アザレアに祈む
白哉から聞かされた話は、俄には信じがたい話だった。
―――毒を…飲む? 自分で?
耐性をつければ毒が効かなくなる。それによって、たとえ毒を盛られたとしても、生き延びられる確率を上げられる。
言っていることはわかった。頭で理解はした。
―――けれど。
「慣らすって、それで死んだらどうするんスか…!」
「この程度では死なぬ。致死量の感覚は覚えている故」
あっさりと答える白哉の平然さが、信じられない。どうしてこの人は、いつも、いつも、自分の身を顧みてくれないのか。
「覚えてるって…、それじゃあ、死にかけたことがあるんスか」
「………」
「あるならやめてくださいよ!」
是の意を含んだ沈黙を返してくる白哉に、恋次は思わず叫んだが、白哉の表情は変わらなかった。けれど、すっとわずかに視線だけを逸らしたのは、恋次がこのような反応をするとわかっていたからか。
わかっているつもりだった。この人がどういう世界の人なのか。その世界が綺麗なことばかりではないことも、それに耐えるこの人がどれほど苦労をしてきているのかも。―――頭では、わかっている、つもりだった。
―――馬鹿か、俺は
何もわかっちゃいなかった。俺は、この人のことを―――この人が生きる世界のことを、何も、わかってなんかいなかったんだ。
恋次はただ呆然とした。驚きは悔しさに代わり、けれどその悔しさを何と口にすればよいのかわからず、ぐっと唇を引き結ぶ。
胡座の上で拳を握りしめ、恋次がぎりりと歯を食いしばっていると、それを見上げていた白哉が不意にぽつりとこぼした。
「……逆、だ」
恋次が顔を上げれば、身体ごとこちらを向いた白哉と目が合う。静かに凪いだ瞳が、まるで自分の身体のことを思いやっていない様を示しているようで、ズキ、と胸が痛んだ。
「…何が、ですか」
「……毒を受けて、死にかけたからこそ、耐性が必要だった。兄が、強くなるために鍛錬をするのと、何も変わらぬ」
「変わらねえわけないでしょう!」
同じであってなるものか。それが毒だと、命を蝕むものだとわかっていて、それでも生き残るためにと自らそれを煽る行為が、鍛錬と同じなどと。
悲しいと思った。悔しいと思った。
この人が、それを、当たり前だと思っていることが。
「っ、なんで、」
湧き起こった激情をどこに向けていいのかわからず、恋次は褥に横たわる白哉の枕元で、拳を苛立たしげに畳敷きへと打ちつける。
「なんで、あんたは、いつもそうやって…っ!! 他の奴らに回す気遣いがあるなら、それを少しは自分にも向けてくださいよ!!」
ゆがめた顔を白哉に向ければ、恋次の瞳に映ったのは、どこか哀しそうな顔をした白哉の姿。いつもは限りなく無表情に保たれている制御がいまは機能していないのか、その顔も、向けられる瞳も、驚くほど鮮やかに白哉の心の内を恋次に伝えてきた。
きっと、自分がこのような反応をするとわかっていて、それを見るのが嫌で、いまのいままで黙っていたのだろう。自分の直情的な性格を、この人はよく把握している。
憤っても何も変わらない。そんな世界で生きてゆかねばならないのは、この人のせいじゃない。何より、これだけ弱っている人の前で感情のままに怒鳴り散らすなんて、たとえ相手が上官でなくともあるまじき行為だ。
恋次は、ひとまず心を落ち着けようと深呼吸をした。
「……すいません」
謝罪を口にすると、白哉は不思議そうな顔になる。……顔をしかめることもなければ、怒る気配もない。相変わらず、自分のこととなると極端なまでに頓着のない人だ。
「何がだ」
「急に、怒鳴っちまいました。頭に響きませんでしたか」
「構わぬ。予想の範疇だ」
急にしおらしくなった恋次の態度をどう思ったのか、白哉はあっさりとそう返してくる。やはり、恋次のことなどお見通しらしい。
それから、わずかに沈黙を挟んだのち、白哉は宥めるような声音で言葉を付け加えてきた。
「……誰もが、兄のように心あたたかなわけではない。そういった自衛の術が必要になることもある、というだけのことだ」
「っ、え…」
あまりにも予想外すぎる言葉が飛んで来て、恋次は驚いて声を詰まらせる。おそらく白哉が伝えたかったのは後者の内容なのだろうが、正直言って前者の言葉の破壊力が凄まじくてあまり頭に入って来なかった。……いま、この人は何と言った? …あたたかい? 自分が?
