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アザレアに祈む


 
「……隊長、今日は定時で上がりなんですよね?」
「…そうだが」

 終業時刻間近、恋次がちらりと時計を見やりながら尋ねてきたので、白哉は短く肯定を返した。

 恋次の声に含みがあるように聞こえたのは、おそらく思い違いではないだろう。現に、本人は隠しているつもりだろうが恋次は先ほどから視線をうろうろとさせていて、手元の書類に集中できていない。そしてそれは、何も数刻前からの光景ではなく、今朝からずっと続いている仕草だった。

「なんだ」
「あ、いや…、なんでもないっス」

 訝しむ様子を面に出して尋ね返してみれば、恋次は見抜かれていたことに驚いたのか目を見開き、それから慌てたように首を振った。その様子を見て、やはり、と白哉は確信を持つ。

 昨日、阿近は、恋次に白哉が十二番隊で何をしているのか尋ねられたと言っていた。それならば、白哉が昨日どこにいたのかも、恋次はすでに知っているのかもしれない。それゆえ気になってはいるが、本人に直接聞くのは躊躇っているのか。終始歯切れの悪い様子の恋次から、白哉はそっと視線を外した。

 霊圧を消さずにいたのは失敗だったかもしれない。まさか、非番の日にまで自分がどこにいるのかを気にされているとは思っておらず、いつも通り抑えてはいたものの、白哉は特に霊圧を消してはいなかったのだ。

 常日頃から、きちんと休んでいるのかと小言を絶やすことのない心配性の男ではあったが、それでも、それはあくまでも勤務中に副官として務めを果たしているに過ぎないと思っていたのだが。

 ただでさえ隊長が非番の日はいつもより隊を纏めるのに忙しいだろうに、この上どこにいるのだか知れぬ白哉にまで注意を払っていたとは。霊圧探知は苦手な質だろうに、まったく、相変わらず顔に似合わぬ細やかさである。そういったところが隊士たちから人望を集める理由でもあるし、白哉もそれは評価しているのだが、今回はそれが完全に裏目に出てしまった。

 話してやったらどうか、と言われた。

 客観的に見れば、非番の日にどこへ行こうが白哉の自由であるし、それを部下にわざわざ話す必要など微塵もない。恋次に何も言わずにいる白哉の行動に不自然なところはないし、だからこそ、恋次も白哉に尋ねることができないでいるのだろう。

 しかし、十二番隊にいるとわかれば休息ではないことは一目瞭然、恋次にさらに気を揉ませる結果になったことは想像に難くない。もとより休息を取るということに関しては恋次から誰よりも信用されていない白哉のこと、神経質になっていても致し方のないことなのだろう。

 部下に不安を与えるのは上官として相応しくない行為である。その点を踏まえれば、たとえ非番の日のことであろうと、白哉は恋次に話してやるべきなのだろう。何より恋次は単なる部下ではない。ただひとりの副官である。

 しかし、それを承知の上で、白哉が黙りを続けているのは。

 あまりいい顔はされぬだろうな、と、この単純な男の反応を推測することが実に容易で、そして―――…自分が、それを見たくないと思っているからだった。

 出来うる限り、知らずにいてほしいと思う。いままでも、そしてこれからも、きっと触れることなどないであろう貴族の世界のことなど。その世界で生きるために、必要とされることなど。

 よく笑うこの男は、知らなくていいだろう。

 亡き妻にも、義妹にも。誰にも告げていない。唯一知っているのは、幼少からの付き合いである侍従の清家くらいか。しかしそれも、すでに過去のことと思っているだろう。祖父からの指導のもと、白哉が屋敷にて自ら毒を取り込まなくなってから、もう随分と久しくなる。

「……んん? あれ? ウチの担当地区でこんなでかい屋敷の使用許可って……何に使うんだっけ? えーと…」

 思考が仕事から逸れはじめていた白哉の意識を引き戻したのは、不思議そうな恋次の独り言だった。ちらりと視線を再び恋次へとやり、白哉は淡々とした声音で告げる。

「……貴族の定例会合だ」
「あ! そうでした。あ〜あったあった、うわ、これ申請来たの一ヶ月前じゃねえか。こんなん忘れるだろ。え、もしかして隊長もこれ出るんスか?」
「そうだが」
「えー! それじゃ定時で上がっても意味ないじゃないスか!」
「逆だ。そのために定時で上がるように…」
「も〜いつ休むんスか隊長は!」
「昨日休んだばかりだが」
「あんなとこ行ってて休んだなんて絶対認めません」
「………」

 自然に引き出された話題に、白哉はわずかに沈黙を落とす。一拍遅れて恋次も気づいたのか、しまったと言わんばかりの顔をして、そろそろと視線を手元の書類に落とした。しかし、ちっとも書面を読んでいる風ではないことくらい、傍目にもわかる。

 白哉はぽつりと言った。

「……涅のところへ行っていたのは二刻ほどだ」

 それ以外はきちんと休息を取っていたと言外に告げれば、恋次はぱっと顔を上げ、驚いたような眼差しをこちらに向けてくる。

 まさか白哉の方から踏み込むとは思っていなかったのだろう。

「……それ、なら、いいんスけど…」

 言葉とは裏腹にまだ納得していないような顔をしながらも、恋次はそれ以上踏み込んでは来ず、何をしていたのかと白哉に尋ねることはしない。
 もしかすると、白哉が敢えてその部分を明示することを避けたのだということを、敏感にも感じ取ったのかもしれない。

 ―――知らなくていい。

 白哉は、再び心の中でそうつぶやいて、それ以上恋次に何かを言うことはなかった。

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