
「ごめんなさいねっ」
急に大声で高音を出し始める善逸を諌めると、その後の謝罪はちゃんと小さい声だった。
「まあ言いたくないなら無理には聞かないけどさ。音がつらそうだし……心配だけはさせてよ」
「……うん、ありがと」
私が礼を言うと、善逸はやわらかく笑った。それは善逸さんが時々見せていたあのふんわりとした笑顔によく似ていた。
◆◇
食事の後、善逸が部屋まで送ってくれた。屋敷の中だから別にいいって言ったけれど、俺が一緒にいたいから。と言って結局送ってもらったのだ。
前から私に限らず女の子には優しい善逸だけど、今日はいつも以上に優しかった。それだけ私が酷い音をさせていたんだろう。
部屋に戻ったはいいけれど、変な時間に寝てしまったせいか眠くない。普段任務で夜起きていることが多いのもあるかもしれないけれど。
眠れないがすることもない。ベッドに座ってぼんやりしていると、今度は窓がこんこんと叩かれた。いつの間にか窓の外に善逸さんが来ていた。
「や、こんばんは」
「こんばんは、何しに来たんですか?」
「あらご機嫌ナナメ」
だれのせいだと思っているんだこの人は。こっちの不機嫌なんか音でわかってるくせに、善逸さんは相変わらずのほほんと笑っている。
「どうせ寝れないんでしょ?俺と少し話をしようよ」
「嫌です」
「即答!?まあいいや、俺そろそろ未来に帰るからさ」
そうか、善逸さんはもともと未来から来たのだった。普通に隣にいて喋ったり触れたりできた人がいなくなるのは、なんだか変な感じだ。
「……そうですか。お世話になりましたどうぞお元気で」
「世話になったのは俺の方だよぉ」
にこにこと笑う善逸さんは、また髪を低い位置で緩く結っている。ちょっと濡れているのでやっぱり乾かしてないんだろう。
濡れたままの髪を結うなんてどうしたって傷むだろうにあんなに綺麗なのは、手入れされてる証拠だ。本人がしないのなら奥さんかな。
ああいやだ、自分の想像で傷つく。
「ねえ、ナオちゃんさあ。俺の言ったことわかってないでしょ」
「……なんのことですか」
「俺は、奥さん以外には手を出さないって言ったでしょ?」
そう言いながらこちらに手を伸ばしてくる。
窓から離れようとした私を簡単に捕まえて引き寄せると、また昼間のように唇が触れた。
「だから、きみにこういうことしてんの」
わかる?と見つめる善逸さんの瞳は、部屋の明かりを反射してきらめいている。そこに映る私の顔ははっきりとは見えないけれど、もしかしたら顔が赤いのかもしれない
奥さんにしか手を出さないと言う善逸さんが、だからこそ私に口付けたと。それは。
都合のいい夢みたいだけど、善逸さんの奥さんが私……正確には未来の私ということなのだろうか。単純な私の心が喜びの音を上げてしまう。善逸さんはその音を聞いて、ふんわりとやわらかい笑顔で私を見てる。
「ひひ、そーゆーことだから。じゃあ未来でまた会おうねぇ、ナオ」
私を捕まえていた手を解くと、善逸さんは窓から一歩下がる。夜の闇に姿がじわりと溶けていき、瞬きする間もなく消えてしまった。こんなすぐに消えちゃうなんて。
恋心も善逸との未来も知ってしまった私は、明日からどんな顔して善逸に会えばいいのだろうか。いやもう今日か。気がつくと窓の外には夜明け特有の冴え冴えした明るさが降りてきて、闇を隅へと追いやっていた。
◆◇
数ヶ月後。
耳のいい善逸に気持ちを隠せるはずもなく、恋心はすぐにバレてしまった。結婚しようと縋りついてくる善逸を断りきれず、まずは付き合うとこになる。
「ナオちゃん、今日休み?デートしよ!」
「うんいいよー」
二つ返事で頷いて、一応カラスに予定を確認してみると明日まで任務はないらしい。善逸も今日は丸一日自由らしかった。
最近休みはいつも一緒に過ごしていて、善逸がちゃんと休めているのか気になる。私は善逸と過ごす時間がむしろ癒しになっているからいいのだけれど。
「どこか行きたいとこある?」
「うーん……あ、髪油が無くなりそうだから買いに行きたい」
「え、俺があげたやつだよね。もうそんな減った?」
善逸が私の髪に手を伸ばしてさらりと撫でる。手入れされた髪はその手をすり抜けて私の首筋を擽った。無意識だろうけど善逸さんと同じことをするから、やっぱり同一人物だなぁと思う。
「この間善逸さんの髪を手入れさせてもらった時に結構使っちゃったから」
「は?なんであんなやつに使ってんのぉ!?」
「あんなやつって、未来の善逸でしょ……」
「いやそうかもしれないけど!ほんとなんなのあいつ!」
キーっと髪をかきむしる善逸の金色は、短いせいかたまに跳ねている。善逸さんの髪は流れるような動きをするのが綺麗だった。
「善逸は伸ばさないの?」
「あいつと同じになんて死んでもならない」
どうして自分自身なのにそんなに嫌っているんだろう。私にはわからない何かがあるのだろうか。
「そっか、手入れさせてほしかったのに」
「ハイ今日から伸ばします!」
見事な手のひら返しで髪を伸ばす宣言をする善逸に、思わず笑いが零れた。そういえば善逸さんは未来の私は髪が長そうなことを言っていたっけ。
「私も伸ばそうかな」
「いいと思うよ!ナオちゃんなら長い髪も似合いそう絶対可愛い」
好きにしたらいいと言った未来の彼とは違い、善逸は髪を伸ばすことに大賛成だった。
今までは動きやすさ重視でずっと短いままだけど、善逸がこんなに楽しそうにしてるなら伸ばすのも悪くない。やっぱり伸ばそう。
「あ、そしたらさ、ナオちゃんの髪は俺に手入れさせてよ」
「いいよ」
「やった!じゃそろそろ行こっか」
そう言いながら善逸は左手をずいっと差し出してきた。その手と顔を交互にみると、顔がじわじわ赤くなってくる。
「手、繋がない?嫌じゃなければだけど……」
嫌なことなんてあるものか。
私の顔に熱が集まり、きっと顔も赤くなってる。
差し出された手は左手、並んで歩くには右手を繋ぐことになる。剣士として利き手を握られるのはちょっと不安がない訳でもないけど、善逸ならいいか。
なにより私も手を繋ぎたい。
差し出された手にそっと私も手を重ねると、善逸はふんわりとやわらかく笑って手を握った。善逸さんと同じ表情だ。今になってわかる、これはきっと好きとか愛しいとか、そういう感情の顔だったんだ。未来の彼が何度も私に向けてくれたこの表情を、これから今の彼が私にたくさん向けてくれるのだろう。
「幸せだなぁ」
「俺も!」
お互い慣れてなさそうな手の繋ぎ方で、私たちは並んで歩き出した。
二人の道は同じ未来に繋がってる幸せを感じながら。
31/36ページ