「…なんだ」
目を白黒させる恋次に、自分がどれほど爆弾めいた発言をしたのかをまるで自覚していないらしい白哉は訝しげな声を上げる。
「……いや、その……そんな風に思われてたとは思わなかったんで…」
心が、あたたかいなどと。
この人が、自分のことをそのように思っていたなんて。
なんだかこそばゆいような、むず痒いような気持ちになる。あっさりと告げられた言葉が、しかし恋次にとっては青天の霹靂のような発言だった。
「なぜ」
「…なぜ、って、んなの言われたことねえし……」
「……言わねば、伝わらぬか」
ぽつりと、こぼされた言葉に、恋次は目を見開く。
まっすぐに、こちらを見上げる眼差し。
白哉が横たわっているのは、紛うことなき恋次の寝具の上だ。
自力で立てもしないような状態で、意識も朦朧としながら、けれどもこの人はここへ来た。
ここへ―――…自分の、もとへ。
「……いえ。伝わってます」
自分を、頼ってもいい相手だと、認識してくれた。
どうしても誰かを頼らねばならない状況に追い込まれたとき、この人は、その相手に自分を選んでくれた。
それで、じゅうぶん、伝わってくる。
「―――っけど、それとこれとは別で! もう毒を飲むなんてこと止めてくださいよ! 頼みますから!!」
「……わかった、会合の近日は避けることにする」
「そうじゃねえええーッ! 毒飲むのをやめてくださいっつってんです!! またこんなことになったらどうするんスか! どこかで倒れたりしたら!」
「そのような無様、晒さぬ」
「精神論の問題じゃないんスよ!」
現に倒れたじゃねえか!と叫びたいのを何とか堪え、恋次はこの堅物をどうしたものかとため息をつく。
残念ながらこの人は、止めてくれと言って素直にうなずいてくれるような人ではない。少しばかり捻った戦法を取らねば、了承を得るのは不可能だろう。
恋次はしばらく考え込む。
「……わかりました。じゃあ、俺も一緒に飲みます」
「…は?」
唐突に何を言う、とばかりに目を見開く白哉に、恋次は世間話でもするかのようなあっさりとした口調で続けた。
「隊長がやるなら、俺も一緒にやります」
「け…、兄には必要なかろう」
声音に焦りを混じらせる白哉に、恋次はあくまでも軽い調子で告げる。
「え? そんなことないっスよ? 今後、敵に毒使いとか出てくるかもしれねえし、毒性持ちの虚とかだっているかもしれないじゃないスか。そんとき、その耐性ってのが俺にもあったら便利でしょ?」
「っ、ならぬ、万一の―――っ、あ、」
「……ほら。あんただってそう思うんじゃねえか」
白哉の本音を引き摺り出した恋次は、すっと眉根を寄せた。
誰かが同じことをしようとすれば、危険だからと止める。万が一のことがあってはならないと。それだけ危険なことなのだ。一歩……いや、半歩でも間違えれば、その先には「死」が待っている。
―――それが、わかっていて、
どうして、その心を自分に向けてやらない。その危険に、どうして、自分の身を晒すことは厭わないんだ。
危険ななだけじゃない。いつも毅然としているこの人が、昨日、あれだけ苦しんでいた。それほどに、苦痛を伴うものなのだ。だから、この人は必死に止める。―――そして、恋次もまた。
「な…、私を謀ったのか」
ようやく恋次の意図に気づいた様子の白哉は、驚いたような顔になる。まさか恋次が、口論を利用して相手の本音を引き摺り出すような、姑息な知略を用いるとは思っていなかったのだろう。
けれど、見抜かれた恋次はあっさりと首を振った。
「全然? 本気ですから。隊長がまだ続けるってんなら、ほんとに俺も飲みますよ。嫌なら飲まなきゃいいんです」
「…っ、恋次!」
聞き分けのないことを言うなとばかりに、白哉はまるで叱りつけるような口調で恋次の名を呼ぶ。
恋次は、そんな態度を取りたいのは自分の方だと思わず勢いのまま腰を浮かし、昂った感情を抑えきれずに再び声を荒らげた。
