曇天の下でお月見を
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今日は十五夜らしい。もう日が落ちて辺りも暗いのに、雲の多い空では月は見えやしないけれど。
仕事帰りに寄ったスーパーで、半額のシールがでかでかと貼られたお月見団子がなんだか憐れでつい買ってきてしまった。疲れた私と売れ残りのお団子、月の無い空。やっとたどり着いた我が家の前で、見上げるアパートの隣の部屋に明かりはついていない。はぁ、思わずため息をついてしまってから、自分が隣人に会えたらいいなと少し期待をしていたことに気づいた。それこそ満月のような髪と目をした、時折ベランダで会話をする隣人。
「……我妻さん、帰ってないのかぁ」
ぽつりと零してとぼとぼと自宅の玄関へと向かう。ちょっとした期待も打ち砕かれたことで、気持ちも足取りも重い。さっさとシャワーを浴びて寝てしまおう、それがいい。
玄関の鍵を開けて家に滑り込むなり暗い部屋に荷物を放り、下着やタオルをずるずると引きずり出してお風呂場へと向かった。そうして作業の様に体を洗い、流れ作業的にスキンケアをする。頭は働いていないのに、毎日体に馴染んだ行動は体が勝手にこなしてくれた。
シャワーを浴びたせいなのか、疲れているのは変わらないのに目が冴えてしまった。早く寝てしまおうと思ったけれど仕方ない、放置したままの買い物袋を整理しよう。その中から、目に飛び込む半額シールが現れた。そういえば買ったなぁ。買うつもりがなかったのについ買ったものだから、存在を忘れていた。せっかくだから十五夜の今日に食べてしまおう。もしかしたら雲が晴れて月が出ているかもしれないし、そしたらお月見でもしようかな。そう思って、お団子を手にベランダへと向かった。
「やっぱ月は見えないかぁ……」
相変わらずの曇り空。微かに明るい部分が分かるのは、満月だからきっと雲の向こうの月が明るいのだろう。
ぼんやり空を眺めていると、隣の部屋の方からカラリと音がする。はっとして音のした方、正確にはその音を立てた人物が顔を出すであろう防火扉の縁を見る。そうしてそこに、ひょっこりと現れたのは思った通りの満月色だった。
「春野ちゃん、こんばんは!」
居るとは思わなかった隣人、我妻さんだ。髪色に合わせたかのような笑顔が、夜中だというのに明るい。眩しい。
「こ、んばんは……居たんですね」
「ええ?なぁにそれ」
「電気がついてなかったので」
言ってからしまったと思う。隣人の部屋の電気を確認してるなんて、ちょっとストーカーチックだ。けれど言った言葉は還らないし、我妻さんはあははと笑ってくれたから、まぁいいか。
「今日満月でしょ、中秋の名月?」
「らしいですね」
「雲が晴れたら分かるように、部屋を暗くしてたの」
我妻さんは私から視線を外して空を見る。相変わらずぼんやりと雲の向こうで光る月を見ているのだろうか。
「うーん、無理そうだねぇ」
「そうですね……」
私は空を見ることなく同意した。空模様ならさっきも見たし、今は空より隠れた月より、明るく私の目を引くものがあるから。
再び私に視線を戻した我妻さんが、一瞬きょとんとしてからふわりと笑った。
「お月見?」
「え?……あっ」
しまった。半額シールが悪目立ちしてるお月見団子を持ったままだった。いやその前に私すっぴんだ。居るとは思ってなかったし、暗いからよく見えないだろうし……と言い訳を頭の中に並べてみたけれど、そもそも最初に会った時が散々泣いた後の酷い顔だった。もういいや。
「あ、ちょっと待ってて」
我妻さんはそう言って一度部屋へ戻ると、少ししてからまたひょいと顔を覗かせた。
「はい、どーぞ」
その言葉と共に差し出された手には、グラス。傍に寄ってそれを受け取ると、グラスの中は琥珀色の液体に、まあるい氷が浮かんでいる。
まるで、夜空を明るく染めて浮かぶ満月みたいだ。
思わず見とれてしまいお礼の言葉も忘れて黙り込む私に、我妻さんは焦ったように声を上げた。
「……あっお酒飲める?もしかしてダメだった!?」
「大丈夫ですけど……なんですか?これ」
ほっとしたのが見てわかるくらい大袈裟に息を吐いて、それから柔らかく笑って。私に向けて差し出された我妻さんの手には、私にくれたものと同じグラスが握られていた。
「これね、満月ハイボール。せっかくだからこれでお月見しようよ」
満月みたいと思ったのは正解だったらしい。こちらに向けられるグラスが求めるものをなんとなく理解して、互いのグラスの縁をかちんと合わせる。ふたつの満月が、琥珀色の中でくるりと回った。
「綺麗ですね、月」
「ん、ひひ……悪くないでしょ」
「……お団子食べます?合わないかもだけど」
「貰おうかな、甘いの好きだし」
パックを開けて我妻さんに差し出し、私もひとつつまんで食べる。うん、合わない。けれど、まあまあ美味しい。
十五夜、中秋の名月。満月のような人と、満月のようなお酒と、半額のお月見団子。空は相変わらずの曇天のまま、ゆっくりと夜は更けていった。
仕事帰りに寄ったスーパーで、半額のシールがでかでかと貼られたお月見団子がなんだか憐れでつい買ってきてしまった。疲れた私と売れ残りのお団子、月の無い空。やっとたどり着いた我が家の前で、見上げるアパートの隣の部屋に明かりはついていない。はぁ、思わずため息をついてしまってから、自分が隣人に会えたらいいなと少し期待をしていたことに気づいた。それこそ満月のような髪と目をした、時折ベランダで会話をする隣人。
「……我妻さん、帰ってないのかぁ」
ぽつりと零してとぼとぼと自宅の玄関へと向かう。ちょっとした期待も打ち砕かれたことで、気持ちも足取りも重い。さっさとシャワーを浴びて寝てしまおう、それがいい。
玄関の鍵を開けて家に滑り込むなり暗い部屋に荷物を放り、下着やタオルをずるずると引きずり出してお風呂場へと向かった。そうして作業の様に体を洗い、流れ作業的にスキンケアをする。頭は働いていないのに、毎日体に馴染んだ行動は体が勝手にこなしてくれた。
シャワーを浴びたせいなのか、疲れているのは変わらないのに目が冴えてしまった。早く寝てしまおうと思ったけれど仕方ない、放置したままの買い物袋を整理しよう。その中から、目に飛び込む半額シールが現れた。そういえば買ったなぁ。買うつもりがなかったのについ買ったものだから、存在を忘れていた。せっかくだから十五夜の今日に食べてしまおう。もしかしたら雲が晴れて月が出ているかもしれないし、そしたらお月見でもしようかな。そう思って、お団子を手にベランダへと向かった。
「やっぱ月は見えないかぁ……」
相変わらずの曇り空。微かに明るい部分が分かるのは、満月だからきっと雲の向こうの月が明るいのだろう。
ぼんやり空を眺めていると、隣の部屋の方からカラリと音がする。はっとして音のした方、正確にはその音を立てた人物が顔を出すであろう防火扉の縁を見る。そうしてそこに、ひょっこりと現れたのは思った通りの満月色だった。
「春野ちゃん、こんばんは!」
居るとは思わなかった隣人、我妻さんだ。髪色に合わせたかのような笑顔が、夜中だというのに明るい。眩しい。
「こ、んばんは……居たんですね」
「ええ?なぁにそれ」
「電気がついてなかったので」
言ってからしまったと思う。隣人の部屋の電気を確認してるなんて、ちょっとストーカーチックだ。けれど言った言葉は還らないし、我妻さんはあははと笑ってくれたから、まぁいいか。
「今日満月でしょ、中秋の名月?」
「らしいですね」
「雲が晴れたら分かるように、部屋を暗くしてたの」
我妻さんは私から視線を外して空を見る。相変わらずぼんやりと雲の向こうで光る月を見ているのだろうか。
「うーん、無理そうだねぇ」
「そうですね……」
私は空を見ることなく同意した。空模様ならさっきも見たし、今は空より隠れた月より、明るく私の目を引くものがあるから。
再び私に視線を戻した我妻さんが、一瞬きょとんとしてからふわりと笑った。
「お月見?」
「え?……あっ」
しまった。半額シールが悪目立ちしてるお月見団子を持ったままだった。いやその前に私すっぴんだ。居るとは思ってなかったし、暗いからよく見えないだろうし……と言い訳を頭の中に並べてみたけれど、そもそも最初に会った時が散々泣いた後の酷い顔だった。もういいや。
「あ、ちょっと待ってて」
我妻さんはそう言って一度部屋へ戻ると、少ししてからまたひょいと顔を覗かせた。
「はい、どーぞ」
その言葉と共に差し出された手には、グラス。傍に寄ってそれを受け取ると、グラスの中は琥珀色の液体に、まあるい氷が浮かんでいる。
まるで、夜空を明るく染めて浮かぶ満月みたいだ。
思わず見とれてしまいお礼の言葉も忘れて黙り込む私に、我妻さんは焦ったように声を上げた。
「……あっお酒飲める?もしかしてダメだった!?」
「大丈夫ですけど……なんですか?これ」
ほっとしたのが見てわかるくらい大袈裟に息を吐いて、それから柔らかく笑って。私に向けて差し出された我妻さんの手には、私にくれたものと同じグラスが握られていた。
「これね、満月ハイボール。せっかくだからこれでお月見しようよ」
満月みたいと思ったのは正解だったらしい。こちらに向けられるグラスが求めるものをなんとなく理解して、互いのグラスの縁をかちんと合わせる。ふたつの満月が、琥珀色の中でくるりと回った。
「綺麗ですね、月」
「ん、ひひ……悪くないでしょ」
「……お団子食べます?合わないかもだけど」
「貰おうかな、甘いの好きだし」
パックを開けて我妻さんに差し出し、私もひとつつまんで食べる。うん、合わない。けれど、まあまあ美味しい。
十五夜、中秋の名月。満月のような人と、満月のようなお酒と、半額のお月見団子。空は相変わらずの曇天のまま、ゆっくりと夜は更けていった。