「あんたのいまの気持ちが、俺の気持ちだってこと、なんでわかんないんスか! 心配ないって言われたって、あんな姿見たら心配します! ほんとにこのまま冷たくなっちまうんじゃねえかって、俺が何度思ったことか…っ!!」
「…っ!」
痛いところを突かれたのか、思わず言葉を詰まらせる白哉に、恋次は畳み掛けるように言葉を吐き続ける。
「隊長。俺は、あんたを護るためなら命だって懸けます。けど、あんたの代わりに死ぬことはできても、俺が、あんたの代わりに生きることはできねえんだ。俺だけじゃない、あんたの命を代わりに生きられる奴なんて、この世のどこにだっていねえ…! だから、頼むから…っ、もっと……もっと、自分を大事にしてください……」
思わず白哉へと伸ばしかけた手を辛うじて止め、代わりに敷布をきつく握りしめて、恋次はうつむいた。
こんなとき、彼の妻ならどうしただろうか。
夜一なら。浮竹なら。京楽なら。
どうやって、この人を説得するのだろう。
どうやって、この人を苦痛から守るのだろうか。
教えてほしい。この人を護る方法を。この人が、自分を傷つけずとも済むようにするための方法を。
貴族の世界のことなんて知らない。その世界での生き方を、決まりを、自分などが変えられるはずもない。けれど、それでは―――…自分には、この人を護る術がないのだろうか。
「…………何なのだ、兄は」
己の無力さが悔しくて、うつむいたまま顔を上げられずにいた恋次の耳に、ぽつりと、白哉のつぶやきが聞こえてくる。
「……何がっスか」
言葉の意味がわからず、訝しげな声とともにのろのろと顔を上げれば、なぜか白哉は困り果てたような顔をしていた。その様に恋次がわずかに目を見開くと、すっと白哉の視線が恋次から外れる。
「…なぜ、そこまで……」
こぼされた言葉は、とてもあの白哉のものとは思えぬほどに弱々しく、力ないものだった。
「何でって…」
そんなの、決まってる。
あんたは、すぐに、無理をするから。
誰にも、頼ってくれないから。
だから、こんなに必死になるんじゃないか。
「誰にでも差し伸べられる手など、私は要らぬ…」
「え?」
瞼を伏せ、まるで恋次の視線から逃げるように、白哉は顔を腕の奥に隠す。その直前まで彼が視線を向けていたのが、敷布を掴んだままになっている己の手であったことにここでようやく気づいた恋次は、そっと拳の力を抜いて、その手を白哉の方へと伸ばした。
「……隊長」
恋次は白哉の細腕を掴むと、わずかに手前に引く。動くようにはなったもののまだ力は入らない状態だったのか、白哉の腕は簡単に顔から離れた。
「隊長が、誰にでもって思った理由はわかりませんけど……この手はあんたのモンですよ。いくらでも隊長の好きに使ってください。絶対に、迷惑だなんて思いませんから。俺のところに来てください」
目の前に差し出された手から、白哉はゆっくりと視線を恋次へと持ち上げると、じっと睨めつけてくる。恋次は構わずその瞳を見つめ返した。
「……私に構うな」
「嫌です。うなずいてもらうまで諦めません」
「もう、面倒はかけぬ」
「そんなこと言ってんじゃありません。頼ってもらえるのは嬉しいんだって言ったでしょう。そうじゃなくて、あんたが毒なんか飲むのが嫌なんです」
「死にはせぬと…」
「だから、死ななきゃいいって話じゃないでしょうが! あんだけ苦しんでるのを目の前で見て、ほっとけって言うんスか」
「苦痛など。くだらぬことだ」
「ッ、あんたが苦しいのは俺が嫌なんです!」
「…っ、なぜ!」
消耗した身体でここまでずっと押し問答を続けたせいなのか、初めて苛立たしげに語気を強めた白哉の返しに、瞬間、恋次の中で何かが切れる音がした。
考えるよりも先に言葉が飛び出たのは、それが初めてのことだった。
「あんたが好きだからに決まってんだろ!!」
この人はこんなに目が大きかったのか、との感想を普段ならば漏らしたであろうほど大きく目を見開いた白哉の姿に感動する余裕もなく、恋次は一拍後に自分が何を口走ったのかを自覚する。
「………………」
「…………」
当然のことながら、居心地の悪すぎる沈黙が落ちた。
それを壊すのは、やはり恋次の役目だろう。何せつくり出した張本人。恋次ら大きなため息とともに項垂れてこぼした。
「……あ〜〜…、…マジかあ……自分で叫ぶまで自分の気持ちに気づかない奴とか初めて見たわ……いや俺だけど……何だこれカッコ悪ィ……」
そうか、そういうことか、と遅まきながら恋次は納得する。
ずっと憧れで、目標で、近いようで遠い人だったから、気づかなかった。彼に向ける好意はすべて、尊敬に準ずるものだと思い込んでいたのだ。
救護とはいえ、口移しをすることに何の違和感も抱かなかった。そもそも彼が起きてからしたのは口移しではない。歴とした口づけである。時計に気を取られてうやむやになったとはいえ、よく許してくれたものだ。
あのときこそ必死で思い至らなかったけれど、大の男が同じ男を抱き抱えて同じ褥に潜り込むという行動も、今ならばかなりおかしいものであるということがわかる。もう、自分は子どもではないのだ。確かに緊急時ではあったが、何も疑問に思わずそれを遂行できた理由は、やはり相手が白哉だからなのだろう。
ああ、そうか。…―――だから。
「………嫌なんです、隊長」
ぽつりと。独り言のように、恋次はこぼす。
―――だから。
あんなに、怖かったのか。
「あんたを喪うのが、一番、嫌です」
白哉に退ける力がないのをいいことに、恋次は白哉の腕に手を伸ばし、そうっとその手を掴んだ。昨晩は氷のように冷たかった白磁の肌は、いまは確かにあたたかさを放っていて、恋次はほっと安堵を覚える。
そして、その手の甲へと、恋次は祈るように額を落とした。
「…お願いします……俺が護りたい人を、他の誰でもない、あんたが傷つけないでください……」
恋次が力ない懇願を最後に口を閉ざせば、そこは静かな空間。
肩にのしかかるような沈黙が、部屋を支配する。
その、再び訪れた沈黙を壊したのは、白哉の方だった。ぽつりと、すぐそばでちいさなつぶやきがこぼされる。
「………兄には、人を落とす才能があるようだな」
「…まさか。んなモンあったら、とっくに隊長に使ってますよ」
告げられた言葉の意味がわからず首を傾げたものの、恋次はゆっくりと顔を上げ、困ったような顔で白哉に応えた。
そんなもの、ほんとうにあったら、どんなによかったか。
「必要ない」
「知ってますって。何もしません。安心してください」
この想いを自覚したところで、何も起きるはずがない。何も始まることはないし、これからもずっと変わらないだろう。
副官として、頼ってもらえれば、それでいい。
それ以上を望むことが、ただ虚しさを生み出すだけであるということを、自分は知っているはずだ。
「……何もせぬ、か」
「しません。約束します。あんたが嫌がることは、絶対にしません。だから―――…っ、……」
だから、どうか。
離れてはいかないで。
そう、言いかけた言葉を、飲み込んだ。
恋次はぱっと白哉の手を離すと、距離を取るかのように、浮かせていた腰を畳敷きに落ち着ける。そして、明らかに不自然な動作であることは自覚しつつも、恋次はそばに置いてあった湯桶や手ぬぐいに手を伸ばし、片付けを装うようにして、白哉から顔を背けた。
背を向けてしまえば、顔を見られることもない。
「……そうだ、隊長。意識がしっかりしてるうちに、何か腹に入れねえと。いくらなんでも、水だけじゃ身体持ちませんよ」
「…恋次」
背中越しに投げかけられた白哉の声を、しかし恋次は如何にも聞こえていないという風で聞き流した。
わかっている。望んでも何も変わらぬことくらい。
わかって、いる、けれど。
心にのしかかる辛さは、ひどく重くて。
きっと、いま、自分の顔は見られたモンじゃない。
だから、いまは、この人の顔は見られない。
「俺、粥か何か作って来ます。胃も弱ってるだろうから、消化のいいモンがいいですよね。辛党の隊長は不満でしょうけど、味も薄めにしますよ。ちゃんと回復したら、好きなモンいくらでも―――」
「恋次…! …っ、…」
自分を呼ぶ声に続き聞こえた謎の音の不自然さに、恋次は何故だか嫌な予感がして、自分のいまの状態も構わずに思わず振り返る。
そしてそれが、腕に力の入らないはずの白哉が無理に身体を起こした結果、失敗して床に崩れ落ちた音だったのだということを目の前の光景から察すると、恋次は慌てたように白哉を抱え起こしに駆け寄った。
「ッ、隊長?! 何やってんですかあんた!!」
白哉の身体に負荷をかけぬようゆっくりと抱き起こし、そのまま再び褥に横たわらせた恋次だったが、しかし、白哉の手が恋次の衣の襟を掴んだことにより、離れようとした身体を咄嗟に止める。力など入っていないに等しかったが、それでも、恋次は動けなかった。覆い被さったような姿勢のまま固まる恋次を、白哉はなぜか睨み上げる。
「…水を……」
「え? 水?」
つぶやくようにこぼされた言葉に、恋次は拍子抜けしたような気持ちで脇にある水差しを見やったが、すると白哉は苛立たしげな様子で恋次の襟をさらに強く引いた。それが、いまの白哉に出せる精一杯の力なのか、襟を握る手はわずかに震えている。
思わず白哉へと視線を戻した恋次に、白哉は揺れる瞳とともに言い放った。
「私に、水を与えたのは、兄であろう。…ならば……枯れぬよう、責任を取らぬか」
「…っ、え……」
この人は、直接的な言葉を用いない。
誰かを気遣うときも、自分の意思を伝えるときも、その言動は実にわかりにくくて複雑で、そして不器用だ。
けれど、ひとたび、その言葉の裏に隠された心を見抜く術を、身につけることができたら。
その言葉の意味を、理解できたら。
彼の副官として、誰よりもそのそばで過ごすことの多い恋次は、白哉が動かぬ身体に鞭打ってまで必死に自分を呼び止めた理由を察する。そしてすぐに、まさか、と己の理解に心の中で否を唱えた。
―――ありえない
だって。…―――だって。
この人が、俺を、選ぶはずがない。
あまりにも都合の良すぎる理解を、恋次は自分の中に沸き起こった想いのせいだと判断する。
けれど、どうしても、それ以外の理解が見つからない。
想いに気づいてしまったから、自覚してしまったから、それに振り回されているんだ、と恋次は冷静さを失っているらしい自分に自嘲をする。そして、鬼道は無理にしても張り手のひとつやふたつ食らえば我に返るだろうと、恋次は敷布に片肘をつき、そのまま被さるようにして白哉に顔を近づけた。
けれど、白哉は動かない。
恋次の襟を掴んだ手を離しても、それは恋次を押しのけることはなく、ただ静かに敷布の上に投げ出される。
とうとう恋次が白哉の唇に己のそれを重ねても、白哉は身じろぎひとつ見せなかった。それどころか、顔を離して見れば、まるですべてを受け容れるかのように瞳を閉じた姿が目に映る。
「…なんで、」
思わずこぼした恋次の言葉に、白哉の瞼がうっすらと持ち上げられた。恋次はたまらず重ねて問う。
「なんで、抵抗しないんスか。張り手くらいならできるでしょう」
「…張り飛ばされたいのか」
「何かしてくれねえと、勘違いしそうで怖いんです!」
堪らず叫べば、どこか呆れたような顔をした白哉と目が合う。そして、恋次に応えるように、白く細い腕がふたつ、ゆっくりと伸ばされた。
これで我に返れるだろうか、と、恋次は白哉の美しい顔を眺めながらぼんやりと思う。
けれど、恋次の頬が叩かれることはなかった。
細く整った指を這わせるようにして、その手はするりと恋次の両頬に添えられる。そして、訝しげな恋次の顔をわずかな力で引き寄せると、白哉は恋次と同じように唇を重ねた。
「…っ?!」
何が起きたのかわからず、恋次は驚愕に目を見開き硬直してしまう。……いま、唇に当たったものは何だ? 幻ではないのか?
「…―――何を、思い違える」
唇を離し、腕を再び褥へと落として、恋次を解放した白哉は、そう静かな声音で問うてきた。
その、口調こそ淡々としたものだったが、よくよく見やれば黒髪の隙間から覗く白哉の耳はわずかに赤く染まっていて。
そのことに気づいた瞬間、恋次の中で行き場を失い渦巻いていた想いが、凄まじい勢いで表へとせり上がってきた。
「……同じ、なんですか」
「………」
「俺と、同じなんですか。隊長」
震える声で問えば、白哉の澄んだ瞳が恋次を射抜く。
そして、次の瞬間、はっきりとした声が恋次の耳に届いた。
「―――そうだ」
確かに与えられた是の言葉に、恋次は目を見開く。
そして、恋次は沸き起こった激情のままに白哉の頬を捉えると、箍が外れたかのようにその唇に深く口づけた。先ほどまでの静けさとは打って変わった激しさに、白哉は驚いたのかわずかに身体を跳ねさせるも、すぐに応えるように瞼を閉じる。
恋次は、何度も、何度も、白哉のやわらかさを貪った。角度を変えて、呼吸を入れて、手を添えて。何度も、確かめるように白哉の唇に縋りついた。
視界が滲む中、先ほどの白哉の言葉が脳裏によみがえる。
『―――私に、水を与えたのは、兄であろう』
なんて、器用でない。
自分がそういった物言いには疎いことくらい、この人ならばじゅうぶんにわかっているはずなのに。
この人の知る中で、自分は、水なんて与えていない。
目覚めたこの人に自分が与えたのは。
自覚のないうちに、自分が、贈ったものは。
―――あんたが好きです
触れ合う場所から伝わる熱に、想いを乗せる。
言葉にしなくとも、きっとその想いは伝わっただろう。
しばらくして、ようやく口づけを止めた恋次に、白哉は乱れた呼吸をゆっくりと整えながら潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。
「………厄介な毒を貰った気分だ」
「じゃあ、もう他の毒は要りませんね。飲まないでくださいよ?」
忘れずに念を押すと、む、と白哉は不満げな顔になった。
「これには耐性をつけようがないではないか」
「そうなんスか? 嬉しいです」
「………」
迂闊に漏らしてしまったらしい白哉の本音に恋次が頬を緩ませれば、一拍遅れて白哉の頬にさっと紅が散る。
なめらかな白肌に、その紅はよく映えた。
それが、まるで自分の色に染まっているかのようにも見えて、恋次は白哉の髪を梳きながら嬉しそうに告げる。
「俺の毒だけ貰っててください」
「……量が多すぎるな」
「大丈夫! 枯らしませんし、ちゃんと綺麗に咲かせますよ」
「毒を食らって咲く花があるとは初耳だ」
「だって、花にとっては毒じゃないですもん。ね?」
「………」
確信の宿った言葉に否定の台詞は吐けなかったのか、白哉はそろりと逃げるように恋次から視線を逸らした。それを追いかけるようにして、恋次は白哉の頬に優しく手を添えると、こつんと額を合わせる。
そうして、顔を離しながらにっこりと満面の笑みを浮かべれば、やがて白哉の表情もつられるようにして黙笑へと変わった。
信じられぬほどのしあわせに包まれながら、恋次は、花のように美貌を綻ばせた白哉に触れるだけの口づけを贈る。
そう、この人は。
花のように微笑む、この人は。
花は花でも、美しく―――愛を吸って咲く花だ。
* * *
『 take care of yourself for me 』
『 あなたに愛されてしあわせ 』